30 / 30
第二章の14
手紙
しおりを挟む
話は終わったと言わんばかりに背を向ける剛に、聡が食ってかかっている。
「『もういい』じゃないんだよ。全然よくないよ。ちゃんと話してくれよ。気になるだろ」
文子と真名もぶんぶん首を縦に振って、剛を見つめる。
「書きかけて、途中でやめてしまった手紙じゃった。封筒に入っていたが、その封筒も封はされずに開けっ放しだった。思いついた時に少しずつ書いていくつもりだったのかもしれない。それか、書こうとして何も思いつかず、そのまま忘れてしまったのかもしれん。見つけたのは、静子が亡くなって一年ほどしてからだ」
「途中まででいいから」
剛は気がのらない様子だったが、教えてくれた。
「だいたいこういった内容だった。『剛さんへ。もしも私のほうが先に死んだときのために、これを書いておきます』」
そこでプツリと言葉を切ってしまった。
「それで?」
「肝心の内容は?」
聡よりも文子と真名なのほうがじれったくて催促してしまう。
「それだけだ。そこまでで続きは書いておらず、途切れていた」
「え」
「それじゃあ、何も書いていないのと同じだわ」
文子と真名のほうががっかりしている。
「死ぬなんてこれっぽっちも予想していなかったからな。思いつきで書きだしてみたものの、伝えることなんて本当に何も思いつかんかったんじゃろ」
これだけもったいぶって、白紙同然の手紙だったとは。静子さん似のつくもがみも、ぽかんとしている。
「でも、その手紙を大切にしていたんですね。ないと分かったとたん、聡さんをこっぴどく叱りつけるくらい」
真名が確認した。
「あ、ああ。一応形見の品だしな」
「驚いた。この年まで、そんな事実は全く言わずに、暮らしてきたことに。だって、母さん、僕を育ててくれた千代母さんと、ずっと仲良かったよね」
剛は、ここぞとばかりに胸を張る。
「もちろん。子持ちのわしに嫁いできてくれた人じゃからな。たった一人で子どもを抱えて、途方に暮れていたんじゃ。あれがいなかったら、とてもやってこれんかった」
「で、死ぬ間際になって突然思いついたというわけ? そういえば本当のことをまだ言っていなかったな、と」
「いや、千代にうながされてじゃ。一体いつ聡に静子のことを言うのかと、言われたんじゃ」
「え? 母さんのほうから?」
「うむ。おまえには知る権利がある、と」
「知る権利、か。母がそんなこと言ったなんて。そうかもしれないけど、そんなに気を遣って育ててくれていたなんて。母にちゃんとお礼を言いたかったな。新しい心残りができてしまう」
ずいっと文子が割って入る。
「霊界に行って待っていればいずれ会える。この図書館に寄り道したのは、人間とつくもがみという、死ぬと別々の世界に行ってしまう者同士が会う機会を得るためだ。つくもがみとは会えただろう?」
剛が動揺する。
「静子とはこれっきりか?」
つくもがみの手を握って別れを惜しむ。
「静子ではありませんから」
にっこりと笑うつくもがみ。
「でも、大切にしていただいたことは感謝しています。つくもがみになるくらい、三世代にわたって毎日のように手に取って眺めていただいて、わたしは幸せ者でした」
「そうか……。そう言ってもらえたなら、よかった」
聡は一人居心地悪そうに頭をかいている。大切にどころか、ビリビリに破ってしまい、立場がない。
「聡さん、気にしないでくださいね。わたし、全然元通りになってますから」
「ふうん。修復の技術って、すごいんだな。継ぎ目が全然分からないようにできるとは」
文子がしきりと感心している。
「あ、扉が」
真名が声をあげた。今まで本棚と壁だけだった図書館の一か所に、ひとりでに扉が現れた。
「心残りも解消したことだし、そろそろ行く時間のようだな」
文子が剛と聡を扉のほうへ押し出す。剛は扉の前で二の足を踏んでいる。聡が前に出て、観音開きの扉を押し開けた。扉の向こうにはまた別の扉があって、鏡子さんが立っている。
「二人とも、さらに扉を開けて向こうの世界へ行くがいい」
聡は言われるがまま扉を開け、迷わず向こう側へと入っていった。剛も後に続く。完全に入ったのを見届けて、鏡子さんは持っていた長い杖の先を金具に引っ掛け、ゆっくりと扉を閉じた。
「同時に二人とは珍しかったな。また来たら案内いたせ。いつでも扉をくぐらせてやるぞ」
鏡子さんが話し終えるや、図書館側の扉もパタンと閉じた。扉は水に溶けるように、まず輪郭がぼやけ、ゆらゆらと揺れるように、見えなくなっていった。
文子が真名を振り返った。
「よい送り方をできたんじゃないか? 初仕事にしてはうまくいったじゃないか」
「で、でも私、何もしてないんですけど」
下手すると邪魔をしたかもしれないという後悔が襲ってくる。
「あたしたちはあくまでもお手伝い係だ。主体的に何かしようなんて、思い上がりというものだ。時には黙って見守る、それが一番よい時もある」
「そ、そうかしら」
勝手に落ち込む真名の横には、もう一人つくもがみが残っていた。
