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第三章
4 戦士は戦慄した
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クレッドは遊撃部隊で戦った。
隊には、個性的な人間が多くいた。農夫、狩人、鍛冶師。祝福の使い手。傭兵に冒険者。
暇を見つけて話しかけるようにした。嵐の民もいた。特徴や能力を聞きたいと思った。気を遣ったが、このような状況下にも関わらず気さくに応じてくれた。
そこで分かったことは、敵もまた人であるという事だった。風の民は、嵐の民の運動能力や戦闘力を恐れているが、嵐の民もまた、風の民を恐れている。風を操る祝福は超常的に見え、特に高速飛行中に相対すると非常に危険だ。実際には威力も回数も、制限や個人差があるので、そこまで強力な力ではない。
嵐の民も、平均的には身体能力が優れているが、あくまで平均であって人によって違いはある。体格が劣る者、精神的に弱いものも沢山いる。印象ほど猛々しい一族ではないのだ。戦という状況の中で相手の事が過剰に大きく見えるというのは、こういう事だろう。
初日から戦闘に参加したが、思っていたよりも身体が動いた。
初めは調子が良いだけかと思ったが、戦いを重ねるにつれ、自分が強くなっている事を実感した。訓練の成果が出ているのだろうか。クリスには「調子に乗るな」と諌められたが。
フィルナーナは当然、矢面に立たせることは出来ない。リウィーは、一対一ならともかく、集団戦には向いていない。危険察知能力を生かしてフィルナーナの護衛についてもらっている。
ホルムヘッドは自己申告で前線には立たないことになった。
その為、クリス以外の旅の仲間と会えるのは夜だけだった。
毎日、夕方になると敵軍は撤退する。日の入りと共にその日は終了となり、陣地に戻って夕食を摂る。正規兵は兵舎があるが、部隊の仲間は皆義勇兵なので、家に帰るか、臨時の宿舎で泊まるか。中には酒場で騒いだり、色街に繰り出したりする剛の者もいるようだ。こんな時にそういった所が営業しているのかとも思ったが、同じ部隊の傭兵に言わせると「こういう時だからこそ」らしい。何度か誘われたが、丁重に断った。
旅の仲間達は客人扱いになっているため、城の客間で寝泊まりをしている。
リウィーは警護と称してフィルナーナの私室で寝ているので、残る三人で一部屋に寝る。
クリスは同室である事を気にもとめていない。部屋に戻ってくるなり、皮の胸当てを脱ぎだす。長い手足に豊かな胸、凛々しい美女が平気で裸になるのだから、目のやり場に困る。一度、指摘してみたら「見たくないなら目を逸らせ」と言われた。眼中にないし、怖くもないのだろう。確かに仮にホルムヘッドと二人がかりで襲ったとしても、首が二つ転がるだけだ。
普段はそんな感じなのだが、この日は違った。部屋に戻り、鎧を脱ごうとしたら「待て」と止められた。
「今夜は、嫌な予感がする」
開戦当初から警戒していた夜襲は、未だ一度もない。この日は夕刻から降り出した雨が、夜になっても降り続けていた。嵐の民は濡れると身体が重くなり、飛べない。まさかこんな日に夜襲はない、と皆思うだろう。
「私だったら、今夜決行する」という言葉に、それなら二人にも警告しておくべきだ、と言う事で、全員で上の階に向かった。
*
階段を上がると異様な静けさに包まれていた。所々に設置されている燭台に火が灯っていた。歩哨が立っているはずが、人影は見当たらない。変わりに血の匂いがした。
この階にはフィルナーナの部屋がある。思わず走り出した。
アポソリマの城は、城というより塔に近い造りをしており、上層階は回廊状になっている。階段を登って廊下を一周すると次の階段があり、内側が部屋になっているという構造だ。薄暗い灯りの中、角を曲がると部屋の前の廊下で三つの影が交差していた。
一つは、リウィーだ。何者かと戦っていた。
大声を上げた。注意を引く為だ。そのまま走り、影に向かって剣を突き出す。
