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第2話 香凛はなんにも分かってない
分かってない【パパ編】 その17
しおりを挟む香凛の泣きかけの顔を思い出す。
完全に下手を打った自覚はあった。
一方的に絡まれたようだったし、まずは怖い思いをしたことに対しての慰めが必要だったんじゃないか。危機管理云々の話は、その後でも良かったはずだ。
「…………」
いい思い出になればと出掛けた旅行だったが、後味の悪いものになりそうだ。明日もまだ時間はあるが、きっとギクシャクしたものになってしまう。
しばらく二階のベランダで時間を潰してから戻る。
しんと静まり返った室内。香凛はリビングか、和室か。
少し迷ったが、そのまま階下には降りずベッドルームのドアを開けた。
嫌な思いをさせただろうし、できれば顔を合わせたくないだろう。今日は別々に寝た方がいいかもしれない。
そんなことを思ってベッドの上に身体を投げ出してはみたが、まとまらない思考が延々と巡って、眠気が訪れる気配は皆無のまま無為に時間だけが流れて行く。
どれほどそうしていたかは、定かではない。
不意にコンコンと小さなノックが響いた。
数瞬間を置いてから、遠慮がちに数センチだけドアが開けられる。
こちらを窺う気配。
「――――パパ」
目が合うと、香凛は反射的にだろう身を引いたが、その後何かを決心したように口を引き結んで部屋の内に入って来た。
「――――どうした」
身を起こすと、こちらの数歩手前で香凛は立ち止まる。
「顔も、見たくない?」
そして、そんなことを言った。
「は?」
「だ、だから今日はもう別々なの?」
不安に揺れる声。
「楽観的だったなって、やっぱりそう思って、その、謝りたくて待ってたけど」
いつまで経ってもオレは戻って来ない。
オレが怒っていると思いつつも、意を決して声をかけにきたらしい。
あんな風に強い口調と態度を見せておいて何だが、謝りたいというのは少し違うと思った。
気を付けて欲しい、しっかり認識してほしいとは思ったが、オレに対する謝罪が必要な訳ではない。
「いや、お前が顔を合わせたくないかと思って……」
「怒ってないの」
「いや、やり方が悪かったと反省してるくらいだが」
言ったら、ホッとした表情を浮かべた。数歩空いていた距離を詰めて来て、おずおずと両腕をこちらに回してくる。
「ごめんなさい。自分のこと、自分で守れるようにもっと考えるべきだよね。パパが安心できるように、ちゃんと気を付ける」
首筋に髪が擦れて、柔らかくほのかに甘い香りが鼻腔を擽った。
「――――お前の身が心配なのも、当然本当だが」
その香りが、柔らかい身体が、心の隙間に入って来るかのようだった。
今まで決して口にしてこなかった、するつもりもなかった言葉が、うっかりと漏れ出す。
「気が気じゃないんだ」
「?」
「お前を誰かに奪られたらと思うと、気が気じゃない」
抱き着いていた香凛が身を離す。きょとんとした顔で、こちらを見返してきた。
「――――もしかして、嫉妬? パパでも、嫉妬したり不安になったりするの?」
そんなまさか、と言いたげな顔だ。
「いつもしてる」
だが、現実はこんなもの。デキる大人の男の余裕などというものは、虚像でしかない。
「いつだって、他の男が出て来たらって危惧してるさ。余裕なんてどこにもない」
幻滅、されるだろうか。
そう不安を覚えていたら、香凛は唐突に破顔した。
「…………おい、どうした」
緩んだ顔で言う。
「嬉しいの」
嬉しい?
「パパが、私のことで嫉妬したり不安になってくれてるなんて、嬉しい。私と同じように、一喜一憂してくれてるなんて嬉しい」
「幻滅するとこじゃないか?」
「なんで?」
返答はきっぱりしていた。
「一歩引いたところから、よしよしって甘やかされるだけじゃ、気持ちの釣り合い取れてるのかなとか不安になるよ。そりゃ程度の問題はあるけど、綺麗な気持ちだけで恋愛はできないもん。私と同じようにパパの気持ちが揺れるのは、全然幻滅するようなことじゃない」
――――十六も年が離れているから。
だからやはり余裕や分別は必要だと思う。見栄だって、度が過ぎなけりゃそれなりに張るべきだ。
実態はこの体たらくでも、オレにだって取り繕いたいものはある。
だが、そうでなくてもいいと、この娘は言う。
頬をそっと包んだら、そのまま頬ずりされた。
もっと、とせがむようにその手を引き寄せて、恥ずかしそうに小さくずらした手の平にちゅっと唇を落とす。
「……嫌じゃないのか」
甘い空気が滲み出ている気はしたが、先ほど無理に抑え付けた手落ちを思い出してしまう。
だが、香凛は言った。
「さっき知らない人に触られて、すごく気持ち悪かった」
掴まれていた手首をさする。
「……上書き、してほしい、の」
「…………!」
こういうところが、危ないのだ。
こんな無防備で可愛らしい顔は、本当に他には晒さないでもらいたい。欲望に火が灯ってしまう。
だが、欲望と愛情は必ずしも繋がっていないのだ。欲だけで非道なことをするヤツは、山ほどいるから。
「んっ」
引き寄せて、唇を重ねる。
香凛には、心の通った交わりだけを知っていてほしい。
ちゅ、ちゅ、と啄むような口付けを繰り返す。わざとリップ音を鳴らしながら、頬、瞼、こめかみ、首筋、とあちこちに飛んでみせる。
背中に回していた手で帯に触れれば、少し引くだけで簡単に解けてしまう。浴衣というのは、本当に無防備だ。
「ぁ、っん」
そして帯を外せば前はすぐにはだけ、そこから肩に向かって侵入すれば浴衣自体もぱさりと床に落ちてただの布の塊に成り下がった。
「パパ……」
さっきからすっかりパパ呼びが戻っているが、今夜はもうそれを指摘する気にはならなかった。
何でもいいのだ。甘い声がオレだけを確実に呼んでいれば、それで。
白いレースのブラの合間から、同じく白い柔らかなふくらみが覗く。そこにも口付けを落としていく。
「パパ」
しばらくそうやってあちこちに唇だけで触れていたら、香凛が不意にオレを呼んだ。
「ん?」
埋めていた胸から顔を上げると、恥ずかしそうにしながらも言う。
「あのね、昨日のアレ、もっとつけて」
「?」
昨日のアレ?
「ここ」
香凛が自分の腹を指し示す。そこには昨夜オレが吸い付き作ったキスマークがまだ残っていた。
「同じの、欲しい。いっぱいつけて」
「――――――――」
内側の熱が、その台詞で一気に上昇したのが分かった。
末恐ろしい。何てことをねだり出すんだ。
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