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 一か月後の三月の初旬、エメリアは再び薬草摘みに来た。

 アンドレに一人で採りに行ったらいけないと言われているが、今日はどうしても行かなければいけなかった。
 なぜなら乳母のリリーが酷い風邪を引いて寝込んでしまったからだ。
 そのため喉の炎症を静める薬草と痰を切る薬草が必要だった。
 誰かメイドに付いてきてもらうにしても、そうでなくとも少ししかいないメイドの仕事を増やすのは気が引けた。護衛だって付いてきてもらうほどではない。
 アンドレには悪いと思いながらもいつもは一人で入っていた森だし直ぐ戻るつもりでいる。

 空には灰色の雲が立ち込め、たまにポツポツと雨粒が顔に当たる。
 急いで薬草を摘み採りさあ帰ろうと歩き出すとザーッと本格的に降ってきた。
 遠くからは雷鳴も聞こえてくる。

 エメリアはアンドレと一緒に魔女の家の前まで行ったときに特に怖いことも無かったため、軒下を借りようと魔女の家まで走った。
 そして玄関前横に立って小雨になるまで待たせてもらうことにした。
 大分濡れてしまっている。
 しかし暫く立っていたがなかなか止みそうにもなかったので思い切って雨の中飛び出そうとした所、玄関が開いて家の住人が出てきた。
 エメリアの心臓が飛び跳ねた。
 まさか出て来るとは思ってもいなかった。

「あ、す、すみません、軒下をお借りしています。すぐ出て行きますので……」
「いいのよ。それより中にお入りください、寒いでしょう」
「え、いいえ、そんな、ここで十分です。それにもう帰りますから」
「大分雨に濡れているようね。風邪を引いてしまいますよ。雨がやむまで温かい飲み物でも飲んで温まっていってください」

 エメリアは初めて魔女と言われている女性を目にしてびっくりした。
 瞳はピンクで腰までの赤い巻き毛の自分と同い年くらいのとても美しい若い女性だったのだ。
 魔女と言えば腰の曲がったおばあさんくらいしかイメージできていなかった。
 だからエメリアは気を許して言われるままに家の中に入ってしまった。

 ベニアはエメリアにタオルを渡して拭くように言うと温かいハーブティーを出してくれた。

 家の中は綺麗に片づけられていて暖炉もあって温かい。壁には風景画やドライフラワーが飾られている。
 女性はこんな森の中には場違いなベルベットのような素材の、床までの長さの紺色の服を着ている。
 棚の上には小さな人物画が置いてあり、四人の人物が描かれていた。
 しかし窓のカーテンに目を移すとびっくりした。
 中から外が丸見えなのだ。透明のカーテンのようだ。
 これは魔法なのだろうかと思ったが途端に一か月前の事を思い出し、もしかしたらあの時は居たのかもしれないとエメリアは気まずくなってしまった。

「あの……御親切にありがとうございます」
「ふふふ。家にお客様を入れるなんて久しぶりです」

 エメリアが飲んでいるのはローズヒップティーだ。
 毒が入っているとかお腹が痛くなるなんていうこともなさそうだ。

「あなた、エメリアさんよね。領主の、リトランド伯爵のお嬢さん。私の事覚えている?」
「え?」

 領主の娘だから自分の事を知っている人はこの村にはたくさんいる。
 だが ”覚えている” とは何だろうかとエメリアは考えた。
 この女性には今日初めて会うのだ。

「十年前湖で溺れそうになったことがあるでしょ。あの時助けたのは私なのよ」
「あ! あの時の!?」

 湖は岸の所まで草木が生えていて岸近くは浅かった。
 しかしエメリアが湖の浅い所で足をバタバタさせていたら足元が崩れ、滑った先が思いのほか深くて溺れてしまったのだ。
 それを助けてくれたのがベニアだ。
 その時ベニアは家に連れて帰って体を拭いて休ませてあげた。

 エメリアは誰かに助けてもらったのは覚えていたが、その他の細かいことはすっかり忘れていた。
 でもそれを聞いて何かがおかしいと思うもすぐにははっきりとはしなかった。

「……すっかり忘れていて、私ったら何もお礼もせずに。ごめんなさい。あの時はありがとうございました。おかげで今もこうやって生きています」
「ふふふ。いいのよ。でもその分じゃあの時の契約も覚えていないのかしらね」
「契約?」

