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第一章 「占拠された花園」
六章 まとめ
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視界が黒から色を付け始めた世界に変わると、そこは白い天井に電灯の埋まった、少しだけ見慣れている部屋だった。
俺の住んでいる部屋と少し似ているのは、構造の問題だろう。
体が楽だ。何か頭に枕のようなものを感じて視線を少しずらしてみると、こちらを見下げるフリアエ──エリニュス──アイザのどちらかの少女が視界に入った。
「よあっら、目を覚ましらんらね」
半分ふざけているのかと思ったが、アイザの特徴的な口調だと気付いて誰なのかを判断する。
俺の思考を読み取ったのか、慌てて口を押さえてもごもごすると、こほんと咳払いをしてアイザは俺に微笑みかける。
「わたしが膝枕をしたらすぐに眠った。きっと凄く疲れていたと思う。どう、体は楽になった?」
アイザかと思えばフリアエのように喋るので、フリアエだと認識して対応することにした。
「ああ、なんだか気持ちのいい夢を見た後の、晴れやかな休日の朝を迎えた気分だ」
「そう。二度寝する?」
「少しこのままがいいな」
普段触れることなど許されない女の子の太ももに頭を乗せる贅沢さは中々無かったもので、こういう親切さがありながらのことでも甘えずにはいられない。
けれどフリアエは脚が辛いのではないだろうか。いや、気にするまい。気にしたら気持ち良くなくなる。
出来ればフリアエの胸の中に埋もれたいとも思っているのは男としての宿命だが、いや、寂しいのだと気付く。
フリアエと一緒に居られて幸せなのだ。
だが……何かフリアエに違和感を感じる。
「フリアエからいい匂いがする」
「さっきシャワーを浴びた」
そういうことか。通りで制服じゃなかったのだ。
フリアエは今、赤い寝間着を着ている。真紅だ。
ということは、今は夜の時間帯だろう。部屋で緋苗が待っているはずなので、戻らなければならない。
そこで起き上がろうとしたが、フリアエから頭を押さえられて上手くいかなかった。
「緋苗は用事があるから明日の朝まで帰ってこない。嗣虎はわたしと夜を過ごす」
「……夜?」
「そう。今日は嗣虎のお泊まり会。嗣虎の寝床はわたしの膝の上」
つまり、フリアエの膝はいつでも独占可能ということで、最優先事項が変わってしまった。
腹減っている。何か食べたい。
「嗣虎、空腹になっている?」
「え、ああ」
「明日から学校が始まるのに、その前に晩食を抜きにする訳にはいかない。わたしが準備をする」
顔つきに真剣味を帯びると、俺の額に口づけしてゆっくり立ち上がり、台所へ向かった。
俺はとてつもない光景を目の当たりにしている。フリアエが料理をしようとしているのだ。フリアエが料理とか、考えられるか(笑)?
物凄い違和感だ。予想ではかなりの下手だと思っている。フリアエみたいな人は、必ず何かがおかしいものだ。
「フリアエが料理ねぇ? 手元の包丁が飛んでこないや──ら……?」
ズサッ。
畳に付けた俺の頭の真横に何故か包丁が刺さっている。
なんだろうか、誰かがエクスカリバーでも抜くのだろうか。
フリアエの病んだ目が俺をじっと見つめ、数分の経過を感じる恐怖の五秒後に手元の食材の調理に戻る。
断言しよう。俺のスイカをぶっ刺せる程器用なので物凄く美味しい料理が出来る……はずだ。
眠気があるので二度寝しようと思う。頭がぼんやりとするし、フリアエの料理を食べるときにふらふらしていては失礼だ。
目を瞑れば、寝たかどうかはっきりしないまま、思考がぷつりと闇の中へ……。
眠るのは一瞬だった。
──
──離せっつってんだろ! とか荒っぽい言葉を使ったのは小学六年生から四年経った一五歳の時だ。
小学六年生の頃は白雪と捨て犬を引き取るか否かで揉め合い、あまりに白雪が強情なので捨て犬を片手に外へ飛び出そうとした。
ホームレスが路上で生きているのを多く見たからだろう、出て行っても生きていけると思っていた。
しかし、その時である。白雪が泣き始め「お兄ちゃん! 行かないでよ!」なんて、拍子抜けすることを言われてやめた。
別に、白雪は俺の妹ではないし、五歳の頃に使いに来た俺専属の使用人のミーザである。
『バリュー』のミーザだ。その性能は計り知れない。
俺と同じ年齢なので体格も子供だった。そのくせ外見に合わず子供ならああしろこうしろと変にうるさい。
そして一五、家でまたあの時のような状態になったのだ。
「あそこは駄目! あんな物騒な所に居て、攫われたり殺されたりしたらどうするつもり!? しかも私をパートナーにせず、変に金を使ってミーザを引っ張るなんて……馬鹿のすること!」
その通り、白雪の言っていることは正しい。俺のようなお偉いさんの息子は犯罪者を捕まえたり戦ったりする『平和部』のある学校には通うべきではないのと、既に絆のある白雪をパートナーにしないで新しいミーザを買うのはどうかしている。白雪は俺しか知らない最強のミーザなのに。
「パートナーになるって約束した子がいるんだ。それに、平和部のやり方に憧れているのに、やめられる訳ねぇだろ!」
「あのラ・ピュセルのこと? それはただの保険でしょ!」
「ちげぇよ!」
その時、胸の中がざわついた。確実にパートナーになれるミーザならば、誰でもよかったのではないかと。
それにずっと前に約束したことだし、無かったことに出来るのではないかとも考えてしまっていた。
心を揺さぶられたことに苛立ちを覚えてさらに荒ぶる。
「白雪にはわかんねぇよ! 力がありながら望むことを望むままできない、この不幸なんか!」
「そ、そんなこと言わないでよ。私達家族なのに……」
「いいや、わからないね! わからない女が、常識頼りの模範解答を偉そうに見せびらかすんじゃねぇよ!」
「私は嗣虎の為を想ってるんだよ!?」
「父と母は許可を出した! 白雪の出番はない!」
「春男様は嗣虎を放置しているだけ! カーラ様は嗣虎を想いすぎてるからこそ許可を出したの! 嗣虎を本当に想えば行かせないのが当たり前だよ!」
「お前は俺を否定するんだな!? 言葉だけ飾っても中身はろくでもねぇな!」
「違う……違うよ! 私以外が嗣虎を行かせても、私は行かせない。嗣虎を想うのは組織も親戚も関係ない……愛してるからなんだから!」
