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二十九.過去をほじくる
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「んん……」
目を覚ました玲子は、ぼんやりと開いた目をこすりながら辺りをキョロリと見渡した。
誰かの声が聞こえた気がした。
「……先生?」
ここに工藤以外がいるとしたら、他の先生方くらいしか考えられない。
上体を重く起こし上げると、頭痛と鼻やのどは落ち着いているのが分かった。体の気だるさはあるが、熱も大してあるようではなかったので、体温計で測るのはやめた。あれは見たら負けると玲子は思い込んでいる。
のそのそとベッドから降りると保健室のドアまで歩き、廊下の外を左右に首を振る。
「先生?」
だが、何の姿もない。
玲子は入って来た裏玄関のある右側ではなく、左側の方向へとそっとドアから足を抜き出した。
ひっそりと息を殺したように静まり返る校舎内。探検心というのもあったが、何かに導かれている気がして、生徒たちのいない寂しそうな教室の横を通り過ぎながら廊下を歩き、階段を上の階へと登っていく。
やがて屋上へと続く階段の下まで来ると、上を見上げて少し躊躇ったのち、階段を一段ずつ一歩一歩登る。その上にある扉の前。玲子はドアノブを掴むと、ゆっくりと回し押し開けた。
そこは、何の変哲もない屋上のはずだった。が、どこか違っていた。
雲に覆われた空は色を失い、太陽の光は遮られていている。
風も吹かず、音も一切ない。
まるで、空っぽのような世界が目の前に広がっていた。
その中に一人、ポツンと工藤の姿はあった──白いコンクリートだらけの荒廃で立ち尽くすように。
背中はこちらを向いたまま、何を考えているのか窺えない。
何となく声を掛けづらく黙っていると、
「……具合、良くなったか?」
背中越しに工藤が尋ねる。
玲子は「少し……」と小さく呟き、搭屋にトンと背もたれる。「そうか」と工藤からも小さく呟きが返ってきた。
時の流れまでもが止まってしまったかのような空間の中、屋上の真ん中に工藤は座り込む。
「何も変わってないな」
それはいつからなのか。いつからここはこんな風になってしまったのか。少なくとも、それを工藤だけは知っている。
目の前にいる工藤が何だかひどく遠い人のように玲子は思えた。
「──先生」
すぐに返事はなかった。ややあって、
「……その『先生』っての、やめろよ。どうせ俺のいないところじゃ名前呼び捨てで呼んでるだろ? まぁ別にいいけどな、川瀬にはヘンなあだ名で呼ばれてるし」
いつもの冗談交じりの意地悪な台詞に、玲子は少し安心して緊張に呑んでいた息を吐く。
「──工藤」
「何だ?」
早速呼ばれて当たり前に工藤が返事をしたところへ、
「真由子って人は誰?」
思えば、あまりに突然で不自然な問いだったが、聞くのは今しかないと思ったし、ここではそれさえも問題ないような気がしていた。
「……真由子?」
工藤は宙に浮いたようにその名を口にし、
「あぁ……懐かしい名だな」
驚いた様子もなく穏やかな声が返ってきた。だが、すぐに工藤の背中に陰りが落ちていくのが分かった。それをごまかすように、工藤は明るく会話を繋ぐ。
「ここの生徒だった。俺の、受け持ちの。昔、ここで教師やってたんだ、全日制のな」
「ここの生徒? 工藤、全日制にいたの?」
「あぁ、四年前にな。……真由子のこと、どこで知ったんだ?」
工藤は顔を半分こちらに、肩越しに聞いて来る。玲子は少し躊躇したのち、
「……視えた……から」
普段、特別に隠している能力ではないし、工藤にも話して知っている。しかし、あなたに憑りつく霊魂が視えています。と言われ、まず気持ちの良いものではないだろう。けれど、工藤はあっさりとして、
「そっか。じゃあ、もう死んでるって分かるんだな。……おまえのそれって、どんな風にみえんの? ハッキリと? 顔も? 声も?」
何気ない質問だったが、玲子はどう説明するべきか困惑してしまう。
「工藤には、視えないの?」
工藤は再び背中を向けると、空を仰いで言った。
「……あぁ、みえない。俺には、何も……なにもみえないんだ」
そう、嘆く呟くように。
やはり、工藤には何も視えていなかった。それ故に、自分の身に何が起きているのかも知らず、自覚さえもない。
「──由衣子も、みえるのか?」
その名を、ハッキリと玲子は耳にした。
「その子、由衣子ってのは、一体誰? 工藤とどうゆう関係? 由衣子も全日制の生徒だったの? 工藤の受け持ちだったの?」
思わず畳みかけてしまい、しまった。と、すぐに玲子は後悔する。工藤もハッと我に返ったかのように口をつぐみ、そして、ゆっくりと玲子を振り返る。その顔は不愉快に満ちていた。
「それを、知ってどうする? どうして、そんなこと知りたいんだ? おまえが知ったところで仕方ないだろ? それとも、ただの興味本位か?」
「ちがっ、そういうんじゃ……」
「わざわざ聞いたって、つまらないぞ? 教師と教え子の恋愛話なんか。……あーあ、三面記事にもならなかったなぁ、ハァ……それより、おまえ授業はどうする? 早退するのか? とりあえずここ出るぞ、ほら」
工藤に背中を押されながら階段へと引き戻される。
これ以上はもう踏み込むべきではなかったが、まるで他人事のように吐き捨てた工藤の物言いに、何だか苛立った玲子は躍起になってしまう。
「ちょっ、待って! それって、由衣子と工藤は付き合ってたって事? じゃあ、由衣子と真由子の関係は? 同じ同級生だったの? 何で? どうして、二人は……亡くなってしまったの?」
「だから、俺の過去なんてどうでもいいし、おまえには関係ない話だ。二人についても話すつもりはないし、必要もない。……そんなに、このネタ面白いのか?」
「だから、ちがうっ。工藤、由衣子のこと悔やんでるよね?」
「……亡くなった生徒を──仮にも元恋人を俺が悔やんでないとでも思うのか? そんな薄情な教師でも、軽率だったワケでもないがな」
「ううん、そんな事は一言も言ってない! 違うの、工藤が由衣子のこと、すごい悔んでるのは分かるよ? ただね、故人を想う気持ちはごく自然で大切なことだけどね、あまりその想いが強すぎたり引きずったりしてしまうと、亡くなった人は残った人たちのことを心配する余り、安心して上へ昇れなくなってしまうことがあるの! それに工藤の身だって……! 工藤は、その由衣子って子のこと、今でも……」
工藤がピタリと足を止める。玲子はハッと見上げる。
「──おまえがオレに何を言いたいのか、よく分かってやれなくて悪いけどな、人の過去、むやみに勝手に掘り起こしたりするの、そうゆうのはな、あまり良くない。やめておけよ。っつうか、やめてくれないか?」
悲痛な笑い顔だった。せめて、やめろ! と怒鳴ってくれた方がマシだったかもしれない。
「ごめん……なさい」
玲子は先に玄関へと駆けた。後ろから「おい、里見っ」と呼び止める声がしたが、素直に足を止める事はできず、そのまま校舎を飛び出した。
目を覚ました玲子は、ぼんやりと開いた目をこすりながら辺りをキョロリと見渡した。
誰かの声が聞こえた気がした。
「……先生?」
ここに工藤以外がいるとしたら、他の先生方くらいしか考えられない。
上体を重く起こし上げると、頭痛と鼻やのどは落ち着いているのが分かった。体の気だるさはあるが、熱も大してあるようではなかったので、体温計で測るのはやめた。あれは見たら負けると玲子は思い込んでいる。
のそのそとベッドから降りると保健室のドアまで歩き、廊下の外を左右に首を振る。
「先生?」
だが、何の姿もない。
玲子は入って来た裏玄関のある右側ではなく、左側の方向へとそっとドアから足を抜き出した。
ひっそりと息を殺したように静まり返る校舎内。探検心というのもあったが、何かに導かれている気がして、生徒たちのいない寂しそうな教室の横を通り過ぎながら廊下を歩き、階段を上の階へと登っていく。
やがて屋上へと続く階段の下まで来ると、上を見上げて少し躊躇ったのち、階段を一段ずつ一歩一歩登る。その上にある扉の前。玲子はドアノブを掴むと、ゆっくりと回し押し開けた。
そこは、何の変哲もない屋上のはずだった。が、どこか違っていた。
雲に覆われた空は色を失い、太陽の光は遮られていている。
風も吹かず、音も一切ない。
まるで、空っぽのような世界が目の前に広がっていた。
その中に一人、ポツンと工藤の姿はあった──白いコンクリートだらけの荒廃で立ち尽くすように。
背中はこちらを向いたまま、何を考えているのか窺えない。
何となく声を掛けづらく黙っていると、
「……具合、良くなったか?」
背中越しに工藤が尋ねる。
玲子は「少し……」と小さく呟き、搭屋にトンと背もたれる。「そうか」と工藤からも小さく呟きが返ってきた。
時の流れまでもが止まってしまったかのような空間の中、屋上の真ん中に工藤は座り込む。
「何も変わってないな」
それはいつからなのか。いつからここはこんな風になってしまったのか。少なくとも、それを工藤だけは知っている。
目の前にいる工藤が何だかひどく遠い人のように玲子は思えた。
「──先生」
すぐに返事はなかった。ややあって、
「……その『先生』っての、やめろよ。どうせ俺のいないところじゃ名前呼び捨てで呼んでるだろ? まぁ別にいいけどな、川瀬にはヘンなあだ名で呼ばれてるし」
いつもの冗談交じりの意地悪な台詞に、玲子は少し安心して緊張に呑んでいた息を吐く。
「──工藤」
「何だ?」
早速呼ばれて当たり前に工藤が返事をしたところへ、
「真由子って人は誰?」
思えば、あまりに突然で不自然な問いだったが、聞くのは今しかないと思ったし、ここではそれさえも問題ないような気がしていた。
「……真由子?」
工藤は宙に浮いたようにその名を口にし、
「あぁ……懐かしい名だな」
驚いた様子もなく穏やかな声が返ってきた。だが、すぐに工藤の背中に陰りが落ちていくのが分かった。それをごまかすように、工藤は明るく会話を繋ぐ。
「ここの生徒だった。俺の、受け持ちの。昔、ここで教師やってたんだ、全日制のな」
「ここの生徒? 工藤、全日制にいたの?」
「あぁ、四年前にな。……真由子のこと、どこで知ったんだ?」
工藤は顔を半分こちらに、肩越しに聞いて来る。玲子は少し躊躇したのち、
「……視えた……から」
普段、特別に隠している能力ではないし、工藤にも話して知っている。しかし、あなたに憑りつく霊魂が視えています。と言われ、まず気持ちの良いものではないだろう。けれど、工藤はあっさりとして、
「そっか。じゃあ、もう死んでるって分かるんだな。……おまえのそれって、どんな風にみえんの? ハッキリと? 顔も? 声も?」
何気ない質問だったが、玲子はどう説明するべきか困惑してしまう。
「工藤には、視えないの?」
工藤は再び背中を向けると、空を仰いで言った。
「……あぁ、みえない。俺には、何も……なにもみえないんだ」
そう、嘆く呟くように。
やはり、工藤には何も視えていなかった。それ故に、自分の身に何が起きているのかも知らず、自覚さえもない。
「──由衣子も、みえるのか?」
その名を、ハッキリと玲子は耳にした。
「その子、由衣子ってのは、一体誰? 工藤とどうゆう関係? 由衣子も全日制の生徒だったの? 工藤の受け持ちだったの?」
思わず畳みかけてしまい、しまった。と、すぐに玲子は後悔する。工藤もハッと我に返ったかのように口をつぐみ、そして、ゆっくりと玲子を振り返る。その顔は不愉快に満ちていた。
「それを、知ってどうする? どうして、そんなこと知りたいんだ? おまえが知ったところで仕方ないだろ? それとも、ただの興味本位か?」
「ちがっ、そういうんじゃ……」
「わざわざ聞いたって、つまらないぞ? 教師と教え子の恋愛話なんか。……あーあ、三面記事にもならなかったなぁ、ハァ……それより、おまえ授業はどうする? 早退するのか? とりあえずここ出るぞ、ほら」
工藤に背中を押されながら階段へと引き戻される。
これ以上はもう踏み込むべきではなかったが、まるで他人事のように吐き捨てた工藤の物言いに、何だか苛立った玲子は躍起になってしまう。
「ちょっ、待って! それって、由衣子と工藤は付き合ってたって事? じゃあ、由衣子と真由子の関係は? 同じ同級生だったの? 何で? どうして、二人は……亡くなってしまったの?」
「だから、俺の過去なんてどうでもいいし、おまえには関係ない話だ。二人についても話すつもりはないし、必要もない。……そんなに、このネタ面白いのか?」
「だから、ちがうっ。工藤、由衣子のこと悔やんでるよね?」
「……亡くなった生徒を──仮にも元恋人を俺が悔やんでないとでも思うのか? そんな薄情な教師でも、軽率だったワケでもないがな」
「ううん、そんな事は一言も言ってない! 違うの、工藤が由衣子のこと、すごい悔んでるのは分かるよ? ただね、故人を想う気持ちはごく自然で大切なことだけどね、あまりその想いが強すぎたり引きずったりしてしまうと、亡くなった人は残った人たちのことを心配する余り、安心して上へ昇れなくなってしまうことがあるの! それに工藤の身だって……! 工藤は、その由衣子って子のこと、今でも……」
工藤がピタリと足を止める。玲子はハッと見上げる。
「──おまえがオレに何を言いたいのか、よく分かってやれなくて悪いけどな、人の過去、むやみに勝手に掘り起こしたりするの、そうゆうのはな、あまり良くない。やめておけよ。っつうか、やめてくれないか?」
悲痛な笑い顔だった。せめて、やめろ! と怒鳴ってくれた方がマシだったかもしれない。
「ごめん……なさい」
玲子は先に玄関へと駆けた。後ろから「おい、里見っ」と呼び止める声がしたが、素直に足を止める事はできず、そのまま校舎を飛び出した。
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