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7.重なる偶然
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鉄男の立花設計事務所へ初出勤日。
服装は作業着だと、昨日社長と従業員の姿を見て分かっていたので、急遽、ワークショップへと行き、作業服一式を揃えた。前の会社のものでも代用はできたかもしれないが、胸元の会社名が失礼と思いやめた。ジャケットの下も、一応シャツにネクタイをした。何事も最初が肝心だ。
気合いを入れるべきは、事務所へと入る扉の前であると、駐車場で自分の車から降りて歩いて行く間はボーッとしていた。そこへ、
「おはよーございまーす」
駐車場のある事務所の裏から表へと出ると、昨日の事務員らしき女性が元気良く挨拶をしてきた。
「わっ。お、おはようございます」
エプロンを掛け、箒とちりとりを手に持ち、どうやら玄関前を掃いていたらしい。
「今日からよね。あ、私は事務のさおりよ。ちなみに、社長の娘。だから、遠慮なくなんでも言ってねー」
「は、はい」
社長の娘に対して遠慮をしないという気持ちが鉄男にはピンとこなかったが、愛嬌があって話し掛けやすく、色々と頼りになれそうな堂々たるオーラがあった。やはりそこは社長似だろう。
やや固まっていた気分はほぐれ、すでに開いている玄関へと中へ入る。入ってすぐに通路を挟んで作業場が窓越しに見える。その中へと入るドアも、開け放たれている。換気のためだろうが、とことんオープンだなと鉄男は思った。
「あぁ、三咲君。そこ、タイムカード押しといてね」
いきなり横から現れた社長の倉田に声を掛けられ、不意打ちに鉄男の肩が跳ねる。何も恐れている訳ではないが、社長の前では多少の緊張がある。
「はい」とタイムカードを押すと、社長について歩き、改めて「おはようございます」と挨拶する。
「おはよう。うちは朝礼とかないから。自己紹介は自分でね。まぁ、みんな知ってるけどね。ほら、あそこのデスクの二人。相田さんと白井さん。今日から君と一緒に仕事するメンバーだよ」
と、相田と白井の背中を至近距離から指差す。
「なんスか、社長」
と、ノリ良く椅子をこちらに回したのは相田だ。鉄男よりは年齢が少し上のようで、なかなかのイケメンというよりかは男前と言った方が似合う。
その横で一歩遅れて椅子を後ろに回したのが、頭髪が薄く眼鏡を掛けた白井だ。
「今日から入ります、三咲鉄男です。よろしくお願いします」
相田が、「あぁ、よろしく」と返事し、白井は小さく「よろしく」と言いながら、頭を軽く下げた。その際、髪の毛はかなり衰退しているのを目撃した。
「という事で、じゃあ三人でコーヒーでも飲んでね」
と、倉田はウロウロと向こうへ歩いていく。その足元には、お掃除ロボットがいた。
入れ違いにさゆりが盆を抱えて来て、「朝のコーヒーでーす」と、お茶汲みまでしているのかと鉄男は目を丸くさせたが、
「朝と三時の休憩以外はご自分でお願いしまーす」と、テキパキとデスクの上にコーヒーカップを置くと、作業場を出て通路の向こうへと歩いていった。そこに給湯室があるらしかった。
コーヒーカップが置かれた、相田と白井が二人並んでいる向かい側のデスクが、鉄男の席だった。
着席して、早速コーヒーを頂いていると、
「三咲さん、CADの方、どうなの?」
相田もコーヒーをすすりながら、気さくに聞いてくる。どうという曖昧な質問に、
「まぁ、なんとかですね」
ごまかすよう苦笑いするが、本当である。
「前の所では現場監督されてたそうですね」
と、白井はコーヒーカップの湯気で眼鏡を曇らせながら。
「いやぁ、でもブランクがありまして……」
「あぁ、二年間、意識なく眠ってたって! でも良かったな、目が覚めて!」
相田がまるで友人のように喜んでくれる。「ありがとうございます」と頭を掻きながら、いい会社と同僚に出会えたかもしれないと、雰囲気に馴染んでいく。
一つ、二つ、世間話を交わした後、
「それで、今やってる物件の内容説明ですが……」白井が切り出す。
「はい」
「まず、施主は野崎病院。そこの増設建屋の設計をしています。とは言っても、設計の方はできているので、あとは外構の設計ですかね」
「はい」
と、鉄男は説明を受けながら、胸の内をどよめかす。
なぜ、俺があの病院の仕事を?
