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第二章
3 彼女はあやふやな口約束をした
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城壁を越えると賑やかな町並みが広がっていた。正面の通りはなだらかな登りで、丘の上にもう一つの城壁。そこに王城の尖塔が一際高くそびえている。
ようやく、ここまで辿り着いた。旅の目的からするとまだまだこれからだが、最初の関門はくぐり抜けることが出来たと、フィルナーナは思った。
あの夜、隣の部屋にいた二人も襲撃を受けていた。クリスティーネが助けに入ったこともあり、撃退には成功したが、流石に大きな騒ぎになってしまった。
このまま此処に留まると憲兵に捕まってしまうかもしれない。迷惑料を押し付けるようにして宿を出た。昼のうちに調達した馬は無事で、馬舎に繋いだままであった。
幸いに見咎められる事は無く、街を離れる事が出来た。
ネートンから二日ほど北上のち、東に折れる。更に二日進むと農村が見え始め、次第に街道沿いに宿や酒場が増えはじめた。様々な店が軒を連ねるようになっていき、最終的には、ほぼ一日がかりで王都外壁に到達した。
ホルムヘッドの説明によると、ハイルナックは二重の城壁に囲まれた都市で、北側は森林と平原が広がっていて狩猟場。南側は内海に面しており、港町が広がっている。東西は主に農地で、主要な街道が通っており、このような巨大な宿場町が形成されている、という事だった。
母国フレイアは国土の殆どが山岳地帯なので、街の規模は大きくなりづらい。始めは物珍しさも相まって街の様子を眺めていたが、なかなか城壁に辿り着かないので、最後の方には少し疲れてしまった。
やっとの事で辿り着いた西門は、ほぼ開け放たれていた。衛兵はいるものの、それ程厳重な警備はされておらず、何事もなく中に入ることが出来た。王城や庁舎、貴族の館などはほぼ全て内壁内にあり、そこの出入りは流石に厳しい。外壁側は商業地が多く、出入りの規制が厳しすぎると経済が停滞してしまうという理由で、平時はゆったりしている。
全く警戒していない、という訳ではない。怪しい人物や過度な武装をしている人間には、衛兵が話しかけるし、荷が多いと検査もされる。宿に泊まっても怪しい人物は通報されるし、場合によっては身分証明や、滞在目的を問われる事もあるそうだ。
城壁内に入ると、早々に宿を決めた。ホルムヘッドは早速、実家に向かうことになった。
「たぶん、今夜は帰らない。明日は適当に観光でもしていてくれ」
そう言い残すと、一人馬に乗って内壁の方へ去っていった。
内心、焦っていた。フレイアを発ってから、一ヶ月近く経過している。出発した時は雨季だった季節は、もうすぐ太陽が最も暑い月、炎陽節を迎えようとしていた。
当たり前だが、戦況は全くわからない。出発直前の見立ては「持って三ヶ月」だった。ここから母国の王都まで、まともに歩けば一ヶ月はかかる。馬を併用したとしても軍隊の足だと同じ程度か、最悪もう半月ほどの時間を見なければならない。即座に軍を動かせる見込みは低いので、準備期間も必要だ。諸々勘案すると、動くのは少しでも早い方が良い。
「三ヶ月」の見立ては、かなり確度が高い。というのも、三ヶ月……今から二ヶ月後には、季節は秋を迎える。フレイアは山国なので、冬の訪れが早い。既に王国南部をほぼ制圧されている状態なので、農地の面積が三分の二に減少している。収穫は今からだが、取れ高は確実に減少し、食糧事情は急速に悪化すると予想されている。
他にも、降雪が早いと行軍の妨げになる。そうなれば援軍の到着が遅れることになる。味方の士気を維持するのもその辺りが限界だろう、という予測だった。
なんとか期限内に援軍を連れて戻る。一日でも早く。
