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第二章 刑事、再び現場へ赴く
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「では続けましょうか。この図面を手に入れたお店は、けっこうがめつい対価と引き替えですが、重要度機密度信用度、そろって三つ星の優良店です。まずガセは混じってません」
「がめつい対価ね。甲斐性のない主人で申し訳ないが、経費では落とせないぞ」
みはやはまたころころと笑って手を振る。
「やだなあ那臣さん、そんな心配は一切ご無用ですよ。逆に主人の寂しい懐にこっそり愛情とお金を忍ばせておくのが、デキる美少女秘書ってものです。
那臣さんがお望みなら、○ュンク堂池袋店や紀○國屋新宿店、店ごとまとめてお買い上げする程度の資金なら、すぐに調達させていただきますよ?」
「……その具体的かつ魅力的すぎるたとえはやめてくれ」
真剣に、くらりとめまいに襲われた那臣である。
しかし、たとえたみはや自身まで、どうやら相当ショックを受けたらしい。
眉間にしわを寄せ、ぶんぶんと首を振ってみせた。
「……ええ、わたしも言ってから後悔しました。守護獣たるもの私の欲望の赴くままの行動は厳に慎むべき……とはいえ、主人の那臣さんもノリノリでしょうからねえ……この主従コンビだと本気で辺り構わず、都内大型書店、総買収総私物化を、嬉々として行ってしまいそうです……」
「……何度妄想したかなあ……紀伊○屋の中に居を構え、昼夜構わず読書三昧……新刊書は当然発売日前に読み放題……一生かかっても読み切れない、あの棚もこの棚も端から端まで俺の本……」
「……やめてください那臣さん……そんなこと言われたらわたし、国立国会図書館ジャックしちゃいますよ……チープなトンデモ本も秘蔵の稀覯本も、この日本で発行される本は、すべてわたしに捧げられる本です……」
重度の読書中毒主従は、(おもにみはやが)その気になれば手に入れられるのだと知ってしまった幸せすぎる妄想と、奇跡的に残っていた良心を総動員して、かろうじて我に返った現実との落差に、ただならぬダメージを受けた。
ダンジョン突入以前、戦闘もしていないのに、ライフはゼロ寸前だ。
まるで人生が終わったかのように、虚ろな目で並んで肩を落とす二人を、通りすがりの客がいぶかしげに眺め、通り過ぎていく。
気力を振り絞って、那臣がみはやの背を叩いた。
「……ここ、怪しい行動をしちゃダメなエリアだったんじゃないか?
場所を移すぞ。歩けるか、みはや」
「……ええ、思いっきり怪しいですねわたしたち……早く地上に出ましょう、太陽の光を浴びましょう、煩悩を落とすんです……」
「……ったく、何しに来たんだか」
ビルを出て、外の雑多な生活の臭いが混じった空気を吸うと、二人はようやく正気に戻った。
みはやが、まだ少し青い顔で両肩を抱いて身震いし、歩道脇の煉瓦作りの植え込みによろけるように腰を落ろす。
そのまま腕を組んでしかつめらしく唸った。
「……だから先日来のデートでも念入りに書店をコースから外したというのに……いけませんねえ、こと本の話になると、いろいろ人として大切なことを躊躇なく蹴り飛ばしてしまいそうになります」
「お互いに、な」
那臣も隣に腰を下ろし、同じ苦悩のポーズを取る。
そして顔を見合わせて、二人で笑った。
そうしている間にも、通りに面した一階入り口へ、次々と客が飲み込まれていく。
先程目を通したフロアガイドによると、一階にはいかにも女性客に受けそうな、健康志向のハーブや雑穀を扱うショップや、カフェが入っているようだ。やはり、女性客がほとんどである。
まだ半ば呆けた声で、那臣が月並みな言葉をつくった。
「……しっかし繁盛ってるなあ……これだけ客が入ってるんだ、さぞかし儲かってるんだろうなあ……」
