ドラッグジャック

葵田

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17.「大ピンチ」

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 河川敷から見える空は、すでに太陽の姿は沈んで見えず、わずかに残った一筋の光が伸びて差している。
 ユキは両手をポケットに突っ込み、うつむきながら気が重く歩いていたが、気を取り直して顔を上に上げカレンダーの日付を頭に思い出す。
 一週間後が老人の誕生日だ。
 どんなプレゼントがいいだろうか。じじいなので花を贈っても喜ぶか微妙だ。しかし、実用的な物といえば、大体は揃えて持っていて新しい物もあるのに、勿体ないのか倹約しているのか、いつも古いのばかり使っている。

「んー……難しいもんだな。ケーキだけでいっか?」

 ブツブツと一人言を言っていると、前方がフッと急に暗くなった。顔を上げると、見知らぬ男が立っている。
 ユキは反射的に警戒の姿勢を取る。すると、河川敷の下から、もう一人の男が上がって来た。どうやら二人はユキを待ち伏せしていたようだった。

「ご丁寧なお迎えで、どうも」

 ユキは皮肉りの挨拶を述べる。

「こいつが? ドラッグジャック? マジ?」

 前方の男が後方の男に向かって言う。毎度の事だが、馬鹿にしたような疑われように、ユキはカチンと頭にくる。
 後方を振り返ると、見覚えがある人物。先日のヒョロ男だった。今日は態度もヒョロく、「そうっス」と前方の標準体型をした男に腰を低く答える。

「へぇ、このおチビちゃんがねぇ」
「用件なら、下で聞く。とっとと来い」

 大体の事態を把握したユキが苛立ちを交えて、河川敷の下へと滑り降りる。
 帰宅帰りのサラリーマンや、犬を散歩させている通行人のいる河川敷の上では、人目につく。話も今日はそう簡単にもいきそうにない感じだ。来るなら、そろそろだろうと、予想はしているところだった。
 ユキに続くよう、男たちも河川を降りると、「こっちだ」と標準体型男が案内した。その先は、橋の下だ。河川の上から完全に死角に位置する。内心、まずいと少し恐れたが、悟られぬよう強気の姿勢を保つ。
 橋の下にはもう一人、ガタイの良い男が待ち構えていた。ボスといったところか。あともう一人、横にニット帽の男が静かに立っていた。今日もちゃんとニット帽を被っている。色は先週のグレーの色違いでモスグリーンだ。

「で、何の用だ? 今日はあまり気分が優れないんだ。用件があるなら、さっさと言ってくれ。早く済ませたい」

 するとガタイの良い男が、

「転売屋って、こいつか? まだガキで、しかも女?」

 またしてもユキは、カチン。

「おい、聞いてないぞ」と、ガタイ男はヒョロ男に突っかかると、「女の年齢は化粧で化ければ分かりませんよ」とニット帽が横からつぶやく。
 つくづくコントが好きな奴らだ。ユキの言葉は無視されている。イライラしながらも、その間に状況を観察する。橋の柱を背にガタイ男と、その隣にニット帽。そして、後ろに標準男とヒョロ男がユキの動きを見張っている。
 四人の関係は、会話のやり取りと喋り方により、大学の先輩と後輩だろう。ヒョロ男たちから話を聞いて食いついてきたとみた。
 ヒョロ男を責め立てていたガタイ男は、

「別に乱暴しようってワケじゃない。ただ、薬を売ってくれりゃいいんだよ」

 お決まりの台詞と共に猫なで声に態度を豹変させてくる。何人もの男に囲まれ、怯えて素直に薬を出してくると思っているようだ。
 ユキはフゥ溜息をつくと、

「あいにく、うちは成人にはお断りしている。そいつから聞いてなかったのか? 薬が必要ならば、医療機関へ相談してくれ。遊びで手に入れたいなら、闇の業者からにでも手に入れるんだな。なんなら、紹介してやるが?」
「顔はカワイイけど、案外、生意気な口ぶりだなぁ。仮病装うなんて面倒だ。裏で買おうにも、奴らはヒマを持て余した時間で国の税金使ってタダで薬手に入れてるってのによ、それを一シート二千円だぁ? 冗談じゃねぇ」
「ごもっともで。言いたいことは分かってやれるよ。一シート二千円てのは、ぼったくりもいいとこだな」
「だろ? んで、おまえのところで安く手に入ると聞いたワケだ。なぁ、フルニトラゼパムってのあるか? いくらだ?」

