6 / 11
6.取り引き
しおりを挟む思わず振り返れば、目と鼻の先に綺麗な顔があった。頬にかかる息は生ぬるい。
「貴女は王太子殿下にユリア嬢をいじめるように頼まれた」
「――――」
こくり、無意識にリズベルの喉が小さく鳴った。
「貴女は妃候補の中でも家格が高く、その見目の麗しさ、教養の深さ、立ち居振る舞い全てを取っても内定間違いなしと言われていた。一方ユリア嬢は殿下と相思相愛の仲とはなったが、いかんせん候補者の中では一番家格が低い。これといって目立った功績もなく、こう言っては失礼だが周りからの印象も薄かった。貴女や他の候補者を押しのけて正妃の座に就くのは難しい。けれど、彼は彼女を選びたかった」
それは事実だ。彼が他のどの候補者よりユリア嬢に心を寄せていたことは、知る人なら知っていた。
「だから殿下は貴女に持ち掛けた。ユリア嬢をいびり倒し、その際には他の妃候補、それも選ばれる可能性が高そうな者を巻き込むようにと。頃合いを見てそれを白日の下に晒し、余計な候補者達を一掃すると。その際にはユリア嬢に厳しい処罰をやめてほしいと言わせ、彼女の健気さ、慈愛の精神、心根の美しさを周りにアピールする。実際に彼女からの申し出やら何やらがあって、貴女の処罰は比較的軽く済まされた」
淀みなく語られるが、彼の話は滅茶苦茶だ。リズベルは嘲ってしまう。
「そのお話、私に全く旨味がないのだけれど。貴方には私にそんな滅茶苦茶な自己犠牲の精神があるように見えているの? 殿下にそれほどまでに何か恩があったりしたかしら?」
そんなことをする必要はなかった。リズベルはただそこにそのまま在れば、自然と妃に選ばれるだろう立場にいた。自らそれをふいにするようなことをするものか。
はっきり言って、大したものを持っていないユリア嬢など怖くも何ともなかった。リズベル自身が王太子を愛していたとするならば憎くもあっただろうが、貴族の婚姻には恋愛よりも他の要素が重視される。それにユリア嬢との間にある恋情だっていつまでも続くものではなく、一過性のものかもしれないと十分に考えられた。
そもそもあの時の彼の愛が真実のものだなんて、誰がどう保証するのだ。しかも十年、二十年立てば、人間の考えなど変わる可能性は十二分にある。
だから、リズベルがそんな愚かな真似をする必要はどこにもなかったのだ。
なかったはずだ。
「ウォルト家は非常に家格の高い家ではあるが、実は数年前にご当主、貴女の父上が事業に失敗されていて家計は火の車だった」
なのに、エヴァンの語りは止まらない。
「貴女の弟君は直系の唯一の男児でありながらその身を難病に侵されていて、治療には他国の医療技術が必要な状態」
するりするりと言葉が出て来る。
「数年前に嫁いだ姉君は夫に愛人を作られたショックで人が変わってしまい、金遣いが荒くなっていた。とうとう生家の隠し財産にまで手を付ける始末」
リズベルは自分の耳を疑った。
「祖父母や母君は懸命にこの事実を隠し立て直しを図っていたが、限界は近い状態。古くからよく勤め上げてきてくれた使用人達の暮らしも守らなければならない」
他者から聞くはずがない言葉が列挙されるものだから。
「それら全ての面倒は見てやるからと、そう持ち掛けられたのでしょう?」
「――――」
見上げた瞳は、やはり穏やかに澄んでいる。
全てを飲み込んでいる目だ、と彼女はふと気付いた。
「だから貴女は実行した。キツイ言葉を投げかけ、持ち物を壊し、彼女にだけ必要な情報を回さず恥をかかせ、悪い噂を流した」
全てを知っていて、受け止めて、寄り添おうとしている。
「ね、傍から見ていたと言ったでしょう。十分、良く知っていると」
大変、居心地が悪い。
「妄想話を有難う。そのお話が事実だとして、けれど私が妃の座に収まれば王家の力でどうにかできたことばかりよ。汚名を被る理由にはならない」
にこりと微笑みを以てリズベルは返した。
「被らなければこの窮状を全て明らかにすると脅されたでしょう? 貴族社会は狡猾だ。人の不幸は食い物にされる。ウォルト家を徹底的に落ちぶれさせようと、あるいは利用してから捨てようと集ってくる輩が出て来ることは明らかだ。そうなれば家は一巻の終わり。貴女の選択一つで、多くの人間の将来が大きく左右される局面。選びようなどなかったはずだ」
なのに、そう言われて頬が強張る。
8
お気に入りに追加
126
あなたにおすすめの小説

