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第三章
5 少女は言い切った
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目の前を、ウィーナが歩いていた。
双子の、姉。
物心ついた頃には既に両親はいなかった。死んだのか、捨てられたのかは、わからない。
姉とはずっと一緒だった。
郷には、身寄りのない子どもを集めて育てる施設のような所があった。今思うと、養護施設というより、能力の高い「狼の民」を育成する場所だった。
その時は何とも思わなかったが、戦闘訓練があったり、野外で生活する技術を教えられたりした。余り覚えてはいないが「外の世界」についても教えられたような気がする。一般的に見ると異常でも、結果的にはこれらの経験や知識が、自らの命を救った事になる。
二人は双子だけによく似ていた。髪の色も、肌の色も、背丈も。同じ髪型をして、同じ服を着て、黙っていれば見分けがつかないほど。ただ、目の色だけが違っていた。
リウィーは、右目が緑、左目が青のオッドアイ。
ウィーナは逆で、右目が青、左目が緑だった。
よく似た見た目に反して性格は全く違っていた。明るく、元気で、自由奔放なリウィーに対して、ウィーナはおとなしかったが、小さい頃から頭がよく、子どもながらに大人びた考え方をしており、何事にもきちんとしていた。そんな姉の事が好きで誇らしく思っていた。
二人は狼の民としての血が濃かった。幼い頃から変身能力を発揮することが出来た。何分、昔の記憶なので正確さに自信はないが、狼の郷でも変身まで出来る者は、半分にも満たなかったように思う。また、変身後の体毛。白い狼は、理由はよくわからないが神聖視されていた。大抵は灰色の体毛をしていたと思う。
そんな事から、施設の中とはいえ比較的もてはやされていた。自分が特別だと感じることはなかったが、特殊だとも思っていなかった。
郷が襲撃され、一人になった後しばらくは、変身能力に対して無頓着だった。
人に好かれやすい性格だったようで、多くの人は助けてくれたが、変身能力の事を知られると態度は一変した。手のひらを返される理由がわからず、逃げ惑う内に人間不信というか、人見知りになった。人に怯えながらも一人だけでは生きられない。
「呪われた血」
「魔物の能力」
「獣の落し子」
そんな陰口に怯えながら、各地を転々とした。
何故生きているのか、生きていられたのかは深く考えたことはない。
いつか、一人でも平気になったら、姉の消息を探してみようと思っていた。
クレッド、ホルムヘッドと出会い、フィルナーナを助け、トカゲがついて来て、旅をして。
そこで、運命は奇妙な交差を見せた。
探していたウィーナが、目の前にいる。
*
今夜の事だ。妙な気配を察知したリウィーは、早い段階から夜襲を警戒していた。仕掛けてきた敵を先取り、部屋の前で戦った。
灰色の狼。おぼろな記憶にある、狼の民。仲間が駆けつけ、なんとか撃退した。一瞬、ただの狼かと思ったがそんな訳はない。明らかな意思と目的を持った獣が他に存在するわけがない。
王様が狙われている、という事で上層階に向けて走った。
けど、途中で気づいた。後ろから誰か来る。ウィーナだ。
ホルムヘッドに「後ろから来る敵を食い止める」と伝え、先に行かせた。
廊下の途中で立ち止まっていると、待っていたその人がゆっくりと近づいてきた。灯りの殆どない廊下だが、ハッキリと見える。向こうも、見えているはずだ。
数歩離れた所で立ち止まった。格子がはめられている窓の木蓋が、風雨に煽られてガタガタと音を立てていた。
最初に再会したのは一ヶ月より前になるか。ネートンの街の、宿だった。
あの時と同じ言葉を口にした。
「どうして?」
脈絡はない。が、通じているはずだ。侵略者であるガスティールに何故従っているのか、という意味だ。
「お前こそ、何故そこにいる」
何故。リウィーとしては、意外な問いだった。
