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第四章

2 髭男は理由がわからない

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 ホルムヘッドは黙って窓の外を眺めていた。この所、毎日。確実に一日四回以上は見ているので、いささか飽きがきている所だが、見ないわけにはいかない。そこに一刻でも早く、援軍が到着する事を期待して。



 リウィーがアポソリマを発ってから五日が経過していた。未だ援軍は到着せず、少女も帰らない。物見の報告もない。この間も、敵軍は連日、攻撃を仕掛けてきていた。舌戦も変わらず、空からの強襲も度々あった。食料庫が一つ襲われ、何日分かの食料が燃えた。

 街ではすでに食料制限が始まっていた。一日の食事の量は満足いく物ではない。一般市民も配給制となり、酒場の灯は消えた。不満は、少しずつ膨れ上がっている。



 フレイア軍の消耗も激しかった。剣や槍、弓矢の損耗率も高かったが、それ以上に人的被害が大きい。問題になったのは、死者数ではなく、重傷者数だった。傷の程度が大きく、当面、戦線復帰が期待できない者。手足の欠損などで、死にはしなくとも、二度と戦うことは出来ないであろう者。食糧問題がこれを深刻にした。

 一部から、傷病者への配給量を減らすべきだとか、重体であるものはいっその事、といった意見が出た。

 フィルナーナはこの意見を断固として拒否した。変わりに、少し強引とも言える手法で短期政策を実施していった。



 越冬用に備蓄してあった食料を開放し、配給率を引き上げた。

 武器の生産量をギリギリまで引き下げ、手の空いた職人を使って自警団を組織させた。

 狩人を集め、義勇兵に参加していたものを一時的に戻し、北部での狩猟を国主導で行わせた。

 婦人や城に務める使用人、十~十四歳の子どもを集めて採取を奨励した。

 商人に、北回りで農村から食料を調達してもらえるよう、お願いした。



 これらの政策の立案や実施には、ホルムヘッドも協力した。

 もちろん、方々から反発や不満、不安の声もあったが、足を運び頭を下げ、出来得る限りの支援を約束・実施していき、なんとかギリギリの所で不満が爆発するのを防いでいた。



 そんな折に、事件が発生する。

 アポソリマに住む、嵐の民に対しての、放火・暴行事件だ。

 街の一角で白昼に火付けがあった。見咎められた男は、逆上して暴行。近くを巡回していた遊撃隊がこれを発見、火は幸いに柱を一本、焦がした程度で消し止められた。

 悪い事に、現場に駆けつけた遊撃隊は風の民だけで組織された部隊で、犯人を擁護した。住人達は怒り、一触即発の所に騒ぎを聞きつけた義勇兵、クリスの隊が駆けつけ、事なきを得た。



 この事件は、今の王都に住まう市民の心理状態を浮き彫りにしてしまった。

 アポソリマの中にいる嵐の民は、現実的に非常に微妙な立場にいる。敵国の人間で、敵対的・反抗的であれば、むしろ対処は簡単だが、大半は血統がそうというだけだ。アポソリマ生まれで育ちの、れっきとしたフレイアの国民だ。本来なら非難される謂れはない。