影は攻撃を躱すと急転し、頭目掛けて襲いかかってきた。あっと思ったが、いつの間にか横にまで間合いを詰めていたクリスの剣が、それの首を切り払っていた。
奥を見ると、祝福で援護を受けたリウィーが、相対した影に小剣を突き立てている所だった。それはすぐに動かなくなった。
「大丈夫か?」
「うん、助かったよ」
フィルナーナも無事だ。走り寄ってきて、少女の身体を確認していた。二人ともまだ着替えてなかったようで、いつもと同じ格好だった。
遅れてやってきたホルムヘッドが、どこからか調達した手持灯を片手に、影を検分する。
「こいつら、狼の民か」
照らされていたのは、灰色の狼の、胴体だった。
変身している最中に死ぬと元に戻らないのか、と思ったが、口にするのはやめておいた。
「フィナを、狙ってきた?」
疑問を口にしたが、クリスに「まさか」と返された。
「たまたまか、陽動か。狙われる理由がないとは言わないけど、やるなら本命は」
「お父様!」
フィルナーナが弾けたように走りだした。慌てて後を追った。
真っ直ぐに王の私室に向かう。途中の廊下の、所々に兵士が倒れていた。むせ返るような血の匂い。申し訳無いが、息があったとしても助けている余裕はない。
一気に部屋がある階層まで登る。扉は開け放たれていた。中に踏み込む。そこにも兵士が倒れていた。奥に国王フェルディナンと、誰かが向かい合っていた。
「お父様! ご無事ですか」
「フィナ!? 来るな、逃げろ!」
フェルディナンが叫んだ。人影が、振り返った。
女だ。真っ直ぐな黒髪は、腰を越えて足元に届きそうなほどに伸びていた。引き締まっているが立体的な体を、僅かな布が覆っている。鋭い目。色のない唇が、薄く開いた。
「第三王女と、その護衛か」
女性にしては、低い声。抑揚はあまりなく、事実を確認しただけ、といった感じだ。
すぐさま飛びかかろうとしたが、寸前で思いとどまった。
戦士としての本能が、警戒を発していたのだ。
見た目、鎧も着ていなければ武器も持っていない。何かの隠し武器を持っている風でもない。まったくの丸腰だ。なのに、危険だと感じた。何故だかわからないが、そう思った。
「同時に行く」
僅かな間を空け、クリスが口を開いた。
「フィナ、援護を! ホルムヘッドは手を出すな!」
赤鱗の戦士が叫んだ。クレッドも反応し、向かって右側に回り込んだ。息を合わせ、ほぼ同時に斬撃を叩き込む。鈍い音と感触。二人の剣は、手によって受けとめられていた。
素手で刃を掴んでいる。全く切れていない。
さらに、押せども引けどもピクリとも動かない。とてつもない力だ。見た目はそうは見えない。腕や肩も、特別太いと言うわけではない。なのに、完全に力負けしている。
(どうなっているんだ!?)
女は突然、右手で掴んでいた片刃の剣を離し、その主の腹部に蹴りを叩き込んだ。女戦士が後ろに吹き飛ばされる。続けざまに、空いた右手を此方に向けて振るってきた。
反射的に盾で受け止める。激しい衝撃。剣を受けとめた事といい、この衝撃といい。素手でこれでは、辻褄が合わない。これも祝福の力なのだろうか。
背後からフィルナーナの声がした。掴まれていた剣が急に軽くなったと思うと、目の前から女の姿がかき消えた。次の瞬間、面前の空間に強風が吹き荒れた。近くにいたので巻き込まれ、転倒してしまった。
起き上がると、女はクリスと切り合っていた。腕や手で刃を受け止め、あるいは受け流す。鉄以上の強度になっているように見えた。両腕なので二刀流。間合いは短いが、小回りの良さと切れ味は相対する片手剣以上だ。「手」なので掴むこともできる。
クリスは反撃に浅い傷を追いながらも、際どい所で踏みとどまっている。技量以上に、初めての戦い方に戸惑っているように見えた。それでも一見で対抗できているあたり、凄い。慌てて援護に入ったが、大して役に立てなかった。
動きが速い。敏捷性はリウィー以上。攻撃の速度と的確さはクリスに匹敵する。力は、自分とは比べようもなく強い。何よりやりづらい。徒手空拳とはまた違う。短剣とも違う。独特の戦い方に戸惑う。頭で分かっていても、体がついていかない。
