モリウサギ

高村渚

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第三章 刑事、慟哭す

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 暖まったカップにお替わりを注いで、みはやが戻ってきた。那臣ともおみのマグカップを持った手と反対の手には、今度は即席汁粉の入ったお椀が乗っている。今晩のみはやの砂糖総摂取量は、凄いことになっているに違いない。
 またも満足そうに激甘汁粉をすすって、自慢気にみはやは答えた。
「まあこの天才ハッカーみはやちゃんならどこのサーバでも楽勝ですが、近頃は皆さん結構頑張って侵入対策に励んでいらっしゃいますから。特に官公庁、有名企業さんなんかのご愛用サーバは、侵入に成功したとき、ネット住民のみなさん相手にどや顔できる感がハンパないですからねえ。狙われやすい分、入りにくさも絶賛倍増中です。
 ましてやSNS運営会社さんご愛用サーバとか、その辺の自称ハッカーさんにはちょっぴり骨の折れるお仕事だと思いますよ」
 つまり、その辺の自称ハッカーとは一線を画した腕の奴が、『オーディション』の一味にいる、ということか。またやっかいな事だ。那臣は深く息をついた。
 恐らくは何らかの性的搾取さくしゅが目的で女性をかどわかし、殺人もいとわない。
 行方不明となった女性の数から、そして手の込んだ仕事ぶりから、相当の規模を持った集団ではないかと推測される。
 額の前で両の手を組み、テーブルの一点に鋭い眼光を向けて、那臣は黙り込む。
 義憤ぎふんもだえ、思考を巡らす那臣の耳に、軽くリズミカルな音が飛び込んできた。
 顔を上げると、みはやが小さなタブレットに何やら打ち込んでいる。
「そう、そうなんですよ。骨の折れるお仕事なんです。割に合いません」
 作業が進むにつれ、みはやの瞳に宿る冷たく怪しい光が輝きを増していく。そしてなにかをとらえたか、視線を画面に残したまま、みはやは低くささやいた。
「那臣さん」
「何だ」
「ただの偶然、かもですが。というか、偶然であって欲しいのですが」
「構わん、言ってみろ」
「侵入したときはネット経由なので、さほど会社所在地など気にも留めませんでしたが……サーバから通信履歴を消されたSNS運営会社さん、本社は新宿、中央公園の近くです」
「……それは……」
「はい、新宿MLビル二十七階……つまりファンタステイ新宿の上層階オフィス部分にあるんです。そして、その会社、HANASOHジャパンの株式のほとんどは、ミッドロケーションプランニングが所有しています」
 みはやは淡々と、事実だけを述べていく。静かなその声は、非情なほど鮮やかに、ひとつの道を指し示した。
「ハッキングなんて面倒なことしなくたって、ご自分のおうちのサーバなら、もしかしなくても削除改竄かいざんし放題、だったりしませんか?」
 那臣は思わずうめいた。
「まさか、『オーディション』とは……」
「……河原崎勇毅さん、尚毅さん肝煎きもいりのイベント、かもしれません」
 那臣の脳裏でまた白い光源が激しくまたたいた。
 モノクロの背景。生活の気配の全くない、まるでモデルルームのように整えられたリビング。専門家プロ……元同業者によって徹底的にその痕跡を消されたまっさらな部屋に、奴は勝ちを確信した笑顔で自分たちを迎え入れた。
 つい数日前までその部屋に繋がれていた少女たちの絶望は、毛一筋の証拠も残すことなく掃き清められ、身体とともに唯一持ち帰ることが許された心は、砕かれ二度と蘇ることはない。
 まさか、あの狂乱の宴が、再び催されようとしているというのか。
 撃たれたように凍り付く那臣のかたわらに、つい、と、みはやが控える。
 自らと、そして主人を奮い立たせるように、獣は不敵に微笑んでみせた。
「敵影発見、総員戦闘配置、ですね。司令官、出撃命令をどうぞ」


 午前七時三十分、那臣はきっちりネクタイを締め、ジャケットの上にコートを羽織るとアパートを出た。
 今朝はよく冷え込んだ。吐く息は真白く、耳の端がじんわりと痛い。コートのえりを立てて寒気をさえぎる。
 くねくねとのたうつ細い坂、通称へび道を駆け下り、徒歩十分ほどの距離にある東京メトロ根津駅に向かった。
 朝の通勤時間帯。交差点で信号を待つサラリーマンたちの吐息に、ビルの合間から差し込む朝日が反射しちらちらと光る。
 今日は、警視庁本庁舎へ出勤したら即、捜査第一課長のもとへ向かい、今の捜査本部を離れ女性連続失踪事件の捜査に従事すると宣言するつもりだ。
 本来堂々と河原崎の名を出して捜査におもむきたかった那臣だが、いかに現在、守護獣まもりのけもの主人あるじとして、警察組織から下へも置かぬ優遇を受ける立場であろうとも、河原崎の息のかかった勢力は組織内で未だ健在だ。
 大声を上げて喧嘩を売り、いらぬ軋轢あつれきを生むこともなかろう、そうみはやとも話し合ったのだった。
「もっとも那臣さんが、がつんとときの声を上げてやるぜ! とおっしゃるならあえて止めはしませんが。というかむしろチアガールコスプレして応援、しちゃいましょうか?」
 そうと決めたらなかなかに好戦的な獣である。玄関で見送るみはやに苦笑して手を振った。
 千代田線は相変わらずの殺人的な混み具合だ。身を縮め、乗客たちのかたまりの隙間を狙って肩先からドアに滑り込む。
 ようやく半人分程度のスペースに身体を落ち着かせた時、内ポケットのスマホが震えた。みはやから受け取った、倉田恭士との連絡専用端末だ。
 隣の乗客を気にしながら、もぞもぞとスマホを取り出す。
 画面にはやはり、違う意味で隣の乗客の視線が気になるメッセージが踊っていた。
「れもんちゃ~ん、今夜は同伴ヨロシクな。アフターも、俺と朝まで同伴だぜ~!」
 他人に知られることなく恭士と連絡を取り合うためみはやが準備したアプリは、互いのメッセージが、キャバクラ嬢と客の会話に自動で変換されるものだ。
 那臣がどんなに深刻な内容の書き込みをしようと、人気キャバ嬢れもんとして青少年の健全な育成上好ましくない発言に変換され恭士に送信される『すぐれもの(みはや談)』である。
 那臣は頭痛をこらえて、スマホをポケットに戻した。
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