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32.いつの日か、二人が分かたれるその時まで
しおりを挟む「修理費でも請求してやれば良かった」
「そうだねぇ」
ふん、と腹立たし気に呟くと、微かな苦笑と共にそう言われる。
「大変だったよね。手伝えなくてごめん」
振り返れば、キッチンの向こうではサフィールが洗い物をしながら申し訳なさそうにしていた。
「お前は怪我人だったから、休むのが仕事だった。初めから数に入れてない」
家の被害は甚大だった。吹き飛ばされたのは入口に面したリビング・ダイニングの壁面で、他の部屋には被害はなかったとは言え、ドア、壁、窓、床板、加えて屋根まで一部飛ばされていたものだから、修復には骨が折れた。
もちろんリリアンヌ一人ではとてもこなせる力仕事ではなく、先述の通りサフィールも戦力に数えることが出来なかったため、気は進まなかったが森の住人達に助力を仰いだ。そう簡単に借りは作りたくないが、背に腹は代えられない。仕方ない。
彼らの助けもあって、多少時間はかかったが、今や家はきちんと風雨を凌げ、元通りの様相を取り戻している。
だが。
大変だったのは外観の修復だけではない。
家の中とて滅茶苦茶だったのだ。
吹き飛ばされた細々したもの、調度品。ソファは座面が破れてしまっていたし、クッションは新調したばかりだったのに爆発していてクッションの体を保っていなかった。こだわりにこだわって誂えた一枚板のローテーブルに至っては、真っ二つに割れていた。
お気に入りだったのに!
すごくすごくお気に入りだったのに!
ローゼリカめ!
何度その名前を呪わんばかりに胸の内で練り上げたことか。
ここを襲撃したのは神官達だと言う。
けれど幾重にも張っていた結界をここまで強引に破ったり、わざわざリリアンヌが不在の隙を狙って来たりしたあたり、どう見てもローゼリカが一枚も二枚も噛んでいたことは明白である。
「……魔力を奪っただけじゃ、生温かった」
被害額までしっかり請求しておくべきだった。
「見た目だけの問題じゃないもんね」
「本当に、その通り」
そうなのだ。目に映る風景を直すだけでは、当然不十分だった。
ここは魔女の住処。
幾重にも幾重にも術式が張り巡らされており、実に繊細な構造をしている。
破壊されたり歪められたりした術式を組み直し、修正し、更に用心のために新たなものを施す。時間はかかるし体力気力は削られるし、おまけに材料費が結構かかった。
家自体を直すより、こちらの方にリリアンヌはかなり手を取られたのだ。
「まぁついでに家の他の部分の見直しもできたし、いい機会になったと思えないこともないけれど……」
いや、やはり疲労感の方が強いか。
「リリアンヌ、飲む?」
近寄って来たサフィールが、ガラス製のカップを差し出して来る。
「……飲む」
湯気を立てながら黄色く透き通る液体。ホットレモネードらしい。
新しくしたソファに腰を下ろして、口を付ける。甘酸っぱさが舌を刺激して、思わず小さく身体が縮こまる。
「まぁでも、大分落ち着いたよね」
「大分というか、もう完璧」
隣に腰を下ろしたサフィールも同じものを口にしていた。
先ほど洗い物をしていたことからも分かるように、サフィールの怪我も時間の経過と共にすっかり良くなっている。折れた腕は綺麗にくっついたようだし、最近では以前と同じようにあちこち森をうろついている。
歩き回れるくらい元気なのは、良いことだ。森に住まう者達から、またあれこれ余計な知識を得たりしていないか、そこは少し心配だけれど。
「…………かなりの損害だったよね」
落とされた呟きにチラリと見上げれば、そこにはしょげ返った顔があった。彼女は溜め息混じりに言っておく。
「そういう顔をするな。辛気臭い」
「でも」