考えれば考えるほど焦ってしまう。長旅で身体は疲れていたが、この日も寝付けない夜を過ごすことになった。
*
明け方になってようやく寝付いたせいか、目が覚めた時にはもう日が高くなっていた。
起き上がると、窓から外を眺めていたリウィーが振り返り、にこやかに「おはよー」と挨拶をよこした。
「おはよう、ございます。今の刻限って」
「んー、もうすぐ正午かな。今日はいい天気だよ」
けらけらと笑っている。ハイルナックまでの旅の間に懐かれたというか、仲良くなったと思う。よく笑いかけてくれる。彼女なりに気遣ってくれているのだろう、努めて明るく振る舞ってくれているのが良く分かる。その笑顔にずいぶん助けられていた。
「起こしてくれたら、良かったのに」
「トカゲがさー、寝かせとけって。疲れてるだろうから、ってさ」
リウィーは相変わらず、クリスティーネの事をトカゲと呼ぶ。そういった蔑称のような呼び方自体、初めて耳にしたので最初はずいぶんと戸惑ったが、この旅の間にそこには悪意がない事を理解した。どちらかと言うと照れ隠しなのだろう。呼ばれる方も、どこか楽しそうにしている。そういう間柄にはちょっと憧れもする。だからといって、自分もそう呼ぶ事は、流石に一生無理そうだけど。
「クリスは?」
「この下でクレッドとじゃれ合ってるよ」
剣の訓練をしている、という事らしい。庭があったのでそこだろう。
「顔を洗って、朝ごはんにしようかー」
「……お昼ごはんですね」
「朝ごはん兼昼ごはんだねー」
少女は楽しそうに笑うと、窓から下の二人に呼びかけていた。
服を着替え、髪を整える。翼を隠す為の外套も忘れず着用する。ようやく習慣づいてきた。屋内で外套を着るのはちょっとおかしいし、この所暑いので大変だ。けれど、まだ出来るだけ目立たないほうが良いと、クリスティーネに言われていた。
殆ど半裸なトカゲはいいけどね、とリウィーは笑っていた。確かに露出度が高いと思う。胸周りは革製の鎧を身に着けているが、腕は肩からむき出し、足も大腿部が見えている。お腹の部分も丸見え。鍛えられた戦士の肉体と鱗のせいであまり目を引かないが、手足も長く胸も大きい。鼻も高く、目も切れ長だが凛とした雰囲気で美しい。髪が短いのが残念だ。もう少し伸ばして綺麗に手入れをして、着るものを着たら誰もが振り返るだろう。
着替えを終えると、一緒に下へ降りた。一階が酒場で二階が宿、という形式の店だ。
クレッドとクリスティーネが既に席についていた。ホルムヘッドの姿は見えなかった。
「ホルムヘッドは?」
席につきながら、一応確認する。
「まだ、だな。夜も戻ってこなかった」
予想通りの返答が返ってきた。わかってはいたものの、焦燥感を感じてしまう。
彼が悪いわけではないし、能力がないわけでもない。むしろ、交渉や折衝は非常に優秀で、ずいぶん助けられている。博識で、物事を洞察する力も高い。持っている知識と今見聞きして知り得た事をかけ合わせ、確度の高い仮説を立てる。なかなか出来る事ではない。
今の状況から最も確率が高く、最も効率の良い方法を選んでくれており、その中で最大限に努力してくれている事だろう。礼を言う事はあっても文句を言うなど、とんでもない。
そう、理解している。わかっている、のだけれども。
彼は、自然体というか、のんびり屋というか、自他共に認める「面倒くさがり」なのだ。公平に見れば仕事は出来るし、むしろ早い方だろう。だけど、言動や態度のせいでそう見えない。損な性格だと思う。
理解している。わかっている。……のだけれども。
早く帰ってきて、と願わずにはいられない。
「今日、この後どうする?」
リウィーが適当に料理を注文している間に、クレッドが問いかけてきた。
「どう、とは」
連絡を待つ、以外に思い浮かばず、首を傾げた。
「昨日、観光とか言ってただろ。あれはつまり、戻ってくるのは早くても夕暮れ以降という意味。今日の昼間はやることがない」
