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第3話 2人はやっぱり分かってない
2人は分かってない【香凛社会人編】 その1
しおりを挟む問題なんて、なんにもないと思ってた。
日々はただ、穏やかに紡がれる。これと言って論う不満はない。大きな衝突もない。
お互い、満たされた生活がそこにはあると思ってた。
でもそれって、本当だろうか?
「あー、やっと金曜だよ。今週残業続きだったから、もうへとへと! お酒もおつまみもおいしー」
向かいの席で二階堂ちゃんがグラスを空けて、しみじみと言う。台詞だけ聞くとちょっとおじさん臭いけれど、飲んでるのはカシスオレンジで女子女子している。
黒髪をビシっとバレッタでまとめ、印象通りしっかりしていて頼れる姉さんといった雰囲気の二階堂ちゃん。服装もシンプルでピシっとした印象のものが多いけれど、実は割に可愛いもの好きで、猫型のスマホリングとか、ウサギを象ったポーチのチャームとかをそこここに忍ばせていたりする。二階堂ちゃんの忍ばせている可愛いグッズを見つけるの、私は密かに好きだったりする。
「うーん、皆で飲むの楽しいねぇ」
なんておっとり言ってるのは明日香だけど、彼女の手にあるのは生中で、しかも早々に二杯目なので、こちらもセリフや見た目と手にしているものが一致しない。
ふわふわの落ち着いた色味の茶髪、淡い色のブラウスにシフォンスカート。女子力の権化みたいな見た目をしていて、ほとんど実際そうだけど、見た目ほどぽやぽやはしていない。芯が通っていて、頑固なところはとことん頑固だ。
金曜日の夜。
私達はちょっと内装の洒落た居酒屋にいる。
半個室の出入り口はレース生地で目隠しされていて、人目はあまり気にならない造りだ。
今日は女子会。二階堂ちゃんと明日香と私。会社の同期の中でも特に気心の知れているメンバーでの飲みなのだ。
時の流れは早い。
ついこの間までやれ就活だ、卒論だと色んなことに追い立てられていたと思ったら、あれよあれよと言う間に社会人になり、毎日目の前のことを何とかこなしていたら、二年目に突入していた。
ほんの少し、社会人である自分にも慣れ、こうして女子会を開けるくらいの同期もできた。仕事は忙しかったりしんどいと感じることもあるけれど、まぁまぁ順調だ。幸いなことに、まだ本気で辞めたいという気持ちになったことはない。
「はー、それにしても疲れるわー」
「あー、新人さん、いるんだっけ?」
二階堂ちゃんが深い溜め息を吐く、その理由。
この春、また新入社員が入ってきている。彼女の部署にも二人ほど配属され、それぞれに中堅どころの先輩がついた。ところが。
「今、大口の新規案件抱えてて、すんごい忙しいの。それは分かるの」
彼女の部署は今未曾有の忙しさらしい。誰もが自分の手元にある仕事で手一杯。
「でもだからって新人の世話を、二年目なりたての私にちょいちょいさせるの、どうなの?」
新人の面倒を見る余裕がないとなったら、先輩達はちょいちょい二階堂ちゃんに代わりを頼むらしいのだ。
「基本中の基本みたいなことはいいよ。でも、私だってまだ大したことできないのにさ。それにこんなんでも自分の仕事、一応あるしさ」
私が彼女の立場だったらと思うと、想像しただけで胃が痛い。
「正直訊かれても分からないこと多いんだよー、やったことないこととかもあるしね。何かさぁ、コイツできないヤツだなとか思われてないかなとか、余計なストレス多いし」
一年いたら確かに基本中の基本は押さえられる。でも、一年のうちにあらゆる種類の仕事に触れる訳じゃない。当たり前だ。まだまだ知らないことばかりだし、経験値が絶対的に足りていないのに、新人からの質問を受けるなんてとんでもないことに思える。
「そんな、向こうだって分かってるでしょ、二階堂ちゃんだって超ベテランではないって。それをどうこう思わないよ。来年自分がやれって言われたと考えたら、怯むでしょ」
「そうかなー」
「その忙しい時期、いつまで続きそうなの?」
「秋口くらいには、落ち着いてると思うけど」
はぁ、と大きな溜め息。
残念ながら私には話を聞きながら、サラダを選り分けて提供するくらいしか、できることがない。
「あ、香凛、ありがと」
「いいえー」
「そう言えば香凛ちゃんとこも、この間人事異動あったよね」
明日香が思い出したように言って、私もそれに頷いた。今月の頭に、大きな人事異動があった。
「あ、そうそう。男の人が一人。確か自己紹介で入社十……三年目って聞いたかな」
歓迎会も先週末に終わったところだ。目の前の一日一日をこなすのでいっぱいで、十年以上会社にいる自分を、今はまだとても想像できない。
