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第四章
5 戦士は彼女を守り、髭男は走った
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凄まじい咆哮が謁見の間に轟いた。魂を鷲掴みにされたような感覚が、クレッドを襲った。
頭ははっきりしているが、体に力が入らない。聞いたことがある。
フレイア・レナリア連合軍の勝利は決定的なものになったと、報告が入った。
兵士達が沸き立つ。我が軍の姿を一目見ようと、広間を出たところにある南向きの窓に殺到する。フィルナーナの顔を見て、勝利の喜びを分かち合おうとした。
咆哮が聞こえたのは、その時だった。
回りにいた兵士達が次々に崩れ落ちる。膝をつき、ひどい者は倒れ込んでいた。
二度目だからか、前よりは症状が軽い。何とか口を動かし、あらん限りの声を出した。
「来るぞ!」
何が、とまでは息が続かなかったが、言うまでも無い。敵が、来る。
それは直ぐに現実となった。灰色の影が次々と階段を駆け上り、窓際や入口付近にいた兵士に飛びかかっていった。狼だ。数はそれほど多くない。十かそこらだと思う。周辺を固めていた兵士は、三倍以上いる。
けれども、勝利に浮足立った瞬間にあの咆哮。数拍の間に、十数名の兵士が絶命、あるいは戦闘能力を失った。
悲鳴と怒号。一気に混乱に陥った。
灰色の狼が、王女目掛けて飛びかかってきた。
何とか体制を立て直すと、剣を突き出した。狙い違わず、一撃で倒すことが出来た。
玉座の前に立ち塞がり、仲間に大丈夫かと呼びかける。フィルナーナと、ホルムヘッドの返事が返ってくる。リウィーの返事がない。そう言えば少し前、窓の外を見に行ったはずだ。戻ってきていないのか。窓際にいるのか。確認する余裕はなかった。
見渡すと、既に乱戦状態に陥っていた。深手を負って喚く者。立ち直り、武器をとって戦う者。倒れた仲間を助け起こそうとする者。広間の外も混沌としていた。
その中を、黒い影が歩いている。
長い黒髪。薄手の服。手には何も持たず、足元は素足。無感情な目。あの女だ。
「何をしに来た? 戦は、もう決着がついただろう」
出来るだけ時間を稼ぎたかった。奇襲を受けたとは言え、ここには精鋭が揃っている。数も、倒れた者を差し引いても、互角以上だ。時を稼げば、形勢は逆転するはずだ。
「まだ、終わっていない」
ケネアは一本の指で、後ろにいる翼の姫を指した。
「殺せば、続けられる」
謁見の間で防備を固めていたのは正解だった。ここだから、敵は強襲するしか無かった。
個室にいたら暗殺されていただろう。
「続かない。もう終わりだ」
「問答をするつもりは、ない」
影がさらに踏み出す。後少し、時間を稼ぎたい。
「ケネア、だったな。だとしても、順番が違うだろう」
動きが止まる。数拍おいて、ああ、と答える。
「クレッド。そうだったな」
応じた。自分に対してどれ程の拘りを持っているのかは、わからない。だが、これでしばらくは引き付ける事が出来るはずだ。
突然、動いた。腕による刺突。盾で受け止める。交差気味に剣を横に振るう。期待はしていない。下がるか、受け止められるか。
左腕で受け止められた。構わず、押す。少しでも動きを止める。回りの仲間が、味方が反応してくれた。同じ遊撃隊、義勇兵から防衛に志願してくれた傭兵が、右側から斬撃を加える。察した兵士が、左側から槍を振るった。
両腕は塞いでいる。ケネアは後ろに飛び退き、躱した。
「囲め! 無理はするな!」
短い指示に反応し、左右から挟み込むように移動してくれた。
自らは防御に重点を置く。剣は鋭く。掴まれないように注意する。盾で死角を作るな。
頭の中で反芻しながら、攻防を続ける。
ケネアは、確かに強い。個人の戦闘力で見れば、クリスやマラーナをも凌駕するだろう。
けど、戦えない相手ではない。
あの夜とは条件が違う。部屋も広い。明るさも、まだ十分にある。味方の人数も多い。
