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三飼先輩のパーソナルスペースはA∩B
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「中条さん、今日の課題一緒に復習しない?」
「無理」
中条 詩は声をかけてきた同級生を一瞥し、心の中で嘆息していた。
――どいつもこいつも、見た目が変わっただけで手の平くるっくる。
本来だったら、こんな風に声をかけられて優越感に浸る予定であったのに。実際に体験してみると声をかけられる面倒臭さや嫌悪感の方が勝ってしまった。
「……まぁ、結局中身までは変わんないよねー。しれっと毒づくとことか!」
「性格も変えろとか無理な話よ!」
大学内に併設されたカフェで詩の話を聞きながら、友人の佐菜はケラケラと笑う。
――中身知ってても幻滅しない男いないかね?
ふと、ひとりの顔がよぎるも、詩はすぐにその人物をかき消した。
***
詩がダイエットをしようと決めた事の顛末は春休みに入る直前のこと。理系の大学生が使うA棟に足を踏み入れたときだった。
「――…うちの学科じゃ、よくて中条さんだなー。といっても太ってるし中の下って感じだけど」
――ん?なんか失礼な話してんな。
失礼な声が聞こえた教室を後ろのドアから覗くと同じ学科の男子3人が話している。どうやら、「理学部の女子には付き合いたいと思える女子はいない」そうだ。
――いや、女子もあんたらみたいなモブは眼中にないと思いますけど。私もそうですし。
詩はそう考えながら、どんぐりの背比べであることに気付いてため息をつく。
――でも、太ってるのを他の人に言われるのは思ったよりきついな。
興味のない男子に言われた一言であったが、地味に傷ついた詩は春休みに入ってからダイエットに勤しむことにした。それこそ、理系は論理的なダイエットをすべし、という矜持のもと、食事制限や適度な運動、カロリー計算などをしっかりと行い、リバウンドしにくいダイエット方法に挑んだ。
…その結果が今である。
元々、綺麗な顔をしていたため、余分な肉がなくなり、目も一回りくらい大きさが変わって、さらにはっきりとした顔立ちとなった。スタイルもしっかりバストとヒップのサイズをキープしながら健康的な肢体となって、佐菜には「現代の峰不二子じゃん」と言われたくらいだ。
そして、自分って頑張ればできるタイプ!だと自信をつけた詩は意気揚々と新学年を迎えたわけだが、思ったよりもちやほやされることが楽しくないと気付いてしまった。
――なんなら気色悪い。性的な目で見られるのがこんなにえげつないものだとは。
同級生の男子は皆、詩の顔や身体にメロメロで。勉強や飲み会の誘いには明らかに性欲が含まれていることを詩は見抜いていた。
好きな相手であればそんな視線も嬉しいのだろうか?
恋愛は性欲から発生した副産物だと思っている詩は、到底自分が恋愛できるとは思えなかった。そして、したいとも思っていなかった。
…なのに。
「中条、研究の手伝い頼む」
冷たくあしらっても、逃げてもこの男は追いかけてくる。この男は三飼 伊織、26歳。詩と同じ大学の院生だ。そして、詩が今後在籍する研究室の先輩である。この男はなぜか詩に執着し、つきまとってくる。しかも、不思議なことにそれは詩がダイエットをする前、つまり、太っていた時からなのである。
本当は奇妙な伊織がいる研究室に行きたくないと思っていた。が、しかし元々は尊敬する教授がいるこの研究室目当てで大学を選んだため、性的な接触はしてこない伊織をあしらえばいいだろうと研究室に入ることを決めた。
「嫌です。まだ研究室に入ってないですし」
「でももう4月だし入ったも同然だろ?俺のこと手伝って、今から斎藤教授にゴマでも摺っておけばいい」
伊織はそう言いながら持っている書類の一部を詩に差し出す。詩は有無を言わせない伊織を睨みつけながらも、書類を受け取った。
――なんで、この男は懲りずに毎日毎日現れるのか。