一瞬、倉田社長の顔が浮かんだが、昨日の時点で入院中だった病院名は言っていない。前の島村工務店の社長からとっくに聞いていたとして、ただの偶然かもしれない。
「それで、入札になって施工業者が決まり工事が始まれば、設計管理を行っていきます。このような流れです。よろしくお願いしますね」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
律儀に薄い頭を下げた白井に、鉄男も真面目に頭を下げると、「改めて、よろしくな」と相田もグッと親指を立ててみせた。
こうして三人は結束した。
「早速ですが、明後日に野崎病院へ打ち合わせに一緒に行ってもらいますから」
「分かりました。……それまで、何をすればいいでしょうか?」
「そうですね、今日は顔合わせみたいなもんですからね。そのパソコンにもCADのソフトはもちろん入ってますから、触ってみて下さい。あとは、その辺にあります昔の図面を見るのも勉強になると思いますよ」
「はい、やってみます」
白井が答え終えて、少し冷めて湯気が立たなくなったコーヒーをすすり出すと、相田がパソコン越しに鉄男の方へ身を乗り出してきて小声で、
「明後日、病院行ったらビックリするぞ」
「えっ、何ですか?」
「嫌な、今度の新しくなった担当者が洋子先生って言ってな、院長の娘さん。これがまた超美人なんだわ。まっ、そゆこと。あ、オレは奥さん一筋だから」
しっかりと訂正してきたが、表情筋が緩んでいる。そんな相田との会話をしっかり耳にしていた白井が、「白井君も一緒に行くかい?」冗談に、「いやいやいや」と相田は慌てて頭を振った。
――洋子さん
退院した日、あの時に見かけた女性は確かにあの夢の島で見た洋子に似ていた。
あの病院で、しかも工事の担当者で、こんな偶然の重なりとは、一体何が起こっているのか。
とりあえず洋子については、明後日会える。その時に自分への反応は分かる。しかし、何も反応がなければ……と、鉄男は何かを期待してしまっていることに気づく。そして、そんな自分に溜息を吐いた。
もう忘れろ、忘れるんだ。
だが、そうさせてくれない。何か大きな渦の中へ巻き込まれたかのように、時が回っていく。
服装は作業着だと、昨日社長と従業員の姿を見て分かっていたので、急遽、ワークショップへと行き、作業服一式を揃えた。前の会社のものでも代用はできたかもしれないが、胸元の会社名が失礼と思いやめた。ジャケットの下も、一応シャツにネクタイをした。何事も最初が肝心だ。
気合いを入れるべきは、事務所へと入る扉の前であると、駐車場で自分の車から降りて歩いて行く間はボーッとしていた。そこへ、
「おはよーございまーす」
駐車場のある事務所の裏から表へと出ると、昨日の事務員らしき女性が元気良く挨拶をしてきた。
「わっ。お、おはようございます」
エプロンを掛け、箒とちりとりを手に持ち、どうやら玄関前を掃いていたらしい。
「今日からよね。あ、私は事務のさおりよ。ちなみに、社長の娘。だから、遠慮なくなんでも言ってねー」
「は、はい」
社長の娘に対して遠慮をしないという気持ちが鉄男にはピンとこなかったが、愛嬌があって話し掛けやすく、色々と頼りになれそうな堂々たるオーラがあった。やはりそこは社長似だろう。
やや固まっていた気分はほぐれ、すでに開いている玄関へと中へ入る。入ってすぐに通路を挟んで作業場が窓越しに見える。その中へと入るドアも、開け放たれている。換気のためだろうが、とことんオープンだなと鉄男は思った。
「あぁ、三咲君。そこ、タイムカード押しといてね」
いきなり横から現れた社長の倉田に声を掛けられ、不意打ちに鉄男の肩が跳ねる。何も恐れている訳ではないが、社長の前では多少の緊張がある。
「はい」とタイムカードを押すと、社長について歩き、改めて「おはようございます」と挨拶する。
「おはよう。うちは朝礼とかないから。自己紹介は自分でね。まぁ、みんな知ってるけどね。ほら、あそこのデスクの二人。相田さんと白井さん。今日から君と一緒に仕事するメンバーだよ」
と、相田と白井の背中を至近距離から指差す。
「なんスか、社長」
と、ノリ良く椅子をこちらに回したのは相田だ。鉄男よりは年齢が少し上のようで、なかなかのイケメンというよりかは男前と言った方が似合う。
