無想無冠のミーザ

はらわた

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第一章 「占拠された花園」

一〇章 回帰(1)

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 ゴンッ、ゴン!

 朝、日の光がまだ昇らぬ時間に玄関からノックされる音が響いた。

 隣の布団で眠っている皐、それとミーザは起きる様子はない。

 俺は意識が半覚醒のまま立ち上がり、玄関の扉を開きに行った。

 ちかづくにつれ、体が冷えてしまい震えるが、それは些細なことで向かわない理由にはならない。

「はーい、ってフリアエか。どうしたこんな時間に……」

 自分でもまぁまぁ予想がついていたのか、驚くことはなかった。こうした想像の範囲外の出来事には、とりあえずフリアエが関わるからだ。

「……は……あ……、し、嗣虎……」

「ふ、フリアエ!?」

 フリアエは姿がブレて見えるほど酷く震えていた。目も下を向いてままばたきをせず、瞳孔は異常に小さい。口からはゲロの臭いがする。

 自分の白シャツを力強く握り締め、ゆっくりと呼吸をしている。深呼吸ではない、まるで当たり前のように息を吸って吐くことを、息を止めるような感じでしているのだ。

 ここでは皐にバレてしまうので、フリアエの部屋へ移動した方が良さそうだ。

「し、しし、嗣虎……、こ、これは、その、あ、ごめ、んなさい……」

「大丈夫、少し歩こうか」

 俺は優しくフリアエの肩に触れ、俺はフリアエを歩かせた。

 無人の暗闇の廊下を渡り、フリアエの部屋へ若干壁を手探りしながら進む。

 扉を開いた瞬間に異様な臭いがした。それはフリアエのゲロの少し薄まったものなので、耐えられない訳ではない。

 奥の布団から近くのトイレまでの道筋にゲロの跡があり、入ろうとして跨ぐが、フリアエの足では踏まないと進めなかった。

「座ろう」

 倒れそうな華奢な体が地に着くまで支えると、俺はようやくフリアエから手を離し、向かいに座る。

「あ、あの、しと、ら……こ、これ、耐えられ、ない……」

「うん、ゆっくりでいいから」

「嗣虎ぁ……」

 泣き虫のようにすぐ涙を流し始め、咳をした。

 俺にはどうすればいいのか見当もつかないため、話を聞くしかなかった。

「わ、たし、ゴッド、シリーズの中で、い、いち、ちばん、使用し、しゃが精神崩壊をおこ、す能力をも、ている。だか、ら薬がないと、こうなってしま、まう。こ、ここはわたしの、部屋だ、から、薬があ、あるかと、思ったけど、なか、た。このか、過去にはくす、りがあるかと、思ったのに、ない……! ここ、は、やは、り、別世界だっ、た」

「別世界……?」

「そ、う、嗣虎が拉致され、るのを防いだ時、わた、しは過去に飛んだつも、りだった。だか、ら、薬は、なければおかしい。けど、違う。ここ、は別世界。別世界のわた、しはかんせ、いさせられ、ていた。ここは、みら、い世界だった。過去にはもど、れないものなのだと、気付いた。こ、怖い……! はぁ、はぁ、全員死んでいる! 寿命死をとっくに迎えていた! 浅野もガブリエルもリゴレットの先生もティシポネメガイラまで! 全員! 何万何億何兆年前から死んでいる! 未来! 嗣虎、ここは未来だった! 滅んだ先に滅んだ世界をまた作り直した恐ろしい場所! い、命の価値が、低すぎる! わたし達が関わるべきではない、馬鹿げた程の超能力者が何人もいる! わたしでも、ゴッドシリーズであるわたしでも、どうにもできない……!…………ひっ……もう、やだぁ……。怖いよ嗣虎ぁ……。わたし達監視されてる、全部手の平の上なのぉ! 戻りたい、過去に戻りたい……」

 ……正直になるとだ、俺は完全にフリアエを信じている。よく世間一般の常識だと、本心では疑うのだが『それでも信じるようにしよう』みたいな顔と言葉で対応をするだろう。俺もそのような行動をするのだが、胸の中では何の疑いもなくフリアエの言うことを信じる。

