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第一章 「占拠された花園」
五章 まとめ
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「んぅー!」
「……」
「んんぅー!」
「……」
「んんんぅー──疲れました。お駄賃くださいな♪」
今日は晴天、駆けっこにはうってつけの爽快な昼の時間。
道端のベンチに一人座るエリニュスは、散々背伸びをすると唇に人差し指を付けた。
「駄目だ、お前はフリアエじゃない」
本当は甘えるエリニュスにフリアエと同等の感情を内心抱いてしまっていることにショックを受けている。どう見てもフリアエではないのだが、恋人のように接してくるのでついついそのようにしてしまいそうになる
なにもしない俺に、エリニュスはフリアエらしからぬ、ぷくーと頬を膨らませることによって拗ねていますアピールをしてきた。
「酷いです、嗣虎さん。嗣虎さんのわたしとアイザへの好意は全てフリアエに行ってて無理ゲーだってんです」
……確かにそうだ。俺がフリアエを好きになる要因は、多重人格という事実を含めればフリアエだけのものにするわけにはいかない。
一つ、初対面の時のアイザを純粋に可愛いと思った点。
二つ、無言の後に、喋り始めてから今までのフリアエを魅力的に思った点。
三つ、入学式の壇上でエリニュスがわざわざ俺に向けて可愛い挨拶を行った点。振り返るとこいつはふざけていた。
……う、うーん。エリニュスに対してそんなに好きになるというものが見つからないぞ……?
けれど、こいつはこいつで二度と彼女にできないと条件をつけようとすると、胸の中にぽっかりと空洞ができる。
──ま、うむ、嫌いではないのである。
「あは、嗣虎さん? わたしのかっこいい嗣虎さーん♪」
「な、なんだよ」
どうにかしてエリニュスを好きになろうとしている途中、こいつは態度を変えた。
ぶらぶらさせていた足をベンチに乗せて女の子座りし、股を開いてその間に両手を付け、上目で俺に色目を使う。
フリアエが絶対にしないであろう、眼豹のポーズの半分くらいの態勢で、美しさを完全排除した可愛さと色っぽさを全力で醸し出す。
フリアエの体でしているくせに、エリニュスにしか見えないという珍百景である。写真にしたいなぁ。
……そして気付いてしまった。俺は綺麗な少女や可愛い少女が好みだ。ああ、思春期の男ならそう思うだろ? でさ、こいつあんまりにもエロカワイイせいでとある行動をしてしまえば理性の枷が外れてしまうんだ。
細い首とジルダシリーズと同等の可愛らしい小顔、これで分かるよな?
「嗣虎さんのキスが欲しいにゃー♪」
「ぐぐ」
「嗣虎さんの唾液がすすりたいにゃー♪」
「ぐぐぅ」
「……嗣虎さんの温もりを感じたい……にゃー?」
そして訪れた、俺の危惧していた出来事。
心のどこかで待ち望んでいたサービスシーン。
最強、ただ最高。
わざとらしさの欠片もない、それはもう完璧な、これ以上の傑作など見つからない、──小首の傾げ方だった。
「し、仕方がないな……。じっとしてろよ……」
「めちゃくちゃにしてにゃ♪」
「……ンゴクッ」
「にゃー……?」
「はぁ……はぁ……」
「にゃー♪」
あまりの興奮で完全不審者の俺に、嫌な顔一つせず可愛い笑顔を俺だけに振り撒く。どうしてもキスしてはいけない理由があったはずなのだが、どうやら忘れてしまっているようだ。
握るにはあまりに小さいエリニュスの肩に手を置き、エリニュスの美顔を直視する。
……ハァ……ハァ。
「にゃー……、何だかおむねが寂しいにゃ。大きな男の手で埋めたいにゃー……?」
「待ってろよ……にぎにぎしてやる……」
「みゃあ」
「はぁはぁはぁはぁはぁ……」
「──え、えっちぃですっ!」
と、その時、嗣虎でもエリニュスでもない。この場を終わらせる者が声をあげた。
俺は正気に戻り声の方向を見ようと振り向こうと──したがエリニュスに首を固定され、唇が控え目に塞がれた。
甘い。口の中が甘さで満たされる。
Fooooooooooo!
「きゃあああああああ!」
俺達の確定的なキスを見てしまったある少女は悲鳴をあげた。
破廉恥、そうとしか見えない。
エリニュスはフリアエの時よりも顔を真っ赤にして、唇をそっと離す。
「くすくす、大変ですね、嗣虎さん」
……エロい。やはりエリニュスはエリニュス、フリアエとは全く違う感覚がする。
この感情は初めてだ。これが『萌え』というやつなのか……!?
まあ、多分違うだろうけれど。
「はう、あうあうあう……」
悲鳴の少女に顔を向けて、俺はどうしたものかと思考する。
彼女はクリームヒルト。フリアエより可愛いのが特徴である。嘘である。
俺達はジルダの店の中のミーザ一人を連れ、エリニュスの向かう場所へ三人で二〇分歩いた。エリニュスが疲れて今は休んでいる。
その場所は、エリニュスによれば買い手の人が居るところと説明したが、それを良く呑み込めなかった。
で、ジルダのミーザは赤くなって口をあわあわしているのが現状な訳だが。
「すまない、見苦しいものを。そろそろ行こうか」
「いえ全然、私なら、平気ででですから」
噛んでいる。
エリニュスの方へ戻すと、エリニュスは髪をいじりはじめ、何故かつまらなそうな顔をして俯いてしまった。
「どうした、エリニュス」
「……わたし、嗣虎さんともっとイチャイチャしたいです」
「しただろ」
「足りません。わたしとキスするくらいなら、フリアエと同じくらいにキスしてくれないと不公平だってんです!」
「いや、仕事が先だと思うぞ」
「わたしのこのわがままボディを見てそう言ってられますかね?」
そう甘い声で言うと、躊躇なく襟のリボンをしゅるる~と外し、人差し指と親指で摘まんでベンチにぱっと落とす。
余談だが、フリアエやエリニュス、加えてアイザも本筋から外れたことに関してはいつも全力だな。まるで試験勉強の際の一休みに半分以上を注ぎ込んでいる気分になる。
エリニュスは色づいた目をしながらシャツの第一ボタン、第二ボタン、と、下着が見えないくらいまで外してしまうと、少し前屈みになって俺を見上げる。
ああ、分かっている。谷間だ。エリニュスの胸が狭苦しそうに収められていながら、白肌の効果で極端なエロさを感じず、果ては神乳と表しても良い巨乳とは少し違う特殊装備なせいで俺の中の少年心が流血沙汰のポリスメン関与状態だ。
普通、あれを見る男の大半が眼福に浸り、触ろうなどとは露にも思わぬだろう。しかし、そうではない。フリアエ自体はこういう色事には凄くガードが堅く、無駄に肌を露出する事が無いのだ。
俺の通う高校はミニスカートではない。もう一度言う、ミニスカートではない! これは学校の規則に則り、スカートを巻いた者はお行儀の悪い子となり、公認されたことではないのだ!
