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第二章
新しい人生の始まり
しおりを挟む港町タンスクを目指す旅人は多い。
乗合馬車の他にも行商の一行の馬車に乗せてもらうなどして沢山の人にお世話になりながら、マリウスと別れて半月後、クリビアは無事に旧シタールの港町タンスクに辿り着いた。
港には大きな商船、優雅なガレー船が停泊し、そして小さな漁船はまるで踊るように波を切って進む。
船員たちの声は風に乗り港の喧噪と混ざり合い町は賑やかだ。
市場では野菜や果物、外国の香辛料や布地が売られ、異国の言葉が飛び交い、船から降りた人々が新鮮な物資を求めて集まっている。
この自由と開放感あふれるタンスクはクリビアに希望を感じさせ、委縮した精神が息を吹き返すような感覚をもたらした。
今クリビアは宿屋で出す料理の手伝いをしながらおかみさんの子どもたちやその友だちに読み書きや勉強を教えている。
その代り宿賃は半額で食事付きだ。ここに宿泊してもう一か月近くになる。
勉強しに来ている子どもたちはまだ十歳にも満たない子ばかりで、マリウスと別れたのは悲しかったがその子らのお陰で毎日が楽しく感じられている。
おかみさんも面倒見の良い人で、クリビアの事を根掘り葉掘り聞くこともないのがありがたい。
波の音と共に一日の終りを告げる鐘の音が響き渡る。
クリビアは部屋の窓から海を眺めるのがお気に入りだ。
夕暮れ時の海は金色に輝き帰港する船のシルエットが水面に映りとても美しい。
(ああ、幸せだわ。何にも煩わされることのない生活ができるようになるなんて。生きていて良かった)
クリビアはおかみさんから渡された叔母からの手紙を開封した。
叔母には自分は世間で噂されているようなことは何もしておらず、無実だということを知ってもらいたかったのでここに宿泊することが決まって直ぐに手紙を書いたのだが、これはその返事だ。
もしかして拒絶の手紙だったらどうしようかとドキドキしたがその心配は無用だった。
クリビアを信じている、遊びに来るのを待っているという内容だった。
自分を信じてくれ、見捨てられていなかったことに涙が出た。
翌朝早朝、目が覚めて窓から海を眺めると、朝霧が晴れて遠くの水平線が徐々に明らかになって、多種多様な船が姿を現した。
こんな早朝から海はもう活気に満ちている。
「よーし、今日もがんばるぞ!」
大きく深呼吸して階下へ下りて行った。
「おばさん、魚の仕入れに行ってくるわ」
「タラをお願い。気を付けて行くんだよ。ああ、走んなくていいから!」
おかみさんの手伝いも大分慣れて料理や食材のことなどたくさん知ることができた。
お腹は徐々に膨らんできたがそれほど目立たず、つわりの症状もないのでクリビアは少しでも役に立ちたいと張り切っている。
仕入れから戻ると食堂のテーブルに一人の男が座っている。
まだ食堂は準備中だというのにおかみさんもどうして中に入れたんだろうと思っていると、マリアンヌにお客さんだよと言われた。
「私に?」
その声に男が振り向くと、それはサントリナのアスター王子だった。
彼はテーブルから立ち上がり両手を広げながらクリビアに近づいた。
「クリ……マリアンヌ!」
「え、ど、どうしてここに?」
「ノースポール公爵夫人に聞いたんだ」
「叔母様に?」
「ああ、手紙に書いてあった住所を教えてもらったんだよ」
因みに偽名のこともね、と耳元で囁く。
おかみさんは魚をクリビアから受け取ると、手伝いはいいからと言って調理場に引っ込んで行った。
アスター王子は平民のような恰好をしてシンプルなつばの広い帽子をかぶっているが少しでも貴族の事を知っている人なら、薄紫色の髪がサントリナ王国の王族のものだとすぐに気づくだろう。
クリビアはおかみさんが気付いていないようで安心した。
「離婚したと聞いてずっと心配していたんだ。私も、ノースポール公爵夫人も」
「ご覧のとおり、元気にしておりますのでご安心ください」
「うん……。思っていたより元気そうだ」
アスター王子は、親睦パーティーの時の彼女の痩せた姿に正直びっくりしたが、子どものとき以来大人になった姿を見たことがなかったからそういう体質なのかもしれないと思っていた。
でも牢に入れられたことでそうではなかったと気付いた。
陥れられるような環境で、相当なストレスを感じながら生きてきたはずだと。
今はその時とは打って変わって健康そうに見え、生き生きしている。
これが本当のクリビアなのだと思うとアスター王子は今の状態を心から喜んだ。
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