「……儲かってますよお……ミッドロケーションプランニングは、いまや飛ぶ鳥を落とす勢いの優良企業さんですからねえ。選び抜かれたテナントはもちろん、オーナーの緑川ご夫妻の懐にもがっぽがっぽ入っちゃってます。
そしてそのざっくざくのお金さんが、紗矢歌さんから、可愛い尚毅さんに流れているんでしょう。紗矢歌さんは尚毅さん激らぶなので、貢ぐお金もハンパないみたいですねえ……」
「ふーん……ん?」
みはやのテンションが七割減だったせいで、うっかり聞き流すところだった。
それこそ今日ここへやってきた本題、キーパーソンの名前である。
隣で口に手を当て、生あくびをするみはやに向き直る。
「……それは、確かな話なのか?」
みはやが視線だけ那臣に投げて寄越す。
態度はだらけたままだが、その瞳の光は、すでにあの物騒な獣だ。
「……ちょっと待て。紗矢歌は尚毅を子ども代わりに可愛がってたんじゃなく、そういう関係なのか?」
「紗矢歌さんは三十八歳、まだまだ女を捨てる年齢ではありません。というかむしろハタチの彼氏ができてからの方が綺麗になったと、とある筋では評判です」
どうにも生臭い話になってきた。
那臣が尚毅を追っていた時に緑川紗矢歌の名前は挙がってこなかったが、みはやの情報だ。確かなものなのだろう。
僅かに首をひねる仕草から察したのか、みはやがちょっと笑って解説を加えた。
「那臣さんが、がっつり尚毅さんとおつきあいしていた時期、ちょうど紗矢歌さんは事業拡大のため、旦那様と一緒に海外を飛び回っておいででした。
そうでなくともナイショのいけない関係です。お互い周囲にはそれなりに気を使っていたみたいですし、那臣さんがいかに敏腕刑事さんとはいえ、すぐには探り当てられなくても仕方ありません」
那臣は低く唸った。
紗矢歌が尚毅の行状をどこまで把握しているかは判らない。しかし、あの凄惨な監禁暴行事件を起こしたその足で、不倫のパトロンとよろしく付き合っていたのなら、相当な鬼畜だ。
「がめつい対価ね。甲斐性のない主人で申し訳ないが、経費では落とせないぞ」
みはやはまたころころと笑って手を振る。
「やだなあ那臣さん、そんな心配は一切ご無用ですよ。逆に主人の寂しい懐にこっそり愛情とお金を忍ばせておくのが、デキる美少女秘書ってものです。
那臣さんがお望みなら、○ュンク堂池袋店や紀○國屋新宿店、店ごとまとめてお買い上げする程度の資金なら、すぐに調達させていただきますよ?」
「……その具体的かつ魅力的すぎるたとえはやめてくれ」
真剣に、くらりとめまいに襲われた那臣である。
しかし、たとえたみはや自身まで、どうやら相当ショックを受けたらしい。
眉間にしわを寄せ、ぶんぶんと首を振ってみせた。
「……ええ、わたしも言ってから後悔しました。守護獣たるもの私の欲望の赴くままの行動は厳に慎むべき……とはいえ、主人の那臣さんもノリノリでしょうからねえ……この主従コンビだと本気で辺り構わず、都内大型書店、総買収総私物化を、嬉々として行ってしまいそうです……」
「……何度妄想したかなあ……紀伊○屋の中に居を構え、昼夜構わず読書三昧……新刊書は当然発売日前に読み放題……一生かかっても読み切れない、あの棚もこの棚も端から端まで俺の本……」
「……やめてください那臣さん……そんなこと言われたらわたし、国立国会図書館ジャックしちゃいますよ……チープなトンデモ本も秘蔵の稀覯本も、この日本で発行される本は、すべてわたしに捧げられる本です……」
重度の読書中毒主従は、(おもにみはやが)その気になれば手に入れられるのだと知ってしまった幸せすぎる妄想と、奇跡的に残っていた良心を総動員して、かろうじて我に返った現実との落差に、ただならぬダメージを受けた。
ダンジョン突入以前、戦闘もしていないのに、ライフはゼロ寸前だ。
まるで人生が終わったかのように、虚ろな目で並んで肩を落とす二人を、通りすがりの客がいぶかしげに眺め、通り過ぎていく。
気力を振り絞って、那臣がみはやの背を叩いた。
「……ここ、怪しい行動をしちゃダメなエリアだったんじゃないか?