つまりフリアエはガードが堅いからこそ、規則でミニスカートを履くという言い訳が一切無く、彼女にエロさは求められないのである!
だがエリニュスはどうだろうか!? 二の腕の肌、太ももの肌でも最高の高男点が入るにも関わらず、胸って……(笑)
間違い無く俺の理性は崩壊するに決まっているじゃないか。
「ひ、卑怯だぞ……!」
「ふふ、ちらっ」
「ぐぐぉ……!?」
まあ悪ふざけではあるが、どうか付き合って欲しい。
──エリニュスのこの男の成分皆無である女体が俺の意識を獣の如き凶暴さで破壊する。俺はこういうのには滅法弱く、温泉で女風呂があれば覗こうと努力する立派な日本男児だ。例え血の繋がった姉や妹がこんなことをしたとして、興奮しない男ではない。
エリニュスの用件は俺とのイチャイチャ。エリニュスが自ら出向いたお手伝いの最中、奴は俺のキスをご所望だ。
確かに幸せだよね。だってそれが幸せだから。
しかしフリアエとは別人格の少女。フリアエの体をしながらもエリニュスな彼女に恋人としてのキスはやれないだろう。
俺が恋人になったのはフリアエだからだ。
でもなぁ、なんかなぁ、エリニュスのこと人格的に好みなんだよなぁ。
なんつーかさ、フリアエは愛を深めて人生に色をつけようとしているが、エリニュスは根拠のない信頼を預けて楽しくやろうとしてんだよな。困ったわ、どっちも好きになれるわ。
これをどうにかして一人に絞らなければならない。それは数年も掛かりそうな感じなのだが。
ということでキスをすることにした。
「エリニュス!」
「なんですかぁ? 嗣虎さん♪」
「俺は……俺は獣になる!」
「えっちぃです!」
と、ここでまたクリームヒルトの制止が入り、振り出しに戻るという訳である。
可愛い可愛いエリニュスは別に不機嫌そうにはならなく、大分スッキリしたような表情をしてベンチから離れた。
「そろそろ行きましょうか。疲れは大分取れました」
外していたボタンを留めて、置いてあるリボンを再び襟に結ぶ。
俺は残念な気持ちで満たされながらエリニュスの準備を待った。
「あの、古代様……」
「ん、クリームヒルト、どうした?」
「私、本当にこれから母になるんですよね……」
クリームヒルトは不安を隠せずそう言ってきた。俺が何か励まさねばならぬだろう。だがどう励ませば良いのか知らない。
「なんで俺に訊くんだ?」
俺の問いに若干戸惑う。
「その、古代様のお兄様方はジルダシリーズと関わりが深い……という話が聞こえましたので、どんな様子なのかな……と思ったんですけど……」
「酷いよ」
俺は極めて真面目に答えた。
「俺の兄は一人を愛さない。複数のミーザと、たまに人間を混ぜて欲望のまま生きている。欲望を剥き出しで生きられる世界だからな、今の時代は。飽きた女は孕ませて、子供を産ませて、子育てさせて、結構不自由は無いけれど、自由が無いな」
それに対してびくびくと震えるクリームヒルト。こんなに怖がりなジルダシリーズは久し振りに見た。
暴力的な兄の嫁だったのだけれども。
「私に、拒否権はありますか?」
「男と付き合うことでか?」
「はい。あ、駄目ですよね、居場所はそこにしかないんだから」
「……」
「こういうことなら、図々しいですけど、古代様とお付き合いしてみたかったです。古代様なら、誠実なお付き合いが出来て……きっと楽しかったと思いますから」
「……違うな」
「……何がですか?」
「お前が俺と付き合うとしたら、最高に幸福なカップルだったと思うぜ」
「自信がおありなんですか?」
ここまで、実は何も考えずに言っていた。口が勝手にそう動いていたのだ。
どうしてだろうか、何だかクリームヒルトとなら幸せな生活を歩めそう。
こんな気持ちそうそう持たないのに、さっきエリニュスとキスしたばかりなのに、もっと関わりたい、話し合いたいと思っている。
……惹かれているのだ、クリームヒルトの僅かな違和感に。
「……きっと、何とかなんじゃねぇかなぁ……」
「へぇ、古代様はとても良い趣味をしてるんですね」
「どういうことだ?」
「半分くらいは気付いているんじゃないのかな、勘が良さそうだから。クスクス」
別人みたいな笑みを浮かべるクリームヒルトにさらなる違和感を感じる。
気付いている部分と言ったなら、ジルダシリーズのようには見えないくらいか。ジルダと比べてクリームヒルトは自らの役目を全うしようとするような雰囲気を感じられない。
ジルダシリーズならば、別に他人のキスにどぎまぎしないだろうし。
あ、ということは、この女ジルダシリーズじゃないぞ。
「クリームヒルト、本当にジルダシリーズなんだろうな?」
俺の探りに対し、クリームヒルトは緊張感無く「よっ!」と右手から紫の光を放って白い布を出現させた。
「古代様は随分と寄り道が好きなんだね。本来の物語とは違う結末へ向かって……収集が着かなくても知らないよ?」
その言葉の意味は何を伝えたいのか、俺には分からない。クリームヒルトの見える世界とあまりにも違うせいで、付いていけないのだ。
エリニュスはまだボタンを付けるのに時間が掛かっている。
……掛かりすぎやしないか?