このままでは勝てない。騒ぎを聞きつけて、兵士が集まってくるのを待つしか無い。そう考え、手数を減らし、防御に重点を置いた。出来るだけ引き付ける。その間に牽制してもらい、時間を稼ぐ。僅かな動きで意思は伝わったようだった。
防御重視なら金属の鎧を着ている分、持ちこたえられる。急所さえ見せなければ。
不用意に手を出さない。当てなくて良い、小さく、鋭く。左腕を出来るだけ伸ばさない。受け止めるだけで良い。
盾で視界が遮られる分、足元には注意を払う。なるべく姿勢を低く、腹や内腿への刺突を防ぐ。愛用の鎧は野外での行動も配慮しており、全身を覆う形状ではない。軽量だが手足の内側や脇腹部分の装甲は薄い。必然、敵もそこを狙ってくるので、防御もそれに応じた技法を習得している。
今、装備している盾は、徒歩で戦う戦士が持つものとしては比較的大型のものだ。身体を小さく、姿勢を低くすれば、全身の殆どの部分を守ることが出来る。
反面、視界を遮ってしまう。大抵の相手なら経験から大体の位置を予測できるが、動きの速い者には通用しないことが多い。
かざした盾に伝わる衝撃が、不意に無くなった。前を見ると姿がない。
稽古の時、何度もやられた。盾で防がせ、死角に移動するという揺動だ。殆どの場合、正面を見て左、盾を持つ側へ回り込まれる。
体が勝手に動いた。向かって右側に回転し、振りかえり様に剣を横に振るう。確信はなく、訓練から身についた反射だった。
僅かに、刃先に手応えが感じられた。間合いから二歩ほど離れた所に影が見えた。右の肩に、少しだったが傷を負わせていた。
驚いたような表情。此方と右肩を交互に見比べている。
左手で傷を拭い、血を口で舐めとる。唇が、赤く染まる。少しだけ、口角が上がった。笑っている。
「気に入ったわ」
無造作に、近づいてきた。一歩、二歩。胴を狙って、刺突。避けない。届く、と思った攻撃は、指先で止められていた。
引っ張る。動かない。剣先を摘まれていた。
目が合う。じっと、様子を伺っている。
「名は?」
沈黙が流れた。自分の名前を聞いているのだと理解するまで、少しだけ時間がかかった。
「……クレッド」
答える義理はないのだが、魅入られたように口にしてしまった。
「名前、なんて」
何の意味がある。
「相手の名前は、覚えておく。殺したら、忘れる。今日は余り時間がない」
淡々とした目。獲物の名前を覚える。只、それだけ。感情が見えない。
同じ人間の目か、と思った。
いきなり、軽くなった。引いた所に併せて剣を離された。釣り合いが崩れて数歩下がる。
女は息を吸い込むと、突然、吠えた。大型の肉食獣を思わせる咆哮。それを聞いた途端、体から力が抜けていくのを感じた。
頭ははっきりしているが、体に力が入らない。たまらず膝をついた。
「お父様!」
声が聞こえた。力を振り絞って振り返ると、いつの間にか部屋の入口側まで回り込んでいたフェルディナンに、黒い影が迫っていた。
間に立ち塞がる、翼の姫。腕を縦に振るい、同時に発生した風の刃が、敵を襲う。
交差気味で通常なら絶対に避けられないが、それは超人的な反射速度で躱した。
左手が姫の胸元に迫る。だが、手刀が貫いたのは、娘ではなく、父親だった。
わずかな時間の出来事。突き飛ばされたフィルナーナが、倒れ込んだ。
フェルディナンは、自らの胸を貫いた腕を両手で抱え込んだ。
最後の力を振り絞り、祝福を行使しようとしていたが、それが発現する事は無かった。
腕が引き抜かれる。崩れ落ちる。
一瞬の間を置いて、部屋に悲鳴が響いた。
娘が、父にすがりつく。ホルムヘッドが、駆け寄る。
徐々にではあるが、体に力が戻ってきた。なんとか立ち上がり、入口に向かった。
血濡れた左腕をそのままに、悠然と前に進む黒色を追う。
「待て!」
思わず声を掛けた。何を言えばいい。
この女は。
相手の名前は、覚えておく、と言っていた。
「お前の、名前は?」
とっさに、口をついた。一瞬、虚を突かれたような表情。薄く、笑っている。
「ケネア」