伊織は無機質で冷たい雰囲気を醸し出しているが、見た目は悪くない。センターパートの黒髪は塩顔の彼によく似合っているし、涼やかな目は一重なのにそれがまたセクシーさを感じさせ、スクエア型の黒縁眼鏡が知的なイメージを全面に押し出している。スタイルも長身・細身であるため、「組み合わせを考えるのが面倒くさいから」といつも似たような白のリネンシャツと黒パンツを着用しているのに、それさえも絵になってしまう。
「…ずるいわ、三飼先輩」
結局、抵抗虚しく伊織のペースに飲み込まれるのであった。
***
「…で、中条は好きな男でもできたのか?」
連れてこられたのはA棟の一角。伊織に与えられている研究室である。本来、学生に個人的な部屋は与えられていないが、伊織は優秀な研究員として教授に認められ、特別に部屋を与えられていた。ここで、先程まで無言で作業していたのに、伊織が突然沈黙を破った。
「“…で”に全然つながってないんですけど。なんでそんなこと聞くんですか?」
「急にダイエット始めて痩せたから」
――なんて直接的な言葉。
伊織でなければ「女子に対して失礼だ」と糾弾するところだが、この男は他意はなくただ事実を述べたまでである。
「……同級生に太ってるって陰で言われたからですよ」
「なんだそいつ。俺以外にも中条のこと気になっている奴がいるのか」
「それはないと思いますけど。そもそも太ってる時から絡んできた物好きは先輩だけですし」
こんな感じで以前から好意を言葉にしている奇人は伊織だけである。初めこそ無機質な声で「中条を気になっているから知りたい」だとか「食事行こう」とか言われて驚いたものの、今ではそれももう慣れっこだ。強引さは全くなく、断るとあっさり引く伊織に「この人は本当に私のことが好きなんだろうか?」と疑問に思う瞬間も度々あるが、伊織が詩を誘う→詩が誘いを断る→伊織が「わかった。また今度」と言って去るまでがルーティン化され詩の日常の一部になっていた。
「中条は元々肥満じゃない。確かに肉付きは今よりも良かったかもしれないが、それが逆に性的魅力を感じた」
「…っ、」
あまりにも直球すぎるセリフ。隠しもしない情欲に濡れた瞳で見つめられ、思わず詩は言い淀む。伊織は詩が怯んだ隙に距離を詰め、詩のほっそりとした手首を掴んだ。
――空気がいつもと違う。三飼先輩はいつもだったら、接触を図ってこないのに。
「…実は決めてたことがある。中条が研究室に入ってきたら、俺のことを知ってもらおうって」
真っ直ぐな瞳。射抜くような視線になぜか詩は目をそらせない。そして、ぐい、と突然引き寄せられ、詩は今までにない程近くで伊織の匂いを感じた。
わずかに香るジャスミンの香りは、ここまで近づかなければきっと知ることのなかった匂い。
「最近の統計では身体から始まる恋が若者の間で増加傾向にあるらしい。……中条が俺の身体を気に入ればいいんだが、」
――どこからその情報仕入れてきた!?
詩が文献を提示して下さい、と言う前に伊織によって口を塞がれた。
「…ん、…っふ…」
呼吸させないとばかりに激しいキス。美形ではありながらも、どこか人を寄せ付けない伊織のことを、自分と同じく恋愛経験がないのではないかと思っていたが、この慣れた様子はどうやらそうではないらしい。
詩はぞくぞくと駆け上がる快感に打ち震えた。ぼうっとしている詩の表情を恍惚と見つめながら、伊織は詩の脇下に腕を回して軽々と抱き上げる。いわゆるお姫様抱っこの状態だ。
「えっ!?ちょっと、三飼先輩!?」
「大丈夫だ。全然重くない」
「そういうことじゃなくて!どこ行くんですか!?」
「ここだと固くて辛いだろ」
伊織は逸る気持ちを抑えるのに必死であるが、詩にとっては飄々とした表情に見える。それがなんだか悔しくて、足をジタバタさせた。
「こら。暴れるな」
詩の抵抗さえも楽しむ顔。休憩スペースとして設置されたコーナーソファにお姫様抱っこのまま腰掛けた伊織は再び詩に口づけ、抱く腕に力を込める。
「~~!!~~~~っ」
「暴れてもいいけど、誰か見られるかもな。それも、傍から見ればカップルのいちゃつきに見える。」
「っ、」
「俺はそれでも大歓迎なんだが?」
