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第四章 刑事の元へ、仲間が集う
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鈴木次郎は、カートからシュレッダーのゴミが入った袋を下ろす作業をすべて終えると、腰を拳で軽く叩いて、大きく息をついた。
「あんまり無理すんなよぉ、ゆっくりやればいい」
同僚の清掃員が、腰にぶら下げていたタオルで額の汗を拭っている。
「紙って木だからなぁ、同じ大きさの丸太の重みなんだよ。腰に来るったらありゃしねぇ」
「お互い年は取りたくねぇなあ」
「全くだぁ」
二人の笑い声が狭いバックヤードに響いた。
壁一枚隔てた表側では、綺麗に着飾った女性たちがお喋りを楽しみながら、お洒落な服やアクセサリーを買い求めている。
鈴木次郎は数日前、ファンタスティ新宿と、ミッドロケーションプランニングが入った新宿MLビルの清掃員として雇われたばかりだった。
清掃を請け負っているクレール・クリーンは慢性的な人手不足で、半端な時期に応募してきた高齢者でも諸手をあげて歓迎してくれた。
顧客のオフィスに立ち入らせることもある仕事のため、身元については厳しく問われたが、その点鈴木は全く問題のない人材であった。
北海道から上京して大手食品会社に就職し、四十二年間真面目に勤め上げて今年の春に退職した。妻はすでになく、独り身の気安さでしばらくは旅行などしてのんびりと過ごしていたものの、やはり体が動くうちは働きたいと、再就職を思い立ったという。
「うちにはもったいないくらいの経歴ですねえ、子会社からお声がかかったんじゃありませんか?」
人事担当者が採用通知を手渡しながら口にした社交辞令に、鈴木次郎こと古閑正太郎は、頬をひきつらせて笑うしかなかった。
会社と取引のある都市銀行の支店長からの紹介状つきということで、ほぼノーチェックで採用されたらしいが、まさか提出した履歴書はすべてでたらめで、実は今月警察をクビになったばかりの元不良公務員だとは、採用した方も夢にも思っていないだろう。
真っ赤な偽物の運転免許証の精巧さときたら、元刑事の自分でも全くそれと判らなかったほどだ。
大きすぎる伊達眼鏡がまたずり落ちてきそうになった。古閑は口を歪めて眼鏡に手を遣る。
(……全く……あの嬢ちゃんもたいしたもんだ。立派な詐欺師になれるぜぇ……)
亀戸の店先に書類を持ってきたとき、みはやは、
「那臣さんにいっぱい叱られちゃいました」
と、あどけない仕草で小首を傾げて苦笑していた。
こんな仕事は、守護獣であるあの少女にとって小手調べみたいなもので、何でもないことなのかもしれない。
だが、と、古閑は少しだけ水を向けてみる。
「あれは曲がったことができねぇ奴だからなぁ……嬢ちゃん、もしかしたら代わって汚れ役、引き受けようってんじゃねぇだろうな」
みはやは軽く目を見開くと、少し照れたように微笑んだ。
「……那臣さんは汚れさせてくれませんから。だからわたしも、いっぱい叱られる、くらいのラインで行こうかな、と。
いろいろ制約だらけになりますが、それが那臣さんの戦い方なら、守護獣のわたしはそれに従うだけです」
あの主人にしてこの守護獣、という訳か。
古閑の頬が自然と緩む。
那臣という男は頭も良く、その気になればもっと上手く立ち回れるはずであるのに、もどかしいほど愚直で不器用な人間だ。
(だから周りで世話やいてやらねぇとなぁ……)
一度はひれ伏すしかなかった河原崎に再び立ち向かう。そう古閑が決心したのは、那臣が戦う意志を取り戻したからにほかならない。
ゴミの処理を終えると古閑は地下の駐車場へと向かった。
テナントの社用車が区画に並んで停められている。無人の空間には、低い機械音だけが響いていた。
文化ちりとりと箒を手に、車の合間を掃除して回る。こんな地下の駐車場まで、ビル前の街路樹の枯れ葉が紛れ込んできている。古閑はこまめに位置を変えながらせっせと手を動かした。
駐車場の最も奥まった場所にあり、他の利用者から見られにくいよう配置された区画は、オーナー会社のミッドロケーションプランニング専用となっていた。
「あの辺近づくときゃ気ぃつけろ、なんか監視されてるらしいんだぁ。立派な車だなぁ、って見てたらよう、警備員がすっとんできやがった」
同僚の警告を思い出す。車にイタズラでもされて懲りたかなぁ、と同僚は笑っていたが、そこまでの監視は不自然といえよう。何か後ろ暗いところがあるに違いない。
年配の清掃員らしく、時折腰を気遣って叩いてみたりしながら、古閑は問題の専用駐車場所に近付いた。
三つある区画のうちひとつに、黒のレクサスが停められている。
古閑が地下駐車場を掃除するようになってから五日、この車は連日何時間か、ここのスペースに停められている。