場所を移すぞ。歩けるか、みはや」
「……ええ、思いっきり怪しいですねわたしたち……早く地上に出ましょう、太陽の光を浴びましょう、煩悩を落とすんです……」
「……ったく、何しに来たんだか」
ビルを出て、外の雑多な生活の臭いが混じった空気を吸うと、二人はようやく正気に戻った。
みはやが、まだ少し青い顔で両肩を抱いて身震いし、歩道脇の煉瓦作りの植え込みによろけるように腰を落ろす。
そのまま腕を組んでしかつめらしく唸った。
「……だから先日来のデートでも念入りに書店をコースから外したというのに……いけませんねえ、こと本の話になると、いろいろ人として大切なことを躊躇なく蹴り飛ばしてしまいそうになります」
「お互いに、な」
那臣も隣に腰を下ろし、同じ苦悩のポーズを取る。
そして顔を見合わせて、二人で笑った。
そうしている間にも、通りに面した一階入り口へ、次々と客が飲み込まれていく。
先程目を通したフロアガイドによると、一階にはいかにも女性客に受けそうな、健康志向のハーブや雑穀を扱うショップや、カフェが入っているようだ。やはり、女性客がほとんどである。
まだ半ば呆けた声で、那臣が月並みな言葉をつくった。
「……しっかし繁盛ってるなあ……これだけ客が入ってるんだ、さぞかし儲かってるんだろうなあ……」
「……儲かってますよお……ミッドロケーションプランニングは、いまや飛ぶ鳥を落とす勢いの優良企業さんですからねえ。選び抜かれたテナントはもちろん、オーナーの緑川ご夫妻の懐にもがっぽがっぽ入っちゃってます。
そしてそのざっくざくのお金さんが、紗矢歌さんから、可愛い尚毅さんに流れているんでしょう。紗矢歌さんは尚毅さん激らぶなので、貢ぐお金もハンパないみたいですねえ……」
「ふーん……ん?」
みはやのテンションが七割減だったせいで、うっかり聞き流すところだった。
それこそ今日ここへやってきた本題、キーパーソンの名前である。
隣で口に手を当て、生あくびをするみはやに向き直る。
「……それは、確かな話なのか?」
みはやが視線だけ那臣に投げて寄越す。
態度はだらけたままだが、その瞳の光は、すでにあの物騒な獣だ。
「……ちょっと待て。紗矢歌は尚毅を子ども代わりに可愛がってたんじゃなく、そういう関係なのか?」
「紗矢歌さんは三十八歳、まだまだ女を捨てる年齢ではありません。というかむしろハタチの彼氏ができてからの方が綺麗になったと、とある筋では評判です」
どうにも生臭い話になってきた。
那臣が尚毅を追っていた時に緑川紗矢歌の名前は挙がってこなかったが、みはやの情報だ。確かなものなのだろう。
僅かに首をひねる仕草から察したのか、みはやがちょっと笑って解説を加えた。
「那臣さんが、がっつり尚毅さんとおつきあいしていた時期、ちょうど紗矢歌さんは事業拡大のため、旦那様と一緒に海外を飛び回っておいででした。
そうでなくともナイショのいけない関係です。お互い周囲にはそれなりに気を使っていたみたいですし、那臣さんがいかに敏腕刑事さんとはいえ、すぐには探り当てられなくても仕方ありません」
那臣は低く唸った。
紗矢歌が尚毅の行状をどこまで把握しているかは判らない。しかし、あの凄惨な監禁暴行事件を起こしたその足で、不倫のパトロンとよろしく付き合っていたのなら、相当な鬼畜だ。
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