踏み込み過ぎた兵が手傷を負って下がったが、その頃には周辺の戦いも優勢に傾いていた。包囲の輪に一人、二人と加わっていった。五人で取り囲んだ。これなら倒せる。
それを見て、何を思ったのか。女は突然、我が身を覆っていた布を引き裂いた。大振りな乳房が、顕になる。
次の瞬間。全身が、総毛立った。
本能が、目の前の女に対して恐れを抱いていた。
両手を床についたその姿は、一瞬の間をあけて変貌した。全身が黒い体毛で覆われる。体格も、何倍にも膨れ上がる。数拍の後。そこにいたのは、巨大な黒い狼だった。
目が、血のように赤い。全身から、禍々しい雰囲気がただよっている。
低い唸り声。圧倒的な存在感。
黒狼はそこにいるだけで、歴戦の戦士をも怯ませる雰囲気を身にまとっていた。
吼えた。あの咆哮だ。すぐ近くにいた為、正面で聞いてしまった。精神を集中するが、耐えきれず膝をついてしまった。
動いた。静止状態から爆発的な加速を見せたかと思うと、近くにいた兵士が崩れ落ちるように倒れた。一瞬で喉を食いちぎられていた。床に血溜まりを作り、兵士は絶命した。
「うおおぉぁぁぁ!」
雄叫びを上げた。動かない体を奮い立たせる。何とか立ち上がると、黒狼に向かって突進した。恐れはあるが、戦わなければやられる。今動かなければ、全員殺される。そう感じた。声に反応して、傭兵や他の兵士達も正気に戻った。
まだやれる。
接近して剣を振るった。振り切る前に、姿がかき消えた。兵士の槍撃が加わるが、掠りすらしなかった。
この狼は速度が尋常ではない。元々驚異的な速さだったが、狼の姿ではそれを越える。目で捉えられず、予測も出来ない。
攻撃力も高い。力強さは増し、前肢の爪は刀剣のようで、牙の威力は想像もつかない。槍を噛み砕き、皮の鎧を紙のように切り裂く。また一人、兵士が倒れた。右肩を噛み砕かれ、絶命はしていないものの、もう起き上がることは出来ないだろう。
兵士を助けようと斬りかかった。黒狼は一端大きく後ろに跳ねて間合いを取ると、値踏みするかのような視線を向けてきた。
あの時と、同じ目だ。淡々としている。感情が見えない。
これは、この狼にとっては只の作業なのか。
ホルムヘッドが兵士の元に走り、引きずって距離をとった。二人を守るように間に入る。
この狼は、はっきり言って、一対一で勝てる相手ではない。剣や槍では取り囲んでも当たらないのだから、一人の攻撃が当たるわけがない。
攻撃が当たらなければ、倒す事はできない。
けれど。だからといって、引くわけにはいかない。負けるわけには、いかない。
一人で無理ならば。
少しずつ、移動する。声を出して注意を引く。
後少しだけ、俺の方を見ろ。
此方に向かって一直線に突進してくる。剣を水平に構え、まっすぐ走る。ぶつかりあう手前で、またも姿を見失った。体の右側に衝撃。体当たりを食らった。倍はあろうかと言う体格だ。金属製の鎧を着ているにも関わらず、あっけなく弾き飛ばされた。ぶつかられた勢い、床に叩き付けられた衝撃で剣が手から離れ、広間の隅に飛んでいった。
「射て!」
傭兵の声が響いた。
いつの間にか灰狼を一掃した兵士達が、弓矢を手に取り囲んでいた。
誤射を覚悟した、一斉射撃。何本もの矢が黒い体を捉えた。
これならば。
――数瞬の後。大半の矢は、刺さること無く下に落ちた。確実に、当たっていたのに。
黒い体は、防御力も尋常ではなかった。
黒狼が周りを見た。無傷の兵士は少ないものの、十名以上残っている。
クレッドは、狼の目線を追った。その先にはフィルナーナがいた。
ケネアは、見据えた先に向かって突撃した。
間に割って入った。剣は、無い。盾では、止められない。
絶望的な決意が、脳裏をよぎった。
盾を投げつけた。同時に、腰から短剣を引きぬく。腕を広げ、狼に抱きつく。
刹那、重い何かがのしかかってきたかと思うと、左肩に激痛が走った。牙は金属製の肩当てを、たやすく噛砕いていた。
構わずに短剣を突きたてた。手応えはあった。
*
フィルナーナに出来る事は、殆どなかった。
黒狼の強さは桁違いだった。自分の援護程度では、却って周りの足を引っ張ってしまう。