ほんの少しだけ、感情が見えた気がした。あれは、喜びだろうか。
名乗った影は、扉の向こうの闇に溶けていった。
隊には、個性的な人間が多くいた。農夫、狩人、鍛冶師。祝福の使い手。傭兵に冒険者。
暇を見つけて話しかけるようにした。嵐の民もいた。特徴や能力を聞きたいと思った。気を遣ったが、このような状況下にも関わらず気さくに応じてくれた。
そこで分かったことは、敵もまた人であるという事だった。風の民は、嵐の民の運動能力や戦闘力を恐れているが、嵐の民もまた、風の民を恐れている。風を操る祝福は超常的に見え、特に高速飛行中に相対すると非常に危険だ。実際には威力も回数も、制限や個人差があるので、そこまで強力な力ではない。
嵐の民も、平均的には身体能力が優れているが、あくまで平均であって人によって違いはある。体格が劣る者、精神的に弱いものも沢山いる。印象ほど猛々しい一族ではないのだ。戦という状況の中で相手の事が過剰に大きく見えるというのは、こういう事だろう。
初日から戦闘に参加したが、思っていたよりも身体が動いた。
初めは調子が良いだけかと思ったが、戦いを重ねるにつれ、自分が強くなっている事を実感した。訓練の成果が出ているのだろうか。クリスには「調子に乗るな」と諌められたが。
フィルナーナは当然、矢面に立たせることは出来ない。リウィーは、一対一ならともかく、集団戦には向いていない。危険察知能力を生かしてフィルナーナの護衛についてもらっている。
ホルムヘッドは自己申告で前線には立たないことになった。
その為、クリス以外の旅の仲間と会えるのは夜だけだった。
毎日、夕方になると敵軍は撤退する。日の入りと共にその日は終了となり、陣地に戻って夕食を摂る。正規兵は兵舎があるが、部隊の仲間は皆義勇兵なので、家に帰るか、臨時の宿舎で泊まるか。中には酒場で騒いだり、色街に繰り出したりする剛の者もいるようだ。こんな時にそういった所が営業しているのかとも思ったが、同じ部隊の傭兵に言わせると「こういう時だからこそ」らしい。何度か誘われたが、丁重に断った。
旅の仲間達は客人扱いになっているため、城の客間で寝泊まりをしている。
リウィーは警護と称してフィルナーナの私室で寝ているので、残る三人で一部屋に寝る。
クリスは同室である事を気にもとめていない。部屋に戻ってくるなり、皮の胸当てを脱ぎだす。長い手足に豊かな胸、凛々しい美女が平気で裸になるのだから、目のやり場に困る。一度、指摘してみたら「見たくないなら目を逸らせ」と言われた。眼中にないし、怖くもないのだろう。確かに仮にホルムヘッドと二人がかりで襲ったとしても、首が二つ転がるだけだ。
普段はそんな感じなのだが、この日は違った。部屋に戻り、鎧を脱ごうとしたら「待て」と止められた。
「今夜は、嫌な予感がする」
開戦当初から警戒していた夜襲は、未だ一度もない。この日は夕刻から降り出した雨が、夜になっても降り続けていた。嵐の民は濡れると身体が重くなり、飛べない。まさかこんな日に夜襲はない、と皆思うだろう。
「私だったら、今夜決行する」という言葉に、それなら二人にも警告しておくべきだ、と言う事で、全員で上の階に向かった。
*
階段を上がると異様な静けさに包まれていた。所々に設置されている燭台に火が灯っていた。歩哨が立っているはずが、人影は見当たらない。変わりに血の匂いがした。
この階にはフィルナーナの部屋がある。思わず走り出した。
アポソリマの城は、城というより塔に近い造りをしており、上層階は回廊状になっている。階段を登って廊下を一周すると次の階段があり、内側が部屋になっているという構造だ。薄暗い灯りの中、角を曲がると部屋の前の廊下で三つの影が交差していた。
一つは、リウィーだ。何者かと戦っていた。
大声を上げた。注意を引く為だ。そのまま走り、影に向かって剣を突き出す。
影は攻撃を躱すと急転し、頭目掛けて襲いかかってきた。あっと思ったが、いつの間にか横にまで間合いを詰めていたクリスの剣が、それの首を切り払っていた。