「ローゼリカとは元々折り合いが悪かった。こういことになるのは、時間の問題だった」
そう言っても、拾い子に納得した様子はなかった。神殿から帰って来てからこっち、いつまでもいつまでもうじうじしているのである。
「でも、神殿に関する分は、完全にオレの問題だった。事態をややこしくして、必要以上にリリアンヌに迷惑をかけた」
思いもがけない事態だっただろう。まさか今更関わって来るなど、夢にも思いはしなかっただろう。
「オレの過去が、騒動を大きくした。加護の力は消えてなくならないし、今後も絶対に何も問題を起こさないとは、言えない」
きっとそれはこの拾い子にとって、とても重く拭えないものなのだ。今回リリアンヌは人伝に訊かされるという形でかいつまんでサフィールの過去を知ったが、なかったことにするにはあまりに酷い内容だった。
そして同時に、なかったことにしてしまいたいとどれほど願っただろう、と思った。
拾った時、子どもは何も言わなかった。名前も、出自も、何もかも。過去を窺わすような発言は一切なかった。思い出話なんか、ふとした拍子に零すことも絶対になかった。
きっと、清算したかったのだ。全く違う、新しい人生を欲していたのだろう。
「お前の過去なんか、私は要らないよ。一緒に背負ってほしいと言うのなら、まぁ背負ってやらないこともないが」
軽んじたい訳ではない。けれど、手放せるならそれが良い。今更向き合う必要なんてないし、過去は過去だ。これ以上、囚われる必要はない。
「捨てられるものなら捨ててしまえ。その方がいいに決まってる」
ふん、と言い捨てたら、小さな笑いが降って来た。そして、肩にずっしり重みが加わる。乗せられた頭が、甘えるみたいにぐりぐり押し付けられた。
「…………」
どうしたものか、と一瞬迷う。
こういう空気は苦手だ。けれど、弱っているなら少しくらい慰めてやらないこともない。
リリアンヌは手にしていたカップをそっとテーブルに置き、頬の下にでんと陣取る頭にそっと触れる。むず痒いな、そう思いながらも無言の内にぽんぽんと撫でてやれば、もっとと言わんばかりに手に頭が押し付けられる。
「…………っ」
甘えため。面倒だな。
そう思いつつも、仕方がないのでしばらくそれに付き合ってやる。
どれほどそうしていただろうか。そろそろ肩が重くなってきたな、と思っていたら、ふっとその重量感から解放された。
「!」
やれやれと思って視線を横に向ければ、思わぬ近距離で目と目が合う。お互いの吐息が感じられてしまいそうなほどの、近さ。
「サ」
口付けられる、とリリアンヌは身構えた。
サフィールの手がそっと頬に触れる。
「っ……」
けれど、口付けと言っても、それはそっとこめかみに落とされるだけのものだった。反射的にぎゅっと唇を引き結んでしまった自分が、何だか少し恥ずかしくなる。
サフィールはそれから、頬に、額にと小さな口付けを落とし続けた。鼻先にされた時は、くすぐったさに思わず身を捩ってしまった。けれど、決して唇には触れない。焦らしていると言うよりかは、許可を得るまで触れられないとでも思っているような気配がした。
――――全く。
胸の内でリリアンヌは溜め息を吐く。
いつもこうだ。許可が出たと思ったらどこまでも好き勝手するクセに、最初だけしおらしいフリをする。
仕方がないから許容してやると言わんばかりの空気を醸し出せば、いつものように一線を超えてくるだろうか。
そう考えて、いやでも違う、と彼女は思い直した。
サフィールがどうしたいかよりも、もっと大切なことが今はある気がした。
そうでは、なくて。
「サフィール」
近付いて来る顔に手を添えて、止める。そして、これ以上は駄目かとすぐに諦めの微笑を浮かべたその唇に、ぐっと背筋を伸ばして自ら触れる。
「!?」
正しい作法なんて知らない。
「ア、」
ただ、衝動の赴くままに。
塞いで、食んで、吐息ごと飲み込むように。
貪るように、口付けた。
驚きに薄く開いた唇から、その内側へと侵入する。歯列をなぞって、頬の内側を大きくまさぐれば、熱い吐息が自分の喉元まで潜り込んで来る。突くように舌に触れれば、ほんの一瞬戸惑いを見せたものの、すぐに応えるように絡め取られた。
「あふっ、ん」
お互いのことを確かめるように、何度も何度も触れ合い、締め付けるように絡み合う舌。
首に腕を回せば自然と腰を引き寄せられ、角度をつけた口付けはどんどん深度を増していく。互いの唾液が混ざり合い、どちらのものともつかなくなって、喉を滑り落ちていく。
息が上がるほどの激しい口付けを交わし、乱れた呼吸が更に熱を煽っていく。
呼吸の合間に口の端に滲んだ唾液を指で拭い上げてやれば、サフィールは欲情を灯した瞳で、それでも不思議そうに訊いてきた。
「どう、したの、アンヌ」
別に、とリリアンヌはすげなく答えた。
「したいように、してるだけ」
それだけ。他に理由はない。
「アンヌから、こんなに激しく求められるなんて」
「不満がある?」
「ある訳ない」
可愛げなんか持ち合わせていない。素直さなんて、そんなものは知らない。世の男女の普通の在り方なんて分からない。
だから、ただ心が赴くままに。
「アンヌ」
「んぅ」
再び引き寄せられ、口付けられる。今度はサフィールがリリアンヌの口腔に潜り込む。
嫌じゃない。それに、ただ求められているからではない。求めているから、こうして触れている。それを態度で示したいような気がしたのだ。
「あ、ん…………」
脇腹を下から上へと撫で上げられてぞわりと肌が粟立つ。首の後ろに回された反対の手が結んでいたリボンを解くと、身に纏っていたドレスは途端に肌から緩んで隙間を作る。
「ひゃうっ」
口付けから解放されてようやく息が楽になったと思ったら、今度は耳の中にねっとりと熱を感じた。
「サフィ!」
「あぁ、耳も感じちゃう?」
ふっと息を吹きかけられれば、後頭部から脳天にかけて言い表しがたい刺激が駆け上がる。
耳たぶを食まれ、まるで形を覚えようとするかのように何度も内側の溝をなぞられた。刺激されているのは耳許なのに、何故か下肢の付け根がひどく反応して潤み始める。
「アンヌ?」
無意識に擦り合わせてしまった腿の動きに、サフィールは気付いたのだろう。ドレスの裾から彼女のものよりずっと大きい手が侵入してきて、硬く閉ざしていたはずの腿と腿の間にぐっと割り込んで来た。
「……あぁ、うん、ちゃんと湿ってるね」
「い、言わなくていいだろ」
「そう?」
下着越しに秘所を捏ねられると、堪らなかった。身を捩るとその動きに合わせて、肩からドレスがはだけていく。
「リリアンヌ、綺麗」
そんなことを言いながら、サフィールは晒された鎖骨の辺りにちゅうっと吸い付いた。
「っ」
少しの痛みが走って、あぁ、これは跡になるな、と彼女は思考の隅でそう思う。
「ん、ん」
鎖骨から少しずつ下がっていく、唇。
胸のふくらみに、近付いて来る。秘所を捏ねるのとは反対の手が、唇が寄るのとは逆のふくらみを不意に包み込んできて、リリアンヌはその刺激に腰を揺らしてしまった。
「!」
まるで強請っているみたいだ、と思えて赤面していたら、ぐんと身体を持ち上げられる。
「サフィ」
「ここじゃ狭いね」
折れていたこと感じさせない、軽々とした動作でその腕にリリアンヌを抱き上げると、サフィールは足早に寝室へと雪崩れ込んだ。
「あ、ちょ!」
寝台へ横たえるその動作はこの上なく恭しかったが、そこからドレスを剥ぎ取る動作はひどく急いた余裕のないものだった。
「んん!」
あっという間に裸に剥かれ、胸の頂きを口腔に収められる。赤い蕾は待っていたかのようにその刺激に打ち震え、すぐに芯を持ち始めた。
「ひ、ん、あふっ」
食まれ、扱かれ、吸い上げられる。
反対のふくらみも手のひらに包まれ、揉みしだかれていた。その大きな手をいっぱいに広げても指と指の間から余った肌が零れていて、その様はひどく扇情的だった。手のひらで強引に押し潰されている頂きへの刺激も堪らない。
それに。
「サフィール、さっきから、ずっと……!」
刺激されているのは、胸だけではなかった。下着を剥ぎ取られた下半身。蜜壺に既に二本の指が沈んでいる。何度も何度も、抜き差しを繰り返される。ぐちょぐちょと蜜に塗れた卑猥な音がずっと鳴っていた。
「あぁ!」
それと同時に蜜を塗り込めるように、親指の腹で蕾にも触れられる。押し潰すようなその動きは、官能を引き摺り出されたこの状態ではひどく強い刺激だった。
内側が熱い。うねり、締まって、渇望している。
「なんで、そればっかり……!」
触れられれば触れられるだけ、蜜は溢れた。内に沈んだ指は的確に彼女の感じる場所を刺激するが、けれど最早それだけでは足りない。
もっと確かなものがほしい。
そう思うのに、サフィールは執拗に指での愛撫だけを繰り返す。
「サフィール……!」
肩をぐいぐい押せば、サフィールは顔を上げてこちらを見た。
そして、一言。
「消毒と上書きが終わるまで、まだ」
消毒? 上書き?
何のことを言っているのだと思っているうちに三本目が沈み込み、愛撫は更に激しさを増した。
「あ、あ、あぁ……!」
「まずは指で沢山イこうね?」
緩急をつけた抜き差しに、入口を押し広げるような横の動きも加えられて、どんどんとリリアンヌは追い詰められていく。
「ひ、あ、あぁ……!」
遂に彼女はその激しい愛撫に身を震せたが、それでも動きは止まらなかった。
「アンヌ、もう少し」
「今、イって、る!」
「うん、もう少し、気持ち良くなろうか?」
それは恐ろしいほど的確で、かつ容赦のない愛撫だった。指を挿れられているだけなのに、足りないはずなのに、何故かぐんぐんと高みに引き上げられていく。内側の襞をめくって、円を描いたり、時に強く押し上げたり。次の波がすぐにやってくる。
「あふ、あ、イ、あ、――――っ!」
あっけなく、リリアンヌは再び達した。
しかも。
「ひっ…………」
「あぁ、良かった」
ぷしっと水音が鳴って、ソレがサフィールの手を盛大に濡らす。
「嬉しい。初めてだね? 潮吹きするくらい、感じてくれたんだ」
あまりにはしたない反応に、リリアンヌは死にたくなった。
あり得ない。こんなところを、見せてしまうなんて。
絶頂の余韻の最中で絶望していると、しかしふと理解が及ぶ。
“消毒と上書き”
先ほどのサフィールの発言。あれは多分、ローゼリカの従僕に犯されそうになった時のことを指していたのだ。
確かに。思い出したくもないし、だから今の今まで記憶の彼方へと押しやっていたが、大変気分の悪いことに多少触られたことは事実である。
「しゅ、執念深いな」
「自分の不甲斐なさを思い出すと、死にたくなる。指一本、触れさせちゃいけなかった」
何がどこまで見えていたのか分からないが、今サフィールにされたことは男にされたことに似ていて、けれどその何十倍も執拗で丹念だった。
「まだ足りないくらいだよ」
「なっ、も、もういい! 十分だ!」
満足していないその発言には、本気でぎょっとした。
「上書きされてる、されてる!」
ただ達しただけではない。潮まで吹かされて、死ぬほど恥ずかしい思いをした。知らない男に触られたことなんかより、何十倍も濃厚で衝撃的で恥ずかしかった。もう十分だ。これ以上はいらない。
「アンヌがそう言うなら……」
「妙なことを仕出かすのはやめろ。普通でいいんだ、普通で」
「いいんだ?」
そう、普通でいい。いいから、してほしい。
だって、身体の内側には熱が溜まったままだ。達した余韻は、満足ではなく更なる欲を生み出している。まだ、奥の奥。一番深いところ。そこに少しも触れられていない。
「サフィール」
言葉は苦手だから、両腕を差し向けたら、サフィールはこの上なく嬉しそうな顔をした。
「アンヌ」
覆いかぶさって来た身体に、縋り付く。逞しく育った身体がリリアンヌの下肢の間に割り入って、そして入口に猛々しい熱が添えられる。
「んっ」
「加減、できなかったらごめんね?」
今までだって、一度たりとてロクにされたことはない気がする。
「んん――――――――っ!」
心の声は実際に音になることはなく、代わりに甘く押し殺された声が鼻から抜けた。
一息にリリアンヌの内側にサフィールが押し入って来る。すっかりほぐされとろけていた媚肉を、硬く滾ったサフィールが征服していく。
「あ、ん、キツ」
「久しぶり、だもんね。あぁ、アンヌのナカ、きゅうきゅうに締まってる」
否定はできない。捩じ込まれたソレを、彼女の身体は喜んで受け入れている。奥からまたどっと蜜が溢れる感触がする。
「アンヌ、アンヌ」
片腕を腰の下に差し込んで持ち上げるようにして、サフィールが侵攻を開始した。
「っ、あ、んくっ」
情熱をそのままぶつけたような、激しい動き。抜き差しされる度ににちゅにちゅといやらしい音が響く。彼女の蜜とサフィールの先走りの汁が混じり、潤滑を助けていく。スプリングの軋む音が、絶え間なく鳴っていた。汗ばんだ身体に、リリアンヌは必死に縋りつく。腰に回った足は、無意識の内に強く絡み、相手を引き寄せていた。それが更にサフィールを興奮させ、煽っていることに気付く余裕などなく、ただただ与えられる愉楽に耽る。
「サフィ、あ、サフィ」
「ん、アンヌ、ここ?」
「あぁ、そこぉ!」
腹の側を抉るように何度も何度も刺激される。触れ合っている部分全てが反応して、段々と快感以外が分からなくなってくる。
「ん、あ、あ、あぁ……」
気持ちいい。この上なく、気持ちいい。
肉欲が満たされるからではない。快楽だけに支配されている訳ではない。
この感情を、感覚を、リリアンヌはサフィールからしか得られない。
それは、彼女が魔女としてサフィール以外の男を受け入れられないからという、そういう理由ではなくて。そうではなくて。
「あ、も、駄目、あ、イク、イク……!」
今、自分の内側にいるのが、他ならぬこの拾い子だから。
自分を狂おしく欲し、愛し、どこまでも激しくその心をぶつけてくるから。
「アンヌ、リリアンヌ、オレの魔女」
だから、リリアンヌは心を許してしまう。受け入れてしまう。欲してしまう。
「アンヌ、イって? 沢山感じて?」
奥をめがけてぐりぃと回すように捩じ込まれれば、リリアンヌは絶頂へと放り投げられた。
「あ、イ、あ、んん――――――――っ!!」
「ぐっ……!」
激しく収斂する内側。思考が焼き切れそうなほどの悦楽。誘われるように、一瞬遅れてサフィールもその熱を解放する。
勢いよく放たれる迸りに、また身体が痙攣する。浴びせかけられる熱。全てを飲み込み尽くしてしまいたいと、彼女は白みがかった頭で考える。
ほしい。全部が、ほしい。何も、逃したくない。
どくどくと注がれる白濁。ただただ満たされる感覚だけが与えられる。
「サ、フィ……」
呼べば、きゅっと抱きしめられた。
「アンヌ、愛してる。アンヌ、アンヌ……」
満たされている。けれどまだ足りない。それは、お互いに。
内側に収められたままのモノが、またむくりと欲望に首をもたげ始める。精根尽き果てるまで、このままでいたいと思った。交わりが全てではないけれど、こうすることで伝えられることも、確かにあると思うから。
「ん……!」
律動が緩々と再会される。欲求には、果てがない。
互いに限界が来るまで、それこそ何度達したかなど全く分からなくなるまで、その日、リリアンヌとサフィールは激しく激しく交わり続けた。
「…………狭い」
寝台で、リリアンヌは寝起きからそう唸った。
いや、それは当然の唸りだった。