「そうですね。でも、流石に観光という気分にはなれません」
「わかるけどさ。宿にいても気が滅入るだけだし。気分転換に」
言いたいことはわかっている。気を遣ってくれているのも。けれど。
「追手は」
「大丈夫でしょうね」
クリスティーネが口を挟んだ。
「もし襲われるとしたら昨晩だった。こなかった事を考慮すると、ネートンで追手の主戦力は全滅させたと見ていいわ」
宿で襲撃を受けた時、彼女は五人、討ち取っている。クレッドが一人。一人に逃げられたので、合計七人。予備戦力がいたとしても、それ以上残っているとは思えない。また、クリスティーネの抑止力としての存在は大きい。追手もこれ程の戦士が護衛についた事は想定外だろう。少ない戦力では分が悪いと判断するだろうし、彼らの任務を考えると無理をして全滅するより、情報を持ち帰るほうが重要だろう。説明はそういった内容だった。
それでも躊躇する。気休めに出掛けるなど、許されるのだろうか。
「……そうね。私の故郷は内陸で、海を見たことがないの。港の方に散歩でもどうかしら」
考えあぐねているのを見かねたのか、そんな提案をされた。
海。そう言えば、まともに見たことはない。空から遥か遠くに見ることはよくあったが、近くで見たり海水に触ったり、という経験はない。少し気持ちが傾いた。
「じゃあ決定! ご飯食べよう!」
どこからどこまで聞いていたのか、少女が料理を運びながら話を締めくくった。この店は、対面台の席で注文と支払いを済ませ、席までは客自身が運ぶという決まりになっている。この仕組みも昨晩初めて経験した。店員が少ない店なら、合理的だと思う。
店内を見て思った。こういう何でもない経験が、国に帰って落ち着いたら役に立つのかもしれない。少し強引ではあるがそう納得し、周りの気遣いを受け入れることにした。
街中を南に向かう。四半刻も歩くと南門に到着した。城門は少し高い位置にあった。門前から見下ろすように、大きな港町が広がっており、その向こう側に海が見えた。
「私の国では『海は大きい湖』というけど、そのままね」
クリスティーネが感想を述べた。聞けば、故郷の近くに大きな湖があるそうだ。
フレイアは、湖と呼べる大きさのものは少なく、池か泉が多い。レナリアの海は内海だが、大きさとしてはそれらとは比べるまでもない。今までに見た最も大きなものの、十倍でもきかないほどだろう。
「凄く大きいですね……! もう少し、近くに行ってみてもよいですか」
フィルナーナは、思いの外、興奮している自分に気づいていなかった。クレッドが嬉しそうに同意した。
緩やかに下る道の先に、商店や市場が並んでいる。昨日は気づかなかったが、街は活気に満ちていた。
進んでいくと不思議な匂いが鼻についた。何とも形容し難い、嗅いだことのない香りだった。表情に出ていたのか、リウィーが袖を引っ張りながら「これが『磯の香り』というやつだよ」と自慢げに言った。
「海水とか塩の匂いだよ。海の近くにくると匂うんだよ」
「違うわね。磯の香りの正体は、魚や水草、藻などの腐敗臭よ」
得意そうに解説していた所を、クリスティーネが一刀両断。
「な、なんでわかるのさ。トカゲだって海は初めてでしょ」
「私の国は湿地帯が多いし、広い湖はあると言ったでしょう。手入れがされていない水場では、こういう匂いがするものよ」
「うっ……で、でも海は大体匂うけど、湖は匂わないよ!?」
「それは小さい湖だからでしょう。海や大きい湖だと波が発生するから、水草が岸に打ち上げられる。放置されると匂いを出す。特に港があって漁をしていると、網に引っかかった水草を辺りに捨てたりするから、匂いがきつくなるのね」
完璧に論破された少女の反論は、ただの罵倒になっていた。
宥めながらしばらく歩くと、目の前が大きく開けた。
