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 アンドレとエメリアの仲が不安定なものになってから一週間ほど経った。
 あれからアンドレはなんとか誤解を解こうとエメリアの部屋のドアをノックするがエメリアは出てこず一人部屋に籠るようになった。

 その間もマリナは訪ねて来ているが体調が悪いからと帰ってもらっている。

 だが今日はアンドレが仕事休みでちょうど邸にいる。
 マリナはお見舞いだと言って今日に限ってお見舞いの品の入った紙袋を使用人に持たせることもせずに自分で重そうに両手に持ってきた。
 これでも侯爵令嬢だ。執事はあまり強く言うことができず、最終的にアンドレが出てきて対応することになった。



「奥様、明日はデザイナーが完成したドレスを持ってくる日ですがご気分が優れないようでしたら日にちをずらしましょうか」

 ベニアの部屋で侍女がそう提案してきた。

「……いいえ、その必要はないわ。それより今日もマリナ嬢は来ているのよね」
「はい。旦那様がお相手をしてらっしゃるようです。ご友人の妹ということもあって無碍にはできないのではないでしょうか」

 どんな様子で二人いるのだろうか。
 きっとマリナは嬉しいだろう。
 これではマリナを喜ばせるだけだ。
 今すぐ二人の間に入って行きたいが、今出て行ったら醜態をさらしそうだ。
 ベニアはもっと冷静になれるまで我慢しなくてはいけないと何度も深呼吸をした。


 客室ではマリナが頬を染めながらアンドレと紅茶を飲んでいる。
 追い返すよりもいっそのこと一度お茶をしてしまえばもう来ないのではという執事のアドバイスもあって、仕方なくお茶をする羽目になったアンドレは無表情だ。

「あの、エメリア様はどうして出ていらっしゃらないのでしょう。私、嫌われてしまったのでしょうか」

 話す内容はしおらしいがその表情はアンドレとお茶ができて嬉しいのが隠し切れず口角が上がるのを必死に我慢しているのがアンドレは見て取れた。

「執事が体調が悪いと伝えたと思うが。嫌われるような、何か思い当たる節でもあるのですか」
「い、いいえ、何もないです。ではもうすぐ舞踏会ですが出席なさるのでしょうか」
「あなたと何の関係が?」

 アンドレはちょっと冷たい言い方だったかなと思ったがエメリアの機嫌を損なっている今、気分は最悪なのにこんな女性の相手をしなければいけないことにイライラしている。

「いえ、その、ただ体調が悪いと出席できないのではないかと思って」

 マリナは夜会の時とは違って冷たい口調のアンドレが意外だった。
 もっと自分に対して優しく接してくれると思っていたのだ。
 もしかしたら自分のような女がタイプなのかもと見当違いの思い込みもしていたほどだ。

「心配してくれるのは有難いが本当に大したことないんだ。ふぅ……。まるで妻が出席しないのを望んでいるように感じるな」
「それは違います! ただ、あの、舞踏会のお話が聞ければいいなって……」

 マリナは両手を胸にあて、まるで舞踏会を夢見る純粋な乙女のように振る舞うがそんなことで心が動かされるようなアンドレではない。
 自分目当てに違いないマリナをけん制するため ”妻” という単語を意識的に連呼した。 

「君は自分の時間を削ってまでここに来るほど妻を好きみたいだが妻が君とお茶をしたくなったらその時は招待するだろう。会えないかもしれないのに無駄足を踏むことはない」
「え、そ、そんな」
「何故? 妻に会いに来ているんだろう。私とお茶するためじゃないはずだ」

 エメリアを利用してこんな風に近づいてくるとは夜会で煩く言い寄ってくる女性よりずっとたちが悪い。
 エメリアがそんな彼女と自分が夜会で親しくなったと思って気分を害したのは当然のことだとアンドレは反省した。

 その時執事がアンドレに声をかけた。

「旦那様、そろそろ次のお客様がいらっしゃる時刻です」
「おおそうか、わかった。それではマリナ嬢、私はこれで失礼する。今日は妻の為にわざわざ来てくれてありがとう。妻には私から来たことを伝えておこう」

 アンドレは執事に良くやったと目くばせをするとそそくさと立ち上がった。

「ア、アンドレ様!」

 アンドレは執事に「お客様のお帰りだ」と言ってマリナに帰るよう促し客室を後にした。


 アンドレの足はそのままエメリアの部屋に向かい、マリナは顔を真っ赤にして半泣きで邸を出て行った。


 トントン

「エメリア、ドアを開けなくてもいいから聞いてくれ。夜会の時マリナ嬢と話をしたのは本当だ。だが、私は彼女に好意を持ったからではなく、彼女を利用しようとして話をしていたんだ。彼女が他の女性とは違って大人しくて男性に積極的なタイプではないと勘違いしたんだ。夜会では他の令嬢たちからの女性除けの役目をしてもらおうと思って。でもそんなことを言ったら君は私のことを軽蔑するかもしれないと思って言えなかった。君に似た所があると言ったのは、あまり夜会が好きではなさそうな所だ。そこだけだ。君は以前は夜会が嫌いだっただろう? それ以外、君に似ている所なんて何一つないし、そもそも彼女の事を知ろうという気さえない。本当だ。信じてくれ」

