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1.周到な計画
しおりを挟むリズベル・レインズワースの経歴は穢れている。
自分の輝かしくない汚点だらけの人生をまぁそれなりに悔いていて、そうして諦めている。
だから、そういった自分には相応しくないと思うのだ。
「リズベル様、本当に宜しいのですか?」
「えぇ」
念を押す問いかけに、リズベルは淡々と頷く。
「一度誓いを立てれば、そう簡単に俗世には戻れませんよ。特にウチは戒律が厳しく、例外というものはほぼありません」
「問題ありません。それを承知で門戸を叩いたのです」
きっぱりと言い切ると、テーブルを挟んで向かい側の年配のシスター長は一つ大きな息を吐いた。
諦めか、呆れか、納得か。
どれであっても別に良い。望みを叶えてくれさえすれば。
ここは厳格なことで有名な修道院。
リズベルがその門を潜った目的は、修道女になるためである。基本は未婚の女性にしか許されないことも多いが、宗派によっては既婚でも可能、あるいはあらゆる事情を抱えた女性のためにシスターとは別の名称を与え、保護という形でその門下に入ることを許される場合もある。
リズベル・レインズワースは既に人妻の身ではあったが、選びに選び抜いたこの修道院は彼女を受け入れてくれる場所のはずだった。
「――――分かりました」
ややあって、シスター長がこくりと頷く。
「我々は貴女を受け入れます。神も貴女が誠心誠意お仕えすれば、その心にきっと応えてくださるでしょう」
「有難う存じます」
落ち着いて、品位を保って。
心の中でそう繰り返しながら優雅な所作でリズベルは頭を深々と下げたが、内心では拳をきゅっと握って喜んでいた。
ついに、ようやく。
「まず差し当たっては誓いの儀式が必要です。……お急ぎなのですね?」
「えぇ、無理を言って申し訳ないのですが」
「いいえ、そういう方は多いものです。急ぎ準備をさせます。夕方には始められるでしょう。それまでは別の者から手順を習っていてください」
「宜しくお願い致します」
再び、頭を下げる。
肩から流れる金色の髪は絹のように滑らかで腰まで美しく伸びていたが、もうこれからはこんな長さは必要ないなと思う。自分でも扱いやすいように、ばっさりと切ってしまった方が良いだろう。
「…………神に仕える道は生半可な覚悟では務まりませんよ」
シスター長が念押しするようにそう言ったが、それはリズベルの覚悟を揺らがすようなものではなかった。
「厳しいものであるからこそ、この身には相応しいのだと考えております」
「それだけの覚悟があれば宜しいのですが」
ふわり、開け放たれた窓から入り込んだ風が頬を滑る。
ついこの間までは凍てつくような鋭さを持った風だったが、今日は冷たさをいくらか残しながらも僅かな柔らかさを孕んでいる。あぁ、もうすぐ春が来るのだなと思う。
薄曇りの空。雲の向こうからぼんやりと陽の光が届く。太陽は高く上がっている。
静かで、平凡で、何もない午後だった。夕刻まではきっとあっという間だろう。
「それではこのままここでお待ちください。後ほど先ほど言った別の者が参りますので」
「はい」
シスター長が席を立つ。
リズベルはそっと深く息を吐いた。
今回は実に上手くことが運んだ。
幾度かの失敗を経て、リズベルも十分に学んだのである。
今日はオルコット侯爵夫人の慈善事業の手伝いで家を空けると告げてあった。
実際に夫人と約束も交わしてあり、確認されても問題はない。
家の者に見送られ夫人の屋敷に向かいーーーー到着直前で進路を変えさせた。御者は事前に金品を積んで買収済みだ。
付き添っていた侍女は進路変更の前に下ろした。忘れ物をしたので取りに戻ってほしい、一緒に戻っていては約束の時間に遅れてしまうからと。
純真な侍女はそれを信じ、では私は辻馬車を拾って一度屋敷に戻りますとリズベルを一人にしてくれて。
そうして、四時間ほど馬を駆り、目的の地に辿り着いたのだ。
大丈夫、とリズベルは自身に言い聞かせる。
ここまでは完璧だ。いつぞやのように馬鹿正直に書き置きを残すようなこともしなかった。侍女が夫人の屋敷に遅れて到着してリズベルの不在に気付いても、行き先の見当をつけることは難しいだろう。前科があるので修道院を思い浮かべはするだろうが、候補はいくらでもあるし、四時間かかるというこの距離感。例え正しく当たりが付けられても追いつくまい。それより前に、リズベルはこの世を離れられる。
「これで、ようやくーーーー」
小さく呟いた時だった。
「?」
「何かしら」
シスター長の開けた扉の向こうから、何やら人の声。静謐さで満たされた空間では、少しの声も耳につく。それから建物の構造の影響もあるのか、やけに響き渡るのだ。
「お待ちください」
「いけませんっ」
若い女性の切迫した声。一体何の騒ぎだろうか。
心配にはなりながらも、どこか他人事な気持ちもあったリズベルだったが-――――
「困ります、ここは男子禁制です……!」
その必死な声を聞いた瞬間に、跳ねるようにソファから立ち上がっていた。
「っ!」
まさか。
まさかまさかまさか!
けれどこういう時の嫌な予感は当たる。必ず当たる。
「どうかされ……」
逃げなくては。
慌てて部屋の中を見回すが、出入り口は一つ。窓は空いているが、ここは二階。身を隠せそうな場所はと思っても、簡素な応接セットと戸棚が一つある以外には何もない。せいぜいソファの後ろに身を隠すのが精いっぱいで、それが隠れた内に入らないことは明らかだった。
どうしようもなくて、取り敢えず入り口から距離を取りたくて窓際に寄る。
「お待ちくださっ」
「きゃっ!」
「リズベル!!」
そうして扉の向こうから顔を出したのは、予想通りの人物だった。
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