貴方の✕✕、やめます
戒月冷音
恋愛
私は貴方の傍に居る為、沢山努力した。
貴方が家に帰ってこなくても、私は帰ってきた時の為、色々準備した。
・・・・・・・・
しかし、ある事をきっかけに全てが必要なくなった。
それなら私は…


親切なミザリー
みるみる
恋愛
第一王子アポロの婚約者ミザリーは、「親切なミザリー」としてまわりから慕われていました。
ところが、子爵家令嬢のアリスと偶然出会ってしまったアポロはアリスを好きになってしまい、ミザリーを蔑ろにするようになりました。アポロだけでなく、アポロのまわりの友人達もアリスを慕うようになりました。
ミザリーはアリスに嫉妬し、様々な嫌がらせをアリスにする様になりました。
こうしてミザリーは、いつしか親切なミザリーから悪女ミザリーへと変貌したのでした。
‥ですが、ミザリーの突然の死後、何故か再びミザリーの評価は上がり、「親切なミザリー」として人々に慕われるようになり、ミザリーが死後海に投げ落とされたという崖の上には沢山の花が、毎日絶やされる事なく人々により捧げられ続けるのでした。
※不定期更新です。
【完結】結婚初夜。離縁されたらおしまいなのに、夫が来る前に寝落ちしてしまいました
Kei.S
恋愛
結婚で王宮から逃げ出すことに成功した第五王女のシーラ。もし離縁されたら腹違いのお姉様たちに虐げられる生活に逆戻り……な状況で、夫が来る前にうっかり寝落ちしてしまった結婚初夜のお話

麗しのラシェール
真弓りの
恋愛
「僕の麗しのラシェール、君は今日も綺麗だ」
わたくしの旦那様は今日も愛の言葉を投げかける。でも、その言葉は美しい姉に捧げられるものだと知っているの。
ねえ、わたくし、貴方の子供を授かったの。……喜んで、くれる?
これは、誤解が元ですれ違った夫婦のお話です。
…………………………………………………………………………………………
短いお話ですが、珍しく冒頭鬱展開ですので、読む方はお気をつけて。
片想いの相手と二人、深夜、狭い部屋。何も起きないはずはなく
おりの まるる
恋愛
ユディットは片想いしている室長が、再婚すると言う噂を聞いて、情緒不安定な日々を過ごしていた。
そんなある日、怖い噂話が尽きない古い教会を改装して使っている書庫で、仕事を終えるとすっかり夜になっていた。
夕方からの大雨で研究棟へ帰れなくなり、途方に暮れていた。
そんな彼女を室長が迎えに来てくれたのだが、トラブルに見舞われ、二人っきりで夜を過ごすことになる。
全4話です。

悪役令嬢は皇帝の溺愛を受けて宮入りする~夜も放さないなんて言わないで~
sweetheart
恋愛
公爵令嬢のリラ・スフィンクスは、婚約者である第一王子セトから婚約破棄を言い渡される。
ショックを受けたリラだったが、彼女はある夜会に出席した際、皇帝陛下である、に見初められてしまう。
そのまま後宮へと入ることになったリラは、皇帝の寵愛を受けるようになるが……。

どうせ運命の番に出会う婚約者に捨てられる運命なら、最高に良い男に育ててから捨てられてやろうってお話
下菊みこと
恋愛
運命の番に出会って自分を捨てるだろう婚約者を、とびきりの良い男に育てて捨てられに行く気満々の悪役令嬢のお話。
御都合主義のハッピーエンド。
小説家になろう様でも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる