みえない君~このほんのわずかな時の学舎で~

葵田

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九.いざ、開眼!

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 空はどこまでも青く広がり、さんさんとした太陽の光がまばゆい。初夏だというのに、まるで真夏のようなの天候の下、一見すれば何かのツアー客に間違ってしまいそうな老若男女の集団は、春の遠足中の鶴丸つるまる高等学校通信制課程の生徒達だ。
 その中で、若い内に入る女子生徒である里見玲子さとみれいこは、ゼィゼィと息を切らして歩いていた。
 学校からすぐ近くの公園内にある城は、標高七十メートルの小高い山の上にある。麓から山上までは結構な急斜面の石段が続く。石段の幅が微妙に自分の歩幅と合わず、一段登るごとに一歩ずつ立ち止まる。という苛立ちを抱えながら、玲子は懸命に足を踏みしめ歩んでいるところだった。

「里見ー、遅いぞー」

 工藤が五段上から発破をかけてくる。

「息上がってんなぁ。白川さんと地井さんはもうとっくに先行ってんぞ。負けんなよー」
「地井さんや白川さんと、比べないで下さい…っ」
「じゃあ、誰と比べんだ? 同年代にも負けてんぞ?」

 地井や白川は玲子よりずっと上の年配者で、白川に至っては還暦を迎えた初老である。そんな二人に負けてしまっている上に、同年代にも負けてるときた。もはや、誰と比べられても情けない。

「先生こそっ、遅れてますよ……ハァハァ……」

 息を上げながら反論する。だが、

「オレは、しんがりなの」

 さらりと流される。

「へーそうなんですか、大変ですね。しっかり守って下さい」

 と、棒読みで返した。

「……姫は今日もご機嫌麗しゅうないのぅ」
「はい? 何か言いましたか?」

 ボソリとつぶやかれて玲子は聞き返したが、それには答えず、工藤は後方を振り返って立ち止まる。玲子もつられて首を後ろに向けると、まだ数名の生徒がやる気なさそうにダラダラとお喋りをしながら歩いて登っていた。

「おーい、早くしろ! 弁当食いそこねるぞー!」

 良い子からのイエスの返事はなく、代わりにキャハハと楽しそうな笑い声が返ってくる。前方からは、「工藤ーおそーい、オッサン」と、石段の踊り場でくつろいでいる生徒達から茶々を入れられ、前方と後方から挟み撃ちだ。

「……本当に、大変ですねぇ」

 しみじみと玲子は、お情けたっぷりに皮肉を込める。

「あぁ、ホントになぁ。おまえもまだ若いというのにそんなに息切らして、大丈夫か? 美人薄命ってやつか」
「それ、褒め言葉なら使い方間違ってますよ。人を勝手に早々殺さないで下さい! 私は長生きして、年金の元をしっかり取るんですから!」

 キリッとピシャッと言い放った玲子の目は真剣そのものだった。

「お、おう。がんばれ。……おまえ、意外と神経は図太そうだな」
「ほっといて下さいっ」

 ムキになった玲子に、「姫がご立腹じゃ」と笑いながら、まだ一向にペースを上げてくれない後方の生徒へと向かって石段を下りて行った。

(あぁ……何やってるんだろ)

 完全に調子を狂わされてしまい、玲子は片手でクシャッと髪を掴み上げた。教師相手に本気に腹を立てるなど馬鹿馬鹿しい。なのに、苛立ってばかりだ。

(……生理前のせいかな?)

 天然な思考だけは、決して狂う事はない。
 山上はすぐ目の前。残すところあと数段。という場所にある踊り場の石垣に持たれて一息つく。くっついた背中越しから、石垣の生命力溢れる強い波動を感じた。──自然にも魂がある。というのが、神道の考えだ。
 玲子は石垣に両手を前に体を張り付かせると、しばし癒される。……傍目から見るとかなり変な人だ。
 そして、散漫していた思考を取り戻すと、本題の方へと向かう。


(ここを登ったら、いよいよ……)
 ここまで登りながら、眼を全開して〝視る〟と決めたが、やはり怖気づいている。迷いを捨てきれない。そこへ──、

「よっ!」

 石垣の上からひょっこりと頭を覗かせ、玲子を見下ろしてきたのは川瀬梨奈かわせりなだった。

「あれ? 来てたの?」
「ひっどー。って、あんたずっと足元見つめて黙ってたから追い抜かせてもらったわ」

 全く気づかなかったのは、階段を上るのにヒィヒィと必死こいてたからだけではなく、黙々と例の考え事をしていたからだ。

「クドちゃんに励まされてたじゃーん」

 と、ニヤニヤ含み笑いする梨奈の真意に、玲子は気づかない。

「いや、全然励ましにもなんないし」
「あらら、可哀想に」

 もちろん、可哀想なのは工藤の方である。
 ここにきて、梨奈の顔を見ると少し勇気が湧いてきた玲子だ。

(……よし)

 玲子は正面を向く。

(いざ、戦場だ!)