堤防と浜、そして海。目の前の浜には漁船が並べられており、そこでは大勢の人が働いていた。魚を運ぶ者、網を修繕している者、船を掃除する者。東側は少し離れた場所から波止場になっており、商船や、遠くに軍用船が見えた。この内海の西端では最大の港で、貿易としても海上交通としても起点であり、終点でもあるそうだ。
浜に降りる。リウィーが走り出し、クリスティーネがそれについていった。
潮風に舞う髪を抑えながら、海を眺めた。遠くに見える水平線が、青く煙っている。
「とても、広いですね」
初めて間近で見た海に、他の感想が浮かばなかった。
「ここから西に行けば、泳いだり出来る場所があるんだけど、流石に今日は難しいな」
クレッドが少し残念そうだ。
首を横に振る。
確かに、時間も、気持ちにも余裕がない。けれど、海を見る事ができた。天気は良いし、陽の光を反射した波打ち際が、キラキラと美しい。
「充分です。次に来る時の楽しみが出来ます」
此方の様子を伺っているのが、目の端に見えた。照り返す日差しに、目を細めた。
「そうか。なら、次は是非……あっと、翼を見せちゃいけないんだっけ。あと、濡れたら駄目だった、かな?」
慌てたような顔が、微笑ましい。
「お忍びは今だけですよ。それに、私達の翼は濡れても大丈夫です。……こう見えて、泳ぎは得意なのですよ?」
そうなのか、と、照れたような顔。心が、暖かくなる。
「――だから、いつか。楽しみにしていますね」
笑った。何の保証もない、あやふやな口約束だけど。今はこれを大切にしたい。
戻ってきたリウィーが何故か機嫌が悪くなっていた理由は、その時のフィルナーナには、わからなかった。
ようやく、ここまで辿り着いた。旅の目的からするとまだまだこれからだが、最初の関門はくぐり抜けることが出来たと、フィルナーナは思った。
あの夜、隣の部屋にいた二人も襲撃を受けていた。クリスティーネが助けに入ったこともあり、撃退には成功したが、流石に大きな騒ぎになってしまった。
このまま此処に留まると憲兵に捕まってしまうかもしれない。迷惑料を押し付けるようにして宿を出た。昼のうちに調達した馬は無事で、馬舎に繋いだままであった。
幸いに見咎められる事は無く、街を離れる事が出来た。
ネートンから二日ほど北上のち、東に折れる。更に二日進むと農村が見え始め、次第に街道沿いに宿や酒場が増えはじめた。様々な店が軒を連ねるようになっていき、最終的には、ほぼ一日がかりで王都外壁に到達した。
ホルムヘッドの説明によると、ハイルナックは二重の城壁に囲まれた都市で、北側は森林と平原が広がっていて狩猟場。南側は内海に面しており、港町が広がっている。東西は主に農地で、主要な街道が通っており、このような巨大な宿場町が形成されている、という事だった。
母国フレイアは国土の殆どが山岳地帯なので、街の規模は大きくなりづらい。始めは物珍しさも相まって街の様子を眺めていたが、なかなか城壁に辿り着かないので、最後の方には少し疲れてしまった。
やっとの事で辿り着いた西門は、ほぼ開け放たれていた。衛兵はいるものの、それ程厳重な警備はされておらず、何事もなく中に入ることが出来た。王城や庁舎、貴族の館などはほぼ全て内壁内にあり、そこの出入りは流石に厳しい。外壁側は商業地が多く、出入りの規制が厳しすぎると経済が停滞してしまうという理由で、平時はゆったりしている。
全く警戒していない、という訳ではない。怪しい人物や過度な武装をしている人間には、衛兵が話しかけるし、荷が多いと検査もされる。宿に泊まっても怪しい人物は通報されるし、場合によっては身分証明や、滞在目的を問われる事もあるそうだ。
城壁内に入ると、早々に宿を決めた。ホルムヘッドは早速、実家に向かうことになった。
「たぶん、今夜は帰らない。明日は適当に観光でもしていてくれ」
そう言い残すと、一人馬に乗って内壁の方へ去っていった。
