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第三章 刑事、慟哭す
1(挿絵あり)
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思わず声を掛けてしまった。
そもそも富樫の肩書きは、現在女性アイドル中心に展開している準大手芸能プロダクションの、いわゆるスカウトという奴で、これと見込んだアイドルの卵たちに片っ端から声を掛けまくり、他の事務所に持っていかれる前に口説き落とすのが仕事だ。
だが仕事なので、声を掛ける相手を選ぶ目は当然、厳しくなる。
午後四時五十二分、原宿の街は、放課後を目一杯楽しもうと繰り出した女子高生たちで溢れかえっている。打ち合わせを終え、クライアントの会社ビルから出て通りを歩くと、顔立ちやスタイルの整った少女が何人も視界の端をかすめた。おそらく学校では一、二を争う美少女たちのはずだ。が、呼び止めて話をしたいとまで思わせる素材はなかった。
ただ綺麗で可愛いだけの少女ならいくらでもいる。アイドル全盛のこのご時世、目一杯盛った自撮り写真付きの履歴書が、毎日のように事務所のアドレスに届く。そんな環境で美少女を見慣れ、美少女の基準が異常なインフレを起こしている富樫を、その少女は打ちのめしてくれたのだった。
小さく形のよい頭、艶のあるストレートロングの黒髪をツインテールに結わえている。
小柄で細身だが華奢なだけではない。黒いハイソックスの脚には、見とれるほど美しく躍動するだろう筋肉がついていた。
着ている制服は私立の名門、藤桜学園女子中のものだ。いわゆるお嬢様学校で、海外の上流階級との交際にも通用するよう、マナーや立ち居振る舞いを厳しく教育することで有名だった。おまけに相当偏差値の高い難関校である。その藤桜の制服に恥じない知性と品性を、少女はその身にまとっていた。
「そう君! 君さ、アイドルとかに興味はある? 僕はエムズファイブ・プロの富樫っていうんだけど……あ、これ名刺で」
あたふたとスーツの内ポケットから名刺を取り出し、強引に少女に握らせる。ぽかんとした少女が口を開く間も与えない。
生まれつきの強面に加え、ギョーカイの人間っぽくと伸ばした髭がその筋の人間にしか見えないのだから、特に女性と話すときは注意しろと、社長にも妻にもあれだけ釘を刺されていたというのに、舞い上がってすっかり我を忘れた富樫は、そのまま襲いかからんばかりの勢いで畳みかけた。
「君ほどの可愛い子ならすぐにプロモーションかけて売っていけるよ! もちろんレッスンなんかは全部こちらで手配させてもらう。是非うちのプロダクションに任せてくれないかな!」
「……あのう」
怒濤の攻勢を少女は苦笑で遮り、可愛らしく小首を傾げた。
「すみません、うち、父がすっごく厳しいんです。門限八時だし、芸能界とかたぶん絶対無理ですよ」
自分の娘がアイドルになりたいと言って、すぐに賛成する親のほうが珍しいだろう。
そんな場合のノウハウも、富樫たち芸能事務所の人間は当然心得ている。自信満々にそう告げると、少女は左のひとさし指を顎に当てた。
右手に持たされた名刺に視線を落とす。長い睫毛に思案の表情が見て取れた。
「わたし、あまり芸能界のことってよく知らないんですけど。
でも、怖い噂とか、よく聞きますし……」
困ったようにはにかむ表情も、とびきりの可愛らしさだ。
だが、この感触は悪くない。
そう確信した富樫はさらにテンションを上げ、豪快に笑ってみせた。
「そんな心配はいらないよ。うちのプロダクションは昔からアイドルに力を入れてて、未成年の子もたくさん抱えてるけど、マネージメントの方針は親御さんを交えて、納得いくまで話し合うのを大前提にしてるからね。
Go☆O☆Dの佐伯花音って知ってる? 彼女もデビュー前、親御さんに大反対されてたんだよ。
でも今は両親揃って、彼女の出演る番組を欠かさずチェックして、アドバイスをくれるらしいよ。 本人さえやる気なら、いくらでも説得の方法はあるよ」
いま、事務所で一番勢いのあるアイドルグループの人気メンバーを例えに出してみた、これは正解だったらしい。少女は感心して、小さく「おお、かのたんって、そうだったんですねえ」と呟いた。
