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第二章
慟哭(二)
しおりを挟むある日の夜、アナスタシアはロータスの寝室を訪ねた。
ロータスはだらしなくソファに座ってワインを飲んでいて、部屋の中には空になったワインの瓶がいくつも転がっている。
「誰が勝手に入って来ていいと言った」
「陛下、そんなに飲んではお体を壊してしまいます」
アナスタシアが水差しの中の水をコップに注いでロータスに渡そうとするとその手を払われ、はずみでコップが床に落ちた。
「あ……、申し訳ありません。すぐに片づけさせます」
「黙れ」
「……」
「お前のせいで」
「え?」
ロータスが怒鳴り声を上げた。
「彼女がここに来れないのはお前のせいだ!」
「……随分酔っておいでです……もう休まれた方が……」
「黙れと言っただろう」
酒に強いロータスはなかなか酔うことが無い。だが酔わなければやっていられない彼は、酔うまで飲み続けている。
今もまだ酔ってはいない。
「俺がお前と結婚したのはクリビアを助けるためだけだったんだ!」
「わかっております……」
「いいか、お前の父親が、彼女に無実の罪を着せた。ああそうか。お前が俺と結婚するためにわざと彼女を牢に入れたんだろう。二人で謀ったのか!」
「それは違います! 絶対に違います!」
「しかも刺客まで放つとは! あと少しで彼女は殺されるところだったんだぞ!」
「刺客? 何ですか、それは」
「お前の結婚式の後、彼女はヴァルコフに殺されそうになった」
「お父様が? まさかそんな! 離婚したクリビア様をどうして父が殺す必要があるんですか!」
「フッ」
ロータスは見下すようにアナスタシアを笑った。
「おい」
「なんでしょう」
「クリビアは随分お前に恩があるようなことを言っていた。だがお前は本心から彼女を助けようと思っていたのか?」
「当たり前です! 私はクリビア様を心から慕っておりました」
そこを疑われるのはアナスタシアも心外だ。
「ならなぜもっと強く彼女の無実を主張しなかった? 不名誉な噂をどうして放っておいた!」
「私だって本当に辛くて何度も父には言いましたが取り合ってくれなかったのです」
「いくらお前が彼女に同情しても、実際に経験するわけではない。人の痛みや不幸はいくらでも我慢できるというものだ。だから取り合ってくれなかったのを都合のいい言い訳にしてすぐ諦めたんだろう。お前は彼女を助けようとする自分に酔っていただけだ」
「そんな、酷い」
クリビアの為に一生懸命尽くしたつもりなのに何故こんなにも責められなければいけないのか。
アナスタシアは彼が単に自分に八つ当たりをしているだけにしか思えない。
ロータスはアナスタシアを責めながらも親睦パーティーの夜の事を思い出していた。
彼女の痩せた体。
きっとろくな食事も与えられていなかったに違いないと思うと、獣のように彼女の体を貪ってしまったことを大きく後悔した。
自分も責められるべきだという苛立ちもアナスタシアへ向かっていた。
「彼女は我慢強い。だからそんな彼女をいいことに酷いことをしている父親を優先していた。あの、老獪な男を!」
「父の事を悪く言わないでください! 父だって……父だって、クリビア様に騙されたんですから!」
アナスタシアは自分に驚いた。そんな言葉が自分の口から出て来るなんて信じられない。
まるで口が勝手に動くような感覚さえある。
「クリビア様は処女じゃありませんでした。それを父はとてもお怒りになって。バハルマの王族に嫁ぐには処女でなければならないという変な決まりがあるので古い考えの父はそれに固執していました。だからそれ以降クリビア様に冷たく当たるようになりました。だから父だけが悪いのではありません」
ロータスは頭を鈍器で殴られたような衝撃に襲われた。
(じゃあ俺のせいで? 俺があの時……。クリビアはそれを隠して……。ああ、それを隠してまでも、相手が年寄りだとしても、シタールから出たかったのか! 俺がもたもたせずにすぐにシタールを倒していたら!)
「くそっ!!」
割れそうなほど何度も拳でテーブルを叩き、頭を抱え込んだ。
その時初めてアナスタシアはクリビアの相手がロータスだと気付き、そんな当たり前のことに今までどうして考えもしなかったのだろうかと自分の愚鈍さに呆れた。
初夜の儀式での行為と同じことをクリビアにもしたのだと思うと、それまで感じたことのなかった感情が胸を押しつぶす。
しかしあの初夜はアナスタシアにとって思い出したくもないものだった。
彼は行為の最中アナスタシアの顔を着ている薄い夜着で覆い、彼女の顔が見えないようにしていた。
そして愛撫も口づけも無く、精を放った後はすぐにどこかへ行ってしまい、枢機卿たちも部屋を出て行ったあと、アナスタシアは人知れず泣いた。
そんな冷たいロータスが、クリビアの事はきっと優しく抱いたのだと思うと嫉妬、妬み、ひがみの感情が心の奥底からポンポンと生まれてくる。
(ああ駄目よ、振り向いてくれるまで待つつもりだったじゃない)
アナスタシアが自分の醜い感情を振り払おうと努力していると、ロータスがゆっくりと顔を上げてとどめを刺した。
「出て行け。俺はお前を金輪際愛することはない。お前の子どもを世継ぎにすることもない。覚えて置け!」
アナスタシアは部屋から出た後、扉の前でボーっと立ちすくんだ。
(嘘でしょ)
静かな怒りが奥底に流れるのを感じた。
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