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第一章
1 髭男は頭を掻きながら思った
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(面倒な事になったな)
男は手入れのしていない、バサバサの頭を掻きながら思った。
灰色がかった髪が、肩まで伸びている。誰が見ても、手入れをしている風ではない。髭も無造作に生えていて、体は髪よりはやや薄い色の外衣で覆っていた。傍から見れば「怪しい風体の男」だろう。
しかし、男は――ホルムヘッドは、その事は特に気にはしていない。自覚がないわけではないが、気を回すのが面倒だ。面倒な事は一切やらない、わけではない。髪も、髭も、完全に伸ばしっぱなしではない。中途半端な長さなのが証拠だ。
「これ以上伸びたら、返って面倒だな」と思った所で切る。
やるのが面倒だと思う事は、出来る限り施行回数を減らす。
それが、彼の流儀なのだ。
「聞いていた話と違うよな!」
目の前を歩く男が大声でぼやいた。まだ若く、背が高い。身につけた金属製の鎧、左腕に持った大型の盾、腰に下げた剣、肩に引っ掛けた弓。それらの装備には使い込まれた形跡がある。
その前にいた、栗色の髪の少女が「そうだねー」とどこか楽しそうに同意した。その大きな瞳は、左右で色が異なっている。遠目ではわかりにくいが、近くでよく見るとわかる。右目が緑。左目が青。いわゆる、オッドアイというやつだ。
「クレッド、大きな声を出すな」
鎧を着た男をたしなめる。振り返って反論の素振りを見せたが、目線で制すると少しうなり、了解の意を示すように片手を上げた。
「リウィーも静かにしていろ」
名指しされた少女は「恐い、恐い」とわざと聞こえるように呟き、視線から逃げるように前を向いた。日が傾いてきている。たよりない山道も、後少しで見えなくなるだろう。それまでに、今日の目的地としている野営に適した場所まで、たどり着けるだろうか。
ホルムヘッドの仕事は、レナリア王国の南にあるネートンという領地に中央から派遣された査察官、という事になっている。なっている、というのは査察官という役職はお飾りで、実態は何の権限もないからだ。昔は王宮に勤めていたが、いろいろあって、左遷同様の扱いで今の職となった。自業自得なので仕方ない。ネートン領に派遣されてすぐ、更に南部、王国のほぼ最南端にあるハームという村の租税調査を命じられた。
以来三年ほど、この村に住んでいる。
本来は村には年に数回行けば良いのだけど、いろいろと面倒なので住み着いている。逆に、ネートンには年間で一、二度、納税と報告に戻る程度だ。特に何も言われていない。街にいたとしても煙たがられるだけだろうし、生活は出来ているので問題はないだろう。
村で実際に何をしているのかと言うと、ほぼ何もしていない。税については基本的に村長が取りまとめており、内訳も至極まっとう、とは言わないが現実的な内容だ。
従って特に指摘するほどではない。細かい事をあれこれ言うのが面倒なだけなのだが、村長は「与し易い」と考えているのだと思う。他に仕事らしい仕事はなく、一応中央から派遣されている役人なので、村の困りごとに対する相談役のような事をさせられている。
そんなホルムヘッドは今、村の南にある山の中にいる。何故こんな所にいるのかというと、数日前から「相談」されていた内容のせいだ。
ハームの村は山間の盆地にあり、百世帯ほどが暮らしている。畑と小規模な畜産はしているが、村人の多くは狩人で、今回の相談もそこからもたらされたものだった。この所何やら山が騒がしい、というのが相談の主旨だった。具体的には言葉にし難いが、人里に獣が降りてきたり、普段はもっと山深い所にいる鳥の声が聞こえたり、といった類のものだ。
他所の国なら「気のせい」で済むような内容でも、ここではそうは行かない。レナリアは「狩の民」と呼ばれる一族が治める、狩人の国。何気ない痕跡を察し、危険な徴候を感じ取る、狩り人の勘が重んじられるこの国では、そういった訴えは無視しづらい。放置して結果問題が起きました、では目も当てられない。