一瞬輝かせた瞳を、少女が慌てて伏せる。
深く息をついた唇が軽くへの字に曲がった。おっと危ない、そんな心の声が聞こえるかのようだ。
「でもですねえ……テレビや映画に出られるって言って契約したら、危ない仕事だったりとかしたりしませんか?……ほら、『どこかへ売り飛ばされちゃうぞー』なんて親の定番の脅し文句ですし。
……まあGo☆O☆Dみたいな有名なグループが所属してる事務所さんならそんなことはないんでしょうけど……そういう悪い事務所もあったりするんですよねえ」
親の台詞の部分は、器用に声色を使ってみせた。芝居も上手そうだ。
この少女を逃してはならない、なにがなんでも我が事務所で獲得しなければ。
さらにヒートアップした富樫のテンションに、少女は破壊力抜群の微笑でガソリンを投入した。
「富樫、さん? ほかにもいろいろお話、聞かせていただけますか?」
富樫公認、いや万人が認めるだろう「千年に一人の神すぎる美少女」に親しげに名を呼ばれ、とっておきの笑顔を向けられて、富樫は完全に陥落した。
「もちろん! 芸能界の裏話でもアイドルのナイショ話でも、僕が知ってることなら何だって話しちゃうよ!」
「……はい一丁あがり、です」
富樫は近くのファストフード店に少女を誘った。
少女の唇がつくった、その意味不明の呟きは、すでに夢の世界へ半ば意識をトリップさせた富樫の耳には、当然、届くことはなかった。
「……日向プロに坂井田俳優事務所、で、こちらはオフィスハラダ……」
どや、とばかりに得意顔のみはやが、テーブルに何枚も名刺を並べてみせる。
意図を計りかね、いぶかしげな顔を向けた那臣の鼻先に、みはやはさらにどや顔で名刺を突きつけてきた。
「ほらほら那臣さん、ちゃんと見て下さいな。こちらなんて、あのエムズファイブ・プロですよ! いかにも流行に疎そうな那臣さんだって、Go☆O☆Dや純情可憐少女塾くらいご存じですよね?」
「いかにも流行には疎いんでね、その二つが女性アイドルグループだってことくらいは一応知ってるが、正直、どっちがどっちなのかはさっぱり判らんな。まして、どの子が誰だかなんて聞くなよ、見分けもつかん」
少し肩をすくめてほうじ茶をすする。
そもそも富樫の肩書きは、現在女性アイドル中心に展開している準大手芸能プロダクションの、いわゆるスカウトという奴で、これと見込んだアイドルの卵たちに片っ端から声を掛けまくり、他の事務所に持っていかれる前に口説き落とすのが仕事だ。
だが仕事なので、声を掛ける相手を選ぶ目は当然、厳しくなる。
午後四時五十二分、原宿の街は、放課後を目一杯楽しもうと繰り出した女子高生たちで溢れかえっている。打ち合わせを終え、クライアントの会社ビルから出て通りを歩くと、顔立ちやスタイルの整った少女が何人も視界の端をかすめた。おそらく学校では一、二を争う美少女たちのはずだ。が、呼び止めて話をしたいとまで思わせる素材はなかった。
ただ綺麗で可愛いだけの少女ならいくらでもいる。アイドル全盛のこのご時世、目一杯盛った自撮り写真付きの履歴書が、毎日のように事務所のアドレスに届く。そんな環境で美少女を見慣れ、美少女の基準が異常なインフレを起こしている富樫を、その少女は打ちのめしてくれたのだった。
小さく形のよい頭、艶のあるストレートロングの黒髪をツインテールに結わえている。
小柄で細身だが華奢なだけではない。黒いハイソックスの脚には、見とれるほど美しく躍動するだろう筋肉がついていた。
着ている制服は私立の名門、藤桜学園女子中のものだ。いわゆるお嬢様学校で、海外の上流階級との交際にも通用するよう、マナーや立ち居振る舞いを厳しく教育することで有名だった。おまけに相当偏差値の高い難関校である。その藤桜の制服に恥じない知性と品性を、少女はその身にまとっていた。
「そう君! 君さ、アイドルとかに興味はある? 僕はエムズファイブ・プロの富樫っていうんだけど……あ、これ名刺で」
あたふたとスーツの内ポケットから名刺を取り出し、強引に少女に握らせる。ぽかんとした少女が口を開く間も与えない。
