モリウサギ

高村渚

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第三章 刑事、慟哭す

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 日付が変わって一時間、深夜の読書のお供は、軽くあぶった干し芋だ。谷中商店街馴染みの八百屋お勧めの、茨城県産の一品は、噛むたびに、優しい甘みが口一杯に満たされる。
 同居十日余りで、すでにアパートの部屋の家事一切を完全占拠したみはやは、那臣ともおみの好物をキッチンに抜かりなく常備していた。
 みはやもひとつつまんで、まぐまぐと頬を動かす。
「指名手配犯の人相経歴リストと思えば、敏腕刑事那臣さん的に楽勝なのでは? まあ純情可憐少女塾全メンバー三十一名、公式プロフから地下情報まで、一晩中アツく語られても、それはそれでちょっぴり引きますが」
「心配無用。俺の人生のヲタクスペックは、大量の活字と些少さしょうのマンガと、極少のゲームですでに容量オーバー気味でね。新たな萌えを開拓する気力も財力も持ち合わせてねえよ」
「おやそれは残念です。敬愛する主人あるじ那臣さんが一念発起して、三十路ドルヲタデビューしたいとお考えなら、この守護獣まもりのけもの森戸みはや、持てる能力を総動員して、ライブ場所取りチェキ券握手券買い占めから、メンバー自宅の合い鍵作成まで、なんなりと請け負っちゃいますものを」
「明確な犯罪行為が紛れているぞ、で? この名刺が何だって?」
 芋を口に放りこんだその手で、名刺を一枚拾ってみる。
 七枚ある名刺は、どれも名の知られた大手、準大手の有名芸能プロダクションだ。
 みはやが勝ち誇ったように腕を組んでふんぞり返る。
「みはやちゃんってば放課後ただ街を歩いているだけで注目の的になっちゃうんですよねえ。こおんなにたくさんの芸能事務所のスカウトさんに声掛けられちゃいました。
 エムズファイブ・プロのスカウト富樫さんなんて、もうデビューしたときのキャッチフレーズまで考えてくれましたよ。
 『千年に一人の神すぎる美少女』だそうです。
 どうですか? ありきたりなワードのセンスはいかがなものかですけど、事実ですからねえ……ああ、可愛さは罪……!」
「だから自分で可愛い言うな」
 芸能界か。
 今夜はどうにも引っかかる単語だ。那臣は口の中の芋をかみ砕き、またひとつ放り込んだ。
 警視庁刑事部捜査第一課は、ただでさえ休む暇もない目の回るような繁忙部署である。
 そこへ新宿中央署管内キャバクラ嬢殺人事件を皮切りに、ひっきりなしに飛び込んできた凶悪事件の対応に追われ、猫の手も借りたい状況であった。
 普段から捜査員が各地の捜査本部などに出払い、空席の目立つ一課だが、昨日など、ぽつんと一人残された年嵩としかさの管理官が、あちこちの部署や捜査本部から入る連絡に、辟易へきえきしながら対応していたものだ。
 そんな現状では、たとえ警視庁一の危険人物、アンタッチャブル参事官でも猫の手よりはマシと思われたのだろう。
 新宿中央署の捜査本部から黙示の出禁をくらった那臣は、直後に発生した高輪台署管内の殺人事件の捜査本部に、またもやオブザーバーという中途半端なポジションで投入され、捜査に加わることとなった。
 新宿中央署と同様、本部を指揮する管理官も現場の捜査員も、やりにくいことこの上ないだろうが、それは那臣とて同じである。はれれ物扱い、白々とした空気にも、もういい加減慣れてきた。
 噂では、新宿中央署キャバクラ嬢殺人事件捜査本部の責任者大野管理官が、急性胃炎で救急搬送され、人手不足に拍車をかけているとかいないとか。
 俺のせいじゃないぞ、と、心の中でうそぶいてみる。
 因縁の相手、河原崎親子の新たな悪行(疑惑)を必ず暴いてみせる。みはやと二人、ファンタスティ新宿ビルを仰ぎながらそう誓って早数日。不本意ながらそちらの捜査には一向に手を付けられていなかった。
 今の己のアンタッチャブルさを武器(?)に、単身遊軍、河原崎親子を探ればよいものを。
 上に割り振られた仕事はきっちりこなすべく励んでしまう。身についた警察官の習性とは、かくも恐ろしいものなのか。
(いや、ただの性分だな、俺の場合)
 肩で風切る一匹狼は、どうにも肌に合わないようだ。
 マグカップの縁に唇を当て、茶をすすると、ずずず、と貧乏くさい音が立った。
「……まったく、お前だから危険なことはないとは思うが、まだ中学生なんだ。渋谷だの原宿だの、あんまりふらふら遊び歩くなよ」
「さすが年頃の娘を持つお父さん、やっぱり可愛いすぎる娘に、悪い虫が付かないか心配ですか?」
「だから誰がお父さんだ」
「ではお兄ちゃん、年頃の可愛すぎる妹が芸能界にスカウトされちゃったら、お兄ちゃん的にどうですか? 
 非リアのわびしい男どもに、これが俺の妹だぜ、着替えにばったりお風呂でどっきりイベントてんこもりだぜどやぁ!と見せつけたい派ですか。
 それとも俺だけの天使を、リアル箱入り妹にして、束縛自宅監禁しちゃいたい派ですか?」
「……もうずいぶんと慣れさせられたが……お前は何だって、そうどちらも選べん選択肢ばかり並べるんだか」
「ただの無邪気な無茶振りです。
 で、どうしましょう、この芸能事務所スカウト陣の大量の名刺。保護者としてのご意見を伺いたいのですが」
 みはやの背負う『守護獣まもりのけもの』という称号。
 それがどのようなものなのか、未だ全容は謎のままだ。
 だがみはやはまだ十四歳の少女である。将来にどんな夢を描くこともできるだろう。
 幸い話を持ちかけた事務所はそれなりに実績のあるところばかりのようだ。もし、みはやが真剣に芸能界という進路を考えるのなら、悪い話ではなかろう。
 それならば、と、那臣はマグカップをテーブルに置き、みはやに向き直った。
「ご意見もなにも……みはや、お前アイドルに……芸能人になりたいのか? それなら俺に反対する理由は……」
 いたって真面目な那臣の態度に、みはやはいたって不真面目なリアクションを返す。
「えーっ? 那臣さん、速攻断固反対してくださいよ、こんなにシャイで人見知りな内気少女みはやちゃんが陰謀渦巻くゲイノーカイでやっていけると思いますか? ガラスのハートが傷ついちゃったらどうするんですか。脂ぎったスポンサーさんやプロデューサーさんに、おいしく頂かれちゃってもいいんですか?」
「……一瞬でも真面目にお前の進路を考えた俺が馬鹿だったよ」
 伸ばした背筋をがっくりと崩す。テーブルの向かい側から、椅子ごと那臣のすぐ隣に引っ越してきたみはやは、例によって那臣の左腕にぶら下がるように右腕を絡め、顔を寄せてきた。
「では質問を変えましょうか、那臣さん。主人あるじとしてのご意見をお聞かせくださいな」
「主人として?」
「ええ、主人、たち那臣刑事さんが現在追っている事件の捜査方針を、那臣さんの守護獣まもりのけものとしてお伺いしたいのですよ」
 二人きりのキッチンで、みはやが声を潜め、耳元でささやく。
「『オーディション』、受けないかって誘われちゃったら、どうしましょう?」
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