内心、焦っていた。フレイアを発ってから、一ヶ月近く経過している。出発した時は雨季だった季節は、もうすぐ太陽が最も暑い月、炎陽節を迎えようとしていた。
当たり前だが、戦況は全くわからない。出発直前の見立ては「持って三ヶ月」だった。ここから母国の王都まで、まともに歩けば一ヶ月はかかる。馬を併用したとしても軍隊の足だと同じ程度か、最悪もう半月ほどの時間を見なければならない。即座に軍を動かせる見込みは低いので、準備期間も必要だ。諸々勘案すると、動くのは少しでも早い方が良い。
「三ヶ月」の見立ては、かなり確度が高い。というのも、三ヶ月……今から二ヶ月後には、季節は秋を迎える。フレイアは山国なので、冬の訪れが早い。既に王国南部をほぼ制圧されている状態なので、農地の面積が三分の二に減少している。収穫は今からだが、取れ高は確実に減少し、食糧事情は急速に悪化すると予想されている。
他にも、降雪が早いと行軍の妨げになる。そうなれば援軍の到着が遅れることになる。味方の士気を維持するのもその辺りが限界だろう、という予測だった。
なんとか期限内に援軍を連れて戻る。一日でも早く。
考えれば考えるほど焦ってしまう。長旅で身体は疲れていたが、この日も寝付けない夜を過ごすことになった。
*
明け方になってようやく寝付いたせいか、目が覚めた時にはもう日が高くなっていた。
起き上がると、窓から外を眺めていたリウィーが振り返り、にこやかに「おはよー」と挨拶をよこした。
「おはよう、ございます。今の刻限って」
「んー、もうすぐ正午かな。今日はいい天気だよ」
けらけらと笑っている。ハイルナックまでの旅の間に懐かれたというか、仲良くなったと思う。よく笑いかけてくれる。彼女なりに気遣ってくれているのだろう、努めて明るく振る舞ってくれているのが良く分かる。その笑顔にずいぶん助けられていた。
「起こしてくれたら、良かったのに」
「トカゲがさー、寝かせとけって。疲れてるだろうから、ってさ」
リウィーは相変わらず、クリスティーネの事をトカゲと呼ぶ。そういった蔑称のような呼び方自体、初めて耳にしたので最初はずいぶんと戸惑ったが、この旅の間にそこには悪意がない事を理解した。どちらかと言うと照れ隠しなのだろう。呼ばれる方も、どこか楽しそうにしている。そういう間柄にはちょっと憧れもする。だからといって、自分もそう呼ぶ事は、流石に一生無理そうだけど。
「クリスは?」
「この下でクレッドとじゃれ合ってるよ」
剣の訓練をしている、という事らしい。庭があったのでそこだろう。
「顔を洗って、朝ごはんにしようかー」
「……お昼ごはんですね」
「朝ごはん兼昼ごはんだねー」
少女は楽しそうに笑うと、窓から下の二人に呼びかけていた。
服を着替え、髪を整える。翼を隠す為の外套も忘れず着用する。ようやく習慣づいてきた。屋内で外套を着るのはちょっとおかしいし、この所暑いので大変だ。けれど、まだ出来るだけ目立たないほうが良いと、クリスティーネに言われていた。
殆ど半裸なトカゲはいいけどね、とリウィーは笑っていた。確かに露出度が高いと思う。胸周りは革製の鎧を身に着けているが、腕は肩からむき出し、足も大腿部が見えている。お腹の部分も丸見え。鍛えられた戦士の肉体と鱗のせいであまり目を引かないが、手足も長く胸も大きい。鼻も高く、目も切れ長だが凛とした雰囲気で美しい。髪が短いのが残念だ。もう少し伸ばして綺麗に手入れをして、着るものを着たら誰もが振り返るだろう。
着替えを終えると、一緒に下へ降りた。一階が酒場で二階が宿、という形式の店だ。
クレッドとクリスティーネが既に席についていた。ホルムヘッドの姿は見えなかった。
「ホルムヘッドは?」
席につきながら、一応確認する。
「まだ、だな。夜も戻ってこなかった」
予想通りの返答が返ってきた。わかってはいたものの、焦燥感を感じてしまう。
