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第2話 香凛はなんにも分かってない
分かってない【パパ編】 その9
しおりを挟む突然の訃報が飛び込んで来たのは、姉の結婚から五年が経とうという頃のことだった。
多重事故に巻き込まれたって、旦那さんの方は即死、奥さんを庇う形だったって、でも奥さんも病院に搬送される前に、可哀想に、まだ若かったのに、娘さんもまだ小さいんでしょう、本当に気の毒な――――――――
耳に入って来る情報が何一つ現実味を帯びない。
けれど時間は容赦なく進み、通夜、葬儀と淡々と儀式をこなすことを要求してくる。
安置された棺には間違いなく姉夫婦が物言わぬ亡骸として横たわっているし、一様に絶望を宿した親族の顔も演技などではない。きちんと、現実なのだ。
通夜が終わり、翌日の葬儀が始まるまでの時間。控え室に集まった近しい親族には、暗い顔で話合うべきことがあった。
香凛の、行く先だ。
オレはまたいつぞやのように、"香凛ちゃんを宜しくね"と母親に言われ、小さな肩を押しながら別室へと移動した。
部屋の中には沈黙が重苦しく横たわる。いつぞやもオレと香凛の間には気まずげな沈黙があったが、今度のこれはあの時のものとは全く違う。どんな言葉や行動を見せても払拭できやしない、負の空気。
今度はどれだけ二人で待っていても、"かーりん"と姉が呼びに来ることはない。
香凛のこれからについての話し合いは難航しているだろうな、と出て来た部屋の空気を思い出す。
誰も香凛を邪険に扱いたい訳ではない。愛情がない訳ではない。だが、父方の祖父母には介護問題、叔父は未婚で海外在住、血の繋がりのないウチがこの少女を引き取るところまで思い切るかと言うとそれは怪しい。
誰も引き取れなければ――――――――行く先は決まってくる。
香凛は泣かない。無表情に押し黙って椅子に座っている。
座ってしまえば、香凛の足は地面に届きすらしない。床から浮いた靴が、香凛の幼さをこちらに突きつけるようでオレは目を逸らした。
朝、会ったときにはその瞳は真っ赤だった。夜、きっと沢山泣いたのだろう。
だが、沢山の人の前では、香凛はその瞳を決壊させない。何かにまんじりと耐えるように、心を押し殺しているように見える。
我慢をする必要なんか何一つないと言うのに。
だが、泣いても良いんだと、そう言葉をかけるのも無神経な気がしてできなかった。
"香凛"
ただ香凛をそこに座らせているだけの状況がいたたまれなくて、声をかける。
"喉渇かないか。オレも飲むから、香凛の分も買ってくる。何がいい"
香凛はへの字に唇を引き結んだまま、視線だけをこちらに向けた。
"りんごかももか、炭酸か。どれがいい"
通りがかった自販機のラインナップを思い出しながら言う。
いらないと言われる前に明確な選択肢を与えてしまうと、
"――――りんご"
聞き落としてしまいそうな小さな声が返ってきた。
"すぐ戻るからここで待ってろ"
そう言って、本当に手早く済ませて戻って来たのに、次に覗いた時そこに小さな姿はなかった。
"香凛?"
手洗いか、とも思ったが、男の身では確認する術がない。それにそれは楽観的な予測に思えた。
あまりにショックな出来事に、香凛の中で何かが切れてしまったのではないかと思った。式場を抜け出してどこぞへふらふら宛てもなくさ迷っているのではないか。
――――いや、取り敢えずまず館内からだ。時間はそう経っていないのだから、子どもの足ではまだ外まで出ていないかもしれない。
嫌なリズムで拍動する胸を抑えて、部屋を飛び出す。
おかしな真似をしてくれるなよ、と祈りながら。
だが、香凛は割合あっさり見つかった。館内にいたのだ。
その姿を見つけてホッと胸を撫で下ろす。
良かった、ちゃんといる。
だが、声をかけようとして、失敗した。言葉が喉でつっかえたのだ。
香凛は大人達のいる元の部屋を入り口の影からこっそり窺っていた。漏れ聞こえる声を、懸命に広い集めている。
"可哀想だけど"
"ウチではどうにも"
"誰の元にいるのが香凛ちゃんの幸せか"
"でも少なくともいくらか状況が落ち着くまでは"
"最終的には誰の近くの場所を"
本人の耳に入れていい話じゃない。それが分かってたから大人達は香凛を遠ざけた。
"――――香凛"
部屋の内にバレないように、そっと近付きその肩に触れる。だが、香凛はその場から動こうとしなかった。こちらを振り返りもしない。
ただ、じっとひたすらに自分の行く末を見通そうとするように部屋の中を見つめ続ける。
無理矢理でも、引き剥がした方が良い。これ以上、余計な傷はいらない。
肩に触れていた手に力を込めたその瞬間、
"早く、決めちゃえばいいのに"
小声で香凛がそう言った。その淡々と発されるその言葉に、凍り付いた。
自分のことなのに、この少女は今、何て言ったんだ?
"きっと、施設? に行くんだよね?"
本人から発されたその単語はあまりに暴力的だった。
幼いからと侮っていた。だが、香凛は自分の立ち位置をあまりに正確に把握し過ぎている。
こちらを見上げる瞳。泣き明かした気配の残る瞳。だが今は、ちっとも潤んだりしない。
残酷な言葉を、自分自身に向けようとする。
"香凛が、面倒だから、だからみんな、むずかしい顔しかできなくて、ちゃんと泣けないんでしょう?"
ちゃんと泣くべきなのはお前だ。
親を亡くしたこんな幼い子どもに思慮なんてものは必要ない。痛むままに泣き叫び、悲しめばいいのだ。それで失ったものが還って来ることはないが、それでも激情を吐き出した心は少しずつ少しずつ時間をかけて再生できるものだから。
感情を吐露するのは、必要な手順だ。
なのに――――――――
激しい某かの感情が自分の内で暴れるのが分かった。
こんな幼い少女に、自分からなんて残酷な選択肢をさせているんだと、この場にいる大人の一人として情けなくて仕方がなかった。
このままだと香凛の言う通り、結論は"施設に預ける"で決まってしまう。
でもそれは到底許容できることではないと思った。
別に香凛と大した関係性がある訳でもないのに、責任も義務も、それと同じだけ権利もないと言うのに。
自分にできることなど高が知れてて、それが香凛の幸せに繋がるかも分からない。そもそも香凛が望むかも分からない。
だけど今、この物分かりの良い少女を、簡単に手放してはいけないと思った。何かが決定的に損なわれる気がした。
"こい? きんぎょ?"
いつぞやの丸く弾んだ声を思い出した。
意識するまでもなく、ただ普通に幸せで素直な心を零した頃の香凛を。
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