白雪が叫ぶように言うと涙を流した。泣くなんて珍しいことだが、こういう場合はすぐに泣いてくる。正直鬱陶しいがこのおかげで俺の選択は間違っていると確信できる。
しかしやめるという、まるでプライドを捨てているような行動を俺はできない。特にこの進学だけは絶対に。
「……白雪は家族じゃないだろ。俺の使用人でしかない」
「違うよ、家族だよ。使用人なんてどうでもよくて……私はどうしても行かせたくないの。行っても担当者が代わるだけ……嗣虎は私を切り離すの?」
「俺は確実な安全に嫌気がさしてるんだ。もう、行かせてくれ」
「……行かせない」
「……白雪!」
「嗣虎には分かってないかも知れないけれど、行かせない理由、もう出来たの」
「な、なんだよ」
「嗣虎、過去の『回り』で死んで、現在の『回り』に再構成されたよね」
「……なんのことだ?」
「メドゥーサから聞いたよ。嗣虎はヘマしてガブリエルとサファイアに拉致されそうになって、ネメシスに助けてもらったよね。その時に転移……魔素に原子を保管して、この『回り』に再構成させた」
「メドゥーサが? メドゥーサってあいつだろ、なんだその話。あとネメシスって誰だよ」
「嗣虎……、行かせるなら条件がある」
「なんだ?」
「絶対、死なないで」
「は? 死ぬか馬鹿」
「絶対死ぬよ。今の嗣虎の中身、肝心な物が入ってないから……」
「なにがいいたい?」
「フリアエには注意して」
───
バリューでミーザをもらい、学校の寮にも着いた俺はパートナーを部屋に置いて廊下に出た。
アレクトーとかいうゴッドシリーズのミーザに、手続きがあるから呼び出して欲しいと寮長に頼まれたのだ。
まぁ、来て初日なので挨拶がてら良いだろう。
隣のアレクトーの扉をノックした。
するとすぐに開いた。
中から出て来たのは小柄で銀髪の少女。右手を血で染めて、ぼんやりとした艶やかな視線を俺に向ける。
「……ふふ」
後ろ手を回して俺の顔をじっくり観察する。どこかくすぐったい。
「あ、アレクトーだよな?」
「そう」
「あの、なんか、なんか……」
奥にはもう一人の俺と、もう一人のアレクトーが横たわっている。胸が真っ赤に染められているのはもう一人のアレクトーで、もう一人の俺は安らかに眠っている。
すごく、怖い。
「そ、そうだ。寮長が君を呼んでいたよ。すぐに来て欲しいって」
「へぇ」
「ど、どどうしたの?」
「やはりこちらの嗣虎にはあの不気味な原子は入っていない。一応、嗣虎の為に肉体を取っておこう」
「は……ハガッ!? ガフゥ! ゥゥゥ……」
いつの間にか──。
──。
──。
───
離せっつってんだろ! とかなんとか言っていた頃が懐かしい。
俺がそんな荒っぽくなったのは……なんだったかな、大体白雪のせいだ。
俺が五歳の時に、父からプレゼントされた使用人の白雪というのがいる。名前は白雪が自ら名乗ったので、本名かどうかは分からない。
最初は俺と同じ子供だった。厳しさは全くなくて、なんだか白雪は妹にでもなったかのように仲良くしてきた。
俺と白雪で離れの別荘に引っ越し、中学校生活を共に過ごしたのは良い思い出だ。父は本家に俺を置いておく気はなかったらしく、兄達が悠々自適、女三昧な生活をしている。女というのはジルダシリーズだが、多分苦痛とかはないと思う。
母が時々俺達の様子を見に来ていたっけな。母のカーラは失敗作のミーザで、ふとしたとき認知症みたいに幼児化する。主にストレスが原因らしく、開発途中に散々酷いことをされたのだと思う。もしかすると、女としての侮辱的な行為をさせられたり、管理者だからと言って散々痛ぶっていたのかも。
そう、まるでフリアエだ。フリアエみたいな雰囲気をしている。
つまり俺は人間とミーザの間に生まれたハーフロボット、ハーフヒューマンという感じだ。顔が整ったりしているのはミーザのおかげ。
まあ、俺の家族はこんなの。
他に、高校に進学することが決まり、寮への引っ越しをすると同時にミーザを引き取る時が来ると白雪が引き止めたのがある。
「離せっつんてんだろ!」
例により、俺は白雪にまたそれを言っていた。
白雪は自分の嫌なことをしようとする俺に対して、決まって腕に取り付く。もしも白雪の胸の育成具合を知りたければ、大体白雪にとって嫌なことをすればいい。
「……嫌だもん」
「はぁ?」
「嗣虎は偉い人の子なんだから拉致されてしまう。私を連れていかないなら確実だね」
「まぁ気をつけるさ」
別に白雪を連れて行かせたくない訳ではない。白雪と一緒が良いと思うが、俺の進学先の部活の『平和部』で白雪を万が一にも傷付けたくないという、男のプライドがあるのだ。
拉致は……されるかもなぁ。古代なら仕方ない。
「あ! ラ・ピュセルとの約束を果たそうとしているんでしょ! そんなの保険でしかないじゃない!」
ラ・ピュセルとは、今から向かう『バリュー』という名の高級ミーザ工場のミーザ。金髪にルビー色の瞳と白肌で華奢な女の子だ。
小学生の時に、バリューに不法侵入してラ・ピュセルと出会い、パートナーにすると宣言してしまったことがある。
「さぁ? 今は今だからな」
適当にはぐらかしておく。俺はラ・ピュセルを選べる自信がないからだ。
名前を教えないあの子にメドゥーサ、惜とアルテミスという素晴らしい人が居て、ラ・ピュセルのみというのはありえない。
「嗣虎……」
「なんだよ、泣くんじゃねぇぜ」
「泣いてはないよ……。きっと嗣虎の学校では私の代わりがたくさんいるから、私のことを忘れるんじゃないかなって……」
「そんなことねぇよ」
どうやら白雪はしょげているようだ。
全く……可愛いじゃないか。ふざけんな。
「俺と白雪は家族だろ?」
俺は当然のことを口にした。
その言葉が白雪を明るくさせた。
「……じゃあ、嗣虎の帰る場所は私だね……?」
「当たり前だ。風邪を引くんじゃねぇぞ」
「うん……行ってらっしゃい。拉致られたらビンタだよ!」
「分かってるよ」
そんな話をして、白雪の満面の笑みを背に家を出た。
それからは知っての通り、バリューで緋苗をパートナーにし、田本学園の寮でフリアエと白火に出会う。
正直、フリアエのことは白雪の次くらいは好きだ。
……なんだか胸がむかむかする。こう、気持ち悪さしかないというか、人間の頭がぐにゃんぐにゃん曲がってるのを目撃して衝撃のあまり目眩を起こしたようか気分だ。
吐き気だ! 吐き気がする!