奥を見ると、祝福で援護を受けたリウィーが、相対した影に小剣を突き立てている所だった。それはすぐに動かなくなった。
「大丈夫か?」
「うん、助かったよ」
フィルナーナも無事だ。走り寄ってきて、少女の身体を確認していた。二人ともまだ着替えてなかったようで、いつもと同じ格好だった。
遅れてやってきたホルムヘッドが、どこからか調達した手持灯を片手に、影を検分する。
「こいつら、狼の民か」
照らされていたのは、灰色の狼の、胴体だった。
変身している最中に死ぬと元に戻らないのか、と思ったが、口にするのはやめておいた。
「フィナを、狙ってきた?」
疑問を口にしたが、クリスに「まさか」と返された。
「たまたまか、陽動か。狙われる理由がないとは言わないけど、やるなら本命は」
「お父様!」
フィルナーナが弾けたように走りだした。慌てて後を追った。
真っ直ぐに王の私室に向かう。途中の廊下の、所々に兵士が倒れていた。むせ返るような血の匂い。申し訳無いが、息があったとしても助けている余裕はない。
一気に部屋がある階層まで登る。扉は開け放たれていた。中に踏み込む。そこにも兵士が倒れていた。奥に国王フェルディナンと、誰かが向かい合っていた。
「お父様! ご無事ですか」
「フィナ!? 来るな、逃げろ!」
フェルディナンが叫んだ。人影が、振り返った。
女だ。真っ直ぐな黒髪は、腰を越えて足元に届きそうなほどに伸びていた。引き締まっているが立体的な体を、僅かな布が覆っている。鋭い目。色のない唇が、薄く開いた。
「第三王女と、その護衛か」
女性にしては、低い声。抑揚はあまりなく、事実を確認しただけ、といった感じだ。
すぐさま飛びかかろうとしたが、寸前で思いとどまった。
戦士としての本能が、警戒を発していたのだ。
見た目、鎧も着ていなければ武器も持っていない。何かの隠し武器を持っている風でもない。まったくの丸腰だ。なのに、危険だと感じた。何故だかわからないが、そう思った。
「同時に行く」
僅かな間を空け、クリスが口を開いた。
「フィナ、援護を! ホルムヘッドは手を出すな!」
赤鱗の戦士が叫んだ。クレッドも反応し、向かって右側に回り込んだ。息を合わせ、ほぼ同時に斬撃を叩き込む。鈍い音と感触。二人の剣は、手によって受けとめられていた。
素手で刃を掴んでいる。全く切れていない。
さらに、押せども引けどもピクリとも動かない。とてつもない力だ。見た目はそうは見えない。腕や肩も、特別太いと言うわけではない。なのに、完全に力負けしている。
(どうなっているんだ!?)
女は突然、右手で掴んでいた片刃の剣を離し、その主の腹部に蹴りを叩き込んだ。女戦士が後ろに吹き飛ばされる。続けざまに、空いた右手を此方に向けて振るってきた。
反射的に盾で受け止める。激しい衝撃。剣を受けとめた事といい、この衝撃といい。素手でこれでは、辻褄が合わない。これも祝福の力なのだろうか。
背後からフィルナーナの声がした。掴まれていた剣が急に軽くなったと思うと、目の前から女の姿がかき消えた。次の瞬間、面前の空間に強風が吹き荒れた。近くにいたので巻き込まれ、転倒してしまった。
起き上がると、女はクリスと切り合っていた。腕や手で刃を受け止め、あるいは受け流す。鉄以上の強度になっているように見えた。両腕なので二刀流。間合いは短いが、小回りの良さと切れ味は相対する片手剣以上だ。「手」なので掴むこともできる。
クリスは反撃に浅い傷を追いながらも、際どい所で踏みとどまっている。技量以上に、初めての戦い方に戸惑っているように見えた。それでも一見で対抗できているあたり、凄い。慌てて援護に入ったが、大して役に立てなかった。
動きが速い。敏捷性はリウィー以上。攻撃の速度と的確さはクリスに匹敵する。力は、自分とは比べようもなく強い。何よりやりづらい。徒手空拳とはまた違う。短剣とも違う。独特の戦い方に戸惑う。頭で分かっていても、体がついていかない。
このままでは勝てない。騒ぎを聞きつけて、兵士が集まってくるのを待つしか無い。そう考え、手数を減らし、防御に重点を置いた。出来るだけ引き付ける。その間に牽制してもらい、時間を稼ぐ。僅かな動きで意思は伝わったようだった。