「古代様、とりあえず進むべき道を渡ってしまいましょう。私も手伝うから」
手に持つ白い布を宙へ放ると、それは無限に分裂し、広がり、世界が白で塗りつぶされる。
急な事なのでどういうことなのか理解出来ないまま、何だか意識が無くなっていった。
───
茶の美味しさは細かくは分からない。しかし、甘ければ美味しいということは身にしみて分かっている。
ということで白火の用意したレモンティーに鞄から自前の砂糖を大量投下した。
「……中で固まってますよ! どうしてくれますか!」
「んぅ~。美味ですね」
「もう歳何ですからそういう子供っぽい所どうかと思います!」
「ぐっ……」
言われた通り、こんなことをするのは非常識だ。
だが私の心の中では誇りである。
それに関しては何も言い返さず、別の話題に移る。
「ところで、白火は今まで何をしていましたか? ミーザ革命後から姿を見せませんでしたよね」
すると、私は驚くことになる。白火は素朴過ぎる表情になった。素朴というのはどこかしら足りない感じの、白火たらしめる要素が抜けたような別人の顔だ。
私の目を見ていたスカーレットの瞳を下げ、ぶつぶつと話す。
「色々ありました……。私達の造り主が、ただの人間な訳が無く、それに関わる強大な存在の仲間入りをしまして。きっと、あなたにもそれが来ます」
間を置く。
「……嫌なのは分かっていますよ。でも、約三五〇年前から会っていないんですから、どうしても知りたい私の気持ちは、分かってくれますよね?」
そうですね、と白火は返事を返すと近くに置いてあるノートとペンを机の上に置いた。
ノートに『和和切占七』という変な漢字を書くと、それを丸で囲む。
「これは?」
「和和切占七という名前です。この世の全ては三人の内一人、この人を中心として動いています。『和和切占七』の法則がありまして、この名前に含まれる字が入った人は、和和切占七の生まれ変わりである可能性が高いのです」
「……それが、どうしたのですか?」
「私達の作り主、確かにこの名前の字は入っていません。しかし、誕生日が一〇月七日……占七に当てはまります」
「……」
「『古代嗣虎』、占と七が入っています。雰囲気がとてもあの方に似てたはずですよ」
「たまたま被っているだけではないんでしょうか」
狭い部屋、白火の部屋の中、白火は畳に寝転がる。
「魂、入れました」
「魂?」
「無限の資源を生み出すエターナル・アトム。エターナルと呼んでいますが、それが古代嗣虎の中に埋め込まれています。そのことに気付いた生物は勿論それを手に入れようと彼を襲うでしょうが、私の仲間がさせていないだけです。今では四人の仲間が集まりました。残り枠は一六人、あなたが入ることは確定です」
……話が分かった。白火は既に白火ではないのだ。彼女の行動の意味は間違いなく嗣虎くんとの接触で、守ること。いつでも守れるように嗣虎くんの部屋の近くに住んでいるという訳である。
恐らく彼女の仲間というのは私の想像の付かない存在であるはず。白火は嘘を言うのが苦手だから、こんなペラペラと嘘は言えない、本当のことなのだろう。であれば、魂を入れる入れないが出来る仲間が居るというのを認めなければならなく、軽々と私を越える存在が居てしまっているのだ。
「白火は、諦めたんですか、抵抗を」
「いえ。私が自ら仲間になりました。手に入れられる力は理不尽です。決して挑んではならない人物になるのが条件です」
「……もしかして、わざと教えているんですか?」
「はい」
「聞いてしまうと仲間にならなくてはならない、そういうことですよね」
「……あなたならきっと逃げられる。私からも、他の誰からも。ですがあなたならきっと私達のもとへ来ます……絶対に」
心地の良い会話だった。白火の優しさに直で触れているように感じる程、穏やかな一時だったのだ。
「私は帰りますよ。嗣虎くんを迎える準備をしないといけないですから」
「古代嗣虎は緋苗という女を一番大切にしています。分かっているとは思いますが」
「老いぼれを愛する者にはなれません。では」
座布団から立ち上がり、玄関へ向かう。これ以上話し掛けられなかったが、鋭い視線は背筋を凍らせる程に強い。
だが、私は変わるつもりはない。私は私、あちらはあちら。こちらの人生を彩るのは私だ。
去り際は嫌に静かになった。
───
かなり昔のこと、私と白火は姉妹としてこの世界に誕生した。その他にも四人の姉妹がおり、行方は知れない。
その中で私に宿った能力は本当に使い道のない、人を傷付けるくだらないものだ。 もしもの時も何もない、一生使わなくていい。
だから私はどんな生き物でも好きになる人間になることにした。きっと私はこの世のゴミに違いない、ゴミならば誰でも助けるのが当然だ。一切の差別無く、全てが悲しく見え、無条件に助けたくなる。これが私のあるべき姿だと思う。
悲しいとは思わないでね、私。嫌になればいつでも抜け出せるのだから。
気付けば自分の部屋の中に居た私は、震える右手を畳に打ち付けて立ち上がり、これからしようとしていた馬鹿な行動を健全な行動へ変更させた。
着ていた制服を素早く脱ぎ、一般のよりは小さいクローゼットを開いてそれをしまい、嗣虎くんと初めてこの寮にやってきたときの服を取り出す。
バリューが取り寄せた高級な服だ。バリューは選定を受けたミーザに服を持たせる。これは内なる心を最大限に表現した、人間の皮の部分と表すとよく分かるだろう。
赤のカーディガンに黒のツーピース。これが意味するのは強き意志である。
さっさとそれを着た後、不安を感じ始めた。汚らわしい私がこれを着ているのだと考えてしまうと寒気がする。いや、間違いなく汚らわしいのだが、考えては駄目なのだ。長く生きるというのは、センタクが出来なくなるほどズタボロになるのが定めなのだから。
逃げたい、生きることから逃げてしまいたい。自分を慰めてしまいそうになるくらいなら、死んでしまった方がいい。白火の仲間になればこの気持ちは救われるのだろう。しかし、私の物語は再び始まっている。嗣虎くんが立派になるまでは、パートナーとして生きていなければならない。
そう、嗣虎くんがいるから生きなければならない。今度はそれを軸にすれば良いだけのことなのだ。
もう出る。一人になってはいけないと感じた。
スリッパを履いて扉を開いた。当然ながら誰もいない。扉に鍵を閉めて木床を歩いていき、寮の玄関を目指す。
どこにも行こうと思わないが、外に出てみたい。想定外な出来事を楽しみに行くのだ。
そこに着いたなら、ロッカーから自分の靴を取り出してスリッパを替わりに入れ、外に出る。
空は晴天で、雨降ることなど想像の範囲外だ。財布の入った片方のポケット以外軽やかで踊るように歩き、縛られない自由と、縛られない不安を同時に楽しむ。
何もすることがないのである。いや、しなくても良いのだ。それだとつまらないからこそ、今がとても楽しいものとなる。
頭を空にして鼻歌もする。音楽には興味がないから即興で適当に歌って、人生を楽しんでいる少女を演出した。
学校側から離れると他人が視界に入る。それがいやに細っこい顔ばかりなので空想に広がる夢の島にヒビが入り、テンションは錆び付いた鉛のように徐々に濁り始める。
「……」
「……」
「……」
汚れだらけな廃墟の家の前に座り、何の感情も無い視線を向ける髭を長く伸ばした老人。
道端にダンボールを敷いて座りながらただ前を見ている、頬肉が無いのではないかと思う程に痩せている男。
それに目出し帽を被って家の窓から入ろうとしている人。
興味が無く、知りたいとも思わないこの光景が嫌でも目に入り、笑顔を作ることが馬鹿らしくなる。
楽しくない物語だ。
私は目出し帽の人の所へ歩いていき、中を確認しているところを肩に手をおいて止める。
振り向いたその人の目は生気をよく感じられなく、高ぶった気持ちを一瞬で冷やしてしまいそうな静けさを生む。
「……それだけは駄目ですよ」
「離せ。俺にはやらなければならないことがある」
力を入れていない私の手を抜けて、鍵の掛かった窓を拳で割ると、さっと中へ入った。
瞬間、銃弾の発射される音が響き、まだ知らない不愉快さを感じる。
もはやここに用はない。することすらない。
私の周りが薄い光を放ち、目出し帽の人に向けて光の橋が架かる。それは数秒だけ輝いた後、元々そんなことがなかったように一瞬で消えた。
救い、見つかりはしない。
───
『アレクトー・ウラノス・エリニュスというゴッドシリーズの特徴は高過ぎる知能です。これを極限も極限、ひたすらに高めていくことによって新たなる境地へとたどり着きました。
我々が目指すのは世界平和。崩壊世界の今を立て直すには、ミーザのような強化に無限の可能性がある人造人間が必要です。
アレクトーの知能は理不尽な自然災害の防止にとても役立ちますし、常にどこでも犯罪者の特定が出来ます。この犯罪者の特定は各学校にある平和部にて大いに活躍することでしょう。
今は一体のみですが、これから量産化へ向けて研究を進めています』
『それはファーストミーザの知能を越えるのか?』
『……は? アレクトーはファーストミーザとは別ベクトルで最高傑作です。蟻の声が聞こえたとしても、それが何の意味を持つのか知っているのがアレクトーなのです。大体あの奇跡とまで呼ばれるファーストミーザを越すことなど、『ファイブセブン』が再びこの世に生まれないかぎりあり得ないでしょうもの。しかもその本体が行方不明とあっては研究すら進められません』
冷静さを感じる女の声と、どこか怒っているように感じる男の声が聞こえていた。
場所は──ミーザのゼウス『君』が職場としている電気のタンクの中。そこは家にあるような、自分という存在を溶け込ませた感じの普通の部屋のようで、一カ所だけ鋼色がくっきり出ている何かのスペースがあり、恐らくそこから電気を流し込んでタンクに溜めるのだろう。
わたしは知識として知っていた。ファーストミーザというのはミーザ革命を起こしたエンドシリーズのことを指し、その中の『平和』を強く訴えた一人のミーザを言う。全てを理解し、天才的な対処によって人造人間を認めさせた。いや、高性能だろうか。
確か、この時のわたしはママと一緒にゼウス君とお話をしにきたのだ。何も難しくない、少しのお勉強と、たくさんの会話をするだけ。遊んでいるだけだ。
正直、ゼウス君は嫌いだ。隙あらばわたしに触れてくるし、ババア呼ばわりされる。わたしのどこが老けているというのか。
『このババアが最高傑作ねぇ? オレよりは越せないくせに』
『……』
わたしは喋らない。ママにしか喋る気にならない。
ママはわたしを守ってくれると思ったけれど、ゼウス君の言葉に何も言い返さず、別のことを思考しているようだった。
『なあ母さん。アンドロイドって本当に感情はあるのかな? 人類の減少で職場の空いた部分を埋めてくれる純機械のアンドロイドさ。あいつらってオレ達にとって気持ちのいい言葉だけを吐いているんじゃない?』
『アンドロイドは人間と同じ脳を持ちません。なので人間とは言えないのです。しかし、人間と同じこと、それ以上も出来ることを私は考えて、人工知能も悪くないとは思います』
アンドロイドは機械人間のことだ。ミーザとアンドロイドは一緒ではない。
ママは単純な人だから、アンドロイドに対しても、ミーザに対しても複雑な想いはない。それが有益であるかどうかにしか興味がない。
感情論の話は無駄だ。
『ババアはどうよ。って、喋る訳ないか、ババアだから歯が全部抜けちまったんだろうし』
『……』
『お、睨むか。その睨むしか出来ない威嚇した猫みたいな顔、可愛いな。首を絞めてみたい』
『……!』
ゼウス君が紺色の木椅子から立ち上がり、わたしに近付いてきた。
ママは知っているはずだ。わたしが何故喋りたくないのか。それを無視するというのか。
『ゼウス。壊さないようにお願いします。貴重な体なのです』
『分かってる。泣き顔を見たらやめるさ』
ママは、どうやらわたしの管理人という理由で私自身の問題はママが目を伏せることによって無くすつもりのようだ。逆らえないとかではない、面倒なものを避けているのだ。
一方ゼウス君はわたしをとことんいじめるつもりらしい。心を読むまでもない。
『ふん、いい出来だな、その顔』
『……』
『歪ませてやる』
わたしの目隠しをした黒い布を取り外し、目を至近距離で覗く。
『おまえのそのいつも隠している目、見るのは初めてだが中々分かってるじゃないか。その目は変化をする目だ。おまえのような無感情な女が目を変化したとき、人々を魅了する作用を与える。そら、変化するまで観察してやろう』
『……』
『僅か歪むだけか。嫌悪というよりは助けを乞うような、餌が欲しくてお膳の前に座りご主人様を見上げるような汚らしさに似ている。母さんに助けてもらいたいのかな? うぅん?』
『……』
下半身、空気と温度の変化が近付く。ゼウス君の手が下に伸ばされている。
触ろうとしているのは確定だ。わたしが一歩下がれば良いことである。しかし、それは戦うことから逃げること。フリアエのように怒りを持ち続け、常に負けないようにするのがわたしがわたしであるためのプライド。
『逃げないか。が、おまえの顔は今にも泣き出しそうだな。いくら胸の中で強い意志を持っても、体は正直に苦痛を訴えるものだ。震えているな? だがオレはやめるつもりはないぞ』
『……』
『おまえがオレに勝つ方法は、喋ることから始めないとな、ババア』
布越しで確実に触れた大きな指先は的確に芯を避け、円を描くように回る。
『興奮しているな。耳元が赤いぞ。オレが人の目を気にする性格でないことと、監視カメラのないこの部屋を恨むだろう? もっと睨め。泣くなよ? すぐには終わらせたくないからさ』
『……!! ……ぅ』
全てを剥き出しにした感覚がわたしを襲う。わたしはミーザの能力的に敏感になっている。五感が特化しているにも関わらず、アソコをしつこく触れられてはたまったものではない。