 とは言え、フレイアはやはり風の民の国で、アポソリマの住人の八割以上を占めている。そして、現実に今、戦争をしている相手は、主に嵐の民。

 今のような状況では、白眼視される事は防ぎようがない。

 保護しようにも、四六時中監視することは不可能だ。

 不当な差別はしないよう触れを出したとしても、本当に有効に機能しているかを確かめる術はない。

 差別する側を強権的に排除すると、今度は多数派の不満が蓄積する。

 万が一、それが爆発すれば、その時点でフレイアは瓦解する。

 対してアポソリマの中の、嵐の民の数は一割の半分にも満たない。どちらが御しやすいかは、考えるまでもなかった。



 もちろん立場の弱い人間を差別する、というのは正しくない。

 政治的手法として、差別をガス抜きに利用するのは最悪だ。

 諌める努力は必要としても、この状況では、言葉で説得するのは難しい。

 法を整備し、法に則って罰するのが正しい手順ではあるが、今すぐ法を作れば、それは歪なものになるだろう。

 事件の後、フィルナーナとそんな話をしたら「ではどうしたら良いのか」と問われた。

 ホルムヘッドは、政治家でも賢者でもないから、わからないと答えた。それだけだと、何か怒られそうだったので「個人的な意見だけど」と前置きして、考えを話した。

「今すぐという意味では、騙し騙しというか。対処療法しかないかと。

 負担は増えるけど、義勇兵の隊にお願いすると言うか、気にかけてくれと言っておくぐらいしか出来ないかな」

 その回答に摂政様は不満気だったが、さりとて対案もなければ余裕もないみたいだ。

「将来的には、どうしたら良いのですか」

 不満から当てつけか、と思ったが、今の彼女を見ればそれも仕方ない。

「だから、俺はそういうのは専門じゃないんだけど。だから、全然自信はないけど。

 差別って、余裕がないとか、未知に対する恐怖とか。そういうのが原因だと思う。

 だから。教育、かな。何をどう教えればいいか、なんてわからないけど。

 正しい心を持った子どもを、沢山育てる事、かなぁ」

 当たり障りのない答えを言ったつもりだったが、フィルナーナは納得したようで、しばらく何か考え込んでいた。



 この事件は、これだけでは終わらなかった。

 翌日から街で小競り合いが発生するようになった。口論や押し問答が殆どだったが、殴り合いの喧嘩も発生した。クリスの隊が目を光らせていた事もあり、いずれも早期に沈静化できたが、市民の確執は深まる一方だった。



 そんな折に、敵軍の嵐の民が北の森を襲撃した。一般市民を狙った行動だと思われる。

 幸いに早期に気づき、早々と避難したおかげで被害者は出なかったが、次の日から狩りや採取に参加する者はいなくなった。

 限界が、近づいていた。



    *



「森に火を放とう」

 ホルムヘッドがそう進言したのは、その日の夜の事だった。



 この所、毎日夕食の後、この時間に作戦会議が開かれていた。いかにしてこの状況を乗りきるか、という話し合いは平行線を辿り、ここ二日ほどは現状の報告会と化していた。

 参加者は、摂政であるフィルナーナ、風の民の有力者、各部隊の隊長を併せた、十数名。クリスとクレッドも参加していた。

 今までは自分の領分ではないと不参加だったが、この日、初めて「会議」に顔を出し、いきなりそう意見を述べた。



 皆、ざわめいた。当然だろう。彼らにとって山林は、故郷そのものだ。それを燃やせと言ったのだ。もちろん、どう受けとめられるか承知の上での事だった。

「そんな事、できるわけがないだろう!」

 戦士の一人が声を荒げた。

「山と木は私達にとって大切なもの。それに火を放つなど」

 文官の一人が、うろたえたように言った。

「だからこそ、だよ」

 わざと平然とした態度で。続きを話した。

 風の民と嵐の民は異なる民族ではあるが、習慣は良く似ている。翼を持つもの、山を故郷とするものとしての風習だろう。火の扱いに敏感だし、山を管理する上で最も恐いのは山火事だ。火を放つ、などという事自体、考えに及ばないだろう。

 敵軍はガスティールが介在してはいるが、主力は嵐の民だ。

 そのせいかどうかは不明だが、外輪山麓の森を切り開く事はなく、木々の間に特に頓着する様子もなく陣を敷いている。

 夜にまぎれて同時に複数箇所で火を放てば、間違いなく敵は混乱する。選抜した部隊で陣内を引っ掻き回し、可能であれば物資にも火を付ける。

 上手く行けば一時撤退させる事も出来るし、そうなれば数日は時間を稼げるはずだ。

「心理的な抵抗があるのは、わかる。一度、火計を用いると、次の機会に報復される危険もある。けど、今。少しでも時間を稼ぐには、これしか方法が思いつかない」

 皆、険悪な表情をしていた。フィルナーナが、不安そうな表情で見つめているのが見えた。

「俺もいろいろと考えた。他の策が無いわけじゃないが、準備に時間がかかるし、成功する確率も低い。火計が、一番手っ取り早くて確実に効果を上げる事ができる、最良の策なんだ」

「他人の土地だから、そんな事が言えるのかもしれんがな!」

 戦士が怒りに満ちた声をあげ、数歩前に出た。拳は握り締められている。丸太のような彼の腕で殴られたら、ただでは済むまい。自分ごときでは、躱すことも出来ないだろう。

 それでも、怯むわけにはいかない。

「そんな事は関係ない。死にたくなかったら、やるしかない」

「貴様ッ!」

 激昂して掴みかかってきた。襟首を捕まれ、あっという間に体が宙に吊り上げられる。首が締まり、呼吸ができなくなった。回りにいた人が、すぐに止めに入ったおかげで窒息する事はなかったが。

 仲間に抑えられた戦士は、暴れはしなかったが、此方を睨んでいた。

「山を燃やす位なら、ここで死んだ方がマシだっ!」

 心底、そう思っているのだろう。周りの風の民達も何も言わなかったが、目は同じ事を訴えていた。締められた喉を抑え、咳き込む。クレッドが軽く背中を叩いてくれながら「言い過ぎじゃないか?」と囁いてくる。