「友達がいるから……仲間がいるから」
「友達は、家族より大切なのか。一族の皆は、仲間ではないのか」
「そっちから攻撃しておいて、よく言う」
「猶予は与えたはずだ。投降するように、問いかけもした」
「あー、思い出した。ウィーナって昔からそうだよね。上からというか」
しばらく沈黙した後、姉は鼻で笑うと「そうだったかな」と頷いた。
「まだ、私の問いに答えてないよ。どうして、ガスティールに従っているの?」
「逆に聞くが、お前は何故、フレイアに従っている?」
「……? 従って? いる、わけじゃないよ。私は、私の意思で、友達を助けているだけ」
「では、お前は自らの意思で、ガスティールに従っても良いと思えるなら、此方側につくという事だな」
意味がわからなかった。何故そうなる。
「私は、私の意思で、ガスティールに従っている。理由を話そう」
郷が、襲撃された。二人で山奥に逃げ、リウィーは川に落ちた。その後の話だ。
襲ってきた人間は、南大陸のとある国の貴族たちだった。彼らの国では、自分達一族は人とは見做されていなかった。特異な能力故に。人に似た、何か。
狼の民は、変身した姿で絞めると、元の姿には戻らない。身体は、観賞用に剥製にされたり、毛皮を剥いで衣服に利用されたりした。
血の濃い者を選別し「繁殖用」として飼われたりもした。変身能力を持たない者は、最下層の奴隷として使い捨てられた。同じ人間から、家畜同然、それ以下の扱いを受けた。ウィーナは特に珍しい白狼だったので重労働はなかったし、食うに困るという事もなかった。
いずれ繁殖用として。
成長するまでは愛玩用として。腐った貴族共の欲望の捌け口にされた。
「……祝福の力が、そんな」
「これは! 神の祝福などではない。神の呪いだ」
そんな地獄から救ってくれたのがガスティールだった。「とある国」に突如宣戦布告、わずか一ヶ月余りで、かの国全土を制圧した。狼の民は開放された。自身を「飼って」いた貴族をどうするかは、自らの意思に委ねられた。
ウィーナは。その貴族の、一族全員の首を、我が手で切り裂いた。
南大陸は人種差別や奴隷制度が色濃く残る地で、多くの人々が虐げられている。ガスティールは、それらを開放する為に戦っていた。
共感した。虐げられる人々を、解放する為に戦う。
「で、でも! 風の民は何もしていない!」
この話が事実なら、ガスティールの「侵攻」には、明確な理由がある事になる。
けど、嵐の民を奴隷になんかしていない。攻撃される理由がない。
「本当に、そうかな?」
姉は、やはり知らなかったか、と呟いた。
「風の民が、フレイアが、かつては南の大帝国だった事を知っているか」
「どういう事」
千年ほど昔。風の民が治める国は、南大陸のほぼ全域を支配下に治める一大帝国だった。国名は今のそれとは異なるが、翼を持つものこそ人間の上位種であるとして、今に残る奴隷制度や人種差別の元を作った。高圧的かつ独善的な政策は後を立たず、ついには同じ「翼の民」である嵐の民でさえ、自分達より一段劣る存在とし、強固な階級社会を築いた。
帝国に対する反発は高まった。皇帝は反乱を恐れ、北大陸と南大陸を遮っている広大な山岳地帯に密かに都市を築いた。
南東部で勃発した反乱は、東大陸の支援を受けて激化。帝国の体制が瓦解する中、風の民の有力者と、一部の嵐の民は、密かに山中に築いた都市に逃げ込んだと言われている。
以後、翼の民は国家としては滅亡したと思われていた。
約二百年前に嵐の民が独立したのを切欠に、南大陸の国々と交易を始め、その存在が少しずつ知られていった。
これらの事実を知るに至ったガスティールは、数年前から嵐の民に接触。
風の民に憎悪を抱く人を集め、支援し、フレイアに戦を仕掛けたのだ。
「風の民が、帝国。支配者、だった?」
「そうだ。責められるに足る、充分な理由がある」
そうなのか。風の民は、悪い事をした? かつて、自分達を虐げてきた、のか。
だからガスティールは攻撃する。かつての支配者を滅ぼす為に? 恨みを晴らす、ため?