掃除の手を止めずに車の前に歩み寄り、ちらりと視線を遣った。その動作で鼻先にずり落ちた眼鏡をくいと直す。そしてまた次の車の前へと移動し、落ちていた泥をちりとりに掃き込んだ。
警備員がやってくる気配はない。古閑は安堵して軽く息をついた。
件のレクサスは、港区芝浦にあるイベント企画会社、ケイ・シティ・オフィスの所有となっていた。商業登記簿上、その会社の代表者は高野駿壱という人物だが、これはダミーで、実際は河原崎勇毅が所有する会社が全額を出資し、息子の尚毅が仕切っていることが判っている。
この会社では、主に企業や商店街などが主催する小規模なイベントを企画開催していた。
「ただですねえ、それだけで経営が成り立っているとはとうてい思えないのですよ。ましてや高級車だのマンションだのを経費でひょいひょい買っちゃってるんですから、何かとびっきり儲かるお仕事を、引き受けていらっしゃるのではないかと」
みはやの言葉に古閑も頷いた。それこそ『オーディション』に関わる何らかの違法な『イベント』ではないか。
専用駐車スペースのさらに奥には、業務用搬入口と書かれたドアと、中型トラックが一台停められる程度の場所がある。そこを掃除しようと歩み寄ったとき、搬入口の自動ドアが開き、若い男が駆けだしてきた。
このドアが開かれるのを見たのは初めてだ。古閑も驚いたが、清掃員にぶつかりそうになった男も驚いたらしい。慌てた様子でレクサスに乗り込みながら、キレ気味に注意してくる。
「じいさん、ここの掃除はもういい! どけっ!」
古閑は素直に小さくなって頭を下げ、小走りでその場所を離れた。
すると背後で自動ドアが再び開き、中から腕を組んだ男女が現れた。
古閑の心拍数が一瞬跳ね上がる。資料写真で見た緑川紗矢歌と、男の方の顔は忘れもしない、河原崎尚毅だ。
運転手の男が車を寄せ、慌てて降りてきて後部ドアを開けた。
二人は楽しげに談笑しながら車に乗り込む。二人の後からもう一人、別の若い男が付いてきていた。その男に尚毅が声を掛ける。
「ぐっちゃんさんとせっきいさんがオーダーしたイベントの仕切り、ちゃんと気合い入れてやっておいてよ? 大事なリピーターなんだからさ」
二人を乗せた車は古閑の横をすり抜け走り去った。
何事もなかったかのように、古閑は掃除を再開する。
(ぐっちゃんさんとせっきいさん、ねえ……)
尚毅が直接指示を出している、それが何を意味するのか。
黙々と手を動かしながら、古閑は頬が紅潮してくるのを感じた。背筋にぞくりと緊張が走る。
久しぶりに感じた、武者震いというものだった。
「あんまり無理すんなよぉ、ゆっくりやればいい」
同僚の清掃員が、腰にぶら下げていたタオルで額の汗を拭っている。
「紙って木だからなぁ、同じ大きさの丸太の重みなんだよ。腰に来るったらありゃしねぇ」
「お互い年は取りたくねぇなあ」
「全くだぁ」
二人の笑い声が狭いバックヤードに響いた。
壁一枚隔てた表側では、綺麗に着飾った女性たちがお喋りを楽しみながら、お洒落な服やアクセサリーを買い求めている。
鈴木次郎は数日前、ファンタスティ新宿と、ミッドロケーションプランニングが入った新宿MLビルの清掃員として雇われたばかりだった。
清掃を請け負っているクレール・クリーンは慢性的な人手不足で、半端な時期に応募してきた高齢者でも諸手をあげて歓迎してくれた。
顧客のオフィスに立ち入らせることもある仕事のため、身元については厳しく問われたが、その点鈴木は全く問題のない人材であった。
北海道から上京して大手食品会社に就職し、四十二年間真面目に勤め上げて今年の春に退職した。妻はすでになく、独り身の気安さでしばらくは旅行などしてのんびりと過ごしていたものの、やはり体が動くうちは働きたいと、再就職を思い立ったという。
「うちにはもったいないくらいの経歴ですねえ、子会社からお声がかかったんじゃありませんか?」
人事担当者が採用通知を手渡しながら口にした社交辞令に、鈴木次郎こと古閑正太郎は、頬をひきつらせて笑うしかなかった。
会社と取引のある都市銀行の支店長からの紹介状つきということで、ほぼノーチェックで採用されたらしいが、まさか提出した履歴書はすべてでたらめで、実は今月警察をクビになったばかりの元不良公務員だとは、採用した方も夢にも思っていないだろう。
真っ赤な偽物の運転免許証の精巧さときたら、元刑事の自分でも全くそれと判らなかったほどだ。
大きすぎる伊達眼鏡がまたずり落ちてきそうになった。古閑は口を歪めて眼鏡に手を遣る。
(……全く……あの嬢ちゃんもたいしたもんだ。立派な詐欺師になれるぜぇ……)
亀戸の店先に書類を持ってきたとき、みはやは、
「那臣さんにいっぱい叱られちゃいました」
と、あどけない仕草で小首を傾げて苦笑していた。