彼が悪いわけではないし、能力がないわけでもない。むしろ、交渉や折衝は非常に優秀で、ずいぶん助けられている。博識で、物事を洞察する力も高い。持っている知識と今見聞きして知り得た事をかけ合わせ、確度の高い仮説を立てる。なかなか出来る事ではない。
今の状況から最も確率が高く、最も効率の良い方法を選んでくれており、その中で最大限に努力してくれている事だろう。礼を言う事はあっても文句を言うなど、とんでもない。
そう、理解している。わかっている、のだけれども。
彼は、自然体というか、のんびり屋というか、自他共に認める「面倒くさがり」なのだ。公平に見れば仕事は出来るし、むしろ早い方だろう。だけど、言動や態度のせいでそう見えない。損な性格だと思う。
理解している。わかっている。……のだけれども。
早く帰ってきて、と願わずにはいられない。
「今日、この後どうする?」
リウィーが適当に料理を注文している間に、クレッドが問いかけてきた。
「どう、とは」
連絡を待つ、以外に思い浮かばず、首を傾げた。
「昨日、観光とか言ってただろ。あれはつまり、戻ってくるのは早くても夕暮れ以降という意味。今日の昼間はやることがない」
「そうですね。でも、流石に観光という気分にはなれません」
「わかるけどさ。宿にいても気が滅入るだけだし。気分転換に」
言いたいことはわかっている。気を遣ってくれているのも。けれど。
「追手は」
「大丈夫でしょうね」
クリスティーネが口を挟んだ。
「もし襲われるとしたら昨晩だった。こなかった事を考慮すると、ネートンで追手の主戦力は全滅させたと見ていいわ」
宿で襲撃を受けた時、彼女は五人、討ち取っている。クレッドが一人。一人に逃げられたので、合計七人。予備戦力がいたとしても、それ以上残っているとは思えない。また、クリスティーネの抑止力としての存在は大きい。追手もこれ程の戦士が護衛についた事は想定外だろう。少ない戦力では分が悪いと判断するだろうし、彼らの任務を考えると無理をして全滅するより、情報を持ち帰るほうが重要だろう。説明はそういった内容だった。
それでも躊躇する。気休めに出掛けるなど、許されるのだろうか。
「……そうね。私の故郷は内陸で、海を見たことがないの。港の方に散歩でもどうかしら」
考えあぐねているのを見かねたのか、そんな提案をされた。
海。そう言えば、まともに見たことはない。空から遥か遠くに見ることはよくあったが、近くで見たり海水に触ったり、という経験はない。少し気持ちが傾いた。
「じゃあ決定! ご飯食べよう!」
どこからどこまで聞いていたのか、少女が料理を運びながら話を締めくくった。この店は、対面台の席で注文と支払いを済ませ、席までは客自身が運ぶという決まりになっている。この仕組みも昨晩初めて経験した。店員が少ない店なら、合理的だと思う。
店内を見て思った。こういう何でもない経験が、国に帰って落ち着いたら役に立つのかもしれない。少し強引ではあるがそう納得し、周りの気遣いを受け入れることにした。
街中を南に向かう。四半刻も歩くと南門に到着した。城門は少し高い位置にあった。門前から見下ろすように、大きな港町が広がっており、その向こう側に海が見えた。
「私の国では『海は大きい湖』というけど、そのままね」
クリスティーネが感想を述べた。聞けば、故郷の近くに大きな湖があるそうだ。
フレイアは、湖と呼べる大きさのものは少なく、池か泉が多い。レナリアの海は内海だが、大きさとしてはそれらとは比べるまでもない。今までに見た最も大きなものの、十倍でもきかないほどだろう。
「凄く大きいですね……! もう少し、近くに行ってみてもよいですか」
フィルナーナは、思いの外、興奮している自分に気づいていなかった。クレッドが嬉しそうに同意した。