逃げた所で逃げ切れるものではない。ただ、邪魔にならないように距離を取る事しかできなかった。
兵士達が一斉に矢を射る。ほとんど通用していない。
狼と目が合った。
クレッドが、飛び込んでくる。
盾を投げつけた。躱した。両手を広げる。左肩に噛み付いた。
それが目に入った時、祈った。
風の神の名を冠する、高位の祝福。
「ラフリアーナの投擲」は、王族でも使えた者は極稀で、風の祝福の中では最高位の絶技とされている。
成功どころか、挑戦したことすらない。
しかし、今。一度、たった一度で良いから。風の神に、祈った。
心の中で何かが動いた気がした。力が湧きあがり、翼から分離していくような錯覚に陥った。風が、自らの真上に真空の槍を形成した。
力量に見合わない祝福を行使したフィルナーナは、それだけでも激しく消耗した。
肩で息をしながら、黒狼を見定める。
残った気力を振り絞り、そのまま真っ直ぐに、腕を振り下ろした。
超音速で打ち出された投げ槍が、瞬きをする間もないうちに狼の体を貫いた。
*
ホルムヘッドは我が身の無力さを嘆いた。何も出来ない。盾の変わりになることすら。
右肩を食い破られた兵士を、助けようとした。無理矢理引きずり、距離を取る。
皮の鎧の肩当てが千切れきれず、かろうじて繋がり、背中側にぶら下がっていた。出血が激しい。服も、白い翼も朱に染まっていた。
治療するにも道具がない。技術もない。聞きかじりの知識しか持ち合わせていない。
短剣を使って、肩当てを切り離した。ついでに自分の服の袖を裂き、当て布にする。傷口を押さえる。この程度しか出来ない。
兵士は、布を左の手で抑えた。顔で、もういい、と言っている。
頷くと、傍らに投げ捨てていた槍を掴んだ。
戦況は――?
クレッドが黒狼と戦っている。いくら強くなったとはいえ、あれと一対一で勝てるはずがない。援護が必要だ。
助けに入った所で何の足しにもならない事は、十分に承知している。この場にいる誰よりも、戦いでは役に立たないだろう。それでも、何もしないわけにはいかない。
顔を上げたホルムヘッドは、その瞬間を見た。
肩に、牙を突きたてられるクレッド。
抱きかかえるようにして、短剣を突きたてたクレッド。
膝を折り、倒れそうになるクレッド。
全ては、細切れに、ゆっくりと。目に焼きついた。
叫んだ。そこに向かって走り出す。刹那、轟音と共に光の筋が見えた気がした。
それは黒い体を突き抜けた。ケネアは音にならない叫び声をあげると、のけぞるようにしてそこから離れた。
崩れ落ちそうだったクレッドは、その場に踏みとどまった。血が吹き出ている。
離れていても傷の状態がわかった。あれは。
――致命傷だ。
我が身の鈍足さを、これほど呪った事はなかった。
*
何かが光った気がした。
体にのしかかっていた重みが消えた。倒れそうだった体を、なんとか支える。金属製の重い鎧が恨めしかった。左肩と胸に激痛が走った。だが、傷を確認している暇はない。目の前には、巨大な黒い狼の姿があった。狼は此方を見てはいなかった。視線の先にはフィルナーナがいた。怒りと、殺意に満ちた目を向けていた。彼女は肩で息をしながらこちらを見ている。もう、動く気力も体力もない。そんな感じだった。
今にも飛びかからんばかりの勢い。体を沈め、飛び出す体勢になっている。クレッドは右手に残っていた最後の武器を振り上げると、それに飛びかかった。
巨大な獣と揉み合いになる。もう、戦法も何もない。残っている力を振り絞り、体力と精神力を全て継ぎこんで短剣を振るうだけだった。抵抗もすさまじい。爪や牙で攻撃をうけたが、痛みは感じなかった。
体が弾き飛ばされた。床に打ちつけられる。すでに限界を越えていた。
黒狼の体を再び矢が貫いた。より近距離からの一斉射撃。
続けて、兵士の一人が風の祝福を行使した。突風がその体を吹き飛ばす。床に叩きつけられ、二、三度転がると狼は動かなくなった。数拍の後、元の姿に戻っていく。
ホルムヘッドは走った。槍は捨てた。後二歩の所で、足を止めた。
向こう側。人の形に戻った女が、ゆっくりと立ちあがっていた。
驚愕。そして、恐怖。
(本当に……人間か?)
