モリウサギ

高村渚

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第二章 刑事、再び現場へ赴く

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 憮然ぶぜんとした那臣を置いて、みはやは用意した手土産を古閑こがに差し出した。
那臣ともおみさんから誠意のブツは禁止されてしまいましたので、これはほんのご挨拶のお土産、です。不肖の従兄ですが、これからも那臣さんをよろしくお願いします」
 ぴっちり三つ指をついて深々と頭を下げる。
 あっけにとられていた古閑が、呵々かかと豪快に笑い出した。
「こりゃまた面白ぇ娘っ子だな。那臣よ、お前のいとこにしちゃ洒落ってもんがわかってるじゃねえか」
「お褒めにあずかり光栄です! お菓子、わたしが用意いたしました。早めに食べてくださいね?」
「ありがとよ嬢ちゃん。ここの栗餅は旨いんだ、嬢ちゃんも食べていきな」
 古閑が上機嫌で包みを開ける。
 と、餅をくるんだ紙と包装紙の間から、ぽとりと白い封筒が膝の上に落ちてきた。
「何だこりゃ」
 何気なく糊付けしていない封せん部分を広げた、古閑の手が止まる。
 瞬時に、低く唸った。
「……何だ、こりゃ」
 古閑の手にあるのは、某メガバンクの預金通帳だった。
 預金者の名義は古閑になっている。鋭く眼光を飛ばした先の那臣が息を呑む。その驚きと困惑の表情を見て、古閑がゆっくりとみはやに視線を戻した。
 みはやはあどけなく微笑んだまま、小首をかしげてみせる。
「お菓子の折り詰めの底には、お菓子でない何かいいものを入れておくのがお約束、ですよね? この前読んだ『公方様お忍び世直し旅草子』って本にそう書いてありましたから」
 古閑がいぶかしげに通帳の頁を繰る。その手より先に、みはやが説明を加える。
「来年三月末日までの基本給と諸手当、満期円満退職時の手当もろもろと、それを基準にこの先百歳までご健在と仮定して算定した年金総額、です。
 悪代官の陰謀に巻き込まれなかったらおじさんが本来貰えてたお金。
 きっちり一円単位まで計算しておきましたので、遠慮なくお納めください」
「みはや……あのなあ……」
 那臣は開いた口がふさがらなかった。
 確かに、不当な処分で古閑の退職金や年金が大幅に目減りしただろうことは、那臣がもっとも心を痛めていたことのひとつであった。
 しかしいったいどこからそんな大金を用立ててきたというのか。
「ホントは諸悪の根源の、あの政治家さんの懐から、耳を揃えてきっちりいただくのが筋というものなんですけど……」
「みはや! おま……」
 青くなった那臣の台詞を、みはやはにっこり笑って遮った。
「主人の那臣さんに、法令遵守をきつ~く言い渡されてますので、わたしがさくっと六分四十秒ほど働きまして、稼がせていただきました。あ、夕べは、時給分がっつりすぎるくらい差し引いても、超余裕でイイ感じに市場がきてましたので、ご心配なく」
 今度こそ那臣は、あんぐりと大口をあけることになった。
 まるでその場にいなかったかのように話を進められていた老人が、押し殺した声で笑う。
「主人……なるほどねえ……」
 古閑はどっかりと胡座あぐらを組み直し、天井を仰ぐ。
 開いた胸にすう、と、深く息を吸い込んだ。
「……『守護獣』、か……」
「……え? 古閑さん、何故その言葉を……?」
 まさか古閑の口からその言葉を聞かされるとは。那臣が、あまりの驚きに座布団から腰を浮かせる。
「……その顔は、図星ってぇ奴か……」
 古閑はそれから二度、ゆっくり息をつき、頬を歪め、片方の口角をわずかに上げた。
「……この商売、四十二年もやってんだ。耳に挟んだことくらいあらぁな。これと定めたご主人様の望むままに、どんな獲物でも狩ってくる猟犬……守護獣を得たものは世界を征す、なんてなあ。
 ……上の連中が、手のひら返したみてぇにお前を復職させたり、ありえねえ昇進をさせてみたり……恭に聞いた時、裏に何かあるたぁ思ったが、まさかあのお伽噺とぎばなしがほんとうで、しかも……」
 古閑がみはやに向き直る。
 守護獣という言葉すら初耳であった那臣とは違い、それがどのような働きをするのか、半信半疑とはいえ承知しているのであろう。
 恵まれた体格でないにもかかわらず武勇伝には事欠かない、警視庁きっての豪胆な男が、いま、孫ほどの年頃の少女に怯えている。
 まるで、真剣を構えた者と対峙するかのように全身を緊張させた古閑の眼光を、みはやはことさら軽やかに流す。そして、にっこりと微笑んでみせた。
 古閑が、脱力する。
「こんな可愛らしい嬢ちゃんが、ねえ……」
「……俺もびっくりだわ。本命説とはいえ、マジかよってな」
「……恭さん……は、やっぱりあっさり話について来てるんですね……」
 机に片肘をついたままはしもてあそんでいる恭士を、那臣が呆然ぼうぜんとして見った。
「ま、お前が復帰したって聞いた時点で、まさか、くらいはな。
 それくらいお前の復帰はありえないだろ。命令無視しまくったのも事実だし、同僚三人病院送りにしたのも事実だ。それが二階級特進付きで、平気な顔して捜査本部のひな壇に座ってやがる。
 他の奴なら上層部の誰かの弱みでも握って、脅しをかけたのかとでも思うが、お前だしな。
 だとしたら上層部、それも派閥関係なしに、警察庁全部が進んでお前の味方をしなきゃならんくらいの、途方もない理由ができたとしか考えられんだろうが。それに……」
 今度は恭士がそっとみはやの横顔を伺う。僅かに呼吸が乱れたのが見て取れた。
「……一昨日、警備部のOBと外国人が、瀕死の状態で谷中の住宅街に転がってたってえの、お前ん家の近所だろ? 匿名の通報があったとか聞いたけど、あれは……ってことかよ」
「流石ですよ、恭さん……」
「ですねえ、那臣さんの尊敬するお師匠だけあります。という方なのでまあいずれバレちゃうなら今ついでに、です。
 古閑さんに嘘をつくのは、那臣さん的にNGでしょうから最初から情報オープンです。
 ……で、よろしいですか?」
 みはやが湯飲みを両手で包んで、涼しい顔で茶を啜った。
 そこへ威勢よく暖簾を跳ね上げて、女将が食事を運んでくる。
「はい、お待ち! ……あんたたち皆して何青い顔してんのさ? ほらほら、腹に旨いもの入れて元気出しなって!」
「うわあ~、美味しそうです! 手伝いますね、おばさん」
「ありがとよぉ~、ほらほら男衆も、か弱い女の子ばっかりに働かせてんじゃないよ!」
「かよわい……ねえ」
 ほぼ同時に、男三人が嘆息した。
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