「何か、おかしくない? それだけの理由で」
「それだけ、だと?」
声に、怒りの色が混じった。
「リウィー、お前は狼の民だからと、虐げられたことが無い、というのか? 歓迎された事があるというのか!」
「そんな事は、ないよ。ウィーナほどじゃないけど、酷い目にあった事は何度もある」
「ならば!」
「けど!」
けれども。
「みんな、全ての人が悪意を持っていたわけじゃない。優しい人だっていた。狼の民の事を、よく知らないから怖がっていただけで」
「そんな事は!」
「それに! 狼の民だって知ってからも、変わらない人だっている。優しいままの人も、いる!」
人は、わからないから恐れる。攻撃的な人もいる。差別する人も無くならない。
けど、偏見があっても、知って、知ろうとして、理解ろうとする事が出来る人だっている。
わかりあえる人も、少なからずいる。
虐げられたからと言って、全てを暴力で解決しようとするなら、虐げる人間とその本質はなんら変わらない。
「暴力で解決しようとするだけでは、駄目なんだよ!」
「綺麗事を言うな!」
短剣を抜くのを見て、リウィーは反射的に小剣を構えた。それを見たウィーナが、勝ち誇ったような顔をした。
「その剣は、暴力で解決するという事と何が違うのだ!」
返答に詰まった。これは、確かに、そうなのかもしれない。綺麗事を言っているという自覚はある。
しかし、今目の前で武器を振りかざす相手に、話合いで解決しようと訴え、無抵抗の意思を伝えても、結果としては死体が一つ、転がるだけだ。
抵抗する事と力で解決する事は違う、とは思うが、上手く説明する事ができない。
「わからない。けど、その言い分が、おかしいのはわかる」
「お前は」
「今! ウィーナが剣を抜いているのだって! 私に言われて、どこかでそう感じているから、怒ったんでしょ!
完全に信じているなら、説得すればいい。うまく説明出来ないから、無理矢理にでも。
だから、剣、なんでしょ。
それって、奴隷を支配するのと、どう違うの!?」
ウィーナが、吠えた。短剣を振りかざし、飛びかかってくる。けれど、怒りに任せた雑な攻撃だった。リウィーは持っていた小剣を投げ捨て、振り下ろされた腕を掴んだ。
勢いをそのままに、腕の下に肩を入れて一回転。背中から床に叩きつけた。
投げた衝撃で短剣が床に落ちた。すぐさま蹴り飛ばす。音を立てて、廊下の向こうに転がっていった。
ウィーナは床を転がり、距離を取って立ち上がった。目が冷静さを取り戻していた。
なんと言えばいいか、迷った。姉を説得するだけの言葉が、自分にはない。
「私は、わかってくれる人もいるって言ったけど。まだ怖い。恐れているよ」
ホルムヘッドには偶然見られてしまった。が、アレは只の変人だった。
クレッドにはヒゲが言いふらした。けど、そういう偏見を持つ人間ではなかった。
たまたま、良い人だったのか。
良い人だったから、距離が近くなって、知られてしまったのか。
それはわからない。
今、新しい仲間が二人いる。翼と、鱗をもつ、普通ではない二人。もし事実を伝えたとしたら。……分かってくれると思う。分かってくれると信じたい。
けど、怖い。もし、もしも。拒絶されたとしたら。耐えられるかどうか、自信はない。
「それは、怖いから。勇気がないから。仲間を、友達を。信じて、ない……から」
信じて、いないのか。
フィルナーナはそんな人じゃない。人がどうだからと言って、優しさが反転するような、偽りの心を持っているような人じゃない。
トカゲは、クリスは。人を虐げたりは絶対しない。人を虐げることは、自らを虐げることに他ならない。誇り高いあの人が、そんな事をするはずがない。
大丈夫。あの二人を信じられる。
言えないのは、心が弱いからだ。
「いや、やっぱり信じている。だから、言う。私の事をきちんと話す。
それで、だから何ってわけじゃないけど。そこから始めて、ウィーナを説得する!