一糸まとわぬ姿。全身を赤黒く染めている。どれが自分の血で、どれが返り血なのかわからない位に。口から血を吐き出す。それは、自らの血か、噛みついた時の相手の血か。
もう、戦える状態ではないはずだ。なのに、その目に宿っていたのは。
背筋が凍るほどの殺気。動く事ができなかった。
「フィル……ナーナ」
呟き。ホルムヘッドにも、聞こえた。
ケネアは、謁見の間に背を向けた。追うものは、いなかった。
思い出したかのように、クレッドの傍らに跪く。左の肩当ては完全に砕け、首の部分も大きな亀裂。左胸部には穴が空き、血が吹き出ている。素手で、穴を塞ぐ。
――こんな事をしても、意味はない。
わかっている。わかっていたが、何もしないわけにはいかない。
――もう、助からない。
ホルムヘッドの頭脳は、冷酷に事実を告げていた。
諦められない。どうすればいい。どうすれば。
「クレッド! クレッド!」
フィルナーナは、何度もその名を呼んだ。あらん限りの大声で。何回も、何回も。
聞こえているのか、聞こえていないのか。目は、すでに焦点があっていなかった。
手を握ると、ほんの少しだけ反応があった。僅かだが、握り返してきたのがわかった。
「クレッド! しっかりして!
まだ、これからでしょ!? 私の戦いは、これからなの!
私を、ずっと、守ってくれるって、そう言ったじゃない!」
必死の呼びかけに、クレッドが、何か言おうとしていた。
口元に耳を近づけた。クレッドは、そうだな、と言った。
「俺は、フィナを……守る、んだ」
それが、最後の言葉になった。
ガスティール混成軍は壊滅した。兵力の半分は撤退、残りは投降か、討ち死にを選んだ。
戦いはフレイア・レナリア連合軍の勝利に終った。この戦いに参加した者の、四分の一が帰らぬ人となった。
――この日、アポソリマに例年よりも早い雪が降った。
頭ははっきりしているが、体に力が入らない。聞いたことがある。
フレイア・レナリア連合軍の勝利は決定的なものになったと、報告が入った。
兵士達が沸き立つ。我が軍の姿を一目見ようと、広間を出たところにある南向きの窓に殺到する。フィルナーナの顔を見て、勝利の喜びを分かち合おうとした。
咆哮が聞こえたのは、その時だった。
回りにいた兵士達が次々に崩れ落ちる。膝をつき、ひどい者は倒れ込んでいた。
二度目だからか、前よりは症状が軽い。何とか口を動かし、あらん限りの声を出した。
「来るぞ!」
何が、とまでは息が続かなかったが、言うまでも無い。敵が、来る。
それは直ぐに現実となった。灰色の影が次々と階段を駆け上り、窓際や入口付近にいた兵士に飛びかかっていった。狼だ。数はそれほど多くない。十かそこらだと思う。周辺を固めていた兵士は、三倍以上いる。
けれども、勝利に浮足立った瞬間にあの咆哮。数拍の間に、十数名の兵士が絶命、あるいは戦闘能力を失った。
悲鳴と怒号。一気に混乱に陥った。
灰色の狼が、王女目掛けて飛びかかってきた。
何とか体制を立て直すと、剣を突き出した。狙い違わず、一撃で倒すことが出来た。
玉座の前に立ち塞がり、仲間に大丈夫かと呼びかける。フィルナーナと、ホルムヘッドの返事が返ってくる。リウィーの返事がない。そう言えば少し前、窓の外を見に行ったはずだ。戻ってきていないのか。窓際にいるのか。確認する余裕はなかった。
見渡すと、既に乱戦状態に陥っていた。深手を負って喚く者。立ち直り、武器をとって戦う者。倒れた仲間を助け起こそうとする者。広間の外も混沌としていた。
その中を、黒い影が歩いている。
長い黒髪。薄手の服。手には何も持たず、足元は素足。無感情な目。あの女だ。
「何をしに来た? 戦は、もう決着がついただろう」
出来るだけ時間を稼ぎたかった。奇襲を受けたとは言え、ここには精鋭が揃っている。数も、倒れた者を差し引いても、互角以上だ。時を稼げば、形勢は逆転するはずだ。
「まだ、終わっていない」
ケネアは一本の指で、後ろにいる翼の姫を指した。
「殺せば、続けられる」
謁見の間で防備を固めていたのは正解だった。ここだから、敵は強襲するしか無かった。