駄目だ。物凄く嫌だ。やれば誰でも感じてしまう自分の体が凄く憎い。彼を殴りたくても倒せない自分の能力が憎い。
涙が止まらなかった。
『涙が流れても、泣き顔じゃあないんだなぁ。泣きながらイってみろよ、ほら、誰も助けてくれないんならいっそさらけ出しちまえよ』
『……ぅぇ、ぅっ……うぅ……はぁ…………ウンン……ッ……ぅぅぅ……』
あれは二年前の嫌な思い出だ。
わたしはそれを繰り返す気にはなれない。
回想はここまでにして、現在の状況は指一本動かせない危機的な状況である。
首元にリボンを結ぼうとしている途中のまま停止し、前方に見える拳銃を構えた男から撃たれないようにしているのだ。
背後で嗣虎が偽のジルダシリーズ、クリームヒルトに幻覚を見せられているのは目、鼻、口、舌、耳、肌の全てがそれぞれ嫌というほど把握出来ている。
最初からこうなると分かっていた。ジルダシリーズの中に一人だけ変なミーザがいるのがすぐに分かった時、何かの陰謀があるのだと。
わたしの能力は公表されているので知能のみ。世界が三つ分入っているような知識と、スーパーコンピューターをそのまま積んだような思考能力と、数万人居てもなお越える情報収集能力が政府の造ったとされる能力なのだ。
身体能力は普通の人間、ここで物理的に勝てる訳がない。
しかしわたしは持っている。政府も知らない秘密の力がある。それをゴッドシリーズが持つのは邪道となるのだが、それはゴッドシリーズとは無関係の力だからである。
「フリアエだかエリニュスだか知らないけど、君はそこを動かないで居てね」
「……」
クリームヒルトの声が耳障りだ。わたしが動けば、恐らくあの男から銃弾が発射されるのだろう。
言葉で精神を壊すか、見せてはならない能力で封じ込めるか、どちらかを選ばなくてはならない時が来た。
穏便に済ますならば能力を使うしかない。しかし……。
「おい、表情がなにやら企んでいるみたいだぜ。動くんじゃねぇぞ」
男が油断なくこちらを警戒する。
決めた。クリームヒルトの精神を壊す。
「クリームヒルトさん、あなたは様々な男との交わりがあるようですね」
「……なんで知ってるの?」
嗣虎への作業を中断させて問うてくる。
「わたし、あなたの本名も知っています。ガブリエル、エンジェルシリーズの一人ですね」
「……」
「さぞ辛かったことでしょう。創り出されてから日々能力測定の毎日で、薬に溺れて苦痛を味わっていました。それが終わり実際に使われた時にはあなたを創り出した職人の息子のパートナーとなった。まあ、最低な男だったのですが」
「君は……全く。これじゃあ生かしておけない、個人的に!」
わたしは彼女の記憶を全て覗いた。全て知っている。
この時彼女が何をするのかも知っている。
首を斜めにして振り返り、既に彼女の手から発射された銃弾を避けながら接近する。懐から取り出したナイフを阻止するために手を引き、彼女の手首目掛けて突きを放つ。
「なっ!?」
男はガブリエルへ誤射しないように撃ちそびれているので無視だ。
驚いている暇などない。わたしは隙のできたガブリエルの腹ど真ん中へ渾身の正拳突きをした。
どうせミーザだ、硬かろう。手首が折れる覚悟は出来ている。
ぐにゅりとぼぎりの二つの音を混ぜ合わせ、ガブリエルは後ろへ吹っ飛んだ。
というか折れた。
「うぐぅ……いたぃ……」
思わず声が出てしまうわたしに対し、ガブリエルは口から胃液を吐いて立ち上がれないでいる。
「こ、このどくされ人形がぁ……!」
「が、ガブリエル! てめぇよくも!」
男がわたしの足へ撃ってくる。それは少し不味いので距離を取るように避ける。
無理だよ。能力を使わないと勝てないよ。
「嗣虎さん! 起きてください! わたし、こういうの勝てないんですよ!?」
「……」
嗣虎は頭上を見つめたまま動かない。脳が一時的な麻痺状態になっている。
知っていてもやらずにはいられない。蛙の王子様を救うのはキスだと知った時はロマンチックで胸がドキドキしたものだ。その時の感覚が胸の中で同じように高まり、やけに走った。
「し、嗣虎さん。目覚めてくださいよね!」
上を向きすぎた首をぼきぼき鳴らしながらわたしの方へ向けさせ、わたしは背伸びをして唇にキスをした。
……。
「無理ですよね、分かってますよ馬鹿!」
「このとち狂い女を殺す! サファイア、銃を向けて!」
「ああ分かってる!」
こんな時、誰かが助けに来ることを願ったことは一度もない。中学生になってから、何も喋らないからと言ってあらゆる酷いいじめを受けても睨むだけしかやり返さなかったこのフリアエは、睨む為ならばどんな必殺技でも生きてみせる自信がある。
シャープペンシルの芯を手の甲の皮の中に入れられても、爪楊枝で腕を何回ぶっさされても、理不尽な暴力を受けても耐えてきた。
しかし嗣虎に銃弾を掠らせる訳にはいかないし、取られる訳にもいかない。嗣虎はわたしにとって王子様、いつまでも隣に居てくれなければ。
……転移する。
「ガブリエル! サファイア! あなた達は命拾いをしましたね!」
「なんだと!」
「嗣虎さんが目覚めない今、わたしはあなた達を殺す手段しか持ち合わせていない! ならばわたしは逃げることにしました!」
「どうやって逃げるというの!?」
「転移だってんです!」
空気中の魔素を時空系のエネルギーに変換させ、わたしと嗣虎に纏わせる。紫色の妙な光が漂えば、後は自身の魂へ直結させるのみ。
「魔法!? 君、もしかしてエルフシリーズ──」
「アリーヴェデルチ!(さよならだ)」
紫から灰色に光が変わり、爆発と共にその時空とはおさらばした。
「……」
「んんぅー!」
「……」
「んんんぅー──疲れました。お駄賃くださいな♪」
今日は晴天、駆けっこにはうってつけの爽快な昼の時間。
道端のベンチに一人座るエリニュスは、散々背伸びをすると唇に人差し指を付けた。
「駄目だ、お前はフリアエじゃない」
本当は甘えるエリニュスにフリアエと同等の感情を内心抱いてしまっていることにショックを受けている。どう見てもフリアエではないのだが、恋人のように接してくるのでついついそのようにしてしまいそうになる
なにもしない俺に、エリニュスはフリアエらしからぬ、ぷくーと頬を膨らませることによって拗ねていますアピールをしてきた。
「酷いです、嗣虎さん。嗣虎さんのわたしとアイザへの好意は全てフリアエに行ってて無理ゲーだってんです」
……確かにそうだ。俺がフリアエを好きになる要因は、多重人格という事実を含めればフリアエだけのものにするわけにはいかない。
一つ、初対面の時のアイザを純粋に可愛いと思った点。
二つ、無言の後に、喋り始めてから今までのフリアエを魅力的に思った点。
三つ、入学式の壇上でエリニュスがわざわざ俺に向けて可愛い挨拶を行った点。振り返るとこいつはふざけていた。
……う、うーん。エリニュスに対してそんなに好きになるというものが見つからないぞ……?
