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20.亡霊の行方

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「行って来るね」
「んー」
 仕事部屋の入口からそう声をかけたけれど、リリアンヌの返事は完全に生返事だった。
 いや、反応があるだけ良い方かもしれない。少なくとも何か話しかけられたという認識だけはあるようだから。


 彼女は昨日から喜禍きかの結晶を作るのに没頭している。
 様々な色と煌めきを持ち、デザインによっては内側に花や金粉などを内包する、人口鉱物だ。
 見た目にも美しいものだから観賞用にもなるが、その結晶の真の用途は護身。つまり、お守り効果があるのである。
 たった一度ではあるが災いを避けるのに役に立つ結晶。
 使ったら、途端に粉々に割れてしまうという、儚いものでもあるのだが。


 見目と効果から、喜禍の結晶は高く売れる。そしてリリアンヌはこういう造り物をするのが好きで、作り出すとクオリティを追求してやまない。
 甘いものとキラキラしたものを好む彼女を見ると乙女だな、と思ったりするのだが、それを言ったら滅茶苦茶怒られることが分かっているので口にはしない。年寄り扱いすると怒られるし、逆に乙女扱いしても嫌がられる。


「女心は難しい……」
 森の中を歩みながらサフィールは一人呟く。
 時折鉢合わせた森の住人と軽く挨拶を交わし、ちょこちょこ出てくる小さな悪鬼を払いながら、道を進む。


 リリアンヌの拾い子、養い子。
 その肩書きで大抵の者は、手を出してこない。
 お前を見ているとそういう気にならないと言う者もいる。
 それに親しくしてくれた者が小さい頃からあれこれ教えてくれたので、サフィールは一通り身を守る術を知っていた。剣術、体術、毒、薬、罠の張り方、駆け引き。ありとあらゆる人外仕込みの技は、サフィールを殊の外規格外の人間にしていたりする。


「東の谷の薬草、そろそろ摘み時だと思うんだけどなぁ」
 言いながら、ふと通りがかったそこ・・でサフィールは足を止めた。


 そこには一本の巨木がある。といっても既に枯れ、彼の胸元辺りでボキリと折れてしまっているのだが。
 覗き込めば中は空洞で、もうそこにあってないような残骸だった。


「……………………」
 特に意味などないのだが、サフィールはそっとそのぼろぼろの幹に触れてみる。
「本当は、今頃オレもここでこうなってた」


 ここは、十二年前の場所だ。
 十二年前、死にかけのサフィールと見回りに来たリリアンヌが邂逅した、その場所。
 何が功を奏したのか、気まぐれな魔女が彼を拾い上げてくれた場所。


 本当は、ここで、サフィールは骨となっているはずだった。
 誰にも顧みられることもなく、朽ち果てていくはずだった。


「でも、生きてる」
 人生とは妙なものだ。そう思う。
 サフィールは生かされて、こうして健康な身体を手に入れ、そうして愛する唯一人を見つけることができた。十分に幸せな人生を送っている。
 喜びも楽しみも、時に嫉妬さえ覚え、身勝手な行動を取ることさえある。それを叱り、教え、導く相手がいる。受け止めてくれる相手がいる。


「贅沢者だよね」
 家に残してきた彼女を思う。


 この心の内に、一抹の不安もないと言ったら嘘になる。
 サフィールは弱くて臆病者で卑怯だから、まだ全てを受け入れられた訳ではない。いずれ訪れる彼女と自分と別れについては、きっとこれから沢山の時間をかけて咀嚼していくのだ。


 帰れば、彼女はあの家にいる。待ってくれている。
 けれどもし空っぽだったら、彼女がどこかに行ってしまったら、自分に嫌気が差してしまったら。そんな考えが未だに脳裏を過るのである。
「いい加減にしないと」
 自分で自分に呆れてしまう。
 あんなことは、もう二度とできない。してはいけない。
「そして多分、する意味がない」


 ふと思うのだ。


 あの時、本当に彼女は逃れられなかったのだろうか。
 本当にあの魔女封じを破ることはできなかったのだろうか。


 本当は、何かやりようはあったのでは?
 ただただこちらの心を汲んで、檻の内に留まっていてくれただけではないのだろうか。


 そんな風に、実は思っている。


 ウラエウスの制石は確かに魔女の力を封じる。そしてそんなに甘いものではない。
 けれど、相手は巡りの魔女・リリアンヌだ。彼女がその気になれば、本当はあんな首輪くらいどうにかできた気がしている。


 でも、それをしないでいてくれたのだ。
 尊厳をなげうつような暮らしをあえて選んで、サフィールの心を守ろうとしてくれたのだ。
 その尊さに、本当は、気が付いている。