個室にいたら暗殺されていただろう。
「続かない。もう終わりだ」
「問答をするつもりは、ない」
影がさらに踏み出す。後少し、時間を稼ぎたい。
「ケネア、だったな。だとしても、順番が違うだろう」
動きが止まる。数拍おいて、ああ、と答える。
「クレッド。そうだったな」
応じた。自分に対してどれ程の拘りを持っているのかは、わからない。だが、これでしばらくは引き付ける事が出来るはずだ。
突然、動いた。腕による刺突。盾で受け止める。交差気味に剣を横に振るう。期待はしていない。下がるか、受け止められるか。
左腕で受け止められた。構わず、押す。少しでも動きを止める。回りの仲間が、味方が反応してくれた。同じ遊撃隊、義勇兵から防衛に志願してくれた傭兵が、右側から斬撃を加える。察した兵士が、左側から槍を振るった。
両腕は塞いでいる。ケネアは後ろに飛び退き、躱した。
「囲め! 無理はするな!」
短い指示に反応し、左右から挟み込むように移動してくれた。
自らは防御に重点を置く。剣は鋭く。掴まれないように注意する。盾で死角を作るな。
頭の中で反芻しながら、攻防を続ける。
ケネアは、確かに強い。個人の戦闘力で見れば、クリスやマラーナをも凌駕するだろう。
けど、戦えない相手ではない。
あの夜とは条件が違う。部屋も広い。明るさも、まだ十分にある。味方の人数も多い。
踏み込み過ぎた兵が手傷を負って下がったが、その頃には周辺の戦いも優勢に傾いていた。包囲の輪に一人、二人と加わっていった。五人で取り囲んだ。これなら倒せる。
それを見て、何を思ったのか。女は突然、我が身を覆っていた布を引き裂いた。大振りな乳房が、顕になる。
次の瞬間。全身が、総毛立った。
本能が、目の前の女に対して恐れを抱いていた。
両手を床についたその姿は、一瞬の間をあけて変貌した。全身が黒い体毛で覆われる。体格も、何倍にも膨れ上がる。数拍の後。そこにいたのは、巨大な黒い狼だった。
目が、血のように赤い。全身から、禍々しい雰囲気がただよっている。
低い唸り声。圧倒的な存在感。
黒狼はそこにいるだけで、歴戦の戦士をも怯ませる雰囲気を身にまとっていた。
吼えた。あの咆哮だ。すぐ近くにいた為、正面で聞いてしまった。精神を集中するが、耐えきれず膝をついてしまった。
動いた。静止状態から爆発的な加速を見せたかと思うと、近くにいた兵士が崩れ落ちるように倒れた。一瞬で喉を食いちぎられていた。床に血溜まりを作り、兵士は絶命した。
「うおおぉぁぁぁ!」
雄叫びを上げた。動かない体を奮い立たせる。何とか立ち上がると、黒狼に向かって突進した。恐れはあるが、戦わなければやられる。今動かなければ、全員殺される。そう感じた。声に反応して、傭兵や他の兵士達も正気に戻った。
まだやれる。
接近して剣を振るった。振り切る前に、姿がかき消えた。兵士の槍撃が加わるが、掠りすらしなかった。
この狼は速度が尋常ではない。元々驚異的な速さだったが、狼の姿ではそれを越える。目で捉えられず、予測も出来ない。
攻撃力も高い。力強さは増し、前肢の爪は刀剣のようで、牙の威力は想像もつかない。槍を噛み砕き、皮の鎧を紙のように切り裂く。また一人、兵士が倒れた。右肩を噛み砕かれ、絶命はしていないものの、もう起き上がることは出来ないだろう。
兵士を助けようと斬りかかった。黒狼は一端大きく後ろに跳ねて間合いを取ると、値踏みするかのような視線を向けてきた。
あの時と、同じ目だ。淡々としている。感情が見えない。
これは、この狼にとっては只の作業なのか。
ホルムヘッドが兵士の元に走り、引きずって距離をとった。二人を守るように間に入る。
この狼は、はっきり言って、一対一で勝てる相手ではない。剣や槍では取り囲んでも当たらないのだから、一人の攻撃が当たるわけがない。
攻撃が当たらなければ、倒す事はできない。
けれど。だからといって、引くわけにはいかない。負けるわけには、いかない。
一人で無理ならば。
少しずつ、移動する。声を出して注意を引く。