伊織の個人的な研究室とはいえ、優秀な彼を頼って質問にくる後輩は多い。それを知っている詩は、同じ学部の同級生に見られることを危惧して暴れるのを止めた。その代わりの抵抗として、口腔内に侵入されないように必死に下唇を噛む。
「……その表情、誘ってんのか?なんだかいじめたくなる…」
結局、その抵抗も逆効果だったようで、首筋をカプリと甘噛みされ、詩は思わず声を上げた。
「んあ…っ!!」
「中条の首って甘いのな…、もっと欲しい…」
「ちょ、三飼せんぱ…い!!」
舌で首筋を下から上になぞり上げられ、耳たぶを甘噛み。詩の肩を抱く手は余裕があるのか、親指で肩口をすりすりと撫でている。
「…もっと声聞かせてくれ……」
体中を撫でる熱い手。チョコレートのように甘い声。ふわりと香るジャスミンの匂い。
そして、じっと見つめながら、詩の奥底に眠る性欲を掘り起こすかのようなキス。
五感を支配されるような感覚に陥り、どろどろに溶かされる。
伊織の真剣な表情はどこか可愛くて。だから、伊織が次に起こす行動に嫌悪感は一切感じなかった。
「中条…挿れる、から…」
そんなこと言ったって、もう既に伊織のペニスは詩の中に浅く入っている。破瓜の痛みはあまりなく、その代わりの圧迫感に詩は苦悶の表情を浮かべた。
――どこかで、三飼先輩を受け入れる日が来ると分かっていたのかもしれない。
さっきだって伊織は優しく、抱きしめる腕は詩がいつでも逃げられるように緩められていた。スカートの下に忍ばせた手だってゆっくりとした動きで、振りほどくこともできたけれど、それでも詩は拒絶せずに伊織のキスに応答したのだ。
「中条…! 俺は君のことが好きでたまらない…っ!!」
詩の最奥部に届くように、ぐっ…ぐっ…と腰を打ち付けながら囁く伊織に、どうしようもなくキュンとする。
「っ…ん! …、知ってます…っ」
「ゼミの飲み会のときからなんだ…っ、」
――ゼミの飲み会?
過去に詩と伊織が共に参加した飲み会は昨年の春に1回だけ。理系学部では3年生のうちから研究室の勧誘が盛んであった。詩は既に所属したい研究室を決めていたから勧誘されてもどうでも良かったが、たまたま希望する研究室の女子の先輩に「少しでも興味があれば参加して」と誘われたため、飲み会に参加したのだった。
「中条はどんな男に言い寄られても淡々としていて、でも、そんなやつらの飲み物をなんだかんだ注文してたり、気遣っているとこがいいって思った」
ゆるゆると腰を抽送を繰り返しながらも紡がれる言葉。あの時、そんなところを見られているとは思いもしなかった。
「いや、あれは絡まれるのが面倒くさかったからであって…、んっ!!」
「でも、俺にも優しくしてくれた。……見た目で怖がられやすいのに、中条は外見で判断しなかった、」
「それは、外見だけで全て分かった気になるような人間が嫌いなだけで…っ、ん、相手に求めるなら、…あんっ、自分の軸がブレるのは良くないから…ぁ」
――人が反論している間はせめて動かないでほしい。
そう思って睨んでも伊織には効果がないのだろう。
「…そういうとこ、ほんと好きだ…っ、……なぁ、中条。気付いてる…?」
「…?」
「…俺、ゴムつけてないから」
「!? 三飼先輩っ!ちょっと止まりましょ…っ?」
「無理。中条だって、このまま俺のを抜いたら中途半端だろう?」
「でも…っ、子どもできる…からぁ!」
「一回でできるかな? ……俺はできてもいいと思ってる。でも中条は勉強も続けたいだろうから、産んだら復学していい。養う金はあるから」
途端に早くなる抽送。詩は激しい動きに揺さぶられ、将来の展望を話す伊織を止められない。
「……っ、子どもできなかったとしても、俺に中出しされてマーキングされたらもう、俺以外の男とセックスできないよな……っ!!?」
――そんなことして繋ぎ止めなくても、先輩以外を受け入れることはしない。
いや、そもそも三飼先輩とだってこんなことになるはずじゃ……
その考えを塗りつぶすかのように、詩の最奥に伊織の熱い飛沫《しぶき》が迸る。
「……詩、愛してるよ」
脱力し覆いかぶさる伊織の姿を最後に、詩の意識が途切れた。
***
「……、!!」
詩は目を覚まし、ソファから起き上がる。
窓を見るとすでに夕日は落ちていて真っ暗。