「自分が、未熟者過ぎて、消えてしまいたい……」
 呻かずにはいられない。


 ここで救われた命を、誇れる自分でありたい。


 不安は、あってもいい。あってもいいけれど、その吐き出し方は手段を選ぶべきだ。


「リリアンヌ…………」


 彼女はきっと多くを望んだりしないけれど。
 何をどうすれば、彼女は喜んでくれるだろうか。その生を彩り豊かにできるだろうか。


 そんなことを、考えていたら――――
「!」
 ふと、枯れ枝を踏み折る音がした。
 音が鳴ること自体は珍しくも何ともない。この森には様々な者がいる。けれど。
「……複数人、いる?」
 微かな話し声が聞こえる。相手が何か分からない以上、身を隠すかこの場からすぐに離れるべきだが――――
「しまった」
 周りは枯れ木が多く、男一人が身を隠せるような場所はない。となればすぐにこの場を離れるべきだが、それより前に姿を見咎められる可能性の方が高そうだ。
「ごちゃごちゃ言っても仕方ない」
 サフィールは身を翻して歩き始めた。なるべく音を立てずに、けれど早足で。
 闘うことも吝かではないが、得策とは言えない。争わないで済むなら、それに越したことはないのだ。いくら力をつけても、自分はただの人間なのだから。


 なるべく、リリアンヌを心配させるようなことはしないでおきたい。


「おい、あれ」
「なんだ、アレは」
「男…………人間か?」
 だがその場を抜け切る前に、遠く背後から声が上がる。見つかったらしい。
「まさか」
「だがこの辺りは昔、」
 振り返ることはしないが、会話を拾う限りそこそこな人数がいる。
「なんで、こんなところに」
 多分、向こうも人間だ。集団で惑いの森にまで乗り込むなんて、一体何が目的なのか。


「おい、お前」
「そこの黒髪の、止まれ!」
 威圧的な物言い。もちろんサフィールは耳を貸さなかった。
 土地の利はこちらにある。距離を取り、道を選べば撒くのは容易なはずだ。だが。
「待て!」
「!?」
 唐突に足元に刺さったソレに、さすがにサフィールも動きを止めた。
 威嚇のつもりか知らないが、矢を射られたのである。
「何をしたでもないのに、いきなりこんな」
 礼儀がなっていないにも程がある。サフィールは人間だからまだマシな相手だが、これが魔物相手なら三秒後にはそこら中血の海だ。
「ここで何をしている!」


 それはこちらのセリフだ。
 一体なんのつもりなのだ。ロクに顔も合わせていない、特に攻撃も仕掛けていない相手に、いきなり矢を射るとは。


 面倒事はごめんだ。
 だが、さすがに穏便に済ませてやる気が失せ、サフィールは苛立ちと共に振り返った。


 そうして――――――――
「――――っ!」
 自分のその行動を、瞬時に後悔した。


 そこには複数人の男がいた。十人は超えないだろう男達は、間違いなく人間だ。人外のものではない。


 何故、それが分かるか。


 それは、男達が一様に同じ格好をしていたから。
 白を基調とした長衣を纏った男達の身分は。


「神、官…………」


 少しだけ、嫌な予感がしていた。
 神殿、と聞いたその時から。


 けれど自分には関係のないことのはずだった。
 何せ自分はもう死んでいる。生きているだなんて思われていない。そうして、生きていたところで何の利用価値もない。全く、微塵も、これっぽっちも。


 そのはずなのに。
 振り返ったサフィールを、男達が警戒の目で射抜く。その警戒に、別の色が混じるのに時間はかからなかった。
「その瞳の色、それにその加護の気配――――――――」


 リリアンヌは、なんて言っていたっけ。


「まさか、本当に生きていたとは」


 神殿の人間が、魔女と所縁のある何者かを探してる、とか。


 魔女と所縁のある者? 神殿が探したくなるような?
 そんな馬鹿な、と思う。けれど。


「●●●●●」
 男の一人が何事かを口にした。
 それはひどくざらついた単語だった。そんなもの、サフィールはもう知らない。意味の分からないただの音の羅列だった。


 けれど、それを聞いた瞬間。


「なん、で……!」
 男達の目的が自分なのだと、気付いてしまった。理由は分からないけれど、自分なのだと気付いてしまった。
「っ!」
 一も二もなくサフィールは踵を返して駆け出した。人違いだとかなんとか、誤魔化そうとは思わなかった。多分、そういうことにあまり意味はない。理由は判然としないけれど、向こうはもう確信を持っている。


「待て!」
「●●●●●!」
「私達はお前を保護しに来ただけだ」
 背後から投げかけられる言葉に虫唾が走る。


 笑わせるな笑わせるな笑わせるな!
 保護しに来ただと?
 お前達が、ここに捨てたクセに。死体も残らないようにと、魔獣の腹に存在ごと押し付けるつもりで打ち捨てたクセに。