俺は目が覚めると身体を起こした。部屋はフリアエの部屋、トイレに急がないと……!
「嗣虎、目が覚めた? 身体の具合はどう?」
「最悪だ!」
純白の寝間着を着たフリアエが隣に座っており、悠長に話しかけてきてるので強い言い方をしてしまったが、俺の向かう先はトイレである。
「……? やはりこれは嗣虎の精神力を保つもの……?」
フリアエは何やら独り言を言っている。そんなことを気にするよりトイレぇ!
瞬間、フリアエはいきなり俺の胸に手をかざして、さっと手を引いた。
何が何やら分からないが、何も変なことはされていないようだ。
「嗣虎、大丈夫?」
「……なんか治まった」
気付けば吐き気は無くなり、いつも通りの古代嗣虎となっている。
改めてフリアエを見ると、おや、無表情ではないか。
「嗣虎」
「なんだ?」
「多分これから生きていく上で馴染められる、その、『人』は私くらいだと思う」
どういうことなのか分からないのは当然だから、汲み取るようにして聞くべきなのだろう。しかし、この件は俺には分からないことなのだと勘で気付いた。
「嗣虎……聞いて。もしも嗣虎がこれからを当たり前に過ごせるのなら、それはとてつもない異常。何も変わらない人はいない世界。世界は変わるべき存在だから」
「あ、ああ……?」
「明日死ぬ人間が、死なずに百年生きることと同じ」
「……?」
「おかしくない人がおかしい所だから、嗣虎は狂うべきが正しい」
「ちょ、フリアエ。さっぱり話が見えない。もうちょっと分かりやすく言ってくれ」
「……この話し方では明確な答えを隠しながらの意思伝達は難しい。それに話し方を変えると必ず嗣虎は疑ってくる。だから一言で済ます」
「フリアエ?」
「この世界には我々ゴッドシリーズを越える神が居る」
そう言うと、フリアエは俺の背中を押した。まるで出て行ってほしいかのようにするので、俺は立ち上がる。
フリアエから何を言われているのか分からないが、きっと混乱しているのだろう。混乱と言っても些細なものだが。
そして玄関のドアノブに手をかざす時、フリアエが最後に言った。
「記憶力は既に修復してある。ただし、記憶は必要のないものだけ消してある」
どういうことなのか、くどいが分からない。しかしフリアエがそうしたというのなら、それは善意のことである。
「ありがとな」
俺は部屋を出た。
「あれ? 俺ってなんでフリアエの所に居たんだったかな」
声に出てしまうほどの疑問が浮かんだ。
入学式を終えて、誰かにフリアエとの時間を作るのを提案され、それで部屋へ遊びに行ったのではなかったか。
違和感があるがしっくりくる。フリアエと出掛けるなんて考えられないし。
今度誘おう。いや、ゴッドシリーズだから不味いか……?
すぐ隣の俺の部屋の前に着くと、ポケットから鍵を取り出そうとしたが入っていなかった。
仕方なく扉をノックして中の人に呼び掛ける。
「おーい、開けてくれー」
「はーい」
ここで俺は妙に思った。何か違う。何かが違うぞ古代嗣虎と。
俺のパートナーの声はどこか子供のようなものが混ざっていて、変に落ち着いた所がある特殊なものだ。だが中から聞こえるのは、なんというのかな、可愛いとか綺麗とかとはちょっと違う、個性があって個人的に好きな声だ。
待て待て待て、開けるんじゃない。この中にいる『人』は間違いなく俺がフリアエを蔑ろにしてしまうほどの人物だ。
知っているのだこの声は。忘れることなどありえない。
やがて扉は開かれると、中からは少女が出てきた。
癖っ毛一つないさらっとした黄金色の長く綺麗な髪に、多くの宝石の中から選別された最高級のルビーを埋め込んだような赤い瞳。
触れる前から指先が勝手に触ったように感じてしまうほどの美しい白肌と、どれだけ磨けども到達出来ないであろう神のプロポーション。
胸の奥底にあった後悔みたいな暗いものは吹き飛び、驚きが全てを支配した。
「ピュセルじゃないか! なんでここ──」
「しー! なに言ってんの!」
声を張り上げる俺に対し、ラ・ピュセルは小声で俺を制止した。
青ざめた表情で俺を部屋に入れると、嘆息する。
「私が『バリュー』のミーザだってバレたらどうすんのよ古代さん。ちゃんと皐って呼んでくれないと……」
前と一切変わらない困ったような表情になり、心配気に言う。
あー……パートナーってピュセルだったか? 覚えてないな。
けれど何だか緋苗とかいう女の子だった気がする。てか緋苗だった。
緋苗って誰か分からないけれど。
いや緋苗は緋苗だ。緋色の髪に不気味な肌色をした瞳。カーキ色のストッキングをしてたりして手に火傷を負ってそうで負っていない年上の少女。
て、緋苗はどこだ?