生まれつきの強面に加え、ギョーカイの人間っぽくと伸ばした髭がその筋の人間にしか見えないのだから、特に女性と話すときは注意しろと、社長にも妻にもあれだけ釘を刺されていたというのに、舞い上がってすっかり我を忘れた富樫は、そのまま襲いかからんばかりの勢いで畳みかけた。
「君ほどの可愛い子ならすぐにプロモーションかけて売っていけるよ! もちろんレッスンなんかは全部こちらで手配させてもらう。是非うちのプロダクションに任せてくれないかな!」
「……あのう」
怒濤の攻勢を少女は苦笑で遮り、可愛らしく小首を傾げた。
「すみません、うち、父がすっごく厳しいんです。門限八時だし、芸能界とかたぶん絶対無理ですよ」
自分の娘がアイドルになりたいと言って、すぐに賛成する親のほうが珍しいだろう。
そんな場合のノウハウも、富樫たち芸能事務所の人間は当然心得ている。自信満々にそう告げると、少女は左のひとさし指を顎に当てた。
右手に持たされた名刺に視線を落とす。長い睫毛に思案の表情が見て取れた。
「わたし、あまり芸能界のことってよく知らないんですけど。
でも、怖い噂とか、よく聞きますし……」
困ったようにはにかむ表情も、とびきりの可愛らしさだ。
だが、この感触は悪くない。
そう確信した富樫はさらにテンションを上げ、豪快に笑ってみせた。
「そんな心配はいらないよ。うちのプロダクションは昔からアイドルに力を入れてて、未成年の子もたくさん抱えてるけど、マネージメントの方針は親御さんを交えて、納得いくまで話し合うのを大前提にしてるからね。
Go☆O☆Dの佐伯花音って知ってる? 彼女もデビュー前、親御さんに大反対されてたんだよ。
でも今は両親揃って、彼女の出演る番組を欠かさずチェックして、アドバイスをくれるらしいよ。 本人さえやる気なら、いくらでも説得の方法はあるよ」
いま、事務所で一番勢いのあるアイドルグループの人気メンバーを例えに出してみた、これは正解だったらしい。少女は感心して、小さく「おお、かのたんって、そうだったんですねえ」と呟いた。
一瞬輝かせた瞳を、少女が慌てて伏せる。
深く息をついた唇が軽くへの字に曲がった。おっと危ない、そんな心の声が聞こえるかのようだ。
「でもですねえ……テレビや映画に出られるって言って契約したら、危ない仕事だったりとかしたりしませんか?……ほら、『どこかへ売り飛ばされちゃうぞー』なんて親の定番の脅し文句ですし。
……まあGo☆O☆Dみたいな有名なグループが所属してる事務所さんならそんなことはないんでしょうけど……そういう悪い事務所もあったりするんですよねえ」
親の台詞の部分は、器用に声色を使ってみせた。芝居も上手そうだ。
この少女を逃してはならない、なにがなんでも我が事務所で獲得しなければ。
さらにヒートアップした富樫のテンションに、少女は破壊力抜群の微笑でガソリンを投入した。
「富樫、さん? ほかにもいろいろお話、聞かせていただけますか?」
富樫公認、いや万人が認めるだろう「千年に一人の神すぎる美少女」に親しげに名を呼ばれ、とっておきの笑顔を向けられて、富樫は完全に陥落した。
「もちろん! 芸能界の裏話でもアイドルのナイショ話でも、僕が知ってることなら何だって話しちゃうよ!」
「……はい一丁あがり、です」
富樫は近くのファストフード店に少女を誘った。
少女の唇がつくった、その意味不明の呟きは、すでに夢の世界へ半ば意識をトリップさせた富樫の耳には、当然、届くことはなかった。
「……日向プロに坂井田俳優事務所、で、こちらはオフィスハラダ……」
どや、とばかりに得意顔のみはやが、テーブルに何枚も名刺を並べてみせる。
意図を計りかね、いぶかしげな顔を向けた那臣の鼻先に、みはやはさらにどや顔で名刺を突きつけてきた。
「ほらほら那臣さん、ちゃんと見て下さいな。こちらなんて、あのエムズファイブ・プロですよ! いかにも流行に疎そうな那臣さんだって、Go☆O☆Dや純情可憐少女塾くらいご存じですよね?」
「いかにも流行には疎いんでね、その二つが女性アイドルグループだってことくらいは一応知ってるが、正直、どっちがどっちなのかはさっぱり判らんな。まして、どの子が誰だかなんて聞くなよ、見分けもつかん」
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