 じっと聞いていたベニアの気持ちはだんだん凪いできた。
 こんなに必死にエメリアの心を繋ぎとめようとしている彼をこれ以上無視するのは良くない。
 それにベニア自身ももう疲れていた。

 ガチャ

 ドアを開けるとアンドレが悲しそうな情けない表情でドアの前に立っていた。

「もうわかりました」
「エメリア!」

 アンドレはエメリアを抱きしめそのまま部屋の中に入って行くと、中にいた侍女は部屋からそっと出て行った。


 
 六月下旬の夏至の舞踏会当日、エメリアとアンドレが腕を組んで会場に現れた。

 エメリアはブロンドの髪をアップにしイヤリングとネックレスには大粒のサファイアが輝いている。
 水色の涼しげなドレスはエメリアの白い肌に良く似合う。
 オフショルダーで胸元がプリーツで覆われていて、胴から膝まではマーメイドラインだ。
 豊かな胸と細い腰を強調したこのドレスはスタイルの良さを際立たせ人々の視線を集めた。

「昔は妖精のようだと思っていたが今は女神のように美しく私の心をとらえて離さない。このまま誰もいない所に連れ去ってしまいたいよ」

 アンドレはエメリアの腰に手をやり頬に口づけた。


 美しいドレスを身にまとった高貴な紳士淑女たちの取り澄ました笑い声があちこちから聞こえる。
 豪華なシャンデリアが煌めく華やかな会場はこの世の贅をつくし孤独や貧困などこの世のどこにも存在しないと錯覚しそうだ。
 魔女の家にいた頃は想像もつかない世界。
 ベニアはあそこから抜け出して何もかもが百八十度変わった。

 そして美しく皆の注目を浴びる自分、エメリア。


 王族に挨拶をする番が回ってきた。
 ベニアの緊張は最高潮に達するが、練習した通り完璧なカーテシーで挨拶をすると、その美しさに周りから賞賛の声が聞こえてきた。
 国王も王妃も優しげで、初めて出席するエメリアに楽しんでいきなさいと声をかけてくれた。

 アンドレとのダンスでは皆がため息を吐きながら二人を見ていて、ベニアは高揚感に包まれ幸せを感じている。


 ダンスを終え、アンドレが少し離れた所で知人と話している間、ベニアが椅子で休憩していると、令嬢たちが聞こえよがしにアンドレの噂話をし始めた。
  それは夜会でアンドレとある女性が親密な様子でずっと一緒にいて二人でどこかに消えたという噂だ。
 ベニアはマリナの事だろうと思った。
 だが消えたというのは?
 心臓が一瞬ドクンと波打つも、こういう噂は尾ひれがついて大袈裟に、そしてより面白く人々の興味をそそるような形で広がるものだと自分に言い聞かせる。
 ここで腹を立てたらアンドレと仲直りをした意味が無くなる。
 アンドレを信じると決めたのだから。
 
 ああいう令嬢たちから逃げるためにアンドレはマリナと一緒にいたのだと思い、ベニアは聞こえないふりをして席から離れた。

 バルコニーへと向かうエメリアを遠くから見ていたアンドレは慌てて後を追った。
 他の人と話していても彼は必ずエメリアが視界に入る位置にいるのだ。


「エメリア」
「アンドレ……!」

 声をかけるとエメリアが振り返り自分を見て嬉しそうに微笑んでくれる。
 アンドレはそんなエメリアがとても愛おしい。
 
 暗闇の中、月の光がエメリアの清らかな美しさを妖しく魅惑的に演出し、アンドレは思わずエメリアの手を取り口づけした。

「来てくれたの。ありがとう」
「当然だ」

 二人は見つめ合い微笑み合った。

「アンドレ。愛してる。どんなことがあっても私はあなたを愛している。死ぬまであなたと一緒にいるって決めたんだもの。死ぬときもあなたの事だけを考えて死ぬわ」
「私も愛しているよ、エメリア。未来永劫エメリアだけだ」

 ベニアはこのまま時が止まってしまえばいいと思った。



 翌日、アンドレの元にリトランド伯爵が熱病で寝込んでいるという知らせが届いた。




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