「高山って人でしょ」
「うん」
頷くと、声量を落として明日香がこそっと囁く。
「気を付けなよ~」
「え、何が」
なになに、と三人で頭を寄せ合う。
「まだ何も聞いてない? 結構面倒な人らしいよ。あっちこっち異動多いの、問題があるからだって噂、聞いた」
「なにそれ」
びっくりする。
正直、同じ課と言ってもチームが違うし、デスクも離れているので、今のところほとんど関わりがない。若干話の長い人だなという印象があるくらいで、性格とか仕事の回し方なんてものは全く分からなかった。
歓迎会でのあいさつで、淀みないしっかりとした口調や物怖じしない様子から、しっかりした性格、あるいは自分に自信のあるタイプなのかなと思った。せいぜいそのくらい。
「噂だけど、それほど適当なものじゃないと思うよ」
「えー……なんでその人、異動異動で誤魔化してるの? 問題って何かやらかしてるってことでしょ? 異動じゃなくて、何か処罰があるもんじゃないの」
私より、二階堂ちゃんの方が嫌そうな顔をする。
「ウチの会社、たまにコネでぐいぐい行くパターンがあるみたい。高山さんとやらはウチの大口の取引先の息子なんだって。それでどうにも無下に扱えないらしくて」
「なにそれ、その人のせいで迷惑被ってる人がいるんだよね? そういう人のことは無下に扱ってもいいの?」
「だから、異動・異動で誤魔化してるんだって」
そう言われると、俄かに不安になってくる。
問題があるって何だろう。パワハラ? セクハラ? それとも数字を誤魔化してるとかそういう話だろうか。
「っていうか、明日香のその情報源はなんなの」
「確かに、それは思った」
二人で一緒に詰め寄ると、明日香はきゅるんと可愛いスマイルを浮かべた。
「人事部と太いパイプを持ってる先輩がいるのさー。同期がいるなら忠告しといてあげてって言われてさ」
なるほど。確かに精度はピンキリだけど、どこの部署にもやたら情報通な人っているよなぁ、と思う。
「何かあったら言いなよ、香凛。コイツ泣き寝入りするタイプだなって思ったら、いくらでも攻撃してくる人種も世の中にはいるし」
その通りだけど怖いことを二階堂ちゃんが言う。私はそのお言葉を神妙に受け取って、でも一応言っておいた。
「いやぁ、でも私、二年目の下っ端でそんな大きい仕事ないし。となると仕事はほとんどチーム内で完結してるんだよね。仕事が被らなきゃ話すこともほぼないよ。挨拶するくらいしか、接点ないと思うけどな」
この一年で送別会も何度か経験したけれど、課やフロアは一緒でもほとんど何も接点はなかったという人も多かった。一年、二年先は分からないけど、目下それほど接点は生まれないと思う。それに今聞いた話だと、近い内にはまた異動なんてことになってそうだ。
「ならいいけど、飲み会とかは気を付けなよ?」
「肝に銘じておきます」
もし噂が本当なら、部内の誰も犠牲にならなければいいなと思う。
会社ではしばしば仕事そのものよりも、人間関係の方が重いことがあるものだから。仕事内容じゃなくて、人間関係で辞める人は結構いるものだし。
「何か景気の良くない話になったなー」
うーんと一つ伸びをしながら、二階堂ちゃんがしみじみと続けた。
「あー、癒しがほしい。美味しいお酒も楽しい女子会もご褒美スイーツもいいけどさ、甘やかしてくれる誰かがほしい」
「私もほしー」
明日香がそれに追随する。
「え、明日香、彼氏いたよね?」
思わず反射的に訊き返してしまったら、彼女はあっさりと答えた。
「別れた」
「え」
「っていうか、フッてやった」
「え、えー……」
明日香には確か付き合って四年になる彼氏がいたはずだ。
四年ということは、つまり学生時代から付き合っていた彼氏だ。
「最悪なの、本当に」
憤慨した声。明日香は勢い良くぐびーっとグラスを傾け、中身を空にしてしまう。
メニュー表を渡したら、日本酒やら焼酎のページを据わった目つきで吟味し始めた。
何度も言うけど、乙女なビジュアルとのギャップがすごい。
一体、何が原因だったんだろう。浮気、すれ違い、浪費癖が発覚したとか、異動で遠距離になって無理って言われたとか。
「ホント、許せない」
あ、これ、浮気とかかな。何となくそう思う。
彼女は自分の憤りを人差し指の先に集中させたみたいに、重く鋭く呼び出しボタンを突き刺した。
「ちょ、明日香、どうしたの。相当じゃん」
その気迫に、二階堂ちゃんが気圧されながらも訊く。
彼女は、普段の声からは想像できない切れ味抜群の声で一言言った。
「マグロは、もう食べ飽きたって」
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