そういった事から、少し山の奥に入って調査をするかと言っていた所、今朝になって村の近くで(近くと言っても、山に慣れた狩人の足で二日ほど山奥に入った辺りだが)人の痕跡が見つかったのだ。争ったような跡だった、と報告を受けた。それまでの流れもあり、早々に出発すべし、という「相談という名の、命令というか強制」を受け、馴染みであるクレッドに同行を依頼したというわけだ。
「誰かに聞かれるかもしれん、だろう」
これは一応、何者かわからない、誰かを調査する事が目的なのだ。その誰かが外敵でないとは限らない。こちらの存在は、可能な限り知られないに越したことはないはずだ。
「近くに人の気配はないよ」
心配を他所に、先頭を行くリウィーがつぶやきに反応して声を返した。それなら大丈夫だな、とクレッドが相槌をうつ。
「そういう問題じゃない。気を抜くなと言っているんだ」
反射的に反論したが、実際の所、この少女が大丈夫と言えば大丈夫なのだろう。その感覚にはそれだけの信頼が置けるのだ。
*
世界は二柱の神から始まった。
創造を司る神と破壊を司る神は、仲睦まじい夫婦であり、多くの子をなしたと言う。
神の子が王となり、国を治め、神の血統は王族となった。人が集まれば争いが起こるのは常で、神話の時代から数千年、国は栄えては滅びを繰り返し、今に至る。
神なるものが実在したかは定かではないが、神の力というべき遺産がこの世界には残っている。それは炎を操る事が出来ると言った超常的な力や、硬質化した皮膚を持つといった身体的特徴など、多岐にわたる。人々はそれらを総じて「神の祝福」と呼んだ。
ホルムヘッドは本職ではないが「神の血統」と「神の祝福」について研究している。
始祖とされる創造の神と破壊の神は、この二神の「祝福の力」が実在したという記録が無いので、伝説上の存在と考えられている。
原始の血統については、あやふやな伝承が口伝として残っているだけだが、最も古い歴史書の中には二十四の王家が記されていた。近い時代の書物との矛盾や論理破綻など、信憑性に欠ける部分はあるが、ひとまずこれを正しいとするならば、最低でも二十四の「神の祝福」が存在するという事になる。
また、書物にはそれぞれの祝福がおおよそどんなものなのか、も記録されていた。これは、記録と同じ強い力を持つ者は王たる資格がある、という事を示しているが、逆に言うと二十四の血統以外の王は認めない、という意味でもある。
個人的には、件の書物は後世の王族が自らの王権を守るために捏造したものだと思っている。実際には市井の人々の中にも強い力を持っている者がいるし、二十四全ての実在は確認されておらず、逆にそれ以外の「知られざる神の祝福」を持つ者がいるという。割と有名な話だが、王家よりの研究者は躍起になって否定している。
自分は、それらの祝福が実在すると、確信を持って言い切れる。
目の前にいるリウィーが、その一人だからだ。
知られざる神の祝福の存在を、この目で確認したのは少女が初めてだった。ついでに言うと、その祝福も初めて見聞きするものだった。
それは、全身を狼の姿に変える能力。力の一片なのか、普段から嗅覚や聴覚が常人と比べて非常に鋭い。視力は人とあまり変わらないが、動体視力や反射神経は遥かに勝り、夜の闇の中でもよく見えているようだ。
何故ハームの村に一人で住んでいるのかは、実の所あまりよくわかっていない。赴任してきた時には、既に村外れの小さな小屋に住み着いていた。
村人ではなく狩人でもないが周辺の地形に詳しい。今回のような山での活動を要する仕事で、協力を仰いだのを切欠とし、何かと行動を共にするようになった。仲が良いのはどちらかと言うとクレッドで、自分は『からかう対象』として、だが。
リウィーの「祝福の力」の事を何故知っているのかと言うと、偶然変身する所を見たからだ。全身白色で、美しい姿をしていた。性分もあって問いただしたが、その時は一切教えてくれなかった。普段は隠しているようで、固く口止めされてしまった。
