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37.本当に欲しい言葉は
しおりを挟む「リオがミセス・ベネットのところから帰って来たら、本当のことを言うつもりだった。言って、リオが全てを思い出して苦しむかもしれない。思い出さずとも聞かされた内容にショックを受けるだろうと思った。それでも、リオとこの先も一緒にいたいから、ひどくエゴにまみれたことしようとしてるなって自覚はあったけど、本当のことを言うつもりだった」
「うん、疑ってない。信じてる」
好意も後悔も覚悟も、全部丸ごと信じられる。
「でも」
莉緒は眉根を寄せた。まだ不可解なことがあるから。
「じゃあどうして打ち明けるつもりがあったのに、私が本物のレオンにばったり会っちゃった後あんなに無視したりしたの」
違うんだと、こういう理由があったのだと、例え想定していた順序でなくとも説明されたら、莉緒は彼の話を聞いたと思う。動揺しただろうけれど、それよりは対話の気持ちの方が強かったから、もっと事態は早く解決したはずだ。
「そこは正直、ちょっと、いやかなり傷付きましたけども」
意味のないコールやメッセージは、送る度にどんどん莉緒の勇気を削いだ。嫌われているかもしれないと思えば指先は重くなり、このまま会えずに帰国して全てがうやむやになるのではと恐れた。
そこに関しては、莉緒は多少ご立腹している。
「それは……リオが」
「私が?」
「リオが、本物のレオンを見ても、まだ僕のことを思い出さなかったから」
歯切れ悪くエリオットはそう白状する。
「というのを、指摘されて」
「されて?」
「いや……」
随分言い澱むし、言い回しが微妙だなと首を傾げる。
「エリオット、全部吐いて」
あんまりはっきりしないので強めに要請すれば、
「まぁ、あの、軽く脅されたと言うか」
と彼はぼそりと答えた。
「は!? おど……?」
「ここまで来てリオが思い出さないってことは、そうするべきだと脳が判断してるからだ。思い出せば苦しむことになるだけだって。レオンにそう言われて。確かに、未だにリオに思い出す気配がないってことは、それだけ心の傷が深いって証拠でもあると思った」
そう言いながら、レオンは同時に、莉緒に対して全てを詳らかにしてもいいんだぞと言ったらしい。
いつでも彼女に話してやる、今屋敷の前だから庭を案内してやろうか、偶然に再会したのだと久々に両親に会わせてもいい、ネタの一つとしてその昔そっくりの顔立ちだった従兄弟の話をしてもいいな。どの段階でリオは思い出すだろうな?
「え……普通に最低」
「いや、まぁその……ごめん。これはこっちの問題で、レオンとは折り合いが非常に悪く」
「それにしたって……」
「交換条件だよ。ゼーゲル家のご子息の名前を勝手に使った代償を払えってね」
二人が交わした約束はこうだった。
莉緒に余計なことは言わない。核心に触れる情報からは遠ざける。
ロンドン滞在中の身の安全の確保とサポートも全て行う。
その代わり、もう二度と莉緒とコンタクトを取るな。一切を絶て。
「えっと……」
内容を聞いて、違和感が莉緒の中に湧き上がる。どうもしっくりこない内容があると思った。
「事の真相を思い出されたくないのは、ゼーゲル家としてそうだろうなって、だから余計なことを知らせないっていうのは分かるんだけど、滞在中の身の安全とかサポートとかは何故……」
それこそどうでもいいものではないか。
エリオットとしては重要かもしれないが、レオンにはそこまでするほどの義理はないはず。莉緒がどうなろうと、痛くも痒くもない。すこぶるどうでもいいことのはずだ。
けれどそこでエリオットは少し表情を緩めた。
「あっちにもきっとあったんだと思うよ。たまたま偶然莉緒を見かけて、初めてその存在を思い出したんじゃないかなとは思うけど、それでも再会した時に、ウチが悪いことをしたなって済まなく思う気持ちはあったんだと思う」
レオンのことを思い返してみる。
今一つ、信用できないという思いがあった。エリオットのことは常にアレ呼ばわりで、どこか見下しているようで、エリオットが話題に上がると莉緒に対する言葉にも棘が見受けられた。
彼のやりようは強引で、一方的だとも感じていたけれど。
「あの時、同じくアイツにだって何をする力もなかった」
忙しいだろうに会う時間を作ってくれていたこと、宿を提供すると言い出したこと、迎えの車、把握されている行動。
「監視されてるんだと思ってた……」
前提として不信感しかなかったので、彼の提示するもの全てが怪しくしか見えなかったが。
罪滅ぼしの一環だと言われれば、今はそういう解釈もできるのかもしれないと思う。
「監視って言い方でも間違いはないんだけど、少なくとも危害を加えようって目的のものではないよ」
純粋に犯罪に巻き込まれたりしていないか、そういうことを心配しての監視の目だったと聞いて、何だか気が抜ける。
そういう背景を知らずに常に自分のことを把握される日々は、正直な話かなり神経を擦り減らした。
「例の使用人はあの後、別件で捕まってるんだ。ゼーゲル家を解雇された後のことだけどね。というか、捕まるように仕組んだと言うべきか。ただ、薬の件は揉み消されたから、だから莉緒が思い出して騒いでも、今更どうなるものでもない。思い出したところで、本当にただリオが苦しむだけだった。オレもレオンもそれは本意じゃなかったから」
そこまで聞いて莉緒は、あの、と疑問を口にした。
「それだけレオンの方にも手厚く対応しようって気持ちがあったなら、私に会うなって脅し、あんまり意味なくない? 破って私とコンタクトを取っても、そう無体なことをしそうにはないと思うんだけど……」
レオンのエリオットへの脅しは、あまり意味がないのではないか。初めから、脅しになっていないのではないか。
莉緒はそう思ったのだが。
「いやぁ、どうかなぁ」
エリオットは苦い顔をした。
「僕が約束を破ったら、迷わず莉緒を傷つけることを選んだかもしれない。莉緒を傷つけられたら、こっちがどれだけ苦しむか、後悔するか分かってるから。レオンなら莉緒を大切にすることより、僕を精神的に叩き落すことの方を選ぶかもしれないって思ったんだよ。そして多分その心理を見透かされてて、あぁいう条件を提示されたんだろうなって、まぁそこも分かってはいるんだけど……」
「……本当に仲が悪いんだね?」
「何だろうな、立場とか能力とか距離感とか。色んなものが難しい関係だったから、気が付いたらこんな状態に。普段はお互い関わり合いにならないようにしてるんだけど」
普通の従兄弟というにはあまりに近くて。けれど屈託なく付き合える関係性ではなくて。
二人にしか分からない複雑な感情があるのだろう。
「結局、僕たちの個人的な問題に更に莉緒を巻き込んだだけになった。本当に、ごめん」
その言葉を聞くのは何度目だろう。
「…………謝ってばっかり」
溜め息と共にそう呟くと、
「それ以外に向けるべき言葉がない」
とすぐに言葉が返ってきた。
「……それ、本気で言ってる?」
莉緒とエリオット、二人の視線が真っ直ぐぶつかる。
「私が欲しいのは、そんな言葉じゃないんだけど」
エリオットが本気でそう言っていることは、目を見れば分かった。申し訳ない、過去はもう変えられない、謝ることなど何の足しにもならないのにそれでも謝らずにはいられない。
彼の思っていそうなことは、莉緒にも想像できる。
「私は傷付いてるし、疲れてるし、ショックなことがあってもう結構ボロボロなんだよ。こういう時に必要なのって、もっと他のものだと思うんだけど」
けれど、莉緒とエリオットの間にあるものは過去の後悔だけではない。被害者と加害者なのでもない。苦くてやりきれない感情だけしか二人の間にない訳では、ないはずだ。
「エリオット、私を安心させてよ。甘えていいって、教えてくれたのはエリオットじゃない」
いつぞや、彼は莉緒に言った。
“甘える相手がいるって有り難いことだ。リオの両親はリオを心配しているし、友達だっているだろうし、世の中にあるサービス、公的援助、リオを助けるものは色々ある”
本当にそうだと思う。
莉緒には甘えられる相手がいる。心配してくれる人がいる。
全ての事情を知った今なら、より重く響くのだ。
心配してくれる両親がいなかった、手放しで甘えられる相手のいなかった彼が、優しい声音で伝えてくれた“甘えていいよ”という言葉の尊さが。
「……リオ」
何となく、気付いている。
莉緒に甘えられることで、莉緒を甘やかすことで、彼がどこか安心を得ていること。
莉緒を甘やかすことが、同時に彼自身を甘やかすことに繋がっていること。
心を開いていないと十全には人に甘えられない。手放しで甘えるということは、本来とても無防備な行為だと莉緒は思う。心の柔らかいところを、生身のまま相手に差し出すようなものだと。
油断だらけの状態だ。傷つけようと思えば、いくらでもできる。
莉緒は、エリオット相手にそういうことをしている。
自分の全てを丸まま預けてみせられる。
そうすると、彼は心底嬉しそうに微笑むのだ。許されたようなホッとした表情をして、僕に委ねてくれて有難うと言いたげに。
寄りかかられるその心地好さに、彼もまた自分の心の壁を取り払いこちらに寄りかかってくれる。
「リオ、好きだ」
ごめんより、その言葉の方がずっとずっと聞きたかった。
「本気だよ、本当にリオのことが好きで。贖罪の気持ちだけで優しくしてたんじゃない。あの日声を掛けたんじゃない。真面目で、ひたむきで、だけど僕の懐で少しの弱さを見せてくれるリオが好きだよ。頼られたくて、たまには寄りかからせてもらいたくて、そうやってずっと一緒にいたい。いてほしい」
自分を責めるような表情より、衒いなく好意を伝えてくれる柔らかなその顔が見たかった。
「リオ、リオが嫌じゃなければ戻って来て」
彼の言葉は、ただただ真っ直ぐに莉緒に伝わる。
「僕にはリオが必要なんだ」
そう、言われて。
だから莉緒も偽りのない剥き出しの気持ちをそのまま言葉にした。
「……私にもエリオットが必要。エリオットが好き」
手を伸ばせば、届く。互いの体温を感じられる。
久々のエリオットの腕の中は泣きたくなるほど温もりに満ち、張り詰めていた莉緒の心をあっという間に緩めてしまう。
「好き」
もう一度繰り返せば、長い指が出てきた言葉をなぞるように唇に触れた。
「んっ」
食むようなキスが落ちてくる。二度、三度、飽き足らず何度でも。
あえてリップ音を鳴らす数々のキスは、言葉の代わりに“好き”と告げているようだった。
「はっ、ぁん」
けれど、それだけでは足りない。
もっと教えてほしい。もっと伝えたい。
言葉を、身体を、持っているもの全てを使ってこの愛おしさを伝え合いたい。
吐息の合間にそろりと舌を伸ばして、莉緒からエリオットの口腔へ忍び込んだ。
「んっ」
一瞬だけ彼は意外そうな顔をしてみせたけれど、すぐに舌を絡めては自分の領域へと莉緒を引きずり込んでいく。
外はすっかり秋冷えで、淹れたはいいがお互い手つかずだったカフェオレはもうぬるくなっている。
けれどこの部屋に、もうさっきまでの寒さはどこにもない。
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