その横で一歩遅れて椅子を後ろに回したのが、頭髪が薄く眼鏡を掛けた白井だ。
「今日から入ります、三咲鉄男です。よろしくお願いします」
相田が、「あぁ、よろしく」と返事し、白井は小さく「よろしく」と言いながら、頭を軽く下げた。その際、髪の毛はかなり衰退しているのを目撃した。
「という事で、じゃあ三人でコーヒーでも飲んでね」
と、倉田はウロウロと向こうへ歩いていく。その足元には、お掃除ロボットがいた。
入れ違いにさゆりが盆を抱えて来て、「朝のコーヒーでーす」と、お茶汲みまでしているのかと鉄男は目を丸くさせたが、
「朝と三時の休憩以外はご自分でお願いしまーす」と、テキパキとデスクの上にコーヒーカップを置くと、作業場を出て通路の向こうへと歩いていった。そこに給湯室があるらしかった。
コーヒーカップが置かれた、相田と白井が二人並んでいる向かい側のデスクが、鉄男の席だった。
着席して、早速コーヒーを頂いていると、
「三咲さん、CADの方、どうなの?」
相田もコーヒーをすすりながら、気さくに聞いてくる。どうという曖昧な質問に、
「まぁ、なんとかですね」
ごまかすよう苦笑いするが、本当である。
「前の所では現場監督されてたそうですね」
と、白井はコーヒーカップの湯気で眼鏡を曇らせながら。
「いやぁ、でもブランクがありまして……」
「あぁ、二年間、意識なく眠ってたって! でも良かったな、目が覚めて!」
相田がまるで友人のように喜んでくれる。「ありがとうございます」と頭を掻きながら、いい会社と同僚に出会えたかもしれないと、雰囲気に馴染んでいく。
一つ、二つ、世間話を交わした後、
「それで、今やってる物件の内容説明ですが……」白井が切り出す。
「はい」
「まず、施主は野崎病院。そこの増設建屋の設計をしています。とは言っても、設計の方はできているので、あとは外構の設計ですかね」
「はい」
と、鉄男は説明を受けながら、胸の内をどよめかす。
なぜ、俺があの病院の仕事を?
一瞬、倉田社長の顔が浮かんだが、昨日の時点で入院中だった病院名は言っていない。前の島村工務店の社長からとっくに聞いていたとして、ただの偶然かもしれない。
「それで、入札になって施工業者が決まり工事が始まれば、設計管理を行っていきます。このような流れです。よろしくお願いしますね」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
律儀に薄い頭を下げた白井に、鉄男も真面目に頭を下げると、「改めて、よろしくな」と相田もグッと親指を立ててみせた。
こうして三人は結束した。
「早速ですが、明後日に野崎病院へ打ち合わせに一緒に行ってもらいますから」
「分かりました。……それまで、何をすればいいでしょうか?」
「そうですね、今日は顔合わせみたいなもんですからね。そのパソコンにもCADのソフトはもちろん入ってますから、触ってみて下さい。あとは、その辺にあります昔の図面を見るのも勉強になると思いますよ」
「はい、やってみます」
白井が答え終えて、少し冷めて湯気が立たなくなったコーヒーをすすり出すと、相田がパソコン越しに鉄男の方へ身を乗り出してきて小声で、
「明後日、病院行ったらビックリするぞ」
「えっ、何ですか?」
「嫌な、今度の新しくなった担当者が洋子先生って言ってな、院長の娘さん。これがまた超美人なんだわ。まっ、そゆこと。あ、オレは奥さん一筋だから」
しっかりと訂正してきたが、表情筋が緩んでいる。そんな相田との会話をしっかり耳にしていた白井が、「白井君も一緒に行くかい?」冗談に、「いやいやいや」と相田は慌てて頭を振った。
――洋子さん
退院した日、あの時に見かけた女性は確かにあの夢の島で見た洋子に似ていた。
あの病院で、しかも工事の担当者で、こんな偶然の重なりとは、一体何が起こっているのか。
とりあえず洋子については、明後日会える。その時に自分への反応は分かる。しかし、何も反応がなければ……と、鉄男は何かを期待してしまっていることに気づく。そして、そんな自分に溜息を吐いた。
もう忘れろ、忘れるんだ。
だが、そうさせてくれない。何か大きな渦の中へ巻き込まれたかのように、時が回っていく。
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