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坊ちゃま、頭がおかしくなりました?
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「結婚して」
「……」
「あぁエレオノーラ……僕のお姫様……その蕩けそうな碧玉の瞳をもっとそばで見せて。そしてその唇でイエスって言って」
とろりと熱に浮かされたようにそう囁く声に、私は眩暈がした。
主に、悪い方の意味で。
「なに寝ぼけてるんですか」
「えぇ!? そこは“わかりました、クラウス様……”って頬を赤らめるところでしょ!?」
「……?」
「……??」
「……熱にとうとう脳がやられました?」
「えぇーーマジで? そんな反応なの!?」
「……その言葉遣いは一体……? なんでもいいですけど、まずシーツ替えていいですか」
ベッドの上で、私の主であるクラウス様は本当に意味がわからないとばかりに、きょとんとこちらを見上げている。
朝陽に照らされた鋼を思わせる銀が滲んだ艶やかな黒髪、同じ色の黒く長いまつ毛に縁取られた琥珀のような金色の瞳。色彩こそ違えど、天使のように美しい顔を驚愕に引きつらせている。
意味が分からないのはこちらのほうだというのに、そのあどけなさの残る表情に心がささくれる。私の表情はきっといらだちが滲んでいるだろうに「え、え、僕のエリィがなんでこんな塩対応……?」等とぶつぶつ言っている。
「世迷言はもう結構です。……というか、坊ちゃま。もうお加減はよろしいんですか? 昨晩まで高熱で魘されてらっしゃったのに……」
そう、侍医はただの風邪だと言っていたが、高熱は二晩も続いていたのだ。私もつい数分前まで看病にここにいて、寝汗で湿ったシーツを取り換える為に席を外しただけだったというのに。
戻ってきたらクラウス様がおかしい。私がここに戻って来たのは、決して求婚されるためではない。
あぁと思い出したように、肩ほどの鋼色の髪をかき上げたクラウスさまから覗くその白い項に、私の平素は仏頂面と言われる無表情がぐっと揺れるのを感じた。
そんな私の視線を知ってか知らずか、昨晩より血色の良くなった頬をにっこりと緩ませてクラウス様は私に向かって天使のように微笑んだ。
「うーん、もう治ったみたい。ねえそれよりエリィ、結婚して? 返事は?」
「寝言は寝てから言ってください」
「えぇ!? エリィは僕のこと好きじゃないの!?」
「主従関係以上の感情は持ち合わせておりません」
「えぇ……、エリィは僕のこと覚えてない? ほら僕だよ! エリィ僕のこと好きでしょ? 僕は思い出したよ! ごめんね、僕今まで忘れてて! あぁ、忘れてたから怒ってる、とか?」
「……どうやら坊ちゃまはまだ夢の世界にいらっしゃるようですね」
「ひどっっ!」
今にも泣きべそをかきだしそうなクラウス様を、じろりと一瞥した。このひとが変わったかの様子は、一体どうしたというのだろう。
クラウス様にベッドを立って頂くと、手早く持っていた新しいものとシーツを取り換え、整えた。
私は大変困惑している。意味が分からない。でもそんなことを表情に出すわけにもいかないし、私の表情筋はそんなに良く動くようにはできていない。
はぁ、と大きくため息をついて見せると、叱りつけられた犬のようにクラウス様はこちらの表情を窺うように見上げてきた。
ぐ、と顔全体に力を籠める。やめてほしい、自分の顔を、その破壊力をきちんと理解してからそういうことをしてほしい。というか、こんな一メイドに過ぎない自分にそんな顔をしないでほしい。
「そんなにお加減が良さそうなら、朝食は召し上がられそうですね。ただいまお持ちします」
「んー、わかった。……あぁでも僕やっぱり食欲ないかなぁ……」
「それではお飲み物だけにしましょうか?」
「エリィがあーんってしてくれたら食べられる気がする」
そう言ってクラウス様は、天使のような、それでいていたずらをたくらむ悪魔のようなとびきりの笑顔をこちらを向けてきた。
そうして私の三つ編みをついっと手にすると、あろうことかそこに軽くキスを落とした。
「……パプリカたっぷりのオムレツをご用意しますね」
「ひどっっ! エリィそれ嫌がらせだよね!?」
私はそんなクラウス様を後目にくるりとシーツを一抱えにまとめると、一礼して部屋を後にした。
扉を閉める直前まで、こちらをニコニコと見つめる主の顔を見ながら。
パタン
「は~~~~~ッ……」
詰めていた息を改めて吐き出すと、ドキドキする胸を抑え、シーツを抱えなおした。
簡素なメイド服に詰め込んだ胸を、シーツでぎゅっと押さえつけると、洗濯室に運ぶべく歩み始めた。
クラウス様は何故人が変わったようにあんなことを言い始めたのだろう。――あんなに愛し合った仲、だなんて。
あんな突飛だとしても、愛の言葉を囁かれる日が私の人生にあるだなんて思わなかった。
一時の気の迷いで寝ぼけただけだったとしても、そんなことは夢物語か、小説のなかだけの話で、自分の人生ではとっくに諦めたものだった。
とうに適齢期を迎えた18才。淋しい気はするけれど、仕方がない。
「……」
ふと外に目をやると、廊下の窓からはこの邸からほど近いロータス湖の湖面がキラキラと光を反射して目にまぶしかった。
そしてその光を受けて、私の面白みのないブルネットの髪もキラキラとその輪郭を光らせている。
――さっきクラウス様がキスを落としていたその三つ編みを。
「仕事、仕事……」
クラウス様の朝食をお願いしなくては。パプリカを入れたオムレツと、
――あと、クラウス様の好きな甘いロイヤルミルクティーも。
「……」
「あぁエレオノーラ……僕のお姫様……その蕩けそうな碧玉の瞳をもっとそばで見せて。そしてその唇でイエスって言って」
とろりと熱に浮かされたようにそう囁く声に、私は眩暈がした。
主に、悪い方の意味で。
「なに寝ぼけてるんですか」
「えぇ!? そこは“わかりました、クラウス様……”って頬を赤らめるところでしょ!?」
「……?」
「……??」
「……熱にとうとう脳がやられました?」
「えぇーーマジで? そんな反応なの!?」
「……その言葉遣いは一体……? なんでもいいですけど、まずシーツ替えていいですか」
ベッドの上で、私の主であるクラウス様は本当に意味がわからないとばかりに、きょとんとこちらを見上げている。
朝陽に照らされた鋼を思わせる銀が滲んだ艶やかな黒髪、同じ色の黒く長いまつ毛に縁取られた琥珀のような金色の瞳。色彩こそ違えど、天使のように美しい顔を驚愕に引きつらせている。
意味が分からないのはこちらのほうだというのに、そのあどけなさの残る表情に心がささくれる。私の表情はきっといらだちが滲んでいるだろうに「え、え、僕のエリィがなんでこんな塩対応……?」等とぶつぶつ言っている。
「世迷言はもう結構です。……というか、坊ちゃま。もうお加減はよろしいんですか? 昨晩まで高熱で魘されてらっしゃったのに……」
そう、侍医はただの風邪だと言っていたが、高熱は二晩も続いていたのだ。私もつい数分前まで看病にここにいて、寝汗で湿ったシーツを取り換える為に席を外しただけだったというのに。
戻ってきたらクラウス様がおかしい。私がここに戻って来たのは、決して求婚されるためではない。
あぁと思い出したように、肩ほどの鋼色の髪をかき上げたクラウスさまから覗くその白い項に、私の平素は仏頂面と言われる無表情がぐっと揺れるのを感じた。
そんな私の視線を知ってか知らずか、昨晩より血色の良くなった頬をにっこりと緩ませてクラウス様は私に向かって天使のように微笑んだ。
「うーん、もう治ったみたい。ねえそれよりエリィ、結婚して? 返事は?」
「寝言は寝てから言ってください」
「えぇ!? エリィは僕のこと好きじゃないの!?」
「主従関係以上の感情は持ち合わせておりません」
「えぇ……、エリィは僕のこと覚えてない? ほら僕だよ! エリィ僕のこと好きでしょ? 僕は思い出したよ! ごめんね、僕今まで忘れてて! あぁ、忘れてたから怒ってる、とか?」
「……どうやら坊ちゃまはまだ夢の世界にいらっしゃるようですね」
「ひどっっ!」
今にも泣きべそをかきだしそうなクラウス様を、じろりと一瞥した。このひとが変わったかの様子は、一体どうしたというのだろう。
クラウス様にベッドを立って頂くと、手早く持っていた新しいものとシーツを取り換え、整えた。
私は大変困惑している。意味が分からない。でもそんなことを表情に出すわけにもいかないし、私の表情筋はそんなに良く動くようにはできていない。
はぁ、と大きくため息をついて見せると、叱りつけられた犬のようにクラウス様はこちらの表情を窺うように見上げてきた。
ぐ、と顔全体に力を籠める。やめてほしい、自分の顔を、その破壊力をきちんと理解してからそういうことをしてほしい。というか、こんな一メイドに過ぎない自分にそんな顔をしないでほしい。
「そんなにお加減が良さそうなら、朝食は召し上がられそうですね。ただいまお持ちします」
「んー、わかった。……あぁでも僕やっぱり食欲ないかなぁ……」
「それではお飲み物だけにしましょうか?」
「エリィがあーんってしてくれたら食べられる気がする」
そう言ってクラウス様は、天使のような、それでいていたずらをたくらむ悪魔のようなとびきりの笑顔をこちらを向けてきた。
そうして私の三つ編みをついっと手にすると、あろうことかそこに軽くキスを落とした。
「……パプリカたっぷりのオムレツをご用意しますね」
「ひどっっ! エリィそれ嫌がらせだよね!?」
私はそんなクラウス様を後目にくるりとシーツを一抱えにまとめると、一礼して部屋を後にした。
扉を閉める直前まで、こちらをニコニコと見つめる主の顔を見ながら。
パタン
「は~~~~~ッ……」
詰めていた息を改めて吐き出すと、ドキドキする胸を抑え、シーツを抱えなおした。
簡素なメイド服に詰め込んだ胸を、シーツでぎゅっと押さえつけると、洗濯室に運ぶべく歩み始めた。
クラウス様は何故人が変わったようにあんなことを言い始めたのだろう。――あんなに愛し合った仲、だなんて。
あんな突飛だとしても、愛の言葉を囁かれる日が私の人生にあるだなんて思わなかった。
一時の気の迷いで寝ぼけただけだったとしても、そんなことは夢物語か、小説のなかだけの話で、自分の人生ではとっくに諦めたものだった。
とうに適齢期を迎えた18才。淋しい気はするけれど、仕方がない。
「……」
ふと外に目をやると、廊下の窓からはこの邸からほど近いロータス湖の湖面がキラキラと光を反射して目にまぶしかった。
そしてその光を受けて、私の面白みのないブルネットの髪もキラキラとその輪郭を光らせている。
――さっきクラウス様がキスを落としていたその三つ編みを。
「仕事、仕事……」
クラウス様の朝食をお願いしなくては。パプリカを入れたオムレツと、
――あと、クラウス様の好きな甘いロイヤルミルクティーも。
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