防御重視なら金属の鎧を着ている分、持ちこたえられる。急所さえ見せなければ。
不用意に手を出さない。当てなくて良い、小さく、鋭く。左腕を出来るだけ伸ばさない。受け止めるだけで良い。
盾で視界が遮られる分、足元には注意を払う。なるべく姿勢を低く、腹や内腿への刺突を防ぐ。愛用の鎧は野外での行動も配慮しており、全身を覆う形状ではない。軽量だが手足の内側や脇腹部分の装甲は薄い。必然、敵もそこを狙ってくるので、防御もそれに応じた技法を習得している。
今、装備している盾は、徒歩で戦う戦士が持つものとしては比較的大型のものだ。身体を小さく、姿勢を低くすれば、全身の殆どの部分を守ることが出来る。
反面、視界を遮ってしまう。大抵の相手なら経験から大体の位置を予測できるが、動きの速い者には通用しないことが多い。
かざした盾に伝わる衝撃が、不意に無くなった。前を見ると姿がない。
稽古の時、何度もやられた。盾で防がせ、死角に移動するという揺動だ。殆どの場合、正面を見て左、盾を持つ側へ回り込まれる。
体が勝手に動いた。向かって右側に回転し、振りかえり様に剣を横に振るう。確信はなく、訓練から身についた反射だった。
僅かに、刃先に手応えが感じられた。間合いから二歩ほど離れた所に影が見えた。右の肩に、少しだったが傷を負わせていた。
驚いたような表情。此方と右肩を交互に見比べている。
左手で傷を拭い、血を口で舐めとる。唇が、赤く染まる。少しだけ、口角が上がった。笑っている。
「気に入ったわ」
無造作に、近づいてきた。一歩、二歩。胴を狙って、刺突。避けない。届く、と思った攻撃は、指先で止められていた。
引っ張る。動かない。剣先を摘まれていた。
目が合う。じっと、様子を伺っている。
「名は?」
沈黙が流れた。自分の名前を聞いているのだと理解するまで、少しだけ時間がかかった。
「……クレッド」
答える義理はないのだが、魅入られたように口にしてしまった。
「名前、なんて」
何の意味がある。
「相手の名前は、覚えておく。殺したら、忘れる。今日は余り時間がない」
淡々とした目。獲物の名前を覚える。只、それだけ。感情が見えない。
同じ人間の目か、と思った。
いきなり、軽くなった。引いた所に併せて剣を離された。釣り合いが崩れて数歩下がる。
女は息を吸い込むと、突然、吠えた。大型の肉食獣を思わせる咆哮。それを聞いた途端、体から力が抜けていくのを感じた。
頭ははっきりしているが、体に力が入らない。たまらず膝をついた。
「お父様!」
声が聞こえた。力を振り絞って振り返ると、いつの間にか部屋の入口側まで回り込んでいたフェルディナンに、黒い影が迫っていた。
間に立ち塞がる、翼の姫。腕を縦に振るい、同時に発生した風の刃が、敵を襲う。
交差気味で通常なら絶対に避けられないが、それは超人的な反射速度で躱した。
左手が姫の胸元に迫る。だが、手刀が貫いたのは、娘ではなく、父親だった。
わずかな時間の出来事。突き飛ばされたフィルナーナが、倒れ込んだ。
フェルディナンは、自らの胸を貫いた腕を両手で抱え込んだ。
最後の力を振り絞り、祝福を行使しようとしていたが、それが発現する事は無かった。
腕が引き抜かれる。崩れ落ちる。
一瞬の間を置いて、部屋に悲鳴が響いた。
娘が、父にすがりつく。ホルムヘッドが、駆け寄る。
徐々にではあるが、体に力が戻ってきた。なんとか立ち上がり、入口に向かった。
血濡れた左腕をそのままに、悠然と前に進む黒色を追う。
「待て!」
思わず声を掛けた。何を言えばいい。
この女は。
相手の名前は、覚えておく、と言っていた。
「お前の、名前は?」
とっさに、口をついた。一瞬、虚を突かれたような表情。薄く、笑っている。
「ケネア」
ほんの少しだけ、感情が見えた気がした。あれは、喜びだろうか。
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