9 / 42
09.親切のその理由を
しおりを挟む「……本当に?」
莉緒の話を聞いてる間にどんどん眉間に深いシワを刻んでいたレオンが、疑わしいと言わんばかりにそう問いかけて来る。
「ごはんもちゃんと食べれるし、胃腸の調子も悪くないし、耳鳴りもしない。顔を上げて、前を見て道を歩けてる」
妙な動悸も大分回数が減ったし、悔しさや不安、焦りはあるけれど、今は周りを見る余裕がある。追い立てられていたあの頃とは違う。
そう高い給料ではなかったけれど使う暇が全くなかったから、多少の蓄えはある。だから無職になった今でも何とかなっている。
「イギリスまで旅行に来れてるし、景色を見て綺麗だなって思えてる。あそこに行ってみたいなって、何かをしたいって欲求もちゃんとある」
「それは最低限の状態だよ」
「でも恵まれてるし、ある程度余裕がある証拠だよ」
将来に不安はあるものの、莉緒は一時に比べ随分落ち着いている。
けれど快方に向かっているのだと知ってほしくて並べ立てたあれこれは、元の状態の酷さをレオンに教えただけだったらしい。
「でもまだ魘されてる。それがたまたま僕の目に入ってるってだけで、きっと他にも色々あるんだろう」
「やっぱりもう身体に色々染み付いてるから、そういうのってなかなか抜けないんだと思う。でももう過去のことだから、時間をかければそのうちこの身体から抜けていくよ」
「そうだといいけど」
話し切って、莉緒はホッと一息吐いた。ちびちび飲んでいたマグカップの中身は半分以上減っていた。
「……なんとなくだけど」
事実をありのまま話したのだが、失敗だったかなと少し後悔する。
日本の闇の部分をお見せしてしまった。過労死、が海外でも通じるようになってしまった昨今である。
日本に対して悪いイメージを植え付けはしなかっただろうか。たまたま莉緒の引きが悪かっただけで、ホワイトな企業もちゃんとあると説明しておくべきか。
「リオは何でも自分でどうにかしようとするところがあるんじゃない? それって長所だと思うけど、適切なタイミングを一つ逃すと短所にもなるよね」
そんなことをぐるぐる悩んでいたら、ふとレオンがそう言った。
確かにその通りなのでぐうの音も出ない。今回、莉緒は確実にタイミングを見誤り自身を損なったし、大切な人にも沢山心配をかけた。
「渦中にいるとどうしようもなくなるっていうのも分かるし、過ぎたことに対して後からならいくらでも言える、そして言っても仕方ないってのも分かってる。でも、もっと早くリオがその劣悪な環境から抜け出せてたらって思うよ」
こちらを見下ろす顔は本当に心の底から心配しています、というのが伝わって来る表情を浮かべていて。
そうやって、心を分けてもらえるだけで莉緒はもう十分だなと思う。
曖昧で軽く軽くなりかけていた自分の存在に、本当はちゃんと重量があるんだよと教えてもらえる気がして。
「リオ、少し痩せすぎじゃない?」
「そうかな」
「そうだよ」
レオンの手が莉緒の頬に触れた。頬のラインをなぞるように指先が伝う。
莉緒の鼓動はドッと早くなったけれど、それを必死に押し隠した。
これは違う、痩せてるって、ちょっと頬コケてない? って確認されてるだけ。
「言っても仕方のないことを、言いたくなるな」
「例えば?」
理由をつけて心を落ち着かせ、平静な彼に同じだけ平静な態度を心がけて返す。
「もし僕が無茶苦茶な会社勤めをしてるリオの傍にいたら。疲れ果てたリオとイギリスで再会するんじゃなくて、その手前で、日本で再会できてたら」
あり得ない“もしも”。
でも、想像するのは自由だ。せっかくなので莉緒も考えてみる。
「そうしたらどうなってたかなぁ。私、余裕がなさすぎて、多分すれ違っても声をかけられてもレオンだって気付かなかったと思うよ」
「僕が気付くし、ちゃんと思い出すから大丈夫だよ」
自信満々に言い切ってくれるので、頭の中で莉緒とレオンは日本のごみごみした街中で無事再会した。
「そうしたらまず食事だよね、胃に優しいものをご馳走して。それから湯船にたっぷりお湯を張って、そこにリオを放り込む」
「ふふ」
「自分でするのは面倒だろから、髪は僕が乾かしてあげる」
「いいね、楽ちん」
「髪が乾いたらふかふかのベッドへ連行する。お日様が昇るまで脱走禁止」
美味しい食事、湯で身体を温めて、柔らかなベッドで上質な睡眠を。
きっとひと息つけて、翌朝の莉緒には少しだけ余裕が生まれる。その余裕で自分のために正しい行動を取れるだろう。
けれど、レオンはまだ続けた。
「辞めるって言い出し辛いなら、代わりにこっちが全部やる。会社を辞めるのってそう難しいことじゃないよ。特にそんな違法な労働をさせてるところなんて、こっちが弁護士の存在やら何やらチラつかせれば面白いくらい慌てるし。未払いの残業代もきっちり回収しようね」
「めちゃくちゃ頼もしい」
「そうでしょ、頼りになるでしょ」
何もかもお任せコースだ。頼もしいけれど、そこまでお願いしては駄目人間になりそうである。
「頼ってくれていいよ。ここにいる間くらい存分に頼ってよ」
頬に触れていた手にくいっと力が込められる。
レオンの方へと押されて、莉緒の身体は彼に寄りかかる形になる。
「休息を取るのに、ここは最高の場所だ。自然が豊かで、長閑で美しい。けれど孤独というほど閑散とはしていない。適度に人と触れ合える。自分のペースでゆっくり休むのに丁度良い」
「うん」
まだそれほど観光らしいことはしていなかったが、近所を少し歩くだけでも莉緒の心は休まる。目に映る小さなもの一つ一つが穏やかで美しいから。
「心や身体が追いつかないなら、この家でのんびりするといい。でも気が向いたら出掛ける先はそれなりにあるよ。ドライブをしてもいいし、フェリーで湖をクルーズするのも観光客には人気だね」
寄りかかっている腕から伝わる熱が心地良かった。ドキドキよりも、今は安心感の方が勝っている。人に心配してもらえるのは贅沢なことだなぁと思う。
「甘いものも沢山あるよ。ジンジャーブレッドの美味しいお店があるから、あそこのは一度食べてもらいたいかも」
それに、作ってもらったホットミルクもお腹の内側から莉緒を温めていた。
内も外も優しく満たされる感覚に、そっと意識が揺れる。再びの眠気が莉緒に迫って来ていた。
「ねぇ、レオン」
「うん?」
でもまだ寝たくない。訊きたいことがある。
「どうして、そんなに良くしてくれるの」
口にした時にはもう瞼が半分下がっていた。問われたレオンは数瞬考えた後口を開いたが、
「それは君が――――」
訊き終える前に、莉緒の意識は落ちていた。
6
あなたにおすすめの小説
優しい雨が降る夜は
葉月 まい
恋愛
浮世離れした地味子 × 外資系ITコンサルのエリートイケメン
無自覚にモテる地味子に
余裕もなく翻弄されるイケメン
二人の恋は一筋縄ではいかなくて……
雨降る夜に心に届いた
優しい恋の物語
⟡☾·̩͙⋆☔┈┈┈ 登場人物 ┈┈┈ ☔⋆·̩͙☽⟡
風間 美月(24歳)……コミュニティセンター勤務・地味でお堅い性格
雨宮 優吾(28歳)……外資系ITコンサルティング会社勤務のエリートイケメン
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす
小木楓
恋愛
完結しました✨
タグ&あらすじ変更しました。
略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。
「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」
「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」
大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。
しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。
強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。
夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。
恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……?
「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」
逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。
それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。
「一生、私の腕の中で溺れていろ」
守るために壊し、愛するために縛る。
冷酷な仮面の下に隠された、
一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。
★最後は極上のハッピーエンドです。
※AI画像を使用しています。
清楚な執事長、常駐位置が“お嬢様の隣”に確定しました
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー本編8話・後日談12話⭐︎
清楚で完璧、屋敷の秩序そのもの——そんな執事長ユリウスの“常駐位置”が、なぜか私の隣に確定しました。
膝掛けは標準装備、角砂糖は二つ、そして「隣にいます」が口癖に。
さらに恐ろしいことに、私が小声で“要求”すると、清楚な笑顔で「承知しました」と甘く返事をしてくるのです。
社交は上品に、恋心は必死に隠したい。
なのに執事長は、恋を“業務改善”みたいに制度化して逃がしてくれない——!
むっつり令嬢の乙女心臓が限界を迎える、甘々コメディ恋愛譚。
清楚な顔の執事長が、あなたの心臓まで囲い込みにきます。
カモフラ婚~CEOは溺愛したくてたまらない!~
伊吹美香
恋愛
ウエディングプランナーとして働く菱崎由華
結婚式当日に花嫁に逃げられた建築会社CEOの月城蒼空
幼馴染の二人が偶然再会し、花嫁に逃げられた蒼空のメンツのために、カモフラージュ婚をしてしまう二人。
割り切った結婚かと思いきや、小さいころからずっと由華のことを想っていた蒼空が、このチャンスを逃すはずがない。
思いっきり溺愛する蒼空に、由華は翻弄されまくりでパニック。
二人の結婚生活は一体どうなる?
ヤンデレ王子を闇落ちから救ったら愛執まみれの独占欲に囚われました
大江戸ウメコ
恋愛
幼い頃に精霊の祝福である未来視の力が開花し、「夫である第二王子ナハルドに殺される」という己の運命を知った伯爵令嬢ツィーラ。この悲惨な未来を変えるべく、ツィーラは彼を避けようとしたが、ひょんなことから婚約者に選ばれてしまった! ならば、ナハルドが将来闇落ちしないよう、側で彼を支えることを決意する。そんな努力の甲斐あって、ツィーラへの好意を隠さず伝えてくるほど、ナハルドとの関係は良好になった。だけど、彼の並々ならぬ執着心のすべてを、ツィーラはまだ知らなくて――
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
冷酷総長は、彼女を手中に収めて溺愛の檻から逃さない
彩空百々花
恋愛
誰もが恐れ、羨み、その瞳に映ることだけを渇望するほどに高貴で気高い、今世紀最強の見目麗しき完璧な神様。
酔いしれるほどに麗しく美しい女たちの愛に溺れ続けていた神様は、ある日突然。
「今日からこの女がおれの最愛のひと、ね」
そんなことを、言い出した。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる