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第二章 刑事、再び現場へ赴く
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恭士は警察内外を問わず非常に人脈が広く、また警視庁内の噂話にもやたらと詳しい。どこで仕入れてくるのか、社内恋愛事情のような小ネタから、警察全体を揺るがす幹部の汚職まで、なにかしらの情報を握っていたりする。例の事件についても、公に発表された以上の情報を把握しているに違いない。
那臣が口を開こうとすると、恭士は片手でそれを押しとどめ、ひとさし指を左右に格好つけて振ってみせた。
「おおっと、それ以上は聞かせるなよ。お前の事情は重すぎて、俺には向かないようだしな」
この男、社交的にみせかけて、実は相当冷めたところがあり、誰とも踏み込んだつきあいをしない。そのことを気取らせている者すらごく少数、という徹底した処世術だ。
だがそれは、けして人間嫌いという訳ではない。互いの存在とテリトリーを、他の誰よりも尊重しているからこそではないか。そう那臣は思っている。恭士のスタイルである、そのひんやりした他人との距離感を、那臣は密かに好ましく感じていた。
何故かは不明だが、那臣のことは気に入ってくれている様子で、那臣が警察内すべて敵に回したような現在でも、こうして、恭士としては相当踏み込んだ気遣いをしてくれる。
久しぶりに交わした、気が置けない相手との軽口に、今朝から張りつめていた緊張の糸をようやく緩め、大きく息をつく。
「では、それ以上は開示不可の極秘機密、ということでよろしくお願いします」
明るさを取り戻した那臣の口調に、恭士が吹き出す。
「……だからお前は、馬鹿の付くお人好しだって言うんだよ。最初っからこの頼りになる恭士先輩にすべてぶちまけて、助けて、ってお願いしてみりゃよかったんだ。仕方なく巻き込まれてやるか、一応考えてやらなくもなかったのに」
「……いや、それは……一応ですか。
……と言うか恭さんはどこまでご存じなんですか?」
「公式発表の内容以外何も知らないぞ?
お前が追ってた事件が、どうやら河原崎がらみの案件らしいとか、前園班長はもしかして自殺じゃなかったかもとか、お前に瞬殺された本店の奴ら三人は、実はお前を半殺しにしろと命令されてたらしいとか。そんなこと、俺が知るわけないだろうが」
「ほぼ完璧じゃないですか……いつもながら恭さん、どこからネタを仕入れて来るんですか……」
「おいおい答えを漏らすなよ。今のお前の台詞は空耳だ、俺は断じて聞いてない、聞いてないぞ?
……まあお前相手だし、ちょっとだけ手品の種明かしをしてやろうか。全部簡単な推理だよワトソン君。
ひとつ、本店上層部が総出で、いちヒラ捜査員を組織から抹殺しようとしている。そんな無茶をけしかけるのは、影の実力者、河原崎のおっさん以外存在しない。
ふたつ、前園は怖い物知らずの肝っ玉キャラと見せかけて、実は筋金入りの高所恐怖症だった。いくら発作的だろうと十七階の高さからロープなしバンジーは絶対無理、スタート台にも立てねえだろうな。
お前が追ってた事件、元はと言えば前園班が出るはずだったんだろ? なんかヤバいネタ掴んじまって、飛ばされたと見る方が自然だ。
みっつ、俺の一番弟子、館那臣は、正義のカラテマンだ。自分から進んで弱いものイジメをするわけがない。どうだ?」
最後の言葉に、那臣は軽く吹き出した。ちなみに弱いもの呼ばわりされた三人は、警備部の精鋭部隊、SATのつわものたちだった。那臣にあっさり返り討ちにされたうえに弱者のレッテルを貼られるとは、気の毒にも程がある。
はたと気付くと、車は新宿区外へと抜けるところだった。
「恭さん? 現場と反対方向じゃないですか。どこへ走ってるんですか?」
「被害者の足取りだろ? お前の言ったとおり、あのコンビニは、なんとなく立ち寄るには不自然な場所だ。かと言って、闇雲に現場へ向かっても無駄足を踏むだけだろうが。
うちの連中にスマホの通信履歴を調べさせてる。交友関係や周囲の聞き込みも、他の奴らがあたってるはずだ。参事官どのが動くのは、その報告が上がってきた後でも遅くはないさ」
「なら、いったいどこへ……」
ふいに運転席の恭士が表情を固くする。
僅かな沈黙ののち、独白のように低く呟いた。
「……悪いな那臣、実は俺は、さるお方の命令で動いてる。俺と一緒に来てもらうぞ」
瞬間、那臣の全身に緊張が走る。
味方だと見せかけておいて、実は恭士も刺客のひとりだったのか。
旧知の先輩のまさかの豹変に呆然とした表情の那臣を見遣ると、恭士は固く結んでいた唇を、笑いを堪えきれずにひくつかせた。
「連行先は亀戸商店街だ。きっちり成敗されてこい、骨は拾ってやる」
「……う……わ」
那臣は、今度は別の意味で頬をひきつらせ、ぶるりと全身を震わせることとなった。
那臣が口を開こうとすると、恭士は片手でそれを押しとどめ、ひとさし指を左右に格好つけて振ってみせた。
「おおっと、それ以上は聞かせるなよ。お前の事情は重すぎて、俺には向かないようだしな」
この男、社交的にみせかけて、実は相当冷めたところがあり、誰とも踏み込んだつきあいをしない。そのことを気取らせている者すらごく少数、という徹底した処世術だ。
だがそれは、けして人間嫌いという訳ではない。互いの存在とテリトリーを、他の誰よりも尊重しているからこそではないか。そう那臣は思っている。恭士のスタイルである、そのひんやりした他人との距離感を、那臣は密かに好ましく感じていた。
何故かは不明だが、那臣のことは気に入ってくれている様子で、那臣が警察内すべて敵に回したような現在でも、こうして、恭士としては相当踏み込んだ気遣いをしてくれる。
久しぶりに交わした、気が置けない相手との軽口に、今朝から張りつめていた緊張の糸をようやく緩め、大きく息をつく。
「では、それ以上は開示不可の極秘機密、ということでよろしくお願いします」
明るさを取り戻した那臣の口調に、恭士が吹き出す。
「……だからお前は、馬鹿の付くお人好しだって言うんだよ。最初っからこの頼りになる恭士先輩にすべてぶちまけて、助けて、ってお願いしてみりゃよかったんだ。仕方なく巻き込まれてやるか、一応考えてやらなくもなかったのに」
「……いや、それは……一応ですか。
……と言うか恭さんはどこまでご存じなんですか?」
「公式発表の内容以外何も知らないぞ?
お前が追ってた事件が、どうやら河原崎がらみの案件らしいとか、前園班長はもしかして自殺じゃなかったかもとか、お前に瞬殺された本店の奴ら三人は、実はお前を半殺しにしろと命令されてたらしいとか。そんなこと、俺が知るわけないだろうが」
「ほぼ完璧じゃないですか……いつもながら恭さん、どこからネタを仕入れて来るんですか……」
「おいおい答えを漏らすなよ。今のお前の台詞は空耳だ、俺は断じて聞いてない、聞いてないぞ?
……まあお前相手だし、ちょっとだけ手品の種明かしをしてやろうか。全部簡単な推理だよワトソン君。
ひとつ、本店上層部が総出で、いちヒラ捜査員を組織から抹殺しようとしている。そんな無茶をけしかけるのは、影の実力者、河原崎のおっさん以外存在しない。
ふたつ、前園は怖い物知らずの肝っ玉キャラと見せかけて、実は筋金入りの高所恐怖症だった。いくら発作的だろうと十七階の高さからロープなしバンジーは絶対無理、スタート台にも立てねえだろうな。
お前が追ってた事件、元はと言えば前園班が出るはずだったんだろ? なんかヤバいネタ掴んじまって、飛ばされたと見る方が自然だ。
みっつ、俺の一番弟子、館那臣は、正義のカラテマンだ。自分から進んで弱いものイジメをするわけがない。どうだ?」
最後の言葉に、那臣は軽く吹き出した。ちなみに弱いもの呼ばわりされた三人は、警備部の精鋭部隊、SATのつわものたちだった。那臣にあっさり返り討ちにされたうえに弱者のレッテルを貼られるとは、気の毒にも程がある。
はたと気付くと、車は新宿区外へと抜けるところだった。
「恭さん? 現場と反対方向じゃないですか。どこへ走ってるんですか?」
「被害者の足取りだろ? お前の言ったとおり、あのコンビニは、なんとなく立ち寄るには不自然な場所だ。かと言って、闇雲に現場へ向かっても無駄足を踏むだけだろうが。
うちの連中にスマホの通信履歴を調べさせてる。交友関係や周囲の聞き込みも、他の奴らがあたってるはずだ。参事官どのが動くのは、その報告が上がってきた後でも遅くはないさ」
「なら、いったいどこへ……」
ふいに運転席の恭士が表情を固くする。
僅かな沈黙ののち、独白のように低く呟いた。
「……悪いな那臣、実は俺は、さるお方の命令で動いてる。俺と一緒に来てもらうぞ」
瞬間、那臣の全身に緊張が走る。
味方だと見せかけておいて、実は恭士も刺客のひとりだったのか。
旧知の先輩のまさかの豹変に呆然とした表情の那臣を見遣ると、恭士は固く結んでいた唇を、笑いを堪えきれずにひくつかせた。
「連行先は亀戸商店街だ。きっちり成敗されてこい、骨は拾ってやる」
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