知りたい事は沢山あったが、本人が話してくれないのであればどうしようもない。秘密を言いふらすような趣味もない。能力について調べてみたいが、協力が得られなければ研究も何もない。無理矢理従わせるのは流儀ではない。時間を掛けて信頼を得て、少しずつ。
二年と少し経った今では多少の成果はあるものの、まだ満足の行くものではない。
ちなみにクレッドには直ぐに教えた。例外だと思った。死ぬほど怒られた。そういう訳でこれは三人の秘密、という事になっている。仲間意識があるのはこのせいもあるだろう。
*
「今日はあそこで野営だよ」
薄暗くなってきたなと思った矢先に、先頭を行く少女が一本の木を指しながら言った。木の周りは山の中にあって開けており、地面も割と平らだ。狩人達が野営をする場所として手入れをした場所なのだろう。
(やっとついたか)
早朝に出発し、日が傾きだす前には着く予定だったのだが。遅れた主な理由は自らの足のせいなので、文句を言うに言えない。多少は鍛えているが、体を動かす事が仕事のような男や、山に住む野生児とは比べられたくはない。
二人から少し遅れてようやく木の根元までたどり着き、背負っていた荷物を降ろす。思わず座り込んでしまった。
戦士の方は体力に余裕があるのか、周辺を彷徨き、落ち葉や枝を拾っていた。広場の角には薪が積んであり、雨を避けるために簡素な屋根も組んである。村の狩人達が共同で管理している野営用の薪だ。拾っているのは焚き付けに使うのだろう。
「問題の場所は、明日にはつくかな」
吐き出した独り言に近くで「さあ?」と返事。続けて「ヒゲが人並みに歩いてくれればつくと思うけど」と付け足された。
リウィーは、自分のことを「ヒゲ」と呼ぶ。いつも伸びているわけではないのに。たまには剃る。不本意な呼び名だ。
此方の反応を見てニヤニヤと笑っている。これは、あれか。子どもが「好きな人の名前を呼ぶのが恥ずかしいから」とか「照れ隠しで」とかいうやつか。
……ないな。クレッドは名前で呼ばれている。どちらが好かれているか、なんて考えるまでもない。別に小児性愛の趣味はないし、どうでも良いが。
水袋を取り出し、一口飲む。隣に来て目で「よこせ」と言ってきたので無言で手渡した。
……なんだろう。この少女は、こういう所はあっけらかんとしている。
「今回さ、何かあったら報酬、出るの?」
水袋を受け取りつつ、こともなげに言う。
「あー、どうだろうな」
実際問題、調査そのものに報酬はない。せいぜい食事を奢るとか、その程度になる。
けれども、村に対する重大な危機が判明するとか。例えば人の痕跡が盗賊か何かで、荒事になって盗賊を殲滅したり、追い払ったりしたら、報酬が出るかもしれない。あくまでも可能性の話で、実際にどんな事が起きるかは想像できないし、内容によって報酬が出るか出ないか、どこから出るかとかは何とも言えない。
今までにも似たような事はあった。その場合、報酬が出るか出ないか、どこが、どれだけ支払うか、といった事を調整したり交渉したりするのは、自分の役目だ。
「調査してみないと何とも言えないけど。事の次第によっては出る、かな」
実質回答になっていない返事に、無邪気に「期待してる」と返ってきた。これはこれで困る。何も無い方が良いような、何かあった方が良いような。
(面倒だな)
顎に手をやりながら考える振りをした。無精髭がかなり伸びている。そう言えば、最近剃っていない。前に剃ったのは、十日ほど前だった。今朝、出発する前に剃っておけば良かったか。年の割におっさん臭い、とよく言われる。頭髪や髭を手入れしていない所に、多分に理由が有ると思う。年相応に見せようと思えば、手入れをする必要がある。けれど、頻繁に手入れをするのは面倒なのだ。そもそも年相応に見せなければいけないのかと言うと、そういう必要性を感じない。特にこんな山の中では。
(この髭と同じだな)
要するに「成るように成る」という事で、「成るようにしか成らない」という事だ。
「とにかく、明日だなー」
かろうじて聞こえる程度の声量で呟くと、ボリボリと頭を掻いた。