 ユキはあからさまに顔を歪めて、

「サイッテー」
「あ? なんか言ったか? 一番強い睡眠薬だろ?」
「いや、それほどでも……てか、フツーに飲んで寝る気か?」

 フルニトラゼパムはレイプドラッグとして、その名は有名だ。酒に混ぜて女に飲ませ、泥酔状態にさせて暴行するという悪用に使われるケースがある。しかし、近年では錠剤を溶かすと青色になるようなっていて、犯罪防止となっている。が、ブルーのカクテルに混入されれば意味もない、とツッコむユキだ。

「持ってないのか? なら、他の売ってくれ」
「だから、同じことを何度も言わせるな。アンタと取引を行う気はない。無理なもんは無理だって、分別の良い大人なら分かるだろ?」
「ってく、強情だな。こっちも乱暴はしたくねぇって、優しく言ってやってんだぞ?」

 男はズボンのポケットから飛び出しナイフを出し、鋭利な刃をギラつかせ脅してくる。

「……矛盾なんだけど?」
「そのリュックの中身、出せよ。入ってるんだろ? 無理矢理、奪い取ってもいいけどな、その際は暴れるなよ? うっかり刺されても知らないからな」
「…………」

 男の言う通りに大人しく薬を渡せば身の危険はないだろう。しかし、味を占めて後々と付け回され続けては厄介で面倒だ。
 ユキは背負っていたリュックを肩からずり落とし、リュックごとガタイ男に向けて投げつけた。

「──っと、商品、雑に扱うなよ」

 キャッチしたガタイ男は型落ちしたノートPCには目もくれず、リュックの中を漁る。

「タオル、歯ブラシ、下着……ふーん、色気ねぇな。あとは何だ、懐中電灯? って、防災セットかよ!」
「なんか文句あるか? 備えあれば憂いなしだろ? 常日頃、一人一人が意識するのが大事だ」

 刃物を持った男を目の前に、ユキは冷静でいた。ガタイ男はやや焦り苛立った様子でユキを睨みつけながら、リュックの中身をぞんざいに放り投げていく。

「お、鎮痛剤。と、胃薬……? 鼻炎薬ぅ?」
「いいこと、教えてやるよ。いわゆる市販の睡眠改善薬ってのは、鼻炎薬の成分と同じなんだよ。ハイになりたいなら、なかなかオススメだ」
「……おちょくってんのか?」

 ガタイ男は明らかに不愉快に怒りを顔に表している。辺りに緊張感が張り詰めてきた。他の男共も合図を待つかのように足元をジリジリと動かす。

「その、ボディバッグもよこせ」

 たすき掛けで前身に収納部分があるバッグだ。サイズはウェストポーチと変わらずスマホと財布が入る程度だが、錠剤の薬だけならばまぁまぁの量は入る。最初からガタイ男も目を付けていたのはこっちの方だ。

「そう安々と貴重品を渡すバカはいないだろ? 断る」

 実際は貴重品は洋服のポケットに身に付けていた。男の狙い通り、ボディバッグには主に薬が入っている。
 ガタイ男が顎をクイッとしゃくった。

「──っ!」

 後方から標準男がユキを羽交い絞めに両脇を固定する。

「結局、暴力かよ!」
「黙って従ってれば、薬もちゃんと代金払って買ってやるっつってたんだよ、おまえが悪いんだろ?」
「無茶苦茶な言いがかりだな。すでに手出してるヤツの言葉なんて信じられないし、信じなくて正解だったな!」

 ガタイ男の斜め横にいるニット帽がチラリと目を合わせてきて、首を左右に振った。無駄な抵抗はやめておけという忠告だ。少なくとも、ニット帽男は気乗りしていない。
 ユキはピタリと静まる。それを男どもは観念したと思い込み、気を緩めた。次の瞬間、

 ──ガッ

 ショートブーツのヒールの踵で、標準男の足の小指を狙って力いっぱいに踏みつけた。

「イデッ!」

 足の小指に激痛が走る。標準男はユキから手を離して膝を落とし足先を抱えようとした。そこへ、首に回し蹴りを食らわせトドメを刺す。標準男はゴロリと地面に倒れ込んだ。

「ッヤロォ」

 こいつ、やれるのかと、ガタイ男は目を丸く剥き出して一瞬、怯む。その隙を逃さず、ユキはガタイ男に抱きつく形で体をグイッと引き寄せ、股間をめがけて右膝を強く突き上げた。

「うおっ」

 ガタイ男は股間を押さえて悶絶する。

「悪いな、わかりやすい急所、ぶら下げてるとつい、な」

 フゥと息をついたところへ、

 ――ガッ

 後頭部に強い衝撃を受けたユキ。目の前に火花が飛び散る。

「お……まえ……っ」

 すっかり存在を忘れてしまっていたヒョロ男に鉄パイプで殴られたのだった。

「悪く思うなよ。オレの立場ってのもあるんだよ」

 そう言いながら、声を小さく震わせている。「おいっ」とニット帽男がヒョロ男に駆け寄って来る。
 視界が暗くなっていく中、ユキは遠くに声を聞いた。

 ――ユキッ

 誰かが呼んでいる。その声は老人に似ているが、おそらく、間違いない。ここから五十メートル先に老人の小屋はある。釣りでもしていて騒ぎを嗅ぎつけたか。

「ユキッ! 大丈夫かっ?」

 やはり飛んできた老人に、

「来るなっ」

 ユキは足を止めさせる。

「何だ、じじい。まさか、おまえの祖父か?」

 どこからともなく登場した老人に、ガタイ男は半ば呆気に取られている。が、老人の方は血気盛んだ。

「ユキ、逃げろ! こやつらの相手はわしに任せろ!」
「バカっ、あんたは引っ込んでろっ――っ」

 大声を出すと痛みがほとばしり、ユキは頭を押さえる。立ち上がろうとするも、足元がよろめいた。

「じじい、ジャマだ。消えろ、やっちまうぞ」
「老いぼれじじいじゃ、この命、可愛い孫のためなら喜んでくれてやるわい。その代わり、一円の得にもならんがの、ハハハッ」

 あっかんべーして、へらつき笑う老人に、ガタイ男は頭に怒りを上げて殺気立たせる。

「クソじじい。火葬場に持ってって、焼くぞ? コラァ」

 ヒョロ男から鉄パイプを奪い取ると威嚇するよう大きく振り回した。

「じいさん! 逃げろ!」
「逃げるのは、おまえの方じゃっ、行け!」

 途端、老人は何かを投げ放つ。

「わっぷ」

 ちょうど向かい風で、それをまともに食らったガタイ男は顔を覆う。そして、くしゃみをした。

「なんだ、これ……くしゃんっ」
「コショウじゃ。わしを焼くにぁあ、しっかり美味しく味付けしてもらわなのぅ。ハッハッハ」
「ふざけやが……ハックションッ。おい、おまえらも見学してんじゃねぇ。やっつけろっ……クシャッ」

 だが、ヒョロ男もニット帽男も同じくコショウを被っていた。辺りにくしゃみの音が広がる。標準男に関しては、まだ地面に転がったままでコショウは浴びなかったが、足の小指から太ももまでビリビリと伝わる強い痛みに、骨が折れたと思い込んで絶望している。
 そこへ、遠くからパトカーのサイレンが響き近づいてきた。

「くそっ、サツまで呼びやがって……おい!」

 ガタイ男が呼びかけると、男どもは標準男を抱えて逃げる気だ。警察に見つかると危ないのはユキも同じだった。

「じいさん、悪い」
「あぁ、わかってる。はよぅ、行け!」

 全員は蜘蛛の子を散らすように、それぞれその場を離れて逃げていった。
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