伊織はマウスを動かす手を止めてこちらに振り向いた。
「…よく寝てたな」
――誰のせいですか…っ
あんなに濃厚な行為をしたにも関わらず、詩の身体はさっぱりとしていてしっかりと服を着ている。不思議に思っている詩の考えを読んだかのように、伊織は声を掛けた。
「一応タオルで拭いたけど、気になるなら体育館のシャワー入ってこい。今ならサークルの奴とかいないんじゃないか?」
「え!?拭いたんですか!?」
「なにも驚くことないだろ。セックスしたんだし」
淡々と話す伊織に絶句する。その様子は手慣れた雰囲気だ。
「もしや…三飼先輩、誰とでもこういうこと…」
「阿呆。俺も……中条と同じで初めてだった。こういう時くらい、余裕ある風に装わせてくれ」
詩の失礼な言葉に反論する伊織は顔を紅潮させる。耳まで真っ赤になっている姿につい、可愛いと思ってしまった。
――なんだか、ずっと三飼先輩のペースだ。
詩はそんなことを考えるが、それも悪くない、と気持ちが変化している自分に気付く。
「……やっぱり、恋愛は性欲から発生した副産物なのかもしれない」
「? 好きになるから相手の全部を欲しくなるんだろ?」
持論を呟く詩に対して返ってきた言葉は、伊織にしては珍しく感情論だ。それでも、議論を交わすことはせずに伊織に近付きキスをしてみる。
「!!」
「もし子どもができても、三飼先輩との子なら愛せる気がします」
「中条……」
「私の全部…あげた後も、私のこと好きでいてくださいね。」
伊織は照れくさそうにはにかむ詩を心底愛おしいと思いながら、力強く抱きしめた。
「無理」
中条 詩は声をかけてきた同級生を一瞥し、心の中で嘆息していた。
――どいつもこいつも、見た目が変わっただけで手の平くるっくる。
本来だったら、こんな風に声をかけられて優越感に浸る予定であったのに。実際に体験してみると声をかけられる面倒臭さや嫌悪感の方が勝ってしまった。
「……まぁ、結局中身までは変わんないよねー。しれっと毒づくとことか!」
「性格も変えろとか無理な話よ!」
大学内に併設されたカフェで詩の話を聞きながら、友人の佐菜はケラケラと笑う。
――中身知ってても幻滅しない男いないかね?
ふと、ひとりの顔がよぎるも、詩はすぐにその人物をかき消した。
***
詩がダイエットをしようと決めた事の顛末は春休みに入る直前のこと。理系の大学生が使うA棟に足を踏み入れたときだった。
「――…うちの学科じゃ、よくて中条さんだなー。といっても太ってるし中の下って感じだけど」
――ん?なんか失礼な話してんな。
失礼な声が聞こえた教室を後ろのドアから覗くと同じ学科の男子3人が話している。どうやら、「理学部の女子には付き合いたいと思える女子はいない」そうだ。
――いや、女子もあんたらみたいなモブは眼中にないと思いますけど。私もそうですし。
詩はそう考えながら、どんぐりの背比べであることに気付いてため息をつく。
――でも、太ってるのを他の人に言われるのは思ったよりきついな。
興味のない男子に言われた一言であったが、地味に傷ついた詩は春休みに入ってからダイエットに勤しむことにした。それこそ、理系は論理的なダイエットをすべし、という矜持のもと、食事制限や適度な運動、カロリー計算などをしっかりと行い、リバウンドしにくいダイエット方法に挑んだ。
…その結果が今である。
元々、綺麗な顔をしていたため、余分な肉がなくなり、目も一回りくらい大きさが変わって、さらにはっきりとした顔立ちとなった。スタイルもしっかりバストとヒップのサイズをキープしながら健康的な肢体となって、佐菜には「現代の峰不二子じゃん」と言われたくらいだ。
そして、自分って頑張ればできるタイプ!だと自信をつけた詩は意気揚々と新学年を迎えたわけだが、思ったよりもちやほやされることが楽しくないと気付いてしまった。
――なんなら気色悪い。性的な目で見られるのがこんなにえげつないものだとは。
同級生の男子は皆、詩の顔や身体にメロメロで。勉強や飲み会の誘いには明らかに性欲が含まれていることを詩は見抜いていた。
好きな相手であればそんな視線も嬉しいのだろうか?
恋愛は性欲から発生した副産物だと思っている詩は、到底自分が恋愛できるとは思えなかった。そして、したいとも思っていなかった。
…なのに。
「中条、研究の手伝い頼む」
冷たくあしらっても、逃げてもこの男は追いかけてくる。この男は三飼 伊織、26歳。詩と同じ大学の院生だ。そして、詩が今後在籍する研究室の先輩である。この男はなぜか詩に執着し、つきまとってくる。しかも、不思議なことにそれは詩がダイエットをする前、つまり、太っていた時からなのである。
本当は奇妙な伊織がいる研究室に行きたくないと思っていた。が、しかし元々は尊敬する教授がいるこの研究室目当てで大学を選んだため、性的な接触はしてこない伊織をあしらえばいいだろうと研究室に入ることを決めた。
「嫌です。まだ研究室に入ってないですし」
「でももう4月だし入ったも同然だろ?俺のこと手伝って、今から斎藤教授にゴマでも摺っておけばいい」
伊織はそう言いながら持っている書類の一部を詩に差し出す。詩は有無を言わせない伊織を睨みつけながらも、書類を受け取った。
――なんで、この男は懲りずに毎日毎日現れるのか。
伊織は無機質で冷たい雰囲気を醸し出しているが、見た目は悪くない。センターパートの黒髪は塩顔の彼によく似合っているし、涼やかな目は一重なのにそれがまたセクシーさを感じさせ、スクエア型の黒縁眼鏡が知的なイメージを全面に押し出している。スタイルも長身・細身であるため、「組み合わせを考えるのが面倒くさいから」といつも似たような白のリネンシャツと黒パンツを着用しているのに、それさえも絵になってしまう。
「…ずるいわ、三飼先輩」
結局、抵抗虚しく伊織のペースに飲み込まれるのであった。
***
「…で、中条は好きな男でもできたのか?」
連れてこられたのはA棟の一角。伊織に与えられている研究室である。本来、学生に個人的な部屋は与えられていないが、伊織は優秀な研究員として教授に認められ、特別に部屋を与えられていた。ここで、先程まで無言で作業していたのに、伊織が突然沈黙を破った。
「“…で”に全然つながってないんですけど。なんでそんなこと聞くんですか?」
「急にダイエット始めて痩せたから」
――なんて直接的な言葉。
伊織でなければ「女子に対して失礼だ」と糾弾するところだが、この男は他意はなくただ事実を述べたまでである。
「……同級生に太ってるって陰で言われたからですよ」
「なんだそいつ。俺以外にも中条のこと気になっている奴がいるのか」
「それはないと思いますけど。そもそも太ってる時から絡んできた物好きは先輩だけですし」
こんな感じで以前から好意を言葉にしている奇人は伊織だけである。初めこそ無機質な声で「中条を気になっているから知りたい」だとか「食事行こう」とか言われて驚いたものの、今ではそれももう慣れっこだ。強引さは全くなく、断るとあっさり引く伊織に「この人は本当に私のことが好きなんだろうか?」と疑問に思う瞬間も度々あるが、伊織が詩を誘う→詩が誘いを断る→伊織が「わかった。また今度」と言って去るまでがルーティン化され詩の日常の一部になっていた。
「中条は元々肥満じゃない。確かに肉付きは今よりも良かったかもしれないが、それが逆に性的魅力を感じた」
「…っ、」
あまりにも直球すぎるセリフ。隠しもしない情欲に濡れた瞳で見つめられ、思わず詩は言い淀む。伊織は詩が怯んだ隙に距離を詰め、詩のほっそりとした手首を掴んだ。
――空気がいつもと違う。三飼先輩はいつもだったら、接触を図ってこないのに。
「…実は決めてたことがある。中条が研究室に入ってきたら、俺のことを知ってもらおうって」
真っ直ぐな瞳。射抜くような視線になぜか詩は目をそらせない。そして、ぐい、と突然引き寄せられ、詩は今までにない程近くで伊織の匂いを感じた。
わずかに香るジャスミンの香りは、ここまで近づかなければきっと知ることのなかった匂い。
「最近の統計では身体から始まる恋が若者の間で増加傾向にあるらしい。……中条が俺の身体を気に入ればいいんだが、」
――どこからその情報仕入れてきた!?
詩が文献を提示して下さい、と言う前に伊織によって口を塞がれた。
「…ん、…っふ…」
呼吸させないとばかりに激しいキス。美形ではありながらも、どこか人を寄せ付けない伊織のことを、自分と同じく恋愛経験がないのではないかと思っていたが、この慣れた様子はどうやらそうではないらしい。
詩はぞくぞくと駆け上がる快感に打ち震えた。ぼうっとしている詩の表情を恍惚と見つめながら、伊織は詩の脇下に腕を回して軽々と抱き上げる。いわゆるお姫様抱っこの状態だ。
「えっ!?ちょっと、三飼先輩!?」
「大丈夫だ。全然重くない」
「そういうことじゃなくて!どこ行くんですか!?」
「ここだと固くて辛いだろ」
伊織は逸る気持ちを抑えるのに必死であるが、詩にとっては飄々とした表情に見える。それがなんだか悔しくて、足をジタバタさせた。
「こら。暴れるな」
詩の抵抗さえも楽しむ顔。休憩スペースとして設置されたコーナーソファにお姫様抱っこのまま腰掛けた伊織は再び詩に口づけ、抱く腕に力を込める。
「~~!!~~~~っ」
「暴れてもいいけど、誰か見られるかもな。それも、傍から見ればカップルのいちゃつきに見える。」
「っ、」
「俺はそれでも大歓迎なんだが?」
伊織の個人的な研究室とはいえ、優秀な彼を頼って質問にくる後輩は多い。それを知っている詩は、同じ学部の同級生に見られることを危惧して暴れるのを止めた。その代わりの抵抗として、口腔内に侵入されないように必死に下唇を噛む。
「……その表情、誘ってんのか?なんだかいじめたくなる…」
結局、その抵抗も逆効果だったようで、首筋をカプリと甘噛みされ、詩は思わず声を上げた。
「んあ…っ!!」
「中条の首って甘いのな…、もっと欲しい…」
「ちょ、三飼せんぱ…い!!」
舌で首筋を下から上になぞり上げられ、耳たぶを甘噛み。詩の肩を抱く手は余裕があるのか、親指で肩口をすりすりと撫でている。
「…もっと声聞かせてくれ……」
体中を撫でる熱い手。チョコレートのように甘い声。ふわりと香るジャスミンの匂い。
そして、じっと見つめながら、詩の奥底に眠る性欲を掘り起こすかのようなキス。
五感を支配されるような感覚に陥り、どろどろに溶かされる。
伊織の真剣な表情はどこか可愛くて。だから、伊織が次に起こす行動に嫌悪感は一切感じなかった。
「中条…挿れる、から…」
そんなこと言ったって、もう既に伊織のペニスは詩の中に浅く入っている。破瓜の痛みはあまりなく、その代わりの圧迫感に詩は苦悶の表情を浮かべた。
――どこかで、三飼先輩を受け入れる日が来ると分かっていたのかもしれない。
さっきだって伊織は優しく、抱きしめる腕は詩がいつでも逃げられるように緩められていた。スカートの下に忍ばせた手だってゆっくりとした動きで、振りほどくこともできたけれど、それでも詩は拒絶せずに伊織のキスに応答したのだ。
「中条…! 俺は君のことが好きでたまらない…っ!!」
詩の最奥部に届くように、ぐっ…ぐっ…と腰を打ち付けながら囁く伊織に、どうしようもなくキュンとする。
「っ…ん! …、知ってます…っ」
「ゼミの飲み会のときからなんだ…っ、」
――ゼミの飲み会?
過去に詩と伊織が共に参加した飲み会は昨年の春に1回だけ。理系学部では3年生のうちから研究室の勧誘が盛んであった。詩は既に所属したい研究室を決めていたから勧誘されてもどうでも良かったが、たまたま希望する研究室の女子の先輩に「少しでも興味があれば参加して」と誘われたため、飲み会に参加したのだった。
「中条はどんな男に言い寄られても淡々としていて、でも、そんなやつらの飲み物をなんだかんだ注文してたり、気遣っているとこがいいって思った」
ゆるゆると腰を抽送を繰り返しながらも紡がれる言葉。あの時、そんなところを見られているとは思いもしなかった。
「いや、あれは絡まれるのが面倒くさかったからであって…、んっ!!」
「でも、俺にも優しくしてくれた。……見た目で怖がられやすいのに、中条は外見で判断しなかった、」
「それは、外見だけで全て分かった気になるような人間が嫌いなだけで…っ、ん、相手に求めるなら、…あんっ、自分の軸がブレるのは良くないから…ぁ」
――人が反論している間はせめて動かないでほしい。
そう思って睨んでも伊織には効果がないのだろう。
「…そういうとこ、ほんと好きだ…っ、……なぁ、中条。気付いてる…?」
「…?」
「…俺、ゴムつけてないから」
「!? 三飼先輩っ!ちょっと止まりましょ…っ?」
「無理。中条だって、このまま俺のを抜いたら中途半端だろう?」
「でも…っ、子どもできる…からぁ!」
「一回でできるかな? ……俺はできてもいいと思ってる。でも中条は勉強も続けたいだろうから、産んだら復学していい。養う金はあるから」
途端に早くなる抽送。詩は激しい動きに揺さぶられ、将来の展望を話す伊織を止められない。
「……っ、子どもできなかったとしても、俺に中出しされてマーキングされたらもう、俺以外の男とセックスできないよな……っ!!?」
――そんなことして繋ぎ止めなくても、先輩以外を受け入れることはしない。
いや、そもそも三飼先輩とだってこんなことになるはずじゃ……
その考えを塗りつぶすかのように、詩の最奥に伊織の熱い飛沫《しぶき》が迸る。
「……詩、愛してるよ」
脱力し覆いかぶさる伊織の姿を最後に、詩の意識が途切れた。
***
「……、!!」
詩は目を覚まし、ソファから起き上がる。
窓を見るとすでに夕日は落ちていて真っ暗。
伊織はマウスを動かす手を止めてこちらに振り向いた。
「…よく寝てたな」
――誰のせいですか…っ
あんなに濃厚な行為をしたにも関わらず、詩の身体はさっぱりとしていてしっかりと服を着ている。不思議に思っている詩の考えを読んだかのように、伊織は声を掛けた。
「一応タオルで拭いたけど、気になるなら体育館のシャワー入ってこい。今ならサークルの奴とかいないんじゃないか?」
「え!?拭いたんですか!?」
「なにも驚くことないだろ。セックスしたんだし」
淡々と話す伊織に絶句する。その様子は手慣れた雰囲気だ。
「もしや…三飼先輩、誰とでもこういうこと…」
「阿呆。俺も……中条と同じで初めてだった。こういう時くらい、余裕ある風に装わせてくれ」
詩の失礼な言葉に反論する伊織は顔を紅潮させる。耳まで真っ赤になっている姿につい、可愛いと思ってしまった。
――なんだか、ずっと三飼先輩のペースだ。
詩はそんなことを考えるが、それも悪くない、と気持ちが変化している自分に気付く。
「……やっぱり、恋愛は性欲から発生した副産物なのかもしれない」
「? 好きになるから相手の全部を欲しくなるんだろ?」
持論を呟く詩に対して返ってきた言葉は、伊織にしては珍しく感情論だ。それでも、議論を交わすことはせずに伊織に近付きキスをしてみる。
「!!」
「もし子どもができても、三飼先輩との子なら愛せる気がします」
「中条……」
「私の全部…あげた後も、私のこと好きでいてくださいね。」
伊織は照れくさそうにはにかむ詩を心底愛おしいと思いながら、力強く抱きしめた。
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