ドラッグジャック

葵田

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4.「ホームレスのじいさん」

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 河川敷にある橋の下、板や段ボールでつぎはぎに作られた小さな小屋らしきものが、息を潜めるようにひっそりと隠れている。
 少しずつ資材を集めて作られてたそれは、家とは呼び難いものだったが、そこにはれっきとした人が住んでいる。いや、住みついていると言ってもいいだろう。もう何年経つのか。
 ユキはそこの住民を訪れた。

「じいさん、いるか?」

 小屋の入り口を覆う布切れの前で声をかけるも、中から返事はない。

「どーこ行ったか」

 小屋のすぐ目の前に流れる河川を見渡すと、遠目に人の影を見つけた。懐中電灯も持たずに歩いているので、近寄るまでハッキリとその姿が見えないはずだが、ユキにはその人物が誰だかすぐに分かった。相手はこちらにゆっくりと歩き近づいて来る。

「──フナじゃ」

 そう、老人はしゃがれた声で手にした一匹の魚を掲げてみせた。

「新しい釣り竿が手に入ってな、試し釣りじゃ」
「新しいのって? またゴミ漁りでもしてたのか?」
「ゴミ置き場にこんな宝は滅多にない。速攻で盗まれて売り飛ばされるわい。これは釣り仲間から安く譲ってもらったんじゃ」
「なんでもいいけど、夜釣りなんかするなよ。一昨日の雨で河川が増水してんだ。流されても知らないぞ」

 ユキの忠告を聞き流し、老人は小屋の前に焚火を点けると、木の板の上で古く錆びた包丁を使いフナを調理し始める。

「待っとれ。今から〝てっぽう〟作ってやるからの」
「オレ、あんま好きじゃない」
「まぁ、そう言わずに食え」

 と、老人は小屋の中から、味噌や醤油などの調味料を取り出してくる。生活に必要な物は何でも一通り揃っていた。
 老人は慣れた手つきで魚をさばいていく。

「ここのところ、姿見せなんだな。どこで寝てる? そろそろ朝晩は冷え込んでくる頃じゃ。今夜は泊まってくか?」
「いい。そこら辺の公園で寝る。まだ大丈夫だよ」
「じゃあ、寝袋持ってけ」

「いいよ、じーさんが使いな」と断ったのだが、老人は小屋の中から引っ張り出してくる。ユキのことをあれこれ心配して世話を焼くのはいつものことだった。
 ユキがじいさんと呼ぶ老人は、七十代くらいだ。身なりはごく普通で、小汚いホームレスらしさは感じない。ちゃんと家もあるらしいが、好き好んでこの生活をしていた。
 パチパチと焚火に小枝をユキがくべていると、フナのてっぽうは出来上がった。自慢の料理に「食え」と言うので、ユキは一つ二つ手でつまんだ。
 米もない質素な夕飯が終わると、

「じいさん、ちょっと頼みたい」
「あぁ」

 ユキの用件を聞かずとも、分かった風に老人は返事した。

「女子高生くらいの、ある?」
「ちょうど、手に入れたとこじゃ」

 小屋の中へ入ってガサゴソと音を立てると、それを持って出て来る。
 手にしていたのは、健康保険証──赤の他人の物だ。
 入手ルートは大人の物である場合、多くはスリだ。終電などで酔っ払いの懐を狙う。金品は取らないのが、ルール。そのため、しばらく気づかない者も少なくない。
 若者であれば、ストレートにうまい話で金で買う。何ら危機感もなく、小遣い欲しさに売ってくれた。

「まったく、親にバレたらどうしようとか考えない奴らだな。ま、市役所から医療通知ハガキが届いている事すら知りもしないか」

 もっとも、親にバレる頃には、こちらも保健証は使い捨てている。オンライン診療を行っている病院は全国各地にある。つまり、保険証の再提出を求められれば通院先を転々と変えるだけだ。
 ちなみに、紛失した健康保険は市役所ですぐに再発行してもらえるが、働いている者や学生ならば平日の昼休み時間を使って市役所まで足を運ばなくてはいけない。これがなかなか面倒で長い間、放置する者もいる。こちらとしては、そのまま有難く使わせてもらっているのだった。

「二十一歳、男か。まぁ、問題ない」

 老人はユキの短い髪に黒いパーカーとカーゴパンツといった男性のような姿を感慨深そうに見つめた。

「新しい客か? 順調にいっているようだな」
「あぁ、おかげさまで繁盛してるよ。ちょっと薬の在庫が足りそうにないから、なりすましの患者増やさなきゃいけなくてな。これ、使わせてもらうよ、サンキュ」

 焚火の中を火箸で突つきながら、老人は小さくつぶやく。

「……おまえに、この世界を教えたのは、良かったのかのぅ……」

 炎に照らされた老人の顔に黒い影が映し出される。

「悪いに決まってるだろ。けど、教えてくれって頼んだのはオレだ。オレが決めたことだ。……どんな罪で捕まろうが、オレには明日を生きることしか頭にない」

 考える余裕も暇もなければ、時間もない。
 今、この時をどうやって生きていくか、それだけだった。
 ユキは立ち上がり、河川に近づきながら、足元の砂利を踏んで蹴っていく。
 河川敷の空には欠けた月が薄ら浮かぶ。半月でもなく三日月とも言いにくい、中途半端な形だ。まるでユキの心の満ち欠けを表しているかのようだった。

「ユキ」

 老人が後ろから、そろりとやって来て名を呼ぶ。

「……目の前を必死になるのはいい。じゃが、走り続け追いかけてばかりで、大事なものを置き去りに忘れんようにの。……気づいたときには、もう後ろへは引き返せれんぞ」
「今のオレの生き方が間違ってるってか?」

「いいや」とかぶりを振り、

「ただ……前だけじゃなく、横も見ろ。いつも、広い目を持っておくんじゃ。人には目も耳も口もある。狭い視野の中で、一人孤独にだけは陥るんじゃないぞ」
「要は、あんたが寂しいんだな?」
「うん」
「仕方ないなぁ。まだやる事、残ってたけど、明日にするか。今夜、泊まっていってやるよ」

 ハァーと大きく溜息を吐き出したものの、半分は言い訳だった。こんな、闇夜の日に一人で眠れないのはユキの方だった。

「一杯、やるか?」

 老人はニヤリと歯の欠けた口で嬉しそうに笑い、酒の瓶を出してきた。それに対して、ユキはフンッと鼻で笑う。「どうせ、朝まで飲んだくれる気だろ?」

「夜なんざ、あっという間に気がつきゃ明けるわい。いつもすぐそこじゃ」

 まるでユキの不安に満ちる胸を安心させるように老人は言う。
 そうして、二人は久々の晩酌を楽しんだ。
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