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11.悪女の夫は“理想の騎士”
しおりを挟む夜闇に沈んだ緑の庭園。
光源になるのは、雲間から覗く月明かりだけ。
夜半になって雲と風が出て来た。冴え冴えとした光は雲間に遮られたり、かと思えばまた顔を出したりと忙しない。
「どこの手のものだ?」
ひやり、凍てついた問いかけに、けれど影は答えない。
仕方がないとエヴァンは手にしていた鞘から剣を抜き出す。束の間、刀身が月光を反射して対峙する者の姿に射したが、当然ながら知った顔であるはずがなかった。
「見つかった時点でさっさと逃げておけば良かったものの」
まぁ成功なしに帰ることなど許されていないのだろう。それも分かっている。
エヴァンが躊躇なく剣を振るうと、その迎撃を相手も討ち返す。
目的が目的だ。相手の腕もそう悪くはない。
けれど討ち合うこと数度。どさりと芝生を潰す重い音が一つ響いた。
「――――エヴァン様」
背後から声をかけてきた家令に、エヴァンは濡れた剣を差し出す。
「ご苦労。上手く泳がせてくれて助かった」
「暗闇の中見事な剣捌きでした」
「痕跡が残らないようにしっかり頼む」
それこそ芝生にシミの一つも残らないように。
彼の妻は割にこの庭を気に入っていて、あちこち散策するのだから万が一があってはいけない。
「お任せください」
家令が言うと同時に、生垣の陰から長くこの家に仕える庭師がのそりと姿を現した。
「遅くに悪いな」
「いえ、庭のことは全て、いつであろうと私が管轄すべきことですので」
彼に任せておけばそう心配は要らない。
事後処理を任せて、エヴァンは屋敷へと踵を返す。
「それにしてもしつこいな。まだ学習しないのか」
屋敷への侵入者。正式な許しのない訪問の目的は大体にして決まっている。
レインズワースもそれなりの家なので以前からこういったことがなかった訳ではないが、それにしてもここ最近その頻度は上がっていた。
彼が、リズベルを妻に迎え入れてから。
侵入者と言ってもその目的は色々だ。金品狙い、間者、懐柔、のっとり、長期戦前提で潜入する輩もいる。が、その大半の目的は単純に命だ。
邪魔な者を消すために、暗殺者が送り込まれる。
ここ数ヶ月、何人の暗殺者を屠っただろう。エヴァンは数を数えていない。
ただ、その目的が自分ではなく恐らく妻の方だろうということには、当然気が付いている。
「一連の過程で、何か要らないことを彼女は知ってしまったのかな」
リズベルは存外嘘が下手だ。何か知っていれば、知っているということをどこかで匂わせてしまうと思う。けれどそんな様子は一切ない。ということは、彼女自身は無自覚でいるのだろう。
「口封じが必要なほどのことなのか、単によほど嫌われているのか。王太子妃のために、少しでも後ろ暗い証拠は消しておきたいのか」
ありそうだが、どれも違うという気もする。
「それとも何かもっと別の感情が……?」
リズベルは皇太子妃に最も相応しい女性だった。ユリア嬢などよりよほど。
一体王太子はあの平凡な娘のどこが良かったと言うのか。エヴァンからは全く分からないが、恋とはそういうものだと言われてしまえば終いだなとも思う。
エヴァンとて、そうだったのだから。
リズベルが欲しかった。
だから、王太子に酷い要求をされた彼女を、その場で助けるようなことはしなかった。
「貴女はオレに理想を見すぎだと、目が曇り現実を映せていないと言うが」
実は逆ではないだろうか、と思う。
彼女こそ、エヴァンを何か綺麗な枠に押し込めてはいないだろうか。
不器用で、美しく汚れたリズベルを想う。
彼女はすっかり疲れていて、自分を含めあらゆることに嫌気が差している。諦め、流されてしまおうとする一方、時折色々なことに我慢がならなくなって世を捨ててしまおうと飛び出す。けれど恐らく、何を与えられても、しようとしても、結局はしっくり来ていない。
まるで迷子のようだ。声の出し方が分からない迷子。
そんな彼女は、きっと考えもしていない。
この期に及んで自分の命まで狙われているだなんて。
「だがこれだけ放った者が帰って来ないのだから、そろそろ無駄だと気付けばいいものを」
エヴァンが王太子なら、逆に不安になっている。暗殺者が成果を報告しに来ないのは、返り討ちにされているから。相手はそれだけの力を持っているということだし、そもそも殺意を相手に把握されているというのは賢くない状況だ。
あの王太子がいずれこの国を継ぐ。そう愚鈍な男でもなかったはずだがとは思うし、周りが優れていれば玉座に座る者の質は多少悪くてもどうとでもなるのも事実。
けれど。
「少し考えてしまうな」
エヴァンは小さく溜め息を吐いた。
きっとリズベルが望めばエヴァンは誰かの首を挿げ替えたり、彼女のためだけの特別な席を用意したり、そういうことをするだろう。実際にやり遂げられるとも思う。国の先行きも不安であるし、もしかすると必要なことですらあるのかもしれない。
同時にこの国自体に固執する必要もないな、とすら思った。いっそリズベルを連れて、リズベルに良いことなど何一つないこんな国は捨ててしまおうか。
頭の中であれこれ算段を立てながら、エヴァンは屋敷を見上げる。
リズベルは今はもうすっかり夢の中だ。今日は長時間馬車に揺られ疲れただろうから、明日は起床もゆっくりがいいだろう。
疲れていると分かっていたのにうっかり抱いてしまったのは反省すべきだなと思いつつも、いつも必死に声を抑えているあの妻のいじらしい様子を思い出して、エヴァンの口の端には小さく笑みが引っかかっていた。
「リズベル」
自分を悪女だと彼女は言うが、それならば。
「この先はずっと、オレにだけ悪女でいてくださいね?」
我儘もキツイ言葉も憎しみも、時に芽吹く黒い悪意も。
王太子やあの女ではなく。彼女に支払いを全て肩代わりさせた家族でもなく。
どんな色をした感情でも、自分にだけ向けてくれたらいいのだと、エヴァンは心の奥で希った。
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