今日も今日とてサフィールはリリアンヌをがっちり抱き込んで、眠りに就いていた。
「暑苦しい……」
そこそこの大きさのある寝台だが、それを全く活かせていない。腰に回された腕はビクともせず、その身体ですっぽりとリリアンヌの全身を囲い込んでしまっている。
「全く……」
しかも今日は状況が状況なのだ。素肌と素肌が触れ合った状態なので、ひどく居た堪れない気持ちになる。
触れ合った肌は温かいというよりは暑苦しいと言う方が正しく、心地良さよりは気恥ずかしさ、あるいは面倒さを覚えてしまう。
どうやらサフィールはまだぐっすり眠っているようだ。起きる気配はまるでない。
リリアンヌは何とか腕の中から抜け出そうと試みるが、いけるかと思った瞬間にぐるりとひっくり返され、逆にその胸板に顔を押し付ける形で余計に抱き込まれてしまった。
「……っ!」
これでは更に暑苦しい。
困ったものだと思いながら、ふと思い出す。
ついこの間も、同じように思ったのだ。そして同時に潮時だと思った。
だから、サフィールをここから追い出す算段を立てた。
――――まぁそれは、見事に失敗した訳だけれど。
あの時からは想像もつかない未来がやってきた。
まさか自分がこの拾い子とこんなことになるとは、夢にも思わなかった。今でも時々信じられない心地になる。
二人は変わらず一つ屋根の下にいるけれど、その実色んなことが変わったのだ。交わす視線一つ、今ではもう意味が違う。
平穏ばかりではない。サフィールには思いもかけない過去があり、リリアンヌには魔女としての苛烈な生がある。これからもきっと揉め事は起こるだろうし、危険は尽きないだろう。
これで、いいのだろうか。
正直、リリアンヌは迷った。
サフィールを手元に置いておくことは、リリアンヌにとって、そしてサフィールにとって幸福なことだろうか。
互いが互いの不幸の装置として、働かないだろうか。
だって、二人は生き物としてあまりに違う。
何度も迷った。
心の内で何度も自分を否定した。サフィールを否定した。
これは間違いだと。やはりサフィールを手元に置いておくべきではないと。共には生きてはいけないと。きっと苦しくなると。
でも今、サフィールはここにいる。
サフィールはリリアンヌを決して諦めないし、リリアンヌも今更もうその手を離せない。
「……………………」
怖いことが沢山ある。想像しただけで、苦しいことがある。
どれだけ真摯に想い合っても生きる長さは違うし、背負う運命も違う。
今回、ローゼリカが噛んでいると分かった時、本当に肝が冷えた。怪我を負い、苦しむその姿を見て、怖くて堪らなかった。
人間は、脆い。あまりにあっけなく死んでしまう。
自分の生き様が、サフィールを殺すかもしれない。
そう思った時、自分の存在が憎らしくなった。
どうして自分は魔女なのだろう、と詮ないことを思った。
どうして自分は、普通の人間の娘ではないのだろう。
そうだったなら、こんなことで悩まないのに。
こんなことで怯えないのに。
なんの迷いもなく、ただ同じように生きていけるのに。
そんなどうしようもないことを考えて、そしてそんな自分を嘲った。
魔女である自分を否定するなんて、あり得ない。そこは譲れないし、揺らがないところのはずだ。
魔女であるということは、リリアンヌであるということと同義で、魔女でない自分などこの世には存在しない。あり得ない。
それに、魔女だったからこそ、惑いの森でリリアンヌはサフィールと見えた。
魔女だったからこそ、あの時消えかけていた命を掬い上げられた。
魔女であることを、否定はできない。
自分はどうあっても、魔女として生きていく。
これからも、ずっと、一生。
そして魔女のまま、この子の傍にいる。
サフィールと、添い遂げる。
サフィールが心を惹かれたのも、ただの娘ではない、“魔女”リリアンヌだろう。
サフィールだって、きっともう覚悟はできているのだ。
だから、いつだってリリアンヌのためだけに必死になる。リリアンヌだけを“要る”と言う。
そういう、こと。
「サフィール……」
無防備に晒される寝顔を見上げる。
相変わらずしがみつかれていて、狭くて暑くて鬱陶しくて敵わない。そんな風に、今は本気で思っているけれど。
けれど広くなった寝台に、いつかは嘆き悲しむ日が来るのだろう。きっと、来るのだろう。
この熱を、愛しく、懐かしく、そして心の底から惜しむ日が来るに違いない。
「…………」
じっと見つめる。瞼が降りているから、あの綺麗な青の瞳は眺められない。
けれど、今なら。
「っ……」
本当は、認めている。受け入れている。その言葉を、もう知っている。感覚として、知っている。決して口になど、してこなかったけれど。
「サフィール」
リリアンヌはその言葉を、そっとそっと慎重に取り出す。
誰にも聞き咎められないように、こっそりと音にする。
「――――愛している」
それはとても重い言葉で。
生き方を一八〇度変えるみたいな、それくらいの覚悟が要る言葉で。
自分がとても弱くなってしまうような気がして、とてもじゃないけれど認めるのが難しく、況してや本人に面と向かって口にするなんて、リリアンヌには至難の技と言ってもいいほどの、言葉。
たった一言だけれど、とてもとても重い言葉。
「……ん?」
微かな違和感を覚えて、リリアンヌは拾い子のその顔をじっと見つめた。
すると突然、くふっ、とその口許が耐え切れないと言わんばかりに小さく空気を吐き出した。
「!」
ぎょっとして、頭が真っ白になって、次は顔が真っ青になって、終いには恥ずかしさが勢い余って真っ赤な怒りに変換されていく。
「おっまえ、実は起きてるな……!?」
叫びながら身を起こそうとしたら、逆にぎゅうっと更に抱き込まれた。
「…………ごめん」
「離せ、馬鹿、狸寝入りとか、最低……!」
「ごめん、本当にごめん。でも狸寝入りというか、偶然目覚めの瞬間だったというか」
「うるさいうるさい! いいから放せ!」
「やだ」
ぎゅうぎゅう腕の力が強くなる。頭上から零れる我慢しきれていない笑い声が、リリアンヌの羞恥と後悔をどんどん大きくしていく。
「アンヌ、リリアンヌ、どうしよう、オレ、今ものすごく幸せ」
「知るか! 私は今、本当に最低な気分だ!」
よりによって一番聞かれたくなかった相手に、こんなにばっちり聞かれてしまうなんて。聞かせるつもりなどなかったのに。
「そんなこと言わないで」
頭のてっぺんにすりすりと頬ずりされる感覚。沸騰しかけた頭で、リリアンヌは悲鳴混じりに叫んだ。
「もう言わない、絶対言わない、二度と、一生、言うもんか!」
けれどサフィールはこれっぽっちも気にしない。幸せオーラ全開で、あっさりとリリアンヌの断言を受け入れる。
「いいよ、一生に一度聞けたら十分。それに、オレからはこれから腐るほど、アンヌに言えるしね」
相変わらず、ハードルが低過ぎる。一生に一度で十分だなんて。
いや、リリアンヌはもう二度と、相当、しばらくの間は言うつもりはないから、満足すると言うのなら、それに越したことはないけれど。
「アンヌ、好き。愛してる」
サフィールが耳許に口付けるように、そう告げる。久しぶりに見えないしっぽがぶんぶん振られているような、そんな錯覚をリリアンヌは覚える。
「アンヌだけを、愛してる」
「だから、そんなことは……!」
もういやと言うほど知っている。
「うん、だからリリアンヌ」
最後まで続ける必要はなかった。サフィールは、リリアンヌの心の内を読んで頷く。そして、幸せそうに満足そうに、ただただ彼女に願った。
「オレと、ずっとずっと一緒にいて」
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