「あ、古代さん、この際言っておくけどさ!」
「なんだ?」
「私はあんたにしかパートナーにならないから! もしあの時自分に自信がなくて選ばなかったとしたら、私自殺してたから良かったね」
「……あ、ああ。すまなかった」
「ん、冗談だって」
心が痛んだ俺にピュセルは笑顔を向ける。
……きっと本気で自殺してたんだろうな。こいつ、俺にしか好意持ってなかったし。
フリアエ、死ぬなよ。
ところで緋苗はどうなった?
「にしてもなんだか丸くなったじゃん。焦りは消えた?」
「……え?」
性格のことだろうか? 俺、そんなに変わったか?
「うん。古代さんは常に期待されていたって聞いたよ。それが気持ち悪くて荒くなってしまったって泣いてたし。解決できた?」
「出来る訳ないじゃないか」
「どうして?」
「期待なんかされた覚えねぇよ」
……表情が固まっている。何かに気付いたのか、自分の髪を弄った。
「可哀想……。けれど、あんたも私が好きな人なんだろうね」
嬉しそうな、そして悲しそうな。複雑な心を顔に現して、俺の頭を撫でた。
俺も何となく感づいた。
ここは俺が見たいように見れるファンタジーなのだと。
───
朝。
カーテン越しに窓から差し込む太陽の光が目に入っていたため目覚ましなしに起きる。
隣で寝ていたはずの皐は既にそこにはおらず、台所に立っていた。
まさか皐が料理なんてするわけがない。あの皐だぞ? きっとメシマズだ。
ということでふらつきながら立ち上がり、皐の隣に立った。
「もうすぐ出来るからねー古代さん」
「……」
そこにはありえない光景があった。
なんと、チャーハンを作っていたのだ。フライパンから匂う美味しそうなチャーハンは俺の胃袋を鳴らし、皐の口角を上げさせた。
「ふふぅん? 食べたいんだぁ?」
「……ぐぐぅ」
「ま、特別に半分あげるけれどあんたの何かの半分を頂くよ」
「待て、無茶な要求かますんじゃないだろうな?」
「よし決めた!」
「て、早いぞ!」
「古代さんの朝食半分頂いちゃおうかな~」
「俺が物足りないだろうが!」
そう言って、フライパンの中身を台所の上に用意された二皿へ移した。
片方大盛り、片方お子様盛り。
このお子様盛りが俺だとするとちょいとイラッ☆とするなぁ。
皐はいつの間にか用意されていた台に運ぶと、ちゃっちゃかと二人分の準備を一人で終わらせた。
優秀すぎる。
俺は皿の前に座り、用意された匙を持ってチャーハンを口の中に入れた。
「古代さん! いただきますって言わないと駄目じゃない!」
「そんな古臭いのは忘れたぜ」
意地悪な皐に礼を言う訳にはいかない。でなければ、食に関しては皐よりも劣るということになりそうだからだ。
皐の顔はムスッとし、肘をついてそのまま食べ始めた。
味の方は……ほうほう、丁寧過ぎて料理店で物を食べている気分だ。皐って美味しさにこだわる性格なんだろうな。
緋苗の場合は楽しさにこだわる性格だ。食事を楽しいものにしようと頑張っているのだ。
……もしかすると、緋苗と皐は真逆の存在なのかもしれない。
扉を叩く音がした。誰かがここに来たらしい。
俺が出ようかと腰を浮かすが皐が素早く対応に向かった。
扉を開いた先にはフリアエが居た。皐とフリアエは初対面なのか、両者呆気な顔だ。
最初に口を動かしたのは皐である。
「あなたはだれ? 古代さんのお知り合いですか?」
『ですか』って……丁寧語使えたんだな。
物腰柔らかに質問されたフリアエは、何故か頬を少し赤らめて照れがちに答える。
「わ、わたしはアレクトー・ウラノス・エウメニデス。嗣虎からはフリアエと呼ばれて……います」
なんと、フリアエも丁寧語を使った。
フリアエがそんな言葉遣いをしてしまったら今まで積み上げられてきたフリアエ像が崩壊してしまう!
「だったらあんたのことはフリアエさんと呼べばいいですか?」
いや、なんで丁寧な口調なのにあんたとか使ってんだよ……。
「そ、そんな! わたしのことなど呼び捨てにしてくださっていいです!」
フリアエがすごく可愛い。ずるいぞ皐。
「じゃあフリアエって呼びますね。私の名前は皐、好きなように呼んでください」
「は、はい、お姉様」
ん?
なんて言ったこの女の子?
皐は当然戸惑っているようで、戸惑いのミーザと呼ぶに相応しいほどあわあわしていた。
「お、おおおお姉様だなんてとんでもありません! 義妹にだって呼び捨てにされてたのにどうしたらいいのか……!?」
「いえ! 至って真剣です! わたしは人を見る目は誰よりも優れている自信があります! 今まで出会ってきた中で皐さんのような、まるでわたしが理想としていたような先輩と出会えるなんて奇跡のようです! 是非、わたしにお姉様と呼ばせてもらう許可をく、くだひゃい!」
フリアエは目を煌めかせて、赤面して噛みながら皐に迫った。
あぁぁぁぁぁぁぁりえない! 皐のような生意気で礼儀知らずの悪ガキにフリアエが憧れているなんて! 俺の中のフリアエはもっとミステリアスなんだ!
しかし想いは届かないらしく、その呼び方は決まってしまう。
「と、とりあえず了解しました。拒否をするほどのことではないのでフリアエがそう呼びたいのであれば好きにして構いません。ただし私は『人』と関わる機会が少なかったので、嫌なところがありましたらすぐに教えてくださると助かります」
いきなり一度も聞いたことがない皐の流暢な言葉遣いに驚きを隠せないが、それを聞いたフリアエは目の端に涙を溜めていた。
「……わたしのこと『人』として見てくれている……」
一人呟くと、涙は一筋に流れ、幸せそうな表情をする。
よく分からないが、フリアエに三人目の仲良しが出来たようだ。
俺の住んでいる部屋と少し似ているのは、構造の問題だろう。
体が楽だ。何か頭に枕のようなものを感じて視線を少しずらしてみると、こちらを見下げるフリアエ──エリニュス──アイザのどちらかの少女が視界に入った。
「よあっら、目を覚ましらんらね」
半分ふざけているのかと思ったが、アイザの特徴的な口調だと気付いて誰なのかを判断する。
俺の思考を読み取ったのか、慌てて口を押さえてもごもごすると、こほんと咳払いをしてアイザは俺に微笑みかける。
「わたしが膝枕をしたらすぐに眠った。きっと凄く疲れていたと思う。どう、体は楽になった?」
アイザかと思えばフリアエのように喋るので、フリアエだと認識して対応することにした。
「ああ、なんだか気持ちのいい夢を見た後の、晴れやかな休日の朝を迎えた気分だ」
「そう。二度寝する?」
「少しこのままがいいな」
普段触れることなど許されない女の子の太ももに頭を乗せる贅沢さは中々無かったもので、こういう親切さがありながらのことでも甘えずにはいられない。
けれどフリアエは脚が辛いのではないだろうか。いや、気にするまい。気にしたら気持ち良くなくなる。
出来ればフリアエの胸の中に埋もれたいとも思っているのは男としての宿命だが、いや、寂しいのだと気付く。
フリアエと一緒に居られて幸せなのだ。
だが……何かフリアエに違和感を感じる。
「フリアエからいい匂いがする」
「さっきシャワーを浴びた」
そういうことか。通りで制服じゃなかったのだ。
フリアエは今、赤い寝間着を着ている。真紅だ。
ということは、今は夜の時間帯だろう。部屋で緋苗が待っているはずなので、戻らなければならない。
そこで起き上がろうとしたが、フリアエから頭を押さえられて上手くいかなかった。
「緋苗は用事があるから明日の朝まで帰ってこない。嗣虎はわたしと夜を過ごす」
「……夜?」
「そう。今日は嗣虎のお泊まり会。嗣虎の寝床はわたしの膝の上」
つまり、フリアエの膝はいつでも独占可能ということで、最優先事項が変わってしまった。
腹減っている。何か食べたい。
「嗣虎、空腹になっている?」
「え、ああ」
「明日から学校が始まるのに、その前に晩食を抜きにする訳にはいかない。わたしが準備をする」
顔つきに真剣味を帯びると、俺の額に口づけしてゆっくり立ち上がり、台所へ向かった。
俺はとてつもない光景を目の当たりにしている。フリアエが料理をしようとしているのだ。フリアエが料理とか、考えられるか(笑)?
物凄い違和感だ。予想ではかなりの下手だと思っている。フリアエみたいな人は、必ず何かがおかしいものだ。
「フリアエが料理ねぇ? 手元の包丁が飛んでこないや──ら……?」
ズサッ。
畳に付けた俺の頭の真横に何故か包丁が刺さっている。
なんだろうか、誰かがエクスカリバーでも抜くのだろうか。
フリアエの病んだ目が俺をじっと見つめ、数分の経過を感じる恐怖の五秒後に手元の食材の調理に戻る。
断言しよう。俺のスイカをぶっ刺せる程器用なので物凄く美味しい料理が出来る……はずだ。
眠気があるので二度寝しようと思う。頭がぼんやりとするし、フリアエの料理を食べるときにふらふらしていては失礼だ。
目を瞑れば、寝たかどうかはっきりしないまま、思考がぷつりと闇の中へ……。
眠るのは一瞬だった。
──
──離せっつってんだろ! とか荒っぽい言葉を使ったのは小学六年生から四年経った一五歳の時だ。
小学六年生の頃は白雪と捨て犬を引き取るか否かで揉め合い、あまりに白雪が強情なので捨て犬を片手に外へ飛び出そうとした。
ホームレスが路上で生きているのを多く見たからだろう、出て行っても生きていけると思っていた。
しかし、その時である。白雪が泣き始め「お兄ちゃん! 行かないでよ!」なんて、拍子抜けすることを言われてやめた。
別に、白雪は俺の妹ではないし、五歳の頃に使いに来た俺専属の使用人のミーザである。
『バリュー』のミーザだ。その性能は計り知れない。
俺と同じ年齢なので体格も子供だった。そのくせ外見に合わず子供ならああしろこうしろと変にうるさい。
そして一五、家でまたあの時のような状態になったのだ。
「あそこは駄目! あんな物騒な所に居て、攫われたり殺されたりしたらどうするつもり!? しかも私をパートナーにせず、変に金を使ってミーザを引っ張るなんて……馬鹿のすること!」
その通り、白雪の言っていることは正しい。俺のようなお偉いさんの息子は犯罪者を捕まえたり戦ったりする『平和部』のある学校には通うべきではないのと、既に絆のある白雪をパートナーにしないで新しいミーザを買うのはどうかしている。白雪は俺しか知らない最強のミーザなのに。
「パートナーになるって約束した子がいるんだ。それに、平和部のやり方に憧れているのに、やめられる訳ねぇだろ!」
「あのラ・ピュセルのこと? それはただの保険でしょ!」
「ちげぇよ!」
その時、胸の中がざわついた。確実にパートナーになれるミーザならば、誰でもよかったのではないかと。
それにずっと前に約束したことだし、無かったことに出来るのではないかとも考えてしまっていた。
心を揺さぶられたことに苛立ちを覚えてさらに荒ぶる。
「白雪にはわかんねぇよ! 力がありながら望むことを望むままできない、この不幸なんか!」
「そ、そんなこと言わないでよ。私達家族なのに……」
「いいや、わからないね! わからない女が、常識頼りの模範解答を偉そうに見せびらかすんじゃねぇよ!」
「私は嗣虎の為を想ってるんだよ!?」
「父と母は許可を出した! 白雪の出番はない!」
「春男様は嗣虎を放置しているだけ! カーラ様は嗣虎を想いすぎてるからこそ許可を出したの! 嗣虎を本当に想えば行かせないのが当たり前だよ!」
「お前は俺を否定するんだな!? 言葉だけ飾っても中身はろくでもねぇな!」