けれど、こいつはこいつで二度と彼女にできないと条件をつけようとすると、胸の中にぽっかりと空洞ができる。
──ま、うむ、嫌いではないのである。
「あは、嗣虎さん? わたしのかっこいい嗣虎さーん♪」
「な、なんだよ」
どうにかしてエリニュスを好きになろうとしている途中、こいつは態度を変えた。
ぶらぶらさせていた足をベンチに乗せて女の子座りし、股を開いてその間に両手を付け、上目で俺に色目を使う。
フリアエが絶対にしないであろう、眼豹のポーズの半分くらいの態勢で、美しさを完全排除した可愛さと色っぽさを全力で醸し出す。
フリアエの体でしているくせに、エリニュスにしか見えないという珍百景である。写真にしたいなぁ。
……そして気付いてしまった。俺は綺麗な少女や可愛い少女が好みだ。ああ、思春期の男ならそう思うだろ? でさ、こいつあんまりにもエロカワイイせいでとある行動をしてしまえば理性の枷が外れてしまうんだ。
細い首とジルダシリーズと同等の可愛らしい小顔、これで分かるよな?
「嗣虎さんのキスが欲しいにゃー♪」
「ぐぐ」
「嗣虎さんの唾液がすすりたいにゃー♪」
「ぐぐぅ」
「……嗣虎さんの温もりを感じたい……にゃー?」
そして訪れた、俺の危惧していた出来事。
心のどこかで待ち望んでいたサービスシーン。
最強、ただ最高。
わざとらしさの欠片もない、それはもう完璧な、これ以上の傑作など見つからない、──小首の傾げ方だった。
「し、仕方がないな……。じっとしてろよ……」
「めちゃくちゃにしてにゃ♪」
「……ンゴクッ」
「にゃー……?」
「はぁ……はぁ……」
「にゃー♪」
あまりの興奮で完全不審者の俺に、嫌な顔一つせず可愛い笑顔を俺だけに振り撒く。どうしてもキスしてはいけない理由があったはずなのだが、どうやら忘れてしまっているようだ。
握るにはあまりに小さいエリニュスの肩に手を置き、エリニュスの美顔を直視する。
……ハァ……ハァ。
「にゃー……、何だかおむねが寂しいにゃ。大きな男の手で埋めたいにゃー……?」
「待ってろよ……にぎにぎしてやる……」
「みゃあ」
「はぁはぁはぁはぁはぁ……」
「──え、えっちぃですっ!」
と、その時、嗣虎でもエリニュスでもない。この場を終わらせる者が声をあげた。
俺は正気に戻り声の方向を見ようと振り向こうと──したがエリニュスに首を固定され、唇が控え目に塞がれた。
甘い。口の中が甘さで満たされる。
Fooooooooooo!
「きゃあああああああ!」
俺達の確定的なキスを見てしまったある少女は悲鳴をあげた。
破廉恥、そうとしか見えない。
エリニュスはフリアエの時よりも顔を真っ赤にして、唇をそっと離す。
「くすくす、大変ですね、嗣虎さん」
……エロい。やはりエリニュスはエリニュス、フリアエとは全く違う感覚がする。
この感情は初めてだ。これが『萌え』というやつなのか……!?
まあ、多分違うだろうけれど。
「はう、あうあうあう……」
悲鳴の少女に顔を向けて、俺はどうしたものかと思考する。
彼女はクリームヒルト。フリアエより可愛いのが特徴である。嘘である。
俺達はジルダの店の中のミーザ一人を連れ、エリニュスの向かう場所へ三人で二〇分歩いた。エリニュスが疲れて今は休んでいる。
その場所は、エリニュスによれば買い手の人が居るところと説明したが、それを良く呑み込めなかった。
で、ジルダのミーザは赤くなって口をあわあわしているのが現状な訳だが。
「すまない、見苦しいものを。そろそろ行こうか」
「いえ全然、私なら、平気ででですから」
噛んでいる。
エリニュスの方へ戻すと、エリニュスは髪をいじりはじめ、何故かつまらなそうな顔をして俯いてしまった。
「どうした、エリニュス」
「……わたし、嗣虎さんともっとイチャイチャしたいです」
「しただろ」
「足りません。わたしとキスするくらいなら、フリアエと同じくらいにキスしてくれないと不公平だってんです!」
「いや、仕事が先だと思うぞ」
「わたしのこのわがままボディを見てそう言ってられますかね?」
そう甘い声で言うと、躊躇なく襟のリボンをしゅるる~と外し、人差し指と親指で摘まんでベンチにぱっと落とす。
余談だが、フリアエやエリニュス、加えてアイザも本筋から外れたことに関してはいつも全力だな。まるで試験勉強の際の一休みに半分以上を注ぎ込んでいる気分になる。
エリニュスは色づいた目をしながらシャツの第一ボタン、第二ボタン、と、下着が見えないくらいまで外してしまうと、少し前屈みになって俺を見上げる。
ああ、分かっている。谷間だ。エリニュスの胸が狭苦しそうに収められていながら、白肌の効果で極端なエロさを感じず、果ては神乳と表しても良い巨乳とは少し違う特殊装備なせいで俺の中の少年心が流血沙汰のポリスメン関与状態だ。
普通、あれを見る男の大半が眼福に浸り、触ろうなどとは露にも思わぬだろう。しかし、そうではない。フリアエ自体はこういう色事には凄くガードが堅く、無駄に肌を露出する事が無いのだ。
俺の通う高校はミニスカートではない。もう一度言う、ミニスカートではない! これは学校の規則に則り、スカートを巻いた者はお行儀の悪い子となり、公認されたことではないのだ!
つまりフリアエはガードが堅いからこそ、規則でミニスカートを履くという言い訳が一切無く、彼女にエロさは求められないのである!