飛んできたフケを大慌てで避けたリウィーの罵声が、ホルムヘッドの耳に響いた。
男は手入れのしていない、バサバサの頭を掻きながら思った。
灰色がかった髪が、肩まで伸びている。誰が見ても、手入れをしている風ではない。髭も無造作に生えていて、体は髪よりはやや薄い色の外衣で覆っていた。傍から見れば「怪しい風体の男」だろう。
しかし、男は――ホルムヘッドは、その事は特に気にはしていない。自覚がないわけではないが、気を回すのが面倒だ。面倒な事は一切やらない、わけではない。髪も、髭も、完全に伸ばしっぱなしではない。中途半端な長さなのが証拠だ。
「これ以上伸びたら、返って面倒だな」と思った所で切る。
やるのが面倒だと思う事は、出来る限り施行回数を減らす。
それが、彼の流儀なのだ。
「聞いていた話と違うよな!」
目の前を歩く男が大声でぼやいた。まだ若く、背が高い。身につけた金属製の鎧、左腕に持った大型の盾、腰に下げた剣、肩に引っ掛けた弓。それらの装備には使い込まれた形跡がある。
その前にいた、栗色の髪の少女が「そうだねー」とどこか楽しそうに同意した。その大きな瞳は、左右で色が異なっている。遠目ではわかりにくいが、近くでよく見るとわかる。右目が緑。左目が青。いわゆる、オッドアイというやつだ。
「クレッド、大きな声を出すな」
鎧を着た男をたしなめる。振り返って反論の素振りを見せたが、目線で制すると少しうなり、了解の意を示すように片手を上げた。
「リウィーも静かにしていろ」
名指しされた少女は「恐い、恐い」とわざと聞こえるように呟き、視線から逃げるように前を向いた。日が傾いてきている。たよりない山道も、後少しで見えなくなるだろう。それまでに、今日の目的地としている野営に適した場所まで、たどり着けるだろうか。
ホルムヘッドの仕事は、レナリア王国の南にあるネートンという領地に中央から派遣された査察官、という事になっている。なっている、というのは査察官という役職はお飾りで、実態は何の権限もないからだ。昔は王宮に勤めていたが、いろいろあって、左遷同様の扱いで今の職となった。自業自得なので仕方ない。ネートン領に派遣されてすぐ、更に南部、王国のほぼ最南端にあるハームという村の租税調査を命じられた。
以来三年ほど、この村に住んでいる。
本来は村には年に数回行けば良いのだけど、いろいろと面倒なので住み着いている。逆に、ネートンには年間で一、二度、納税と報告に戻る程度だ。特に何も言われていない。街にいたとしても煙たがられるだけだろうし、生活は出来ているので問題はないだろう。
村で実際に何をしているのかと言うと、ほぼ何もしていない。税については基本的に村長が取りまとめており、内訳も至極まっとう、とは言わないが現実的な内容だ。
従って特に指摘するほどではない。細かい事をあれこれ言うのが面倒なだけなのだが、村長は「与し易い」と考えているのだと思う。他に仕事らしい仕事はなく、一応中央から派遣されている役人なので、村の困りごとに対する相談役のような事をさせられている。
そんなホルムヘッドは今、村の南にある山の中にいる。何故こんな所にいるのかというと、数日前から「相談」されていた内容のせいだ。
ハームの村は山間の盆地にあり、百世帯ほどが暮らしている。畑と小規模な畜産はしているが、村人の多くは狩人で、今回の相談もそこからもたらされたものだった。この所何やら山が騒がしい、というのが相談の主旨だった。具体的には言葉にし難いが、人里に獣が降りてきたり、普段はもっと山深い所にいる鳥の声が聞こえたり、といった類のものだ。
他所の国なら「気のせい」で済むような内容でも、ここではそうは行かない。レナリアは「狩の民」と呼ばれる一族が治める、狩人の国。何気ない痕跡を察し、危険な徴候を感じ取る、狩り人の勘が重んじられるこの国では、そういった訴えは無視しづらい。放置して結果問題が起きました、では目も当てられない。
そういった事から、少し山の奥に入って調査をするかと言っていた所、今朝になって村の近くで(近くと言っても、山に慣れた狩人の足で二日ほど山奥に入った辺りだが)人の痕跡が見つかったのだ。争ったような跡だった、と報告を受けた。それまでの流れもあり、早々に出発すべし、という「相談という名の、命令というか強制」を受け、馴染みであるクレッドに同行を依頼したというわけだ。
「誰かに聞かれるかもしれん、だろう」
これは一応、何者かわからない、誰かを調査する事が目的なのだ。その誰かが外敵でないとは限らない。こちらの存在は、可能な限り知られないに越したことはないはずだ。
「近くに人の気配はないよ」
心配を他所に、先頭を行くリウィーがつぶやきに反応して声を返した。それなら大丈夫だな、とクレッドが相槌をうつ。
「そういう問題じゃない。気を抜くなと言っているんだ」
反射的に反論したが、実際の所、この少女が大丈夫と言えば大丈夫なのだろう。その感覚にはそれだけの信頼が置けるのだ。
*
世界は二柱の神から始まった。
創造を司る神と破壊を司る神は、仲睦まじい夫婦であり、多くの子をなしたと言う。
神の子が王となり、国を治め、神の血統は王族となった。人が集まれば争いが起こるのは常で、神話の時代から数千年、国は栄えては滅びを繰り返し、今に至る。
神なるものが実在したかは定かではないが、神の力というべき遺産がこの世界には残っている。それは炎を操る事が出来ると言った超常的な力や、硬質化した皮膚を持つといった身体的特徴など、多岐にわたる。人々はそれらを総じて「神の祝福」と呼んだ。
ホルムヘッドは本職ではないが「神の血統」と「神の祝福」について研究している。
始祖とされる創造の神と破壊の神は、この二神の「祝福の力」が実在したという記録が無いので、伝説上の存在と考えられている。
原始の血統については、あやふやな伝承が口伝として残っているだけだが、最も古い歴史書の中には二十四の王家が記されていた。近い時代の書物との矛盾や論理破綻など、信憑性に欠ける部分はあるが、ひとまずこれを正しいとするならば、最低でも二十四の「神の祝福」が存在するという事になる。
また、書物にはそれぞれの祝福がおおよそどんなものなのか、も記録されていた。これは、記録と同じ強い力を持つ者は王たる資格がある、という事を示しているが、逆に言うと二十四の血統以外の王は認めない、という意味でもある。
個人的には、件の書物は後世の王族が自らの王権を守るために捏造したものだと思っている。実際には市井の人々の中にも強い力を持っている者がいるし、二十四全ての実在は確認されておらず、逆にそれ以外の「知られざる神の祝福」を持つ者がいるという。割と有名な話だが、王家よりの研究者は躍起になって否定している。
自分は、それらの祝福が実在すると、確信を持って言い切れる。
目の前にいるリウィーが、その一人だからだ。
知られざる神の祝福の存在を、この目で確認したのは少女が初めてだった。ついでに言うと、その祝福も初めて見聞きするものだった。
それは、全身を狼の姿に変える能力。力の一片なのか、普段から嗅覚や聴覚が常人と比べて非常に鋭い。視力は人とあまり変わらないが、動体視力や反射神経は遥かに勝り、夜の闇の中でもよく見えているようだ。
何故ハームの村に一人で住んでいるのかは、実の所あまりよくわかっていない。赴任してきた時には、既に村外れの小さな小屋に住み着いていた。
村人ではなく狩人でもないが周辺の地形に詳しい。今回のような山での活動を要する仕事で、協力を仰いだのを切欠とし、何かと行動を共にするようになった。仲が良いのはどちらかと言うとクレッドで、自分は『からかう対象』として、だが。
リウィーの「祝福の力」の事を何故知っているのかと言うと、偶然変身する所を見たからだ。全身白色で、美しい姿をしていた。性分もあって問いただしたが、その時は一切教えてくれなかった。普段は隠しているようで、固く口止めされてしまった。
知りたい事は沢山あったが、本人が話してくれないのであればどうしようもない。秘密を言いふらすような趣味もない。能力について調べてみたいが、協力が得られなければ研究も何もない。無理矢理従わせるのは流儀ではない。時間を掛けて信頼を得て、少しずつ。