「いや。これしかない」

 咳き込みながらも、きっぱりと答える。それは、問いかけに返事をしたようでもあり、自身に言い聞かすようでもあった。立ち上がると一歩前に踏出した。

「あんた、家族はいるか?」

 続けてどう言う言葉を吐くのか、と思っていたのだろう。戦士は拍子抜けしたような表情を浮かべていた。突然の質問にどう答えたら良いのか、わからないようだった。

「家族は、いるのか?」

 再び、同じ事を言った。いる、と答えが返ってきた。家族構成も聞いた。

「妻と、娘だ」

 ぶっきらぼうな返答。そうか、軽く頷くと、頭を掻く。

「では、娘を見殺しにするんだな?」

「なんだと!?」

「そうだろう。火を放つ事が、あんたらにとって辛い選択なのはわかるさ。

 だが、他に手があるのか? 現状を覆す程の戦力はない、食料も残り少ない。市民の緊張も限界だ。他の策を考える時間も、実行する時間もない。

 このままだと、最悪明日にでも暴動が起きかねない。そうなったら、もう誰にも止められない。あっと言う間にこの街は落ちる。それがわかっていながら何も手を打たないのは、家族を見殺しにするのと何が違うんだ!」

 今までにない位、大きな声が出た。自分史上最大かもしれない。

「な、何もしないとは言っていない! どうするか、話し合って」

「それで何日、経った? もう時間がない。今、何か手を打たないといけない。今すぐだ」

「今、だと」

「もし火計を実行するなら、今夜しか無い。ここ数日晴れていたが、明日からは天気が崩れると聞いた……」

 風読みに長けた彼らは、ある程度、天気を予測することが出来る。ある程度と言っても、観測と経験に基づく予想よりは遥かに精度が高い。ホルムヘッドは、比較的仲が良くなった侍女から話を聞いていた。

「脅迫じみた事を言っているのはわかっている。その事に関しては、謝る。

 俺は他所の国の人間で、干渉しすぎているのもわかっている。越権行為だ、無礼だと罰するというのなら、受け入れる。首を飛ばされても文句は言わん。

 けど俺は、間違った事を言っているとは思っていない」

 沈黙が流れた。

 誰も、言い返す者はいなかった。



「貴方は、何故そこまでするのですか?」

 沈黙を破ったのは、フィルナーナだった。普段とは少し雰囲気が違う。風の民として、王の代理として話しているのだろう。

「この戦は、我らフレイアと、かの国との戦いです。貴方はレナリアの人間ですが、使者でもなければ大使でもない。

 我が国に干渉する権利も無ければ、我々を助ける義務もない。いよいよとなれば逃げれば良いし、それを誰も咎めはしません。むしろ、生きて帰り、レナリアに事の次第を伝えるのが貴方の仕事でしょう。

 なのに、なぜそこまでするのですか? 反発される事を承知で、なぜそのような進言をするのですか?」

 ここ数日で、彼女は変わったように思う。責任感に目覚めたと言うか、何かを振り切れたと言うか。威厳のようなものを感じる。

 瞳を見返しながら、返事を考えた。

 けれども、答えは浮かんでこなかった。

「わからない。なんで、だろうな?」

 逆に教えてほしいぐらいだ。何故、こんなに突っ張っているのか。誰かが呆れたように溜息をついた。少しだけ、場の緊張感が溶けたような気がした。

「わからない?」

「ああ」

 我ながら呆れるけどね、と苦笑すると頭を掻いた。そして、けど、と続けた。

「仲間の為。信じているから。仕える国の為。自分の為。

 どれも、そうなんだろうけど、しっくりこない。理由は、本当にわからない」

 その言葉は、その場にいた全員の注目を集めた。

「面倒臭い事は、嫌いだ。本当は、こんな事を言い出す柄じゃない。

 けど、面倒でも、逃げるわけには行かない時も、ある。

 負けるわけには、いかない。そう感じる時がある。そういう事、だと思う」

 もう一度、全員を見まわした。頭を掻く。これ以上、言う事は無い。



「わかりました」

 フィルナーナが、立ち上がった。

「貴方の策に、賭けます。

 全ての責任は私が負います。今すぐに、作戦の立案にかかってください」

 有無を言わさぬ宣言に、その場にいた全員が、それぞれの最敬礼で応じた。



 この夜、ホルムヘッドが発案した火計は、実行に移された。

 夜空を焦がす紅蓮の炎が、風の民の故郷を焼いた。

 代償として、敵を敗走させる事に成功した。
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