「違う……違うよ! 私以外が嗣虎を行かせても、私は行かせない。嗣虎を想うのは組織も親戚も関係ない……愛してるからなんだから!」
白雪が叫ぶように言うと涙を流した。泣くなんて珍しいことだが、こういう場合はすぐに泣いてくる。正直鬱陶しいがこのおかげで俺の選択は間違っていると確信できる。
しかしやめるという、まるでプライドを捨てているような行動を俺はできない。特にこの進学だけは絶対に。
「……白雪は家族じゃないだろ。俺の使用人でしかない」
「違うよ、家族だよ。使用人なんてどうでもよくて……私はどうしても行かせたくないの。行っても担当者が代わるだけ……嗣虎は私を切り離すの?」
「俺は確実な安全に嫌気がさしてるんだ。もう、行かせてくれ」
「……行かせない」
「……白雪!」
「嗣虎には分かってないかも知れないけれど、行かせない理由、もう出来たの」
「な、なんだよ」
「嗣虎、過去の『回り』で死んで、現在の『回り』に再構成されたよね」
「……なんのことだ?」
「メドゥーサから聞いたよ。嗣虎はヘマしてガブリエルとサファイアに拉致されそうになって、ネメシスに助けてもらったよね。その時に転移……魔素に原子を保管して、この『回り』に再構成させた」
「メドゥーサが? メドゥーサってあいつだろ、なんだその話。あとネメシスって誰だよ」
「嗣虎……、行かせるなら条件がある」
「なんだ?」
「絶対、死なないで」
「は? 死ぬか馬鹿」
「絶対死ぬよ。今の嗣虎の中身、肝心な物が入ってないから……」
「なにがいいたい?」
「フリアエには注意して」
───
バリューでミーザをもらい、学校の寮にも着いた俺はパートナーを部屋に置いて廊下に出た。
アレクトーとかいうゴッドシリーズのミーザに、手続きがあるから呼び出して欲しいと寮長に頼まれたのだ。
まぁ、来て初日なので挨拶がてら良いだろう。
隣のアレクトーの扉をノックした。
するとすぐに開いた。
中から出て来たのは小柄で銀髪の少女。右手を血で染めて、ぼんやりとした艶やかな視線を俺に向ける。
「……ふふ」
後ろ手を回して俺の顔をじっくり観察する。どこかくすぐったい。
「あ、アレクトーだよな?」
「そう」
「あの、なんか、なんか……」
奥にはもう一人の俺と、もう一人のアレクトーが横たわっている。胸が真っ赤に染められているのはもう一人のアレクトーで、もう一人の俺は安らかに眠っている。
すごく、怖い。
「そ、そうだ。寮長が君を呼んでいたよ。すぐに来て欲しいって」
「へぇ」
「ど、どどうしたの?」
「やはりこちらの嗣虎にはあの不気味な原子は入っていない。一応、嗣虎の為に肉体を取っておこう」
「は……ハガッ!? ガフゥ! ゥゥゥ……」
いつの間にか──。
──。
──。
───
離せっつってんだろ! とかなんとか言っていた頃が懐かしい。
俺がそんな荒っぽくなったのは……なんだったかな、大体白雪のせいだ。
俺が五歳の時に、父からプレゼントされた使用人の白雪というのがいる。名前は白雪が自ら名乗ったので、本名かどうかは分からない。
最初は俺と同じ子供だった。厳しさは全くなくて、なんだか白雪は妹にでもなったかのように仲良くしてきた。
俺と白雪で離れの別荘に引っ越し、中学校生活を共に過ごしたのは良い思い出だ。父は本家に俺を置いておく気はなかったらしく、兄達が悠々自適、女三昧な生活をしている。女というのはジルダシリーズだが、多分苦痛とかはないと思う。
母が時々俺達の様子を見に来ていたっけな。母のカーラは失敗作のミーザで、ふとしたとき認知症みたいに幼児化する。主にストレスが原因らしく、開発途中に散々酷いことをされたのだと思う。もしかすると、女としての侮辱的な行為をさせられたり、管理者だからと言って散々痛ぶっていたのかも。
そう、まるでフリアエだ。フリアエみたいな雰囲気をしている。
つまり俺は人間とミーザの間に生まれたハーフロボット、ハーフヒューマンという感じだ。顔が整ったりしているのはミーザのおかげ。
まあ、俺の家族はこんなの。
他に、高校に進学することが決まり、寮への引っ越しをすると同時にミーザを引き取る時が来ると白雪が引き止めたのがある。
「離せっつんてんだろ!」
例により、俺は白雪にまたそれを言っていた。
白雪は自分の嫌なことをしようとする俺に対して、決まって腕に取り付く。もしも白雪の胸の育成具合を知りたければ、大体白雪にとって嫌なことをすればいい。
「……嫌だもん」
「はぁ?」
「嗣虎は偉い人の子なんだから拉致されてしまう。私を連れていかないなら確実だね」
「まぁ気をつけるさ」
別に白雪を連れて行かせたくない訳ではない。白雪と一緒が良いと思うが、俺の進学先の部活の『平和部』で白雪を万が一にも傷付けたくないという、男のプライドがあるのだ。
拉致は……されるかもなぁ。古代なら仕方ない。
「あ! ラ・ピュセルとの約束を果たそうとしているんでしょ! そんなの保険でしかないじゃない!」
ラ・ピュセルとは、今から向かう『バリュー』という名の高級ミーザ工場のミーザ。金髪にルビー色の瞳と白肌で華奢な女の子だ。
小学生の時に、バリューに不法侵入してラ・ピュセルと出会い、パートナーにすると宣言してしまったことがある。
「さぁ? 今は今だからな」
適当にはぐらかしておく。俺はラ・ピュセルを選べる自信がないからだ。
名前を教えないあの子にメドゥーサ、惜とアルテミスという素晴らしい人が居て、ラ・ピュセルのみというのはありえない。
「嗣虎……」
「なんだよ、泣くんじゃねぇぜ」
「泣いてはないよ……。きっと嗣虎の学校では私の代わりがたくさんいるから、私のことを忘れるんじゃないかなって……」
「そんなことねぇよ」
どうやら白雪はしょげているようだ。
全く……可愛いじゃないか。ふざけんな。
「俺と白雪は家族だろ?」
俺は当然のことを口にした。
その言葉が白雪を明るくさせた。
「……じゃあ、嗣虎の帰る場所は私だね……?」
「当たり前だ。風邪を引くんじゃねぇぞ」
「うん……行ってらっしゃい。拉致られたらビンタだよ!」
「分かってるよ」
そんな話をして、白雪の満面の笑みを背に家を出た。
それからは知っての通り、バリューで緋苗をパートナーにし、田本学園の寮でフリアエと白火に出会う。
正直、フリアエのことは白雪の次くらいは好きだ。
……なんだか胸がむかむかする。こう、気持ち悪さしかないというか、人間の頭がぐにゃんぐにゃん曲がってるのを目撃して衝撃のあまり目眩を起こしたようか気分だ。
吐き気だ! 吐き気がする!
俺は目が覚めると身体を起こした。部屋はフリアエの部屋、トイレに急がないと……!
「嗣虎、目が覚めた? 身体の具合はどう?」
「最悪だ!」
純白の寝間着を着たフリアエが隣に座っており、悠長に話しかけてきてるので強い言い方をしてしまったが、俺の向かう先はトイレである。
「……? やはりこれは嗣虎の精神力を保つもの……?」
フリアエは何やら独り言を言っている。そんなことを気にするよりトイレぇ!
瞬間、フリアエはいきなり俺の胸に手をかざして、さっと手を引いた。
何が何やら分からないが、何も変なことはされていないようだ。
「嗣虎、大丈夫?」
「……なんか治まった」
気付けば吐き気は無くなり、いつも通りの古代嗣虎となっている。
改めてフリアエを見ると、おや、無表情ではないか。
「嗣虎」
「なんだ?」
「多分これから生きていく上で馴染められる、その、『人』は私くらいだと思う」
どういうことなのか分からないのは当然だから、汲み取るようにして聞くべきなのだろう。しかし、この件は俺には分からないことなのだと勘で気付いた。
「嗣虎……聞いて。もしも嗣虎がこれからを当たり前に過ごせるのなら、それはとてつもない異常。何も変わらない人はいない世界。世界は変わるべき存在だから」
「あ、ああ……?」
「明日死ぬ人間が、死なずに百年生きることと同じ」
「……?」
「おかしくない人がおかしい所だから、嗣虎は狂うべきが正しい」
「ちょ、フリアエ。さっぱり話が見えない。もうちょっと分かりやすく言ってくれ」
「……この話し方では明確な答えを隠しながらの意思伝達は難しい。それに話し方を変えると必ず嗣虎は疑ってくる。だから一言で済ます」
「フリアエ?」
「この世界には我々ゴッドシリーズを越える神が居る」
そう言うと、フリアエは俺の背中を押した。まるで出て行ってほしいかのようにするので、俺は立ち上がる。
フリアエから何を言われているのか分からないが、きっと混乱しているのだろう。混乱と言っても些細なものだが。
そして玄関のドアノブに手をかざす時、フリアエが最後に言った。
「記憶力は既に修復してある。ただし、記憶は必要のないものだけ消してある」
どういうことなのか、くどいが分からない。しかしフリアエがそうしたというのなら、それは善意のことである。
「ありがとな」
俺は部屋を出た。
「あれ? 俺ってなんでフリアエの所に居たんだったかな」
声に出てしまうほどの疑問が浮かんだ。
入学式を終えて、誰かにフリアエとの時間を作るのを提案され、それで部屋へ遊びに行ったのではなかったか。
違和感があるがしっくりくる。フリアエと出掛けるなんて考えられないし。
今度誘おう。いや、ゴッドシリーズだから不味いか……?
すぐ隣の俺の部屋の前に着くと、ポケットから鍵を取り出そうとしたが入っていなかった。
仕方なく扉をノックして中の人に呼び掛ける。
「おーい、開けてくれー」
「はーい」
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俺のパートナーの声はどこか子供のようなものが混ざっていて、変に落ち着いた所がある特殊なものだ。だが中から聞こえるのは、なんというのかな、可愛いとか綺麗とかとはちょっと違う、個性があって個人的に好きな声だ。
待て待て待て、開けるんじゃない。この中にいる『人』は間違いなく俺がフリアエを蔑ろにしてしまうほどの人物だ。
知っているのだこの声は。忘れることなどありえない。
やがて扉は開かれると、中からは少女が出てきた。
癖っ毛一つないさらっとした黄金色の長く綺麗な髪に、多くの宝石の中から選別された最高級のルビーを埋め込んだような赤い瞳。
触れる前から指先が勝手に触ったように感じてしまうほどの美しい白肌と、どれだけ磨けども到達出来ないであろう神のプロポーション。
胸の奥底にあった後悔みたいな暗いものは吹き飛び、驚きが全てを支配した。
「ピュセルじゃないか! なんでここ──」
「しー! なに言ってんの!」
声を張り上げる俺に対し、ラ・ピュセルは小声で俺を制止した。
青ざめた表情で俺を部屋に入れると、嘆息する。
「私が『バリュー』のミーザだってバレたらどうすんのよ古代さん。ちゃんと皐って呼んでくれないと……」
前と一切変わらない困ったような表情になり、心配気に言う。
あー……パートナーってピュセルだったか? 覚えてないな。
けれど何だか緋苗とかいう女の子だった気がする。てか緋苗だった。
緋苗って誰か分からないけれど。
いや緋苗は緋苗だ。緋色の髪に不気味な肌色をした瞳。カーキ色のストッキングをしてたりして手に火傷を負ってそうで負っていない年上の少女。
て、緋苗はどこだ?
