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二十二.幽霊に幽霊を助けてと言われる

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 翌週の土曜日。午前十時過ぎ、妥当な時間帯に学校へと玲子れいこはやって来た。教室のドアを開けてると、教室の後方に片づけられた机をいくつかくっつけて広げ、ノートパソコンで仕事をしている工藤の姿があった。

「来たか」

 待っていたという雰囲気もなく、パソコンのキーボードを叩いたまま。
 キョロッと教室内を見渡し、どうやら仲間はいないらしい事に、置いてけぼりな寂しい気分で、のそのそと席につく。

「古典、世界史、科学、英語、さぁ、どれからいく? 心の準備ができ次第、言え」

 世間話の一つもなく、容赦なく本題に入られる。玲子も黙ったまま、ゴソゴソとバッグから筆記用具を取り出すと、

「物理!」

 気合一発、シャープペンを握って構える。も、工藤が教室の時計を見てぼんやりと、

「三十二分か。ややこしいからあと三分してからな」

 待たされる。裏返された答案用紙を、カップラーメンができるのを待つようにジッと見つめる。三分経ったが工藤からの掛け声はなく、もういいかな? と、そっとラーメンのフタのようにめくって開始した。

 カタカタカタカタ──

 教室に響く小気味の良いタイピングの音。チラッとパソコンへ視線をやると、「気になるか?」と聞かれ、「いえ」と返した。
 気になるのはパソコンのキーボードを叩く音ではなく、工藤がななめ右方向に向かい合わせで座っている事だ。横は変だし、真正面は嫌だし、思えば自分の机を用意すべきだったと、今更気づくも遅い。
 けれど、今日は広々とした教室内に邪気はない。身も軽く余裕ありげに片肘ついてシャーペンをくるりと回す。工藤は監視の目をくれるが何も言わず、遠慮して控え目に動かしていたキーボードを叩く指先を通常速度に切り替えた。

「できた! 次、世界史ください!」
「次! じゃないっ、まだ答えてない箇所ありまくるだろっ」
「分りません」
「よく考えなさい」
「考えても分からないものは分かりません。必要最低限の点数を取れたならば、諦めて次へ進んだ方が時間の短縮で頭の疲労も防げます」
「……とても賢明だが、教師としては容認してやれん」

 言いながらも、工藤は答案用紙を受け取ると「まぁ、大丈夫だろ」と、次の世界史を渡す。文系の玲子は、今度は先程とは打って変わって真剣に問題に向かい、ペンを休めること無く走らせた。三教科を終えたところで、

「おっし、じゃあ休憩入れるか。昼飯は? 持って来たのか? 今のうち、食えよ。オレはちょっと仮眠するから。適当に休憩済ませたら起こしてくれ」

 と、机に突っ伏した工藤。

「…………」

 玲子はバッグから弁当と水筒を取り出し机の上に広げた。「いただきます」と小声で両手を合わす。

 ──モシャモシャ、カリッボリボリ

 正午を過ぎた静かな教室内。玲子が弁当を食べる音だけがひたすら響き渡る。教室に限らず、校舎全体が静かだった。よくあるグラウンドから聞こえる部活動をしている生徒達の声や音などは一切ない。それはいつもの日曜にあるスクーリングの時と一緒なのだが。わずかに駅へと向かう大通りの道路を走る車の音が聞こえてくる程度だ。

 ──スースー

 工藤の寝息が聞こえ始めた。

「…………」

 玲子は弁当を食べ終わると、今度は食後のデザートが入ったタッパ―を開けた。

 ──カプ、シャクシャク

 一人で黙々と咀嚼を繰り返していると──、
 ゆらりと工藤の体から半透明な影が揺らめき立った。玲子は一瞬止まったものの、慌てる事無く、よく噛んでゴックンする。その間に、それは人の姿へと形作られていく。

(──ゆいこ)

 至近距離での対面は初めてだ。これは相手の出方次第では無敗の戦いになる。玲子は口の端を手の甲で拭って一応、臨戦態勢を取る。が、相手はやわらかな面持ちで、けれど、どこか儚くうつろな瞳でうつむいている。こちらに警戒の気配はない。なので玲子も体勢を崩して、そしてゆっくりと慎重に声を小さく話掛けてみた。

「……あなたは、誰?」

 問いかけに、すぐに返事はない。そう簡単に霊魂と対話するなど、玲子にとっては高度で難しい。うーん。と、首を傾げてから、玲子は少し躊躇した後、口にする。

「……あなたは、ゆいこ?」

 すると、相手はゆっくりと玲子に顔を向ける。そして、左右に頭を振った。

「えっ?」

 思わずい普通に声を出してしまい、バッと口を手で塞ぐ。工藤が起きると、いつものように姿を消すかもしれなかったからだ。玲子は頭の中で混乱をきたす。
 ゆいこではない? いや、そもそも工藤から耳にした名前が間違っていた?
 
 ──真由子

「真由子……?」

 人違いをされたせいか、相手は自ら名乗った。その名はゆいことよく似た姉妹のような名だ。ややこしいなと、玲子は心で軽く舌打ちする。

 ──助けて

「え……?」

 ──由衣子を助けて

「えぇーっ?」

 意味不明に助けを求められて、思わず素っ頓狂な声を発してしまう。再び、玲子は両手で口を固く塞いだ。

「……っ」
「工藤?」

 寝ていた工藤が苦しそうにうめいて顔を歪めたかと思えば──ズキッと玲子のこめかみに痛みにが走る──そんなはずはない。
 工藤から邪気の存在を感じ取った玲子がガタンと椅子から立ち上がり身構える。

「──なんで?」

 どす黒い渦が工藤の体内でうごめいているのが視えた。
 すると、工藤の背後で強張った表情を見せていた真由子が上昇し、勢いをつけて邪気ごと押さえ込むように工藤の中へと戻っていった。
 一瞬の出来事。
 教室内が元通りに静まり返る。

「…………」

 立ち上っていた玲子は、腰が抜かして椅子の上に落ちる。
 事態の状況は全く飲み込めないが、とんでもないものを視て、ポカンと口を開け惚ける。が、ズキッと痛んだこめかみに口を閉じた。少しだが邪気に当てられたようだ、これは夢ではないのだと分かる。

「ん……っ」

 金縛り状態から目覚めた工藤が瞼を重く開き、同じくこめかみを押さえながら顔を上げた。額には汗が薄っすら滲んでいる。
 しばし、二人はズレた焦点のまま見つめ合う。

「……どした?」

 何故か放心状態になっている玲子の姿を前にしても、もはや工藤は驚くことなく冷静に尋ねる。

「……いえ、何でもありませんよ?」

 淡々としているが、どこか変な口調で答えた玲子。

「……オレの方はひどい夢見てた気がするぞ。なんだ、これ、金縛りか……」

 額と顔を覆って目を擦ると、机の上にタッパを見つけた工藤。「一つもらい」と中身をヒョイと一つ摘まんで口に入れる。
 そこで玲子はハッと気づく──この緊急時に欲たらしく片手にフォークを持ったままだったことを──何だかとても恥ずかしくなった。

「……これ、梨か」

 てっきりリンゴかと思って口にした工藤は、そっちには軽く驚きを見せたのだった。
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