ガスティールの間違いを、私が証明してみせる!」
言った。ひとまず、言いきった。
しばらく無言だったが、すぐさま否定される事もなかった。
「いいだろう。出来るのならば証明してみせろ。だが、そんなに時間は残されていないぞ」
声に、少し優しさが戻っていた。匂いも。
いつかの、懐かしい匂い。
「次だ。次に会った時、決着をつける。
その時納得の行く答えでなかった時は。本気で、戦う」
リウィーとウィーナは、性格が違う。けれど、考えている事は理解できる。
この目は、本気だ。
ここで怖気づいたら、今すぐ殺す気で襲いかかってくるだろう。
「お前も、覚悟を決めておけ」
後ろに下がっている。撤退する気だろう。
「わかった」
直後、振り返って走り出した。あっという間に視界から消えた。
(私が、必ず)
一人残されたリウィーは、自分の決意をもう一度、心のなかで呟いた。
双子の、姉。
物心ついた頃には既に両親はいなかった。死んだのか、捨てられたのかは、わからない。
姉とはずっと一緒だった。
郷には、身寄りのない子どもを集めて育てる施設のような所があった。今思うと、養護施設というより、能力の高い「狼の民」を育成する場所だった。
その時は何とも思わなかったが、戦闘訓練があったり、野外で生活する技術を教えられたりした。余り覚えてはいないが「外の世界」についても教えられたような気がする。一般的に見ると異常でも、結果的にはこれらの経験や知識が、自らの命を救った事になる。
二人は双子だけによく似ていた。髪の色も、肌の色も、背丈も。同じ髪型をして、同じ服を着て、黙っていれば見分けがつかないほど。ただ、目の色だけが違っていた。
リウィーは、右目が緑、左目が青のオッドアイ。
ウィーナは逆で、右目が青、左目が緑だった。
よく似た見た目に反して性格は全く違っていた。明るく、元気で、自由奔放なリウィーに対して、ウィーナはおとなしかったが、小さい頃から頭がよく、子どもながらに大人びた考え方をしており、何事にもきちんとしていた。そんな姉の事が好きで誇らしく思っていた。
二人は狼の民としての血が濃かった。幼い頃から変身能力を発揮することが出来た。何分、昔の記憶なので正確さに自信はないが、狼の郷でも変身まで出来る者は、半分にも満たなかったように思う。また、変身後の体毛。白い狼は、理由はよくわからないが神聖視されていた。大抵は灰色の体毛をしていたと思う。
そんな事から、施設の中とはいえ比較的もてはやされていた。自分が特別だと感じることはなかったが、特殊だとも思っていなかった。
郷が襲撃され、一人になった後しばらくは、変身能力に対して無頓着だった。
人に好かれやすい性格だったようで、多くの人は助けてくれたが、変身能力の事を知られると態度は一変した。手のひらを返される理由がわからず、逃げ惑う内に人間不信というか、人見知りになった。人に怯えながらも一人だけでは生きられない。
「呪われた血」
「魔物の能力」
「獣の落し子」
そんな陰口に怯えながら、各地を転々とした。
何故生きているのか、生きていられたのかは深く考えたことはない。
いつか、一人でも平気になったら、姉の消息を探してみようと思っていた。
クレッド、ホルムヘッドと出会い、フィルナーナを助け、トカゲがついて来て、旅をして。
そこで、運命は奇妙な交差を見せた。
探していたウィーナが、目の前にいる。
*
今夜の事だ。妙な気配を察知したリウィーは、早い段階から夜襲を警戒していた。仕掛けてきた敵を先取り、部屋の前で戦った。
灰色の狼。おぼろな記憶にある、狼の民。仲間が駆けつけ、なんとか撃退した。一瞬、ただの狼かと思ったがそんな訳はない。明らかな意思と目的を持った獣が他に存在するわけがない。
王様が狙われている、という事で上層階に向けて走った。
けど、途中で気づいた。後ろから誰か来る。ウィーナだ。
ホルムヘッドに「後ろから来る敵を食い止める」と伝え、先に行かせた。
廊下の途中で立ち止まっていると、待っていたその人がゆっくりと近づいてきた。灯りの殆どない廊下だが、ハッキリと見える。向こうも、見えているはずだ。
数歩離れた所で立ち止まった。格子がはめられている窓の木蓋が、風雨に煽られてガタガタと音を立てていた。
最初に再会したのは一ヶ月より前になるか。ネートンの街の、宿だった。
あの時と同じ言葉を口にした。
「どうして?」
脈絡はない。が、通じているはずだ。侵略者であるガスティールに何故従っているのか、という意味だ。
「お前こそ、何故そこにいる」
何故。リウィーとしては、意外な問いだった。
「友達がいるから……仲間がいるから」
「友達は、家族より大切なのか。一族の皆は、仲間ではないのか」
「そっちから攻撃しておいて、よく言う」
「猶予は与えたはずだ。投降するように、問いかけもした」
「あー、思い出した。ウィーナって昔からそうだよね。上からというか」
しばらく沈黙した後、姉は鼻で笑うと「そうだったかな」と頷いた。
「まだ、私の問いに答えてないよ。どうして、ガスティールに従っているの?」
「逆に聞くが、お前は何故、フレイアに従っている?」
「……? 従って? いる、わけじゃないよ。私は、私の意思で、友達を助けているだけ」
「では、お前は自らの意思で、ガスティールに従っても良いと思えるなら、此方側につくという事だな」
意味がわからなかった。何故そうなる。
「私は、私の意思で、ガスティールに従っている。理由を話そう」
郷が、襲撃された。二人で山奥に逃げ、リウィーは川に落ちた。その後の話だ。
襲ってきた人間は、南大陸のとある国の貴族たちだった。彼らの国では、自分達一族は人とは見做されていなかった。特異な能力故に。人に似た、何か。
狼の民は、変身した姿で絞めると、元の姿には戻らない。身体は、観賞用に剥製にされたり、毛皮を剥いで衣服に利用されたりした。
血の濃い者を選別し「繁殖用」として飼われたりもした。変身能力を持たない者は、最下層の奴隷として使い捨てられた。同じ人間から、家畜同然、それ以下の扱いを受けた。ウィーナは特に珍しい白狼だったので重労働はなかったし、食うに困るという事もなかった。
いずれ繁殖用として。
成長するまでは愛玩用として。腐った貴族共の欲望の捌け口にされた。
「……祝福の力が、そんな」
「これは! 神の祝福などではない。神の呪いだ」
そんな地獄から救ってくれたのがガスティールだった。「とある国」に突如宣戦布告、わずか一ヶ月余りで、かの国全土を制圧した。狼の民は開放された。自身を「飼って」いた貴族をどうするかは、自らの意思に委ねられた。
ウィーナは。その貴族の、一族全員の首を、我が手で切り裂いた。
南大陸は人種差別や奴隷制度が色濃く残る地で、多くの人々が虐げられている。ガスティールは、それらを開放する為に戦っていた。
共感した。虐げられる人々を、解放する為に戦う。
「で、でも! 風の民は何もしていない!」
この話が事実なら、ガスティールの「侵攻」には、明確な理由がある事になる。
けど、嵐の民を奴隷になんかしていない。攻撃される理由がない。
「本当に、そうかな?」
姉は、やはり知らなかったか、と呟いた。
「風の民が、フレイアが、かつては南の大帝国だった事を知っているか」
「どういう事」
千年ほど昔。風の民が治める国は、南大陸のほぼ全域を支配下に治める一大帝国だった。国名は今のそれとは異なるが、翼を持つものこそ人間の上位種であるとして、今に残る奴隷制度や人種差別の元を作った。高圧的かつ独善的な政策は後を立たず、ついには同じ「翼の民」である嵐の民でさえ、自分達より一段劣る存在とし、強固な階級社会を築いた。
帝国に対する反発は高まった。皇帝は反乱を恐れ、北大陸と南大陸を遮っている広大な山岳地帯に密かに都市を築いた。
南東部で勃発した反乱は、東大陸の支援を受けて激化。帝国の体制が瓦解する中、風の民の有力者と、一部の嵐の民は、密かに山中に築いた都市に逃げ込んだと言われている。
以後、翼の民は国家としては滅亡したと思われていた。
約二百年前に嵐の民が独立したのを切欠に、南大陸の国々と交易を始め、その存在が少しずつ知られていった。
これらの事実を知るに至ったガスティールは、数年前から嵐の民に接触。
風の民に憎悪を抱く人を集め、支援し、フレイアに戦を仕掛けたのだ。
「風の民が、帝国。支配者、だった?」
「そうだ。責められるに足る、充分な理由がある」
そうなのか。風の民は、悪い事をした? かつて、自分達を虐げてきた、のか。
だからガスティールは攻撃する。かつての支配者を滅ぼす為に? 恨みを晴らす、ため?