後少しだけ、俺の方を見ろ。
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「射て!」
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これならば。
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刹那、重い何かがのしかかってきたかと思うと、左肩に激痛が走った。牙は金属製の肩当てを、たやすく噛砕いていた。
構わずに短剣を突きたてた。手応えはあった。
*
フィルナーナに出来る事は、殆どなかった。
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狼と目が合った。
クレッドが、飛び込んでくる。
盾を投げつけた。躱した。両手を広げる。左肩に噛み付いた。
それが目に入った時、祈った。
風の神の名を冠する、高位の祝福。
「ラフリアーナの投擲」は、王族でも使えた者は極稀で、風の祝福の中では最高位の絶技とされている。
成功どころか、挑戦したことすらない。
しかし、今。一度、たった一度で良いから。風の神に、祈った。
心の中で何かが動いた気がした。力が湧きあがり、翼から分離していくような錯覚に陥った。風が、自らの真上に真空の槍を形成した。
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肩で息をしながら、黒狼を見定める。
残った気力を振り絞り、そのまま真っ直ぐに、腕を振り下ろした。
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*
ホルムヘッドは我が身の無力さを嘆いた。何も出来ない。盾の変わりになることすら。
右肩を食い破られた兵士を、助けようとした。無理矢理引きずり、距離を取る。
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短剣を使って、肩当てを切り離した。ついでに自分の服の袖を裂き、当て布にする。傷口を押さえる。この程度しか出来ない。
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肩に、牙を突きたてられるクレッド。
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それは黒い体を突き抜けた。ケネアは音にならない叫び声をあげると、のけぞるようにしてそこから離れた。
崩れ落ちそうだったクレッドは、その場に踏みとどまった。血が吹き出ている。
離れていても傷の状態がわかった。あれは。
――致命傷だ。
我が身の鈍足さを、これほど呪った事はなかった。
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何かが光った気がした。
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今にも飛びかからんばかりの勢い。体を沈め、飛び出す体勢になっている。クレッドは右手に残っていた最後の武器を振り上げると、それに飛びかかった。
巨大な獣と揉み合いになる。もう、戦法も何もない。残っている力を振り絞り、体力と精神力を全て継ぎこんで短剣を振るうだけだった。抵抗もすさまじい。爪や牙で攻撃をうけたが、痛みは感じなかった。
体が弾き飛ばされた。床に打ちつけられる。すでに限界を越えていた。
黒狼の体を再び矢が貫いた。より近距離からの一斉射撃。
続けて、兵士の一人が風の祝福を行使した。突風がその体を吹き飛ばす。床に叩きつけられ、二、三度転がると狼は動かなくなった。数拍の後、元の姿に戻っていく。
ホルムヘッドは走った。槍は捨てた。後二歩の所で、足を止めた。
向こう側。人の形に戻った女が、ゆっくりと立ちあがっていた。
驚愕。そして、恐怖。
(本当に……人間か?)
