モリウサギ

高村渚

文字の大きさ
上 下
32 / 95
第三章 刑事、慟哭す

1(挿絵あり)

しおりを挟む
 思わず声を掛けてしまった。
 そもそも富樫の肩書きは、現在女性アイドル中心に展開している準大手芸能プロダクションの、いわゆるスカウトという奴で、これと見込んだアイドルの卵たちに片っ端から声を掛けまくり、他の事務所に持っていかれる前に口説き落とすのが仕事だ。
 だが仕事なので、声を掛ける相手を選ぶ目は当然、厳しくなる。
 午後四時五十二分、原宿の街は、放課後を目一杯楽しもうと繰り出した女子高生たちであふれかえっている。打ち合わせを終え、クライアントの会社ビルから出て通りを歩くと、顔立ちやスタイルの整った少女が何人も視界の端をかすめた。おそらく学校では一、二を争う美少女たちのはずだ。が、呼び止めて話をしたいとまで思わせる素材はなかった。
 ただ綺麗で可愛いだけの少女ならいくらでもいる。アイドル全盛のこのご時世、目一杯盛った自撮り写真付きの履歴書が、毎日のように事務所のアドレスに届く。そんな環境で美少女を見慣れ、美少女の基準が異常なインフレを起こしている富樫を、その少女は打ちのめしてくれたのだった。
 小さく形のよい頭、つやのあるストレートロングの黒髪をツインテールに結わえている。
 小柄で細身だが華奢きゃしゃなだけではない。黒いハイソックスの脚には、見とれるほど美しく躍動するだろう筋肉がついていた。
 着ている制服は私立の名門、藤桜学園女子中のものだ。いわゆるお嬢様学校で、海外の上流階級との交際にも通用するよう、マナーや立ち居振る舞いを厳しく教育することで有名だった。おまけに相当偏差値の高い難関校である。その藤桜の制服に恥じない知性と品性を、少女はその身にまとっていた。
「そう君! 君さ、アイドルとかに興味はある? 僕はエムズファイブ・プロの富樫っていうんだけど……あ、これ名刺で」
 あたふたとスーツの内ポケットから名刺を取り出し、強引に少女に握らせる。ぽかんとした少女が口を開く間も与えない。
 生まれつきの強面に加え、ギョーカイの人間っぽくと伸ばしたひげがその筋の人間にしか見えないのだから、特に女性と話すときは注意しろと、社長にも妻にもあれだけ釘を刺されていたというのに、舞い上がってすっかり我を忘れた富樫は、そのまま襲いかからんばかりの勢いで畳みかけた。
「君ほどの可愛い子ならすぐにプロモーションかけて売っていけるよ! もちろんレッスンなんかは全部こちらで手配させてもらう。是非うちのプロダクションに任せてくれないかな!」
「……あのう」
 怒濤どとうの攻勢を少女は苦笑でさえぎり、可愛らしく小首をかしげた。
「すみません、うち、父がすっごく厳しいんです。門限八時だし、芸能界とかたぶん絶対無理ですよ」
 自分の娘がアイドルになりたいと言って、すぐに賛成する親のほうが珍しいだろう。
 そんな場合のノウハウも、富樫たち芸能事務所の人間は当然心得ている。自信満々にそう告げると、少女は左のひとさし指をあごに当てた。
 右手に持たされた名刺に視線を落とす。長い睫毛まつげに思案の表情が見て取れた。
「わたし、あまり芸能界のことってよく知らないんですけど。
 でも、怖い噂とか、よく聞きますし……」
 困ったようにはにかむ表情も、とびきりの可愛らしさだ。
 だが、この感触は悪くない。
 そう確信した富樫はさらにテンションを上げ、豪快に笑ってみせた。
「そんな心配はいらないよ。うちのプロダクションは昔からアイドルに力を入れてて、未成年の子もたくさん抱えてるけど、マネージメントの方針は親御さんを交えて、納得いくまで話し合うのを大前提にしてるからね。
 Go☆O☆Dの佐伯花音かのんって知ってる? 彼女もデビュー前、親御さんに大反対されてたんだよ。
でも今は両親揃って、彼女の出演る番組を欠かさずチェックして、アドバイスをくれるらしいよ。 本人さえやる気なら、いくらでも説得の方法はあるよ」
 いま、事務所で一番勢いのあるアイドルグループの人気メンバーを例えに出してみた、これは正解だったらしい。少女は感心して、小さく「おお、かのたんって、そうだったんですねえ」とつぶやいた。
 一瞬輝かせた瞳を、少女が慌てて伏せる。
 深く息をついた唇が軽くへの字に曲がった。おっと危ない、そんな心の声が聞こえるかのようだ。
「でもですねえ……テレビや映画に出られるって言って契約したら、危ない仕事だったりとかしたりしませんか?……ほら、『どこかへ売り飛ばされちゃうぞー』なんて親の定番の脅し文句ですし。
 ……まあGo☆O☆Dみたいな有名なグループが所属してる事務所さんならそんなことはないんでしょうけど……そういう悪い事務所もあったりするんですよねえ」
 親の台詞の部分は、器用に声色を使ってみせた。芝居も上手そうだ。
 この少女を逃してはならない、なにがなんでも我が事務所で獲得しなければ。
 さらにヒートアップした富樫のテンションに、少女は破壊力抜群の微笑でガソリンを投入した。
「富樫、さん? ほかにもいろいろお話、聞かせていただけますか?」
 富樫公認、いや万人が認めるだろう「千年に一人の神すぎる美少女」に親しげに名を呼ばれ、とっておきの笑顔を向けられて、富樫は完全に陥落かんらくした。
「もちろん! 芸能界の裏話でもアイドルのナイショ話でも、僕が知ってることなら何だって話しちゃうよ!」
「……はい一丁あがり、です」
 富樫は近くのファストフード店に少女を誘った。
 少女の唇がつくった、その意味不明のつぶやきは、すでに夢の世界へ半ば意識をトリップさせた富樫の耳には、当然、届くことはなかった。


「……日向プロに坂井田俳優事務所、で、こちらはオフィスハラダ……」
 どや、とばかりに得意顔のみはやが、テーブルに何枚も名刺を並べてみせる。
 意図を計りかね、いぶかしげな顔を向けた那臣ともおみの鼻先に、みはやはさらにどや顔で名刺を突きつけてきた。
「ほらほら那臣さん、ちゃんと見て下さいな。こちらなんて、あのエムズファイブ・プロですよ! いかにも流行にうとそうな那臣さんだって、Go☆O☆Dや純情可憐少女塾くらいご存じですよね?」
「いかにも流行には疎いんでね、その二つが女性アイドルグループだってことくらいは一応知ってるが、正直、どっちがどっちなのかはさっぱり判らんな。まして、どの子が誰だかなんて聞くなよ、見分けもつかん」
 少し肩をすくめてほうじ茶をすする。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語

六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

秘事

詩織
恋愛
妻が何か隠し事をしている感じがし、調べるようになった。 そしてその結果は...

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...