こんな仕事は、守護獣であるあの少女にとって小手調べみたいなもので、何でもないことなのかもしれない。
だが、と、古閑は少しだけ水を向けてみる。
「あれは曲がったことができねぇ奴だからなぁ……嬢ちゃん、もしかしたら代わって汚れ役、引き受けようってんじゃねぇだろうな」
みはやは軽く目を見開くと、少し照れたように微笑んだ。
「……那臣さんは汚れさせてくれませんから。だからわたしも、いっぱい叱られる、くらいのラインで行こうかな、と。
いろいろ制約だらけになりますが、それが那臣さんの戦い方なら、守護獣のわたしはそれに従うだけです」
あの主人にしてこの守護獣、という訳か。
古閑の頬が自然と緩む。
那臣という男は頭も良く、その気になればもっと上手く立ち回れるはずであるのに、もどかしいほど愚直で不器用な人間だ。
(だから周りで世話やいてやらねぇとなぁ……)
一度はひれ伏すしかなかった河原崎に再び立ち向かう。そう古閑が決心したのは、那臣が戦う意志を取り戻したからにほかならない。
ゴミの処理を終えると古閑は地下の駐車場へと向かった。
テナントの社用車が区画に並んで停められている。無人の空間には、低い機械音だけが響いていた。
文化ちりとりと箒を手に、車の合間を掃除して回る。こんな地下の駐車場まで、ビル前の街路樹の枯れ葉が紛れ込んできている。古閑はこまめに位置を変えながらせっせと手を動かした。
駐車場の最も奥まった場所にあり、他の利用者から見られにくいよう配置された区画は、オーナー会社のミッドロケーションプランニング専用となっていた。
「あの辺近づくときゃ気ぃつけろ、なんか監視されてるらしいんだぁ。立派な車だなぁ、って見てたらよう、警備員がすっとんできやがった」
同僚の警告を思い出す。車にイタズラでもされて懲りたかなぁ、と同僚は笑っていたが、そこまでの監視は不自然といえよう。何か後ろ暗いところがあるに違いない。
年配の清掃員らしく、時折腰を気遣って叩いてみたりしながら、古閑は問題の専用駐車場所に近付いた。
三つある区画のうちひとつに、黒のレクサスが停められている。
古閑が地下駐車場を掃除するようになってから五日、この車は連日何時間か、ここのスペースに停められている。
掃除の手を止めずに車の前に歩み寄り、ちらりと視線を遣った。その動作で鼻先にずり落ちた眼鏡をくいと直す。そしてまた次の車の前へと移動し、落ちていた泥をちりとりに掃き込んだ。
警備員がやってくる気配はない。古閑は安堵して軽く息をついた。
件のレクサスは、港区芝浦にあるイベント企画会社、ケイ・シティ・オフィスの所有となっていた。商業登記簿上、その会社の代表者は高野駿壱という人物だが、これはダミーで、実際は河原崎勇毅が所有する会社が全額を出資し、息子の尚毅が仕切っていることが判っている。
この会社では、主に企業や商店街などが主催する小規模なイベントを企画開催していた。
「ただですねえ、それだけで経営が成り立っているとはとうてい思えないのですよ。ましてや高級車だのマンションだのを経費でひょいひょい買っちゃってるんですから、何かとびっきり儲かるお仕事を、引き受けていらっしゃるのではないかと」
みはやの言葉に古閑も頷いた。それこそ『オーディション』に関わる何らかの違法な『イベント』ではないか。
専用駐車スペースのさらに奥には、業務用搬入口と書かれたドアと、中型トラックが一台停められる程度の場所がある。そこを掃除しようと歩み寄ったとき、搬入口の自動ドアが開き、若い男が駆けだしてきた。
このドアが開かれるのを見たのは初めてだ。古閑も驚いたが、清掃員にぶつかりそうになった男も驚いたらしい。慌てた様子でレクサスに乗り込みながら、キレ気味に注意してくる。
「じいさん、ここの掃除はもういい! どけっ!」
古閑は素直に小さくなって頭を下げ、小走りでその場所を離れた。
すると背後で自動ドアが再び開き、中から腕を組んだ男女が現れた。
古閑の心拍数が一瞬跳ね上がる。資料写真で見た緑川紗矢歌と、男の方の顔は忘れもしない、河原崎尚毅だ。
運転手の男が車を寄せ、慌てて降りてきて後部ドアを開けた。
二人は楽しげに談笑しながら車に乗り込む。二人の後からもう一人、別の若い男が付いてきていた。その男に尚毅が声を掛ける。
「ぐっちゃんさんとせっきいさんがオーダーしたイベントの仕切り、ちゃんと気合い入れてやっておいてよ? 大事なリピーターなんだからさ」
二人を乗せた車は古閑の横をすり抜け走り去った。
何事もなかったかのように、古閑は掃除を再開する。
(ぐっちゃんさんとせっきいさん、ねえ……)
尚毅が直接指示を出している、それが何を意味するのか。
黙々と手を動かしながら、古閑は頬が紅潮してくるのを感じた。背筋にぞくりと緊張が走る。
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