緩やかに下る道の先に、商店や市場が並んでいる。昨日は気づかなかったが、街は活気に満ちていた。
進んでいくと不思議な匂いが鼻についた。何とも形容し難い、嗅いだことのない香りだった。表情に出ていたのか、リウィーが袖を引っ張りながら「これが『磯の香り』というやつだよ」と自慢げに言った。
「海水とか塩の匂いだよ。海の近くにくると匂うんだよ」
「違うわね。磯の香りの正体は、魚や水草、藻などの腐敗臭よ」
得意そうに解説していた所を、クリスティーネが一刀両断。
「な、なんでわかるのさ。トカゲだって海は初めてでしょ」
「私の国は湿地帯が多いし、広い湖はあると言ったでしょう。手入れがされていない水場では、こういう匂いがするものよ」
「うっ……で、でも海は大体匂うけど、湖は匂わないよ!?」
「それは小さい湖だからでしょう。海や大きい湖だと波が発生するから、水草が岸に打ち上げられる。放置されると匂いを出す。特に港があって漁をしていると、網に引っかかった水草を辺りに捨てたりするから、匂いがきつくなるのね」
完璧に論破された少女の反論は、ただの罵倒になっていた。
宥めながらしばらく歩くと、目の前が大きく開けた。
堤防と浜、そして海。目の前の浜には漁船が並べられており、そこでは大勢の人が働いていた。魚を運ぶ者、網を修繕している者、船を掃除する者。東側は少し離れた場所から波止場になっており、商船や、遠くに軍用船が見えた。この内海の西端では最大の港で、貿易としても海上交通としても起点であり、終点でもあるそうだ。
浜に降りる。リウィーが走り出し、クリスティーネがそれについていった。
潮風に舞う髪を抑えながら、海を眺めた。遠くに見える水平線が、青く煙っている。
「とても、広いですね」
初めて間近で見た海に、他の感想が浮かばなかった。
「ここから西に行けば、泳いだり出来る場所があるんだけど、流石に今日は難しいな」
クレッドが少し残念そうだ。
首を横に振る。
確かに、時間も、気持ちにも余裕がない。けれど、海を見る事ができた。天気は良いし、陽の光を反射した波打ち際が、キラキラと美しい。
「充分です。次に来る時の楽しみが出来ます」
此方の様子を伺っているのが、目の端に見えた。照り返す日差しに、目を細めた。
「そうか。なら、次は是非……あっと、翼を見せちゃいけないんだっけ。あと、濡れたら駄目だった、かな?」
慌てたような顔が、微笑ましい。
「お忍びは今だけですよ。それに、私達の翼は濡れても大丈夫です。……こう見えて、泳ぎは得意なのですよ?」
そうなのか、と、照れたような顔。心が、暖かくなる。
「――だから、いつか。楽しみにしていますね」
笑った。何の保証もない、あやふやな口約束だけど。今はこれを大切にしたい。
戻ってきたリウィーが何故か機嫌が悪くなっていた理由は、その時のフィルナーナには、わからなかった。
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そんなふざけた事になったうえ俺たちを呼び出した国はなんだか色々とヤバそう!
このままじゃ俺は殺されてしまう。そうなる前にこの国から逃げ出さないといけない。
勇者なら全員が使える収納スキルのみしか使うことのできない勇者の出来損ないと呼ばれた男が収納スキルで無双して世界を旅する物語(予定
私のメンタルは金魚掬いのポイと同じ脆さなので感想を送っていただける際は語調が強くないと嬉しく思います。
ただそれでも初心者故、度々間違えることがあるとは思いますので感想にて教えていただけるとありがたいです。
他にも今後の進展や投稿済みの箇所でこうしたほうがいいと思われた方がいらっしゃったら感想にて待ってます。
なお、書籍化に伴い内容の齟齬がありますがご了承ください。
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