 最後の階段を大袈裟な気合いで足を踏み込んで上った。
 山上を登った天守閣のある城の周辺は、広々とした敷地になっている。地面はコンクリートや敷石ではなく、野草の生えた土壌だ。城がなければごく普通の公園だろう。すでに先に登っていた生徒達が、あちらこちらで自由に弁当を広げて昼食を楽しんでいた。
 玲子は視線に意識を集中させて辺りを注意深く見渡そうとする。が、

(誰が誰?)

 自分のクラスメイトの顔と名前を全員は覚えていない。というか、知らない。入学式に全員揃ったはずだが、何人も減っている。大検に合格して大学へと進学した者もいれば、自然消滅するかのようにいなくなった者など様々だ。なので他の学年に至っては、さっぱりである。
 とりあえず、誰が誰だか分からずとも、玲子が探しているのは〝邪霊〟だ。顔と名前は関係ない。視てみれば、何人かの生徒にボゥと霧がかかっている。邪霊などではなく、本人自身の霊魂が穢されて負のエネルギーを生み出していた。

(あの子、お浄めした方が良いかもなぁ)

 一人でポツンと人の輪から遠ざかっている長い黒髪の色白な女子生徒を見つける。いかにも何か憑けていそうだが、実際にごく小さな背後霊が憑いていた。
 負のエネルギーを生み出し続けていると、本人も気づかぬうちに自ら邪霊を呼び寄せてしまう事がある。時々、このような人に出会うのだが、神社へお祓いに行った方がいいよ。などと玲子が言うと、まるで宣伝や勧誘みたいになってしまうので難しいのだった。

「あんた、何に飢えてんの?」

 目を血走らせている玲子の顔を梨奈が覗き込む。

「え?」

 プツンとテレビが消えるのように視界が遮断される。同時に顔面に滲み出ていた汗が頬をつたい流れた。階段を上って体力が落ちているところへ持ってきて、精神まで消耗させたのだ。玲子は軽いめまいを起こしそうになる。

「弁当? それとも男でも漁ってんの?」
「ち、違うっ、弁当!」

 と、弁当の方を選んで、手で顔をパタパタさせながらリュックからタオルを取り出し汗を拭く。そこへ、

「センセー、この子、飢え死にしそうでーす!」

 後方からバッドタイミングで最後の石段を登り切った工藤に向かい、梨奈が挙手をしながら悪ふざけに言った。

「は? だったら早く弁当食え……って、どしたんだ、里見っ?」

 いきなり何を言ってるんだとばかりに梨奈に目を向けた工藤は、隣で本当に倒れそうな顔色の玲子に気づいて慌てて駆け寄る。

「いえ、大丈夫です……ただお腹空いただけですから」
「そうなのか? ぐったりして、そんなにも……素早いエネルギーチャージ―のゼリーいるか?」

 何でそんなものが飛び出てくるんだ? というツッコミは今はどうでも良く、口から出した台詞とは逆に食欲を失っていた玲子は、有難く受け取った。そしてリュックの中から自分の弁当箱を取り出し、

「これ良かったら、代わりに食べて下さい」

 と、半ば押しつけるよう工藤に渡すと、ひょろひょろしながら玲子は広場の向こうへと歩いて行く。

「ん? 腹減ってんじゃないのか? おーい、里見ー?」

 先週のタオルに次ぎ、今度は弁当を受け取った工藤だ。

「あっ、いいなぁー玲子の手作り弁当は美味しいのよー。胃袋つかまれちゃうわよー」

 梨奈が冷やかしながらも半ば本気にうらやむ。

「じゃあ、おまえが食べろよ」
「ダメ―! ちゃんと責任持って食べなさい! 乙女心を裏切っちゃダメ!」
「はぁ?」

 一体何なんだと、工藤は引率に疲れが見えてきたのだった。
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