一糸まとわぬ姿。全身を赤黒く染めている。どれが自分の血で、どれが返り血なのかわからない位に。口から血を吐き出す。それは、自らの血か、噛みついた時の相手の血か。
もう、戦える状態ではないはずだ。なのに、その目に宿っていたのは。
背筋が凍るほどの殺気。動く事ができなかった。
「フィル……ナーナ」
呟き。ホルムヘッドにも、聞こえた。
ケネアは、謁見の間に背を向けた。追うものは、いなかった。
思い出したかのように、クレッドの傍らに跪く。左の肩当ては完全に砕け、首の部分も大きな亀裂。左胸部には穴が空き、血が吹き出ている。素手で、穴を塞ぐ。
――こんな事をしても、意味はない。
わかっている。わかっていたが、何もしないわけにはいかない。
――もう、助からない。
ホルムヘッドの頭脳は、冷酷に事実を告げていた。
諦められない。どうすればいい。どうすれば。
「クレッド! クレッド!」
フィルナーナは、何度もその名を呼んだ。あらん限りの大声で。何回も、何回も。
聞こえているのか、聞こえていないのか。目は、すでに焦点があっていなかった。
手を握ると、ほんの少しだけ反応があった。僅かだが、握り返してきたのがわかった。
「クレッド! しっかりして!
まだ、これからでしょ!? 私の戦いは、これからなの!
私を、ずっと、守ってくれるって、そう言ったじゃない!」
必死の呼びかけに、クレッドが、何か言おうとしていた。
口元に耳を近づけた。クレッドは、そうだな、と言った。
「俺は、フィナを……守る、んだ」
それが、最後の言葉になった。
ガスティール混成軍は壊滅した。兵力の半分は撤退、残りは投降か、討ち死にを選んだ。
戦いはフレイア・レナリア連合軍の勝利に終った。この戦いに参加した者の、四分の一が帰らぬ人となった。
――この日、アポソリマに例年よりも早い雪が降った。
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更新はアルファポリスより遅いです。
ご了承ください。
『ラノベ作家のおっさん…異世界に転生する』
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『あらすじ』
心臓病を患っている、主人公である鈴也(レイヤ)は、幼少の時から見た夢を脚色しながら物語にして、ライトノベルの作品として投稿しようと書き始めた。
そんなある日…鈴也は小説を書き始めたのが切っ掛けなのか、10年振りに夢の続きを見る。
すると、今まで見た夢の中の男の子と女の子は、青年の姿に成長していて、自分の書いている物語の主人公でもあるヴェルは、理由は分からないが呪いの攻撃を受けて横たわっていた。
ジュリエッタというヒロインの聖女は「ホーリーライト!デスペル!!」と、仲間の静止を聞かず、涙を流しながら呪いを解く魔法を掛け続けるが、ついには力尽きて死んでしまった。
「へっ?そんな馬鹿な!主人公が死んだら物語の続きはどうするんだ!」
そんな後味の悪い夢から覚め、風呂に入ると心臓発作で鈴也は死んでしまう。
その後、直ぐに世界が暗転。神様に会うようなセレモニーも無く、チートスキルを授かる事もなく、ただ日本にいた記憶を残したまま赤ん坊になって、自分の書いた小説の中の世界へと転生をする。
”自分の書いた小説に抗える事が出来るのか?いや、抗わないと周りの人達が不幸になる。書いた以上責任もあるし、物語が進めば転生をしてしまった自分も青年になると死んでしまう
そう思い、自分の書いた物語に抗う事を決意する。
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一生に一度の成人の儀を終えれば村に帰り、そのまま永住するはずだった。
だが徐々に身体が変調をきたし、人間にはない鱗や牙が生え始める。
優れた薬師だった旅の神父ジョサイアの協力を得て儀式当日まで耐え抜くも、彼もまた裏を持つ者だった。
これは平々凡々を願う主人公が安らかな生活を送りながら、
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毎週日曜日更新予定です。
異世界国盗り物語 ~野望に燃えるエーリカは第六天魔皇になりて天下に武を布く~
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若き戦士は剣王の名を引き継ぎ、未だに終わりをしらない戦国乱世真っ只中のテクロ大陸へと殴り込みをかける
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私のメンタルは金魚掬いのポイと同じ脆さなので感想を送っていただける際は語調が強くないと嬉しく思います。
ただそれでも初心者故、度々間違えることがあるとは思いますので感想にて教えていただけるとありがたいです。
他にも今後の進展や投稿済みの箇所でこうしたほうがいいと思われた方がいらっしゃったら感想にて待ってます。
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