 拉致なんて知らない。過去に飛んだことも知らない。けれど信じよう。

 何故か? それはフリアエが俺にとって、本当は一番大切な存在だからだろうか。

「フリアエ、どうしてそれを今まで話してくれなかったんだ?」

「そ、それは、ここを新しい人生を歩む世界にしようと思った。嗣虎を不安にさせたくなくて、私が耐えれば良いだけだと思った」

「そんなんだから、後が辛くなるんだぞ、フリアエ」

「……う」

 フリアエは気持ち悪さで口をおさえる。彼女は本当に苦しそうで、玉のような汗を畳に落とす。

 俺はそれを不安に感じるとともに、最低ながらもそれに欲情をしていた。

 苦しむフリアエの首筋が色っぽく魅力的でいじめたくなるのだ。

 もちろん、そんな感情は抑える。

「俺に手伝えることはないか?」

「……嗣虎……」

「なんでもいいんだ。俺に出来そうなら、なんでもするから」

「……分かった」

 その提案は通り、フリアエの虚ろな目は少し光が入った。

「嗣虎……本を読み聞かせて」

「……本?」

 意外な要求。フリアエは枕元の隣に置いてあった本を持ってきて、俺に手渡す。

 その表紙はタイトル文字だけ書かれており、『小道散歩の冒険少女』と童話のような印象を持った。

 中身を適当にパラパラめくると、どうやら主人公の少女の一人称で物語が進んでいくようだ。

 一五〇年前に作られた話らしく、当然俺は知らないもの。しかも地の文が少し独特できちんと朗読できる自信がない。

 しかし面白い、フリアエを喜ばせられるのなら覚悟など一瞬で決まる。

 俺はフリアエの布団の上に移動して座り、フリアエを俺の脚の上に乗せようとした。

「嗣虎?」

「……はは」

 小首を傾げて可愛らしい。フリアエは特に抵抗はしなかった。

 そしてフリアエの汗と女の子の甘い香りを近くに、俺は本を開いたのだった。

「……『小道散歩の冒険少女 唯言ゆいげん唯日ゆいか
 嵐などの騒音もなく、常夏の日差しの暑さ、さらには真冬の寒さすら存在しない日陰小道を歩き、約三〇分。
 私は走ることに対し利益を生むどころか、目的地もなく体力を消費する危険を考え始め、空想を描ける程の余裕を持てるようにして歩いている。』……なんだこの物語。これは朗読に向いている内容じゃないぞ」

「……そう」

「ああ、そうだ。この文章だけでも相当な意味が込められている。例えばこの嵐とか常夏を用いた文は、逆にそれを期待しているという裏の表現が出来ているんだ。これを朗読なんかで理解は出来ない」

「…………そう。わたしもそう思ってはいた。ありがとう、もういい」

 すっかり混乱が治まったフリアエ。彼女は俺の持つ本に手をかざし、畳の上にゆっくりと落とす。

 いつもの無表情に戻ると、少しそわそわとしながらその場を立つ。

「明日まではギリギリ落ち着いていられる分のたくわえがある。だから明日になればまたわたしはタイムスリップをし、元の世界にもどろうと思う。嗣虎がここに残りたいと思うなら、わたしは……エリニュスとアイザを死なせたくない、だからやはり戻る。嗣虎、嘘を言わず、真意を言って欲しい」

 タイムスリップ……とは、どういうことなのか、分からなかった。

 だが、俺は思い出した。俺のパートナーは確実に緋苗で、ホムンクルスなどという人造人間は存在しないのだと。

 そして、ガブリエル……。あれは俺を襲った少女のはずだった。

「フリアエ、分かったよ。確かにここは居心地の良い世界だった……だったけれど、帰らなくちゃな。緋苗が心配してるし、俺が帰らなければならない場所も別世界にある。今すぐ始めようじゃないか」

「──待って」

 フリアエは真剣な表情になると、その場に正座をして俺と向き合った。

「フリアエ……?」

「……嗣虎、皐とさよならの挨拶をした方がいい」

「いやいい。無理だ。そんなことをすれば奴は付いて来る。このままで良いんだ」

「けどお姉様は──あ……」

 強引に納得させたくて、俺はフリアエを抱いて耳にキスをする。フリアエは数秒震えた後、俺の胸を両手で押し戻す。

「あ、あう、そ、そんなこといきなりさ、されても……。こ、心の余裕はない……」

 初めて見たのではないのかと言うほどの赤面。目の端に少量の涙を溜めて震えている。

 その姿はただ可愛い。フリアエにその気はなくとも、俺にはそれがエロく感じた。
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