 ベニアは箪笥から一枚の羊皮紙を持って来てエメリアの座るテーブルの前に置いた。
 それには見たこともない形の文字と模様が書かれていた。

「魔法の契約書よ。十年後にその時のお礼を貰うって書いてあるの。そして私の望むお礼を断った場合あなたの愛する人が亡くなることでそのお礼の代わりとするって。あれから十年経ったからこの契約はもう発動しているのよね」
「な、なんですって! そんな契約を?」

 エメリアはやはり彼女は魔女なのだと確信し、ゾクッと震えが走った。

 そういえば自分が溺れた十年前はこの女性も子どもだったはずだ。大人の女性に抱えられて湖から助け出されたのをエメリアは覚えていた。
 彼女は年を取っていない。感じていた違和感はこれだったのだ。

「ここにあなたのサインがあるでしょう? 契約は有効なのよ」

 見るからに子どもの字で書かれた自分の名前のサインがしてある。確かにこの字は自分の字だ。
 サインしてある限り子どもとの契約だとしても有効であることをベニアは告げた。

 エメリアの頭にその時の記憶が徐々に蘇ってきた。

(そうだ。なんだかよくわからないけど契約のようなものをした。でも溺れたこととかこんなことが起こったことをお父様に知られたらリリーが罰せられてしまうかもしれないと思って怖くて言えなかったんだ。言わないでいたらそのまま忘れてしまって……)

「お礼って、何がいいですか……何をあげれば……」

 それが自分で用意出来そうもないならお父様に頼むしかないとエメリアは思っている。人の命がかかっているのだ。この際お金がかかってもしょうがない。あとで少しずつ返していけばいい。

「あの時は何がいいか思いつかなかったから十年後に貰うことを約束したんだけど、ちょうど私の準備も整ったからあなたの体を貰うことにするわ」
「体? どういうことですか? そんなのできるわけないじゃない。それともあなたの奴隷になれっていう意味ですか?」

 ベニアは不敵な微笑を浮かべた。

「できるのよ。少し前にできるようになったの」

 そう言うや否やエメリアの足元に金色に光る魔法陣を出現させるとエメリアはびっくりして椅子から立ち上がった。
 出ようとしても光の壁に遮られ出ることができない。

「え、ちょっと、何これ!?」
「私はあと一年の命だから一年だけ私の体と入れ替わってほしい。それをあなたの命を助けたお礼として貰いたいの」
「何ですって!? 入れ替わる?」
「私にはこの森から出ることができなくて一年後には死んでしまう呪いがかかっているの。死ぬ前に一年間だけでいいから森の外の世界で生きてみたい。だめかしら」
「の、呪い? そんなのだめに決まってるじゃない」
「そう。じゃ、あなたの愛する人の命が失われるけどそれでもいいのね」
「っ!」

 それにしてもタイミングよく魔女の家に来たものだとベニアは思った。
 これは運が自分に向いてきたということに他ならないと。
 なかなかエメリアが魔女の家に来なかったらその時は薬草を採りに来たときに近づいて入れ替わってしまおうと思っていたのだ。

「他のものならなんだって用意するわ! だからお願い、ここから出して」
「無理なお願いね。私はあなたと入れ替わりたいの。それ以外は受け付けないわ」
「……」

 エメリアは俯いて必死に考えを巡らせている。その体は微かに震えている。
 
 無防備に魔女の家の中にはいってしまった自分に後悔しきりで泣きたくても泣けない。

(一年間。一年間だけ入れ替わる? でも……)

「入れ替わったら私が呪いで死ぬことになるんじゃないの?」
「…………私の魂が死ぬのよ。あなたじゃないわ」
「じゃあ私の体であなたの魂が死んだら私の体はその時どうなるの」
「私の魂が死んだと同時に私の体に入っているあなたの魂はあなたの体に引き戻されるから心配しなくていいわ」

 ベニアは面倒くさそうに答えた。

 エメリアの足元では魔法陣がブオンブオンと金属音の様な音を出しながらクルクルと回っている。

(この女の言うことは本当かしら……。今入れ替わったら結婚式に出れない。でも断ったら私のせいで愛する人が死んでしまう……)

 エメリアは自分に言い聞かせるしかなかった。
 何度も何度も深呼吸した。

(私が一年我慢すれば元に戻る。一年。たった一年。その先のほうがずっと長い。そうよ、それで済むなら……)

「……わかったわ」


 まだ雨は降り続き、稲妻が魔女の家の中を照らした。



 
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