 死んだと思っていたはずだろう。死んで欲しかったんだろう。それが、何なのだ。


「くっ、止まれ!」
「手荒な真似はされたくないだろう!」
 空を切る音がしたと思ったら、耳のすぐ側を二三本の矢が掠めて行った。


 ほら見ろ、すぐに力に訴えて、どうにかしようとする。


 保護とか言っても、どうせ何かに利用したいだけだ。散々に使い尽くされて、そしてまたぼろぼろになったら捨てられるのだ。ゴミみたいに、捨てられるのだ。


 そんなことは、もう身を以って知っている。


「仕方ない、多少手荒になってもやむを得ん」
「命があれば、何とでもなるか」
「今は魔女の気配がない。出てくる前に連れ戻さなければ」
 足場が悪くなってきたせいで、当初開けていた距離が大分縮まって来た。あの人数を一人で捌くとなると、無理とは言わないが多少の無茶は必要だ。


 覚悟を決めるべきか。


「ぐっ!」
 そう考えた瞬間、肩に衝撃が走った。鋭い痛みが足先まで走り抜ける。


 矢が刺さっていた。


 飛び道具は面倒だ。こちらは背を向けて走っているのだから、尚更危険だ。
「それにこれ……」
 妙な感覚だった。痺れ薬でも矢尻に塗られていたかと思ったが、少し違う気もする。


 痺れるというよりは、脱力。気力を抜かれるような感覚。


「聖具……!」


 神官と言っても、大抵はただの人間だ。特別な力を持つ者ではない。
 けれど稀にその中に特別な力を奮う者がいる。そういう人間が使うそれは“御業”と呼ばれ、神から授かったものとされるが、リリアンヌ曰く魔女の使う力と本質は同じとのこと。とにかくその御業が使える人間は、時にその力を神具に籠め、一般の人間にも分け与えることがある。
 刺さった矢も、その手の類のものなのだろう。
 力の使い手が利用している訳ではないのなら、いずれ込められた力が尽きればただの道具に戻るが、厄介なものに変わりはない。


「最悪だな」
 吐き捨てて、サフィールは必死に思考を巡らせた。


 まだ走れる。右腕には力が入りにくいが、闘えと言われればそうする。
 けれど、全員を圧することは無理だろう。


「逃げ切らなくちゃ、いけない」


 腹の傷が痛む気がした。でも、絶対に気のせいだ。
 昔受けた傷はもう塞がっている。リリアンヌが治してくれた。
 傷跡は残っているけれど、それだけだ。もう痛んだりするようなものじゃない。


 正面からぶつかるのは馬鹿のすることだ。けれど、理由は分からずとも向こうも本気だ。そう簡単に引き下がりはしない。
「でもこの辺り、あんまり知り合いいないんだよね」
 頼れる者がいれば良かったが、そうは問屋が卸さない。
「相手が、手出しできないところ、まで」


 絶対に、捕まりたくない。絶対に嫌だ。
 何が何でも逃げ切ってやる。


「っ!」
 サフィールは胸元から小袋を取り出して、風を読みながら少しだけ進路をずらす。自分が風上にいることを確認してから、その中身を解放する。
「ぐっ」
「うえぇ! 何だこれ!」
 瞬く間に広がったそれは、男達の気管に入り込み苦しめたようだった。


 魔獣用に使う、威嚇の粉だ。
 致死成分は含まれていないが、強烈な匂いを吸い込めばその場に蹲り動けないだろう。


 だが。
「しつこい!」
 半分ほどに減ったとは言え、まだ足を止めない男達がいる。
 足元にまた矢が刺さって、サフィールも危機を感じ始めた。
「この先、東の谷、そう、谷――――」


 谷がある。


「――――――――」
 賭けだな、と思う。
 けれど先ほど射られた肩はまだ力が抜けている。
 存外強力な聖具だ。もう一矢射られたら、正直足が止まると思う。
「それはいけない」


 サフィールは知っていた。
 自分がほんの少しだけ、特別なことを。
 上手く言葉では表せないが、要するに、なかなかに運が強いことを。


 自分はただの人間だ。目に見えないものを過信するべきではないと分かっている。
 運がいいなんて、自分の思い込みかもしれない。そうかもしれない。
 けれど、可能性の問題だ。


 サフィールは、リリアンヌのいるあの家に帰りたい。他のどこにも行きたくない。


「あと、少し……!」
 可能性があるなら、それに賭ける。過去の経験を信じる。


「おい、待て何を!」
「死ぬ気か……!」


 崖の縁に足がかかる。地面は、その先にはもうない。


 それでも。


「!!」


 サフィールは迷わずに飛び込んだ。


「アンヌ…………」


 大丈夫、大丈夫。こんなところで、死んだりしない。何とかなる。大丈夫。
 それに、谷の底には知り合いがいる。




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