二年と少し経った今では多少の成果はあるものの、まだ満足の行くものではない。
ちなみにクレッドには直ぐに教えた。例外だと思った。死ぬほど怒られた。そういう訳でこれは三人の秘密、という事になっている。仲間意識があるのはこのせいもあるだろう。
*
「今日はあそこで野営だよ」
薄暗くなってきたなと思った矢先に、先頭を行く少女が一本の木を指しながら言った。木の周りは山の中にあって開けており、地面も割と平らだ。狩人達が野営をする場所として手入れをした場所なのだろう。
(やっとついたか)
早朝に出発し、日が傾きだす前には着く予定だったのだが。遅れた主な理由は自らの足のせいなので、文句を言うに言えない。多少は鍛えているが、体を動かす事が仕事のような男や、山に住む野生児とは比べられたくはない。
二人から少し遅れてようやく木の根元までたどり着き、背負っていた荷物を降ろす。思わず座り込んでしまった。
戦士の方は体力に余裕があるのか、周辺を彷徨き、落ち葉や枝を拾っていた。広場の角には薪が積んであり、雨を避けるために簡素な屋根も組んである。村の狩人達が共同で管理している野営用の薪だ。拾っているのは焚き付けに使うのだろう。
「問題の場所は、明日にはつくかな」
吐き出した独り言に近くで「さあ?」と返事。続けて「ヒゲが人並みに歩いてくれればつくと思うけど」と付け足された。
リウィーは、自分のことを「ヒゲ」と呼ぶ。いつも伸びているわけではないのに。たまには剃る。不本意な呼び名だ。
此方の反応を見てニヤニヤと笑っている。これは、あれか。子どもが「好きな人の名前を呼ぶのが恥ずかしいから」とか「照れ隠しで」とかいうやつか。
……ないな。クレッドは名前で呼ばれている。どちらが好かれているか、なんて考えるまでもない。別に小児性愛の趣味はないし、どうでも良いが。
水袋を取り出し、一口飲む。隣に来て目で「よこせ」と言ってきたので無言で手渡した。
……なんだろう。この少女は、こういう所はあっけらかんとしている。
「今回さ、何かあったら報酬、出るの?」
水袋を受け取りつつ、こともなげに言う。
「あー、どうだろうな」
実際問題、調査そのものに報酬はない。せいぜい食事を奢るとか、その程度になる。
けれども、村に対する重大な危機が判明するとか。例えば人の痕跡が盗賊か何かで、荒事になって盗賊を殲滅したり、追い払ったりしたら、報酬が出るかもしれない。あくまでも可能性の話で、実際にどんな事が起きるかは想像できないし、内容によって報酬が出るか出ないか、どこから出るかとかは何とも言えない。
今までにも似たような事はあった。その場合、報酬が出るか出ないか、どこが、どれだけ支払うか、といった事を調整したり交渉したりするのは、自分の役目だ。
「調査してみないと何とも言えないけど。事の次第によっては出る、かな」
実質回答になっていない返事に、無邪気に「期待してる」と返ってきた。これはこれで困る。何も無い方が良いような、何かあった方が良いような。
(面倒だな)
顎に手をやりながら考える振りをした。無精髭がかなり伸びている。そう言えば、最近剃っていない。前に剃ったのは、十日ほど前だった。今朝、出発する前に剃っておけば良かったか。年の割におっさん臭い、とよく言われる。頭髪や髭を手入れしていない所に、多分に理由が有ると思う。年相応に見せようと思えば、手入れをする必要がある。けれど、頻繁に手入れをするのは面倒なのだ。そもそも年相応に見せなければいけないのかと言うと、そういう必要性を感じない。特にこんな山の中では。
(この髭と同じだな)
要するに「成るように成る」という事で、「成るようにしか成らない」という事だ。
「とにかく、明日だなー」
かろうじて聞こえる程度の声量で呟くと、ボリボリと頭を掻いた。
飛んできたフケを大慌てで避けたリウィーの罵声が、ホルムヘッドの耳に響いた。
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