「あ、古代さん、この際言っておくけどさ!」
「なんだ?」
「私はあんたにしかパートナーにならないから! もしあの時自分に自信がなくて選ばなかったとしたら、私自殺してたから良かったね」
「……あ、ああ。すまなかった」
「ん、冗談だって」
心が痛んだ俺にピュセルは笑顔を向ける。
……きっと本気で自殺してたんだろうな。こいつ、俺にしか好意持ってなかったし。
フリアエ、死ぬなよ。
ところで緋苗はどうなった?
「にしてもなんだか丸くなったじゃん。焦りは消えた?」
「……え?」
性格のことだろうか? 俺、そんなに変わったか?
「うん。古代さんは常に期待されていたって聞いたよ。それが気持ち悪くて荒くなってしまったって泣いてたし。解決できた?」
「出来る訳ないじゃないか」
「どうして?」
「期待なんかされた覚えねぇよ」
……表情が固まっている。何かに気付いたのか、自分の髪を弄った。
「可哀想……。けれど、あんたも私が好きな人なんだろうね」
嬉しそうな、そして悲しそうな。複雑な心を顔に現して、俺の頭を撫でた。
俺も何となく感づいた。
ここは俺が見たいように見れるファンタジーなのだと。
───
朝。
カーテン越しに窓から差し込む太陽の光が目に入っていたため目覚ましなしに起きる。
隣で寝ていたはずの皐は既にそこにはおらず、台所に立っていた。
まさか皐が料理なんてするわけがない。あの皐だぞ? きっとメシマズだ。
ということでふらつきながら立ち上がり、皐の隣に立った。
「もうすぐ出来るからねー古代さん」
「……」
そこにはありえない光景があった。
なんと、チャーハンを作っていたのだ。フライパンから匂う美味しそうなチャーハンは俺の胃袋を鳴らし、皐の口角を上げさせた。
「ふふぅん? 食べたいんだぁ?」
「……ぐぐぅ」
「ま、特別に半分あげるけれどあんたの何かの半分を頂くよ」
「待て、無茶な要求かますんじゃないだろうな?」
「よし決めた!」
「て、早いぞ!」
「古代さんの朝食半分頂いちゃおうかな~」
「俺が物足りないだろうが!」
そう言って、フライパンの中身を台所の上に用意された二皿へ移した。
片方大盛り、片方お子様盛り。
このお子様盛りが俺だとするとちょいとイラッ☆とするなぁ。
皐はいつの間にか用意されていた台に運ぶと、ちゃっちゃかと二人分の準備を一人で終わらせた。
優秀すぎる。
俺は皿の前に座り、用意された匙を持ってチャーハンを口の中に入れた。
「古代さん! いただきますって言わないと駄目じゃない!」
「そんな古臭いのは忘れたぜ」
意地悪な皐に礼を言う訳にはいかない。でなければ、食に関しては皐よりも劣るということになりそうだからだ。
皐の顔はムスッとし、肘をついてそのまま食べ始めた。
味の方は……ほうほう、丁寧過ぎて料理店で物を食べている気分だ。皐って美味しさにこだわる性格なんだろうな。
緋苗の場合は楽しさにこだわる性格だ。食事を楽しいものにしようと頑張っているのだ。
……もしかすると、緋苗と皐は真逆の存在なのかもしれない。
扉を叩く音がした。誰かがここに来たらしい。
俺が出ようかと腰を浮かすが皐が素早く対応に向かった。
扉を開いた先にはフリアエが居た。皐とフリアエは初対面なのか、両者呆気な顔だ。
最初に口を動かしたのは皐である。
「あなたはだれ? 古代さんのお知り合いですか?」
『ですか』って……丁寧語使えたんだな。
物腰柔らかに質問されたフリアエは、何故か頬を少し赤らめて照れがちに答える。
「わ、わたしはアレクトー・ウラノス・エウメニデス。嗣虎からはフリアエと呼ばれて……います」
なんと、フリアエも丁寧語を使った。
フリアエがそんな言葉遣いをしてしまったら今まで積み上げられてきたフリアエ像が崩壊してしまう!
「だったらあんたのことはフリアエさんと呼べばいいですか?」
いや、なんで丁寧な口調なのにあんたとか使ってんだよ……。
「そ、そんな! わたしのことなど呼び捨てにしてくださっていいです!」
フリアエがすごく可愛い。ずるいぞ皐。
「じゃあフリアエって呼びますね。私の名前は皐、好きなように呼んでください」
「は、はい、お姉様」
ん?
なんて言ったこの女の子?
皐は当然戸惑っているようで、戸惑いのミーザと呼ぶに相応しいほどあわあわしていた。
「お、おおおお姉様だなんてとんでもありません! 義妹にだって呼び捨てにされてたのにどうしたらいいのか……!?」
「いえ! 至って真剣です! わたしは人を見る目は誰よりも優れている自信があります! 今まで出会ってきた中で皐さんのような、まるでわたしが理想としていたような先輩と出会えるなんて奇跡のようです! 是非、わたしにお姉様と呼ばせてもらう許可をく、くだひゃい!」
フリアエは目を煌めかせて、赤面して噛みながら皐に迫った。
あぁぁぁぁぁぁぁりえない! 皐のような生意気で礼儀知らずの悪ガキにフリアエが憧れているなんて! 俺の中のフリアエはもっとミステリアスなんだ!
しかし想いは届かないらしく、その呼び方は決まってしまう。
「と、とりあえず了解しました。拒否をするほどのことではないのでフリアエがそう呼びたいのであれば好きにして構いません。ただし私は『人』と関わる機会が少なかったので、嫌なところがありましたらすぐに教えてくださると助かります」
いきなり一度も聞いたことがない皐の流暢な言葉遣いに驚きを隠せないが、それを聞いたフリアエは目の端に涙を溜めていた。
「……わたしのこと『人』として見てくれている……」
一人呟くと、涙は一筋に流れ、幸せそうな表情をする。
よく分からないが、フリアエに三人目の仲良しが出来たようだ。
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