モリウサギ

高村渚

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第四章 刑事の元へ、仲間が集う

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 品野の言葉のうち理解出来たのは、ミワの名字が田中であろうという一点だけである、庶民の常識の範疇はんちゅうでは。
 そんな那臣ともおみの、だだ漏れた心の声が聞こえていても、品野はあえて微笑で無視した。
「当ホテルでは、お客様のプライバシーを尊重し、厳重に管理しております。
 特にこのフロアは、ご宿泊のお客様以外お立ち入りいただけません。
 森戸様から、本日よりしばらくの間、このフロアすべてのご予約をいただいておりますので、お二方が当ホテルにご滞在いただいていることは、どなたにも知られることはありません。ご安心ください」
「フロアすべて……って、はあ……? ……なんだってえええっ?」
 大声で叫ぶという行為は、それなりにパニックを収拾するきっかけになり得るらしい。
 丸ごとマンゴーを綺麗にたいらげ、炭酸入りミネラルウォーターをグラスに注いでいたみはやを、グラスとボトルごと強引に引きずってきて、プールの対岸にある椅子に座らせる。
 隣に自らも腰を下ろし、そしてなんとか息を吐き出した。
「……みはや、この部屋は何なんだ? その……なんだ、一泊幾らだ?」
 とりあえず料金をいてしまうあたりは、庶民として当然の所作である。
「ルームチャージは聞かないほうがたぶん賢明ですよ? 明日からの労働意欲が確実に急降下します。
 先日発表された日本の給与所得者平均年収によると、一年分の血と汗と涙と引き替えに稼いだ年収全部つぎ込んでも、このお部屋、正規料金で二泊はできません」
「それをフロアごととか……お前が多少金持ちなのは知ってるが、それにしたって何考えてるんだ? キレておかしくなったのか?」
「失礼な。守護獣まもりのけもの森戸みはやちゃんたるもの、いついかなるときでも、沈着冷静深慮遠謀才色兼備大和撫子がモットーです」
 手にした炭酸水のグラスを傾け、しれっと答える。
「沈着冷静な大和撫子とやらが聞いて呆れるな、あの電話口から聞こえてきた雄叫びを、俺は忘れんぞ」
 思い出して身震いした那臣の背を叩き、みはやはころころと笑った。
「予告編では多少のキャラ変くらい、許されてしかるべしじゃないですか。次回、本編オープニングでくーるびゅーてぃーみはやちゃん、華麗に復活、ですよ。
 何を考えているかといえばもちろん、大弥さんとミワちゃん、お二人の当面の間の身の安全。河原崎パパも手出し不能な、完璧なセキュリティです。
 もともとこのフロアの正しい使用方法はフロアごと貸し切り、がデフォなのです。
 立貴さんのお言葉どおり、このフロアには宿泊客以外誰も立ち入りできません。もちろん警察も、です。令状を持ってこられたところでちょっとやそっとじゃ押し入られませんし、押し入られる前にどろんと雲隠れするルートだって完備されてます。
 もっとぶっちゃけますとこのフロア、テロ対策もばっちりです。
 才色兼備の立貴さんをはじめ、スタッフさんのほとんどは、今すぐSPにリクルートしちゃっても十分通用するレベルの方ばかりですし、ハード面でも多少の狙撃や爆発物やロケットランチャーくらいなら、全然平気です。
 航空機でピンポイントに突っ込まれたらヤバいでしょうが、これだけ皇居や国会議事堂が近いのですから、自衛隊さんが頑張って阻止してくださるのではないかと……」
「……だから何故、ロケットランチャー対策ばっちりなお部屋なんてものが、軽々しく存在するんだ」
 那臣は、脱力で椅子から転げ落ちそうになった。
 スタッフがそんな人材ばかりとか、どんなホテルなのだここは。
 唖然あぜんとして、プールの対岸でミワと談笑する品野をちらりと見やる。
 あの既視感の正体が判った。
 彼女の正確な歩幅と重心移動は、警察や軍隊など、専門の訓練を受けたものの歩き方だった。
「それは需要と供給です。暗殺部隊さんの熱心な追っかけにお困りの皆様に大人気!の、都会の隠れ家スポットなのですよ。
 おお、そうです。那臣さんだってつい先日そのお仲間入りを果たしちゃったじゃありませんか。
 祝、入会! ようこそ賞金首同好会へ!」
 同じく完璧に体幹を操り、おまけにほとんど足音をたてない獣が、那臣の目の前で乾杯、とグラスを掲げてみせた。
 もうひとつのグラスを差し出された那臣は、げんなりして固辞する。
「脱会届を出しておいてくれ。その賞金首同好会とやらは、揃いも揃って金が余って困る連中なのか。万全のセキュリティはともかく、プールだのリビングだのは不要じゃないのか」
 みはやはわざとらしく首を振って溜息をつく。
「那臣さん、ここをどこだと思ってるんですか? 元麻布ですよ? 半径数百メートル圏内に、適当に石を投げても当たっちゃうくらい、アレがたくさんあるでしょう」
「……大使館か」
 なるほどそれは確かに暗殺部隊に狙われて然るべき重要人物、豪華リビング庭にプールは当たり前、が宿泊することもあるだろう。
「各国要人のお忍び滞在。お支払いはナイショのポケットマネーか、お友達のお金持ちさん持ちです。
 もちろんお友達さんご本人も交友関係敵ばかり、な要人さんですので、こちらのような超強気設定のルームチャージでも、皆様喜んでご愛用されちゃってます」
「カネと権力は常にお友達ってか、仲がよろしくて結構なこった」
 うんざりして顔をしかめた那臣に、みはやが意味深な笑みを返す。
「十二点、ですね。一般的な法則として、お金と権力は相思相愛ですが、那臣さんが思い描いた権力者さんと、このお部屋の常連さんたちはちょっぴりきっぱり違うのですよ。
 こちらのホテルは、権力争いに敗れた世界負け犬同盟が遠吠え専用施設として所有経営しています。
 だからこそわたし、守護獣まもりのけもの森戸みはやが、予約もなしにざっくり無期限お借り上げできちゃったりしたんですけどね」
「……どういうことだ?」
 那臣のいぶかしげな視線には答えず、みはやは椅子から立ち上がった。
「まずはさくさくっとミワちゃんからお話をうかがって、今夜のところはお二人ともお疲れでしょうから、ゆっくり休んでいただきませんか?」
「あ、ああ」
 まるでタイミングを計ったように、別の女性スタッフがワゴンに軽食を乗せてやってくる。
 そしてみはやとミワの二人が主導し、品野たち専属スタッフまで巻き込んで、プールサイドで『無事の再会を祝っちゃいましょう会』とやらが始まってしまった。
 そのおかげで全くさくさくっとは本題に入れず、那臣たちがホテルを辞したのは、すでに明け方のことだった。
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