「わたし、ここが気に入ったわ。お掃除係なんてどうかしら」
静子似のつくもがみが、どこで見つけたのか、ちゃっかりハタキを手に持っている。
「呼び名は静子でいいのか?」
「そうねえ。他に思いつかないものねえ。静子でいいわ。よろしくね」
そこに、待ってましたとばかりに、ダダダダとうるさい足音が近づいてくる。
「ねえねえ、もう遊んでいい?」
「しんこくな話してたから、えんりょしてたんだよ。えらいでしょ」
「みーくんたち、えらいでしょ。ほめて、ほめて」
図書館はたちまち保育園のようなにぎやかさに包まれる。
次に依頼者が来るのはいつだろう。またお役に立てたらいいな、と真名はほほえんだ。
「『もういい』じゃないんだよ。全然よくないよ。ちゃんと話してくれよ。気になるだろ」
文子と真名もぶんぶん首を縦に振って、剛を見つめる。
「書きかけて、途中でやめてしまった手紙じゃった。封筒に入っていたが、その封筒も封はされずに開けっ放しだった。思いついた時に少しずつ書いていくつもりだったのかもしれない。それか、書こうとして何も思いつかず、そのまま忘れてしまったのかもしれん。見つけたのは、静子が亡くなって一年ほどしてからだ」
「途中まででいいから」
剛は気がのらない様子だったが、教えてくれた。
「だいたいこういった内容だった。『剛さんへ。もしも私のほうが先に死んだときのために、これを書いておきます』」
そこでプツリと言葉を切ってしまった。
「それで?」
「肝心の内容は?」
聡よりも文子と真名なのほうがじれったくて催促してしまう。
「それだけだ。そこまでで続きは書いておらず、途切れていた」
「え」
「それじゃあ、何も書いていないのと同じだわ」
文子と真名のほうががっかりしている。
「死ぬなんてこれっぽっちも予想していなかったからな。思いつきで書きだしてみたものの、伝えることなんて本当に何も思いつかんかったんじゃろ」
これだけもったいぶって、白紙同然の手紙だったとは。静子さん似のつくもがみも、ぽかんとしている。
「でも、その手紙を大切にしていたんですね。ないと分かったとたん、聡さんをこっぴどく叱りつけるくらい」
真名が確認した。
「あ、ああ。一応形見の品だしな」
「驚いた。この年まで、そんな事実は全く言わずに、暮らしてきたことに。だって、母さん、僕を育ててくれた千代母さんと、ずっと仲良かったよね」
剛は、ここぞとばかりに胸を張る。
「もちろん。子持ちのわしに嫁いできてくれた人じゃからな。たった一人で子どもを抱えて、途方に暮れていたんじゃ。あれがいなかったら、とてもやってこれんかった」
「で、死ぬ間際になって突然思いついたというわけ? そういえば本当のことをまだ言っていなかったな、と」
「いや、千代にうながされてじゃ。一体いつ聡に静子のことを言うのかと、言われたんじゃ」
「え? 母さんのほうから?」
「うむ。おまえには知る権利がある、と」
「知る権利、か。母がそんなこと言ったなんて。そうかもしれないけど、そんなに気を遣って育ててくれていたなんて。母にちゃんとお礼を言いたかったな。新しい心残りができてしまう」
ずいっと文子が割って入る。
「霊界に行って待っていればいずれ会える。この図書館に寄り道したのは、人間とつくもがみという、死ぬと別々の世界に行ってしまう者同士が会う機会を得るためだ。つくもがみとは会えただろう?」
剛が動揺する。
「静子とはこれっきりか?」
つくもがみの手を握って別れを惜しむ。
「静子ではありませんから」
にっこりと笑うつくもがみ。
「でも、大切にしていただいたことは感謝しています。つくもがみになるくらい、三世代にわたって毎日のように手に取って眺めていただいて、わたしは幸せ者でした」
「そうか……。そう言ってもらえたなら、よかった」
聡は一人居心地悪そうに頭をかいている。大切にどころか、ビリビリに破ってしまい、立場がない。
「聡さん、気にしないでくださいね。わたし、全然元通りになってますから」
「ふうん。修復の技術って、すごいんだな。継ぎ目が全然分からないようにできるとは」
文子がしきりと感心している。
「あ、扉が」
真名が声をあげた。今まで本棚と壁だけだった図書館の一か所に、ひとりでに扉が現れた。
「心残りも解消したことだし、そろそろ行く時間のようだな」
文子が剛と聡を扉のほうへ押し出す。剛は扉の前で二の足を踏んでいる。聡が前に出て、観音開きの扉を押し開けた。扉の向こうにはまた別の扉があって、鏡子さんが立っている。
「二人とも、さらに扉を開けて向こうの世界へ行くがいい」
聡は言われるがまま扉を開け、迷わず向こう側へと入っていった。剛も後に続く。完全に入ったのを見届けて、鏡子さんは持っていた長い杖の先を金具に引っ掛け、ゆっくりと扉を閉じた。
「同時に二人とは珍しかったな。また来たら案内いたせ。いつでも扉をくぐらせてやるぞ」
鏡子さんが話し終えるや、図書館側の扉もパタンと閉じた。扉は水に溶けるように、まず輪郭がぼやけ、ゆらゆらと揺れるように、見えなくなっていった。
文子が真名を振り返った。
「よい送り方をできたんじゃないか? 初仕事にしてはうまくいったじゃないか」
「で、でも私、何もしてないんですけど」
下手すると邪魔をしたかもしれないという後悔が襲ってくる。
「あたしたちはあくまでもお手伝い係だ。主体的に何かしようなんて、思い上がりというものだ。時には黙って見守る、それが一番よい時もある」
「そ、そうかしら」
勝手に落ち込む真名の横には、もう一人つくもがみが残っていた。
「わたし、ここが気に入ったわ。お掃除係なんてどうかしら」
静子似のつくもがみが、どこで見つけたのか、ちゃっかりハタキを手に持っている。
「呼び名は静子でいいのか?」
「そうねえ。他に思いつかないものねえ。静子でいいわ。よろしくね」
そこに、待ってましたとばかりに、ダダダダとうるさい足音が近づいてくる。
「ねえねえ、もう遊んでいい?」
「しんこくな話してたから、えんりょしてたんだよ。えらいでしょ」
「みーくんたち、えらいでしょ。ほめて、ほめて」
図書館はたちまち保育園のようなにぎやかさに包まれる。
次に依頼者が来るのはいつだろう。またお役に立てたらいいな、と真名はほほえんだ。
0
お気に入りに追加
3
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?
つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。
彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。
次の婚約者は恋人であるアリス。
アリスはキャサリンの義妹。
愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。
同じ高位貴族。
少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。
八番目の教育係も辞めていく。
王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。
だが、エドワードは知らなかった事がある。
彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。
他サイトにも公開中。
【完結】お父様に愛されなかった私を叔父様が連れ出してくれました。~お母様からお父様への最後のラブレター~
山葵
恋愛
「エリミヤ。私の所に来るかい?」
母の弟であるバンス子爵の言葉に私は泣きながら頷いた。
愛人宅に住み屋敷に帰らない父。
生前母は、そんな父と結婚出来て幸せだったと言った。
私には母の言葉が理解出来なかった。
私に姉など居ませんが?
山葵
恋愛
「ごめんよ、クリス。僕は君よりお姉さんの方が好きになってしまったんだ。だから婚約を解消して欲しい」
「婚約破棄という事で宜しいですか?では、構いませんよ」
「ありがとう」
私は婚約者スティーブと結婚破棄した。
書類にサインをし、慰謝料も請求した。
「ところでスティーブ様、私には姉はおりませんが、一体誰と婚約をするのですか?」
婚約者すらいない私に、離縁状が届いたのですが・・・・・・。
夢草 蝶
恋愛
侯爵家の末姫で、人付き合いが好きではないシェーラは、邸の敷地から出ることなく過ごしていた。
そのため、当然婚約者もいない。
なのにある日、何故かシェーラ宛に離縁状が届く。
差出人の名前に覚えのなかったシェーラは、間違いだろうとその離縁状を燃やしてしまう。
すると後日、見知らぬ男が怒りの形相で邸に押し掛けてきて──?
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
婚約破棄は十年前になされたでしょう?
こうやさい
恋愛
王太子殿下は最愛の婚約者に向かい、求婚をした。
婚約者の返事は……。
「殿下ざまぁを書きたかったのにだんだんとかわいそうになってくる現象に名前をつけたい」「同情」「(ぽん)」的な話です(謎)。
ツンデレって冷静に考えるとうっとうしいだけって話かつまり。
本編以外はセルフパロディです。本編のイメージ及び設定を著しく損なう可能性があります。ご了承ください。
ただいま諸事情で出すべきか否か微妙なので棚上げしてたのとか自サイトの方に上げるべきかどうか悩んでたのとか大昔のとかを放出中です。見直しもあまり出来ないのでいつも以上に誤字脱字等も多いです。ご了承下さい。
王が気づいたのはあれから十年後
基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。
妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。
仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる