その火は恵みを枯らす

陸沢宝史

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一話

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 狭い路地に雲のない星空から差し込む光はなく、周囲から生活音は全く聞こえない。

 フードを被った男ジーノ・ダルボラは路地に身を潜めていた。ジーノの前方には石畳の道路を挟んで塀がありジーノはそれを観察していた。

 ジーノの歳は十八で身長は同世代と比較して平均的だ。茶の前髪は目の寸前まであり、横髪は耳たぶを僅かに超えている。後髪は横髪よりも指一本分程度長い。フードのついたマントを長袖の服の上から着用し、下半身には長ズボンを身につけている。足には丈が踝よりも少し高いブーツを履いている。

 塀の内側にあるのはこの都市を統治する領主が所有する軍の基地だ。基地は正方形の塀に守られていた。塀は大人二人分程度の高さはある。ジーノの左斜め前には基地へと続く門が設けられているが閉まっている。その前には見張りの兵士が一人配置されている。

「門番に挨拶したら通してくれないかね」

 門を目にしていたジーノは小声を発すると塀の右側面に目をつける。右側面には見張りの兵士がいない。

「しかし葉を取り戻すことに価値はあるのか」

 ジーノは顔をしかめながら呟く。ジーノは住んでいる村から盗まれた天候を変える力を持つ一枚の葉を奪還するよう命じられていた。この都市一帯は数十年前から雨不足に悩み農作物は常に不作だ。それが犯行動機は不確かだが村は調査の末、葉がこの都市の軍によって盗まれたと突き止めた。一方で村は葉の力を行使することは一切しない。村には葉を有効活用しないことに疑問を抱く意見もあった。

「疑問を持とうが任務をこなすだけだがな」

 ジーノも疑問を抱く一人だ。だがジーノにとって私情よりも村から与えられた任務の方が最優先であった。ジーノは路地を飛び出し走って道を横切り塀の右側面を目指す。門の見張りは前ばかりを向いていてジーノには気づかない。

 塀の右側面に辿り着くと塀に向かって魔法で階段状で灰色の足場を三段作る。ジーノは普段は農民だが村の緊急時に備え戦闘や魔法の訓練を受けている。三段の足場だけで塀の三分の一まで到達している。ジーノは足場を登る。三段目まで登ると膝を屈め力を溜めると上に跳んだ。

 両手が塀の天辺を掴む。頭だけが塀から出るようにジーノは体を引き上げる。すぐ目の前には塀よりも低い建物。塀の左側には屋外訓練場と二階建ての建造物が見える。塀の奥側には基地の外からでも容易に確認できる五階建ての本棟がある。見張りの兵士も中央に数人確認できる。

 ジーノは一旦体を下げると腕全体の皮膚が隆起し硬くなる。次の瞬間にはジーノの体が上の昇り、塀を乗り越える。ジーノは落下し、両手と両足を地について塀の脇に着地する。

 ジーノは周囲を見渡すと本舎へと急ぎ足で向かう。本舎の近くに宿舎がありそこに隠れながら本舎の様子を伺う。本舎の手前側にある表口の扉の前には見張りの兵士が二人いる。ジーノは本舎の周囲を観察する。

  本舎の裏側は塀と間近で細長い空間となっている。ジーノは本棟右奥の角まで走る。ジーノは角から本舎裏側の細長い空間を覗き込む。裏側は人が二人分通れる程度の幅しかない。そこには鎧を纏う一人の兵士が扉の前にあくびをしながら立っていた。警備に手を抜いている相手であれば容易に始末できる。

 ジーノは腰裏にあるダガーの柄に右手で触れる。ズボンを固定するベルトには鞘付きのダガーを収めるためのホルダーが取り付けられている。ジーノは音も立てずにダガーを抜き去る。兵士は塀ばかり見ていて左右に注意を払わない。

  ジーノは唾を飲み込むと地を踏みしめ兵士に向かって駆け出す。兵士は足音に気づいて右側を向くが既にダガーの剣先が首に迫っていた。剣先が首に触れるとそのまま一気に首に侵入する。首からは血が飛び出てジーノの顔に当たるが表情に変化はない。

 兵士の首からダガーを抜き去ったジーノは鞘にダガーを差す。ジーノはさっと手で血を拭うと、兵士の死体を引きずって扉の前から離した。裏口の扉に近づきドアノブを回すが開かない。ジーノはそのままズボン後ろの右ポケットからピッキング道具の針金を取り出し鍵穴に差し込む。数秒程度作業をすると鍵が開く音が鳴る。

 右手でドアノブを握ったジーノは慎重にドアノブを回し後ろに扉を引く。扉の前には細い廊下が扉の前を横切っていた。廊下には足を踏み入れず左右を確認する。兵士は誰一人もおらずジーノは本舎へと足を踏み入れる。

 そのまま通路を右に進み突き当りで角を左に曲がり更に前に進む。前方には突き当りと左曲がり角が見える。ジーノは曲がり角に辿り着くと角に隠れて曲がり角の先を様子を伺う。

 右側は窓際となっておりいくつもガラス窓が埋め込まれており暗い外が目に映る。数枚の窓の先には巨大な木の扉がある。それは位置的にして表口の扉であった。そして扉の横には兵士が一人立っている。左側は壁が少し続いて途中で途切れている。

 ジーノは下唇に上歯を立てながら兵士を睨みつける。表口の前に見張りの兵士がいることを考慮すれば一階での戦闘は避けたい。ジーノは腰のダガーに手をかけるが兵士は前へと歩き始めて左側の壁のよりも左に消えて姿が見えなくなる。

 ジークはダガーに手を触れたまま慎重に角を曲がり忍び足で歩き出す。数歩ほど進むと左側に受付カウンターがあり、更にその左側には広い空間があった。広い空間にはいくつもの椅子と机が配置されており、主に事務作業を行うための場所だとジーノは見た。先程の兵士もそこをうろついている。そして受付カウンターを横切った先には二階へと続く階段が見える。

ジーノは壁と受付カウンターの境目で背を屈める。そのまま音を立てず尚且つ迅速に階段へと向かう。そのままジーノは受付カウンターの前を通過し階段を上っていく。

 二階が近づくと細い廊下と遭遇する。壁には扉がいくつも付いている。階段の左側には三階への階段があるが階段の正面側を向いている兵士が立っているが視界内に微かに映る。

 ジーノはすぐさまダガーを抜き階段を駆け上る。その決断に迷いは皆無だ。兵士が足音の方に首を捻る。兵士の瞳はジーノの顔を向いていた。だが首元には既にダガーが突き刺さっていた。ジーノは首からダガーを抜くと兵士の死体を目の前の部屋に隠し三階へと進む。

 三階に上がるが四階に続く階段の前に人はいない。ジーノは四階へと上がっていく。だが三階から踊り場の部分に差し掛かったとき人の気配を感じ手すりの下側に身を隠す。手すりから頭を出し四階を伺う。三階へと降りる階段の前に兵士が一人立っている。それどころかもう一人と話している声が耳に入ってくる。

「この前の雨を降らせる実験には感激したな」

「全くだ。この都市一帯は雨が殆ど降らないから水不足で困り果てていたのにあんな簡単には雨を降らせられるとは驚きだよ」

「数十年前からの雨不足のせいで作物はあまり育たないし、そのせいで多くの餓死者が出た。けどこれで都市一帯は救われる」

「葉そのものは盗みものだけどあの力は逆に恐ろしくもなるな」

「天候を変えられるからずっと晴れ状態を維持できるからな。そうなればここみたいにその地域は水不足で困るしな」

「そういった意味では慎重に扱うべき物だな」

「まあこの都市は雨不足を解消のために用いているから問題ないはずだ」

 兵士たちの話を聞いてい口を閉じたジーノの頬は固く膨らんでいた。葉を奪還すればここが再び飢餓で苦しむのは容易に予測できる。任務を遂行にジーノは多少の戸惑いを持つようになっていた。

 ジーノは一旦階段を降りて三階へと戻り、本舎の裏口側の通路に足を運ぶ。

 ジーノは一枚の窓を見据える。そこからは家や店といった無数の建造物が一望できる。ジーノは目を尖らせると小さくため息をついた。ジーノは右手を横に出すと火の玉を出現させる。そして空を窓に向かって力一杯投げつけた。

 火の玉は鋭い音ともにガラスを粉砕し、基地を飛び越えていく。火の玉の高度は地上の建物からかなり離れていた。火の玉を基地を超えてから家十件ほどの地点で急激に膨張しそして破裂する。

 その爆発音は基地にまで届いていた。本舎の内外からは「なんの音だ」などの大声が飛び交い、基地内の駆け巡る足音が響き渡る。基地内でこれならば町中も今頃混乱しているはずだ。
 これだけ騒いでくれれば警備にも隙ができる。四階からは複数の足音が階段を下るのがジーノの耳にまで届く。その音を確認したジーノは疾走する。四階への階段を上った先に居た見張りたちは既におらず、ジーノはそのまま五階までかけていく。

 目の前には数人で走り回れるほどの広い空間が確保されており、細い通路は一切ない。壁際には部屋に続く扉が何枚か設けられていた。

「ダガーはあんまり抜きたくないんだけどね」

 ジーノは息を呑み込みと顔全体が張り詰める。右手には鞘から抜き取られたダガーが強く握りしめられていた。

 ジーノの正面には鎧を着た兵士が剣を抜いて荒い顔付きでジーノを睨んでいた。五階にも敵がいることは想定済みだったが、早いところ任務を終わらせたかった。心に生じた戸惑いを少しでも頭に浮かべないようにするためにも。

 二人の距離は五歩分程度の幅しか空いていない。ジーノは床を踏みしめる。床は軋み足音が天井に弾ける。床を駆けるジーノは兵士に一気に接近すると喉元狙って斬りかかる。

 兵士は後方に一歩分跳ね攻撃を交わす。ジーノは表情を変えず目でその動きを追っていた。

「葉が狙いか? だったらすぐに倒させてもらう」

 口を大きく動かした兵士は両手で剣を握り足を一歩前に出す。兵士の両手が頭よりも高く昇ると振り下ろされる。

 大気を切る剣の下にいるジーノは剣が頭に当たる寸前のところで剣の方を向くように体を捻りながら右に跳んだ。

 空振った兵士は背中を丸めた状態になり一瞬動きが止まってしまう。この殺しに意味はあるのか、とジーノは自問してしまう。だが自問してなおジーノの体は止まらない。ジーノは右側から素早く兵士の首にダガーを突き刺した。首から宙に向かって血が噴出する。ジーノがダガーを抜き去ると床には鈍い大きな音が鳴る。

 ダガーを鞘に戻したジーノは魔力の流れを探る。するととある一室から膨大な魔力を感知した。ジーノはその部屋の間に近づくと、火の玉を鍵がかかったドアノブにぶつける。大きな音が鳴るがドアノブは破壊され、ジーノは扉を開けて中に侵入する。

 中には鍵の付いた巨大な木箱が床に置かれている。膨大な魔力源はその箱であった。ジーノは針金をポケットから取り出し解錠を始める。数秒足らずで鍵は開いてしまう。箱の中には一枚の葉があった。

 その葉はかつて天候を変えるという強大な能力故に葉を巡っていくつもの争いが起きた。ジーノの村は葉を守護するために作れられた。村としては葉が村の外に出れば再び争いが起きると危惧してジーノを任に就かせていた。ジーノは葉を手に取ると基地を脱出した。

 夜にも関わらず大通りには人で溢れてた。人々の会話する声が聞こえるがその大半がジーノが起こした爆発を戸惑うものであった。

 ジーノは人が一人通れるだけの路地に入ると体中から力が抜け項垂れていた。

「これでこの都市一帯からは希望は奪われるわけか。盗まれたものを取り返しに来ただけなのにこの重苦しい気分になる。だけどこれは任務だ。俺に責任はない」

 細い声でジーノは暗闇に呟く。救われるはずの命への罪悪感で心は圧迫していた。だが村に戻ればこの罪悪感も自動的に忘却されるはず。ジーノはそう信じながら路地を走っていく。
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