「何か、おかしくない? それだけの理由で」
「それだけ、だと?」
声に、怒りの色が混じった。
「リウィー、お前は狼の民だからと、虐げられたことが無い、というのか? 歓迎された事があるというのか!」
「そんな事は、ないよ。ウィーナほどじゃないけど、酷い目にあった事は何度もある」
「ならば!」
「けど!」
けれども。
「みんな、全ての人が悪意を持っていたわけじゃない。優しい人だっていた。狼の民の事を、よく知らないから怖がっていただけで」
「そんな事は!」
「それに! 狼の民だって知ってからも、変わらない人だっている。優しいままの人も、いる!」
人は、わからないから恐れる。攻撃的な人もいる。差別する人も無くならない。
けど、偏見があっても、知って、知ろうとして、理解ろうとする事が出来る人だっている。
わかりあえる人も、少なからずいる。
虐げられたからと言って、全てを暴力で解決しようとするなら、虐げる人間とその本質はなんら変わらない。
「暴力で解決しようとするだけでは、駄目なんだよ!」
「綺麗事を言うな!」
短剣を抜くのを見て、リウィーは反射的に小剣を構えた。それを見たウィーナが、勝ち誇ったような顔をした。
「その剣は、暴力で解決するという事と何が違うのだ!」
返答に詰まった。これは、確かに、そうなのかもしれない。綺麗事を言っているという自覚はある。
しかし、今目の前で武器を振りかざす相手に、話合いで解決しようと訴え、無抵抗の意思を伝えても、結果としては死体が一つ、転がるだけだ。
抵抗する事と力で解決する事は違う、とは思うが、上手く説明する事ができない。
「わからない。けど、その言い分が、おかしいのはわかる」
「お前は」
「今! ウィーナが剣を抜いているのだって! 私に言われて、どこかでそう感じているから、怒ったんでしょ!
完全に信じているなら、説得すればいい。うまく説明出来ないから、無理矢理にでも。
だから、剣、なんでしょ。
それって、奴隷を支配するのと、どう違うの!?」
ウィーナが、吠えた。短剣を振りかざし、飛びかかってくる。けれど、怒りに任せた雑な攻撃だった。リウィーは持っていた小剣を投げ捨て、振り下ろされた腕を掴んだ。
勢いをそのままに、腕の下に肩を入れて一回転。背中から床に叩きつけた。
投げた衝撃で短剣が床に落ちた。すぐさま蹴り飛ばす。音を立てて、廊下の向こうに転がっていった。
ウィーナは床を転がり、距離を取って立ち上がった。目が冷静さを取り戻していた。
なんと言えばいいか、迷った。姉を説得するだけの言葉が、自分にはない。
「私は、わかってくれる人もいるって言ったけど。まだ怖い。恐れているよ」
ホルムヘッドには偶然見られてしまった。が、アレは只の変人だった。
クレッドにはヒゲが言いふらした。けど、そういう偏見を持つ人間ではなかった。
たまたま、良い人だったのか。
良い人だったから、距離が近くなって、知られてしまったのか。
それはわからない。
今、新しい仲間が二人いる。翼と、鱗をもつ、普通ではない二人。もし事実を伝えたとしたら。……分かってくれると思う。分かってくれると信じたい。
けど、怖い。もし、もしも。拒絶されたとしたら。耐えられるかどうか、自信はない。
「それは、怖いから。勇気がないから。仲間を、友達を。信じて、ない……から」
信じて、いないのか。
フィルナーナはそんな人じゃない。人がどうだからと言って、優しさが反転するような、偽りの心を持っているような人じゃない。
トカゲは、クリスは。人を虐げたりは絶対しない。人を虐げることは、自らを虐げることに他ならない。誇り高いあの人が、そんな事をするはずがない。
大丈夫。あの二人を信じられる。
言えないのは、心が弱いからだ。
「いや、やっぱり信じている。だから、言う。私の事をきちんと話す。
それで、だから何ってわけじゃないけど。そこから始めて、ウィーナを説得する!
ガスティールの間違いを、私が証明してみせる!」
言った。ひとまず、言いきった。
しばらく無言だったが、すぐさま否定される事もなかった。
「いいだろう。出来るのならば証明してみせろ。だが、そんなに時間は残されていないぞ」
声に、少し優しさが戻っていた。匂いも。
いつかの、懐かしい匂い。
「次だ。次に会った時、決着をつける。
その時納得の行く答えでなかった時は。本気で、戦う」
リウィーとウィーナは、性格が違う。けれど、考えている事は理解できる。
この目は、本気だ。
ここで怖気づいたら、今すぐ殺す気で襲いかかってくるだろう。
「お前も、覚悟を決めておけ」
後ろに下がっている。撤退する気だろう。
「わかった」
直後、振り返って走り出した。あっという間に視界から消えた。
(私が、必ず)
一人残されたリウィーは、自分の決意をもう一度、心のなかで呟いた。
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