だがエリニュスはどうだろうか!? 二の腕の肌、太ももの肌でも最高の高男点が入るにも関わらず、胸って……(笑)
間違い無く俺の理性は崩壊するに決まっているじゃないか。
「ひ、卑怯だぞ……!」
「ふふ、ちらっ」
「ぐぐぉ……!?」
まあ悪ふざけではあるが、どうか付き合って欲しい。
──エリニュスのこの男の成分皆無である女体が俺の意識を獣の如き凶暴さで破壊する。俺はこういうのには滅法弱く、温泉で女風呂があれば覗こうと努力する立派な日本男児だ。例え血の繋がった姉や妹がこんなことをしたとして、興奮しない男ではない。
エリニュスの用件は俺とのイチャイチャ。エリニュスが自ら出向いたお手伝いの最中、奴は俺のキスをご所望だ。
確かに幸せだよね。だってそれが幸せだから。
しかしフリアエとは別人格の少女。フリアエの体をしながらもエリニュスな彼女に恋人としてのキスはやれないだろう。
俺が恋人になったのはフリアエだからだ。
でもなぁ、なんかなぁ、エリニュスのこと人格的に好みなんだよなぁ。
なんつーかさ、フリアエは愛を深めて人生に色をつけようとしているが、エリニュスは根拠のない信頼を預けて楽しくやろうとしてんだよな。困ったわ、どっちも好きになれるわ。
これをどうにかして一人に絞らなければならない。それは数年も掛かりそうな感じなのだが。
ということでキスをすることにした。
「エリニュス!」
「なんですかぁ? 嗣虎さん♪」
「俺は……俺は獣になる!」
「えっちぃです!」
と、ここでまたクリームヒルトの制止が入り、振り出しに戻るという訳である。
可愛い可愛いエリニュスは別に不機嫌そうにはならなく、大分スッキリしたような表情をしてベンチから離れた。
「そろそろ行きましょうか。疲れは大分取れました」
外していたボタンを留めて、置いてあるリボンを再び襟に結ぶ。
俺は残念な気持ちで満たされながらエリニュスの準備を待った。
「あの、古代様……」
「ん、クリームヒルト、どうした?」
「私、本当にこれから母になるんですよね……」
クリームヒルトは不安を隠せずそう言ってきた。俺が何か励まさねばならぬだろう。だがどう励ませば良いのか知らない。
「なんで俺に訊くんだ?」
俺の問いに若干戸惑う。
「その、古代様のお兄様方はジルダシリーズと関わりが深い……という話が聞こえましたので、どんな様子なのかな……と思ったんですけど……」
「酷いよ」
俺は極めて真面目に答えた。
「俺の兄は一人を愛さない。複数のミーザと、たまに人間を混ぜて欲望のまま生きている。欲望を剥き出しで生きられる世界だからな、今の時代は。飽きた女は孕ませて、子供を産ませて、子育てさせて、結構不自由は無いけれど、自由が無いな」
それに対してびくびくと震えるクリームヒルト。こんなに怖がりなジルダシリーズは久し振りに見た。
暴力的な兄の嫁だったのだけれども。
「私に、拒否権はありますか?」
「男と付き合うことでか?」
「はい。あ、駄目ですよね、居場所はそこにしかないんだから」
「……」
「こういうことなら、図々しいですけど、古代様とお付き合いしてみたかったです。古代様なら、誠実なお付き合いが出来て……きっと楽しかったと思いますから」
「……違うな」
「……何がですか?」
「お前が俺と付き合うとしたら、最高に幸福なカップルだったと思うぜ」
「自信がおありなんですか?」
ここまで、実は何も考えずに言っていた。口が勝手にそう動いていたのだ。
どうしてだろうか、何だかクリームヒルトとなら幸せな生活を歩めそう。
こんな気持ちそうそう持たないのに、さっきエリニュスとキスしたばかりなのに、もっと関わりたい、話し合いたいと思っている。
……惹かれているのだ、クリームヒルトの僅かな違和感に。
「……きっと、何とかなんじゃねぇかなぁ……」
「へぇ、古代様はとても良い趣味をしてるんですね」
「どういうことだ?」
「半分くらいは気付いているんじゃないのかな、勘が良さそうだから。クスクス」
別人みたいな笑みを浮かべるクリームヒルトにさらなる違和感を感じる。
気付いている部分と言ったなら、ジルダシリーズのようには見えないくらいか。ジルダと比べてクリームヒルトは自らの役目を全うしようとするような雰囲気を感じられない。
ジルダシリーズならば、別に他人のキスにどぎまぎしないだろうし。
あ、ということは、この女ジルダシリーズじゃないぞ。
「クリームヒルト、本当にジルダシリーズなんだろうな?」
俺の探りに対し、クリームヒルトは緊張感無く「よっ!」と右手から紫の光を放って白い布を出現させた。
「古代様は随分と寄り道が好きなんだね。本来の物語とは違う結末へ向かって……収集が着かなくても知らないよ?」
その言葉の意味は何を伝えたいのか、俺には分からない。クリームヒルトの見える世界とあまりにも違うせいで、付いていけないのだ。
エリニュスはまだボタンを付けるのに時間が掛かっている。
……掛かりすぎやしないか?
「古代様、とりあえず進むべき道を渡ってしまいましょう。私も手伝うから」
手に持つ白い布を宙へ放ると、それは無限に分裂し、広がり、世界が白で塗りつぶされる。
急な事なのでどういうことなのか理解出来ないまま、何だか意識が無くなっていった。
───
茶の美味しさは細かくは分からない。しかし、甘ければ美味しいということは身にしみて分かっている。
ということで白火の用意したレモンティーに鞄から自前の砂糖を大量投下した。
「……中で固まってますよ! どうしてくれますか!」
「んぅ~。美味ですね」
「もう歳何ですからそういう子供っぽい所どうかと思います!」
「ぐっ……」
言われた通り、こんなことをするのは非常識だ。
だが私の心の中では誇りである。
それに関しては何も言い返さず、別の話題に移る。
「ところで、白火は今まで何をしていましたか? ミーザ革命後から姿を見せませんでしたよね」
すると、私は驚くことになる。白火は素朴過ぎる表情になった。素朴というのはどこかしら足りない感じの、白火たらしめる要素が抜けたような別人の顔だ。
私の目を見ていたスカーレットの瞳を下げ、ぶつぶつと話す。
「色々ありました……。私達の造り主が、ただの人間な訳が無く、それに関わる強大な存在の仲間入りをしまして。きっと、あなたにもそれが来ます」
間を置く。
「……嫌なのは分かっていますよ。でも、約三五〇年前から会っていないんですから、どうしても知りたい私の気持ちは、分かってくれますよね?」
そうですね、と白火は返事を返すと近くに置いてあるノートとペンを机の上に置いた。
ノートに『和和切占七』という変な漢字を書くと、それを丸で囲む。
「これは?」
「和和切占七という名前です。この世の全ては三人の内一人、この人を中心として動いています。『和和切占七』の法則がありまして、この名前に含まれる字が入った人は、和和切占七の生まれ変わりである可能性が高いのです」
「……それが、どうしたのですか?」
「私達の作り主、確かにこの名前の字は入っていません。しかし、誕生日が一〇月七日……占七に当てはまります」
「……」
「『古代嗣虎』、占と七が入っています。雰囲気がとてもあの方に似てたはずですよ」
「たまたま被っているだけではないんでしょうか」
狭い部屋、白火の部屋の中、白火は畳に寝転がる。
「魂、入れました」
「魂?」
「無限の資源を生み出すエターナル・アトム。エターナルと呼んでいますが、それが古代嗣虎の中に埋め込まれています。そのことに気付いた生物は勿論それを手に入れようと彼を襲うでしょうが、私の仲間がさせていないだけです。今では四人の仲間が集まりました。残り枠は一六人、あなたが入ることは確定です」
……話が分かった。白火は既に白火ではないのだ。彼女の行動の意味は間違いなく嗣虎くんとの接触で、守ること。いつでも守れるように嗣虎くんの部屋の近くに住んでいるという訳である。
恐らく彼女の仲間というのは私の想像の付かない存在であるはず。白火は嘘を言うのが苦手だから、こんなペラペラと嘘は言えない、本当のことなのだろう。であれば、魂を入れる入れないが出来る仲間が居るというのを認めなければならなく、軽々と私を越える存在が居てしまっているのだ。
「白火は、諦めたんですか、抵抗を」
「いえ。私が自ら仲間になりました。手に入れられる力は理不尽です。決して挑んではならない人物になるのが条件です」
「……もしかして、わざと教えているんですか?」
「はい」
「聞いてしまうと仲間にならなくてはならない、そういうことですよね」
「……あなたならきっと逃げられる。私からも、他の誰からも。ですがあなたならきっと私達のもとへ来ます……絶対に」
心地の良い会話だった。白火の優しさに直で触れているように感じる程、穏やかな一時だったのだ。
「私は帰りますよ。嗣虎くんを迎える準備をしないといけないですから」
「古代嗣虎は緋苗という女を一番大切にしています。分かっているとは思いますが」
「老いぼれを愛する者にはなれません。では」
座布団から立ち上がり、玄関へ向かう。これ以上話し掛けられなかったが、鋭い視線は背筋を凍らせる程に強い。
だが、私は変わるつもりはない。私は私、あちらはあちら。こちらの人生を彩るのは私だ。
去り際は嫌に静かになった。
───
かなり昔のこと、私と白火は姉妹としてこの世界に誕生した。その他にも四人の姉妹がおり、行方は知れない。
その中で私に宿った能力は本当に使い道のない、人を傷付けるくだらないものだ。 もしもの時も何もない、一生使わなくていい。
だから私はどんな生き物でも好きになる人間になることにした。きっと私はこの世のゴミに違いない、ゴミならば誰でも助けるのが当然だ。一切の差別無く、全てが悲しく見え、無条件に助けたくなる。これが私のあるべき姿だと思う。
悲しいとは思わないでね、私。嫌になればいつでも抜け出せるのだから。
気付けば自分の部屋の中に居た私は、震える右手を畳に打ち付けて立ち上がり、これからしようとしていた馬鹿な行動を健全な行動へ変更させた。
着ていた制服を素早く脱ぎ、一般のよりは小さいクローゼットを開いてそれをしまい、嗣虎くんと初めてこの寮にやってきたときの服を取り出す。
バリューが取り寄せた高級な服だ。バリューは選定を受けたミーザに服を持たせる。これは内なる心を最大限に表現した、人間の皮の部分と表すとよく分かるだろう。
赤のカーディガンに黒のツーピース。これが意味するのは強き意志である。
さっさとそれを着た後、不安を感じ始めた。汚らわしい私がこれを着ているのだと考えてしまうと寒気がする。いや、間違いなく汚らわしいのだが、考えては駄目なのだ。長く生きるというのは、センタクが出来なくなるほどズタボロになるのが定めなのだから。
逃げたい、生きることから逃げてしまいたい。自分を慰めてしまいそうになるくらいなら、死んでしまった方がいい。白火の仲間になればこの気持ちは救われるのだろう。しかし、私の物語は再び始まっている。嗣虎くんが立派になるまでは、パートナーとして生きていなければならない。
そう、嗣虎くんがいるから生きなければならない。今度はそれを軸にすれば良いだけのことなのだ。
もう出る。一人になってはいけないと感じた。
スリッパを履いて扉を開いた。当然ながら誰もいない。扉に鍵を閉めて木床を歩いていき、寮の玄関を目指す。
どこにも行こうと思わないが、外に出てみたい。想定外な出来事を楽しみに行くのだ。
そこに着いたなら、ロッカーから自分の靴を取り出してスリッパを替わりに入れ、外に出る。
空は晴天で、雨降ることなど想像の範囲外だ。財布の入った片方のポケット以外軽やかで踊るように歩き、縛られない自由と、縛られない不安を同時に楽しむ。
何もすることがないのである。いや、しなくても良いのだ。それだとつまらないからこそ、今がとても楽しいものとなる。
頭を空にして鼻歌もする。音楽には興味がないから即興で適当に歌って、人生を楽しんでいる少女を演出した。
学校側から離れると他人が視界に入る。それがいやに細っこい顔ばかりなので空想に広がる夢の島にヒビが入り、テンションは錆び付いた鉛のように徐々に濁り始める。
「……」
「……」
「……」
汚れだらけな廃墟の家の前に座り、何の感情も無い視線を向ける髭を長く伸ばした老人。
道端にダンボールを敷いて座りながらただ前を見ている、頬肉が無いのではないかと思う程に痩せている男。
それに目出し帽を被って家の窓から入ろうとしている人。
興味が無く、知りたいとも思わないこの光景が嫌でも目に入り、笑顔を作ることが馬鹿らしくなる。
楽しくない物語だ。
私は目出し帽の人の所へ歩いていき、中を確認しているところを肩に手をおいて止める。
振り向いたその人の目は生気をよく感じられなく、高ぶった気持ちを一瞬で冷やしてしまいそうな静けさを生む。
「……それだけは駄目ですよ」
「離せ。俺にはやらなければならないことがある」
力を入れていない私の手を抜けて、鍵の掛かった窓を拳で割ると、さっと中へ入った。
瞬間、銃弾の発射される音が響き、まだ知らない不愉快さを感じる。
もはやここに用はない。することすらない。
私の周りが薄い光を放ち、目出し帽の人に向けて光の橋が架かる。それは数秒だけ輝いた後、元々そんなことがなかったように一瞬で消えた。
救い、見つかりはしない。
───
『アレクトー・ウラノス・エリニュスというゴッドシリーズの特徴は高過ぎる知能です。これを極限も極限、ひたすらに高めていくことによって新たなる境地へとたどり着きました。
我々が目指すのは世界平和。崩壊世界の今を立て直すには、ミーザのような強化に無限の可能性がある人造人間が必要です。
アレクトーの知能は理不尽な自然災害の防止にとても役立ちますし、常にどこでも犯罪者の特定が出来ます。この犯罪者の特定は各学校にある平和部にて大いに活躍することでしょう。
今は一体のみですが、これから量産化へ向けて研究を進めています』
『それはファーストミーザの知能を越えるのか?』
『……は? アレクトーはファーストミーザとは別ベクトルで最高傑作です。蟻の声が聞こえたとしても、それが何の意味を持つのか知っているのがアレクトーなのです。大体あの奇跡とまで呼ばれるファーストミーザを越すことなど、『ファイブセブン』が再びこの世に生まれないかぎりあり得ないでしょうもの。しかもその本体が行方不明とあっては研究すら進められません』
冷静さを感じる女の声と、どこか怒っているように感じる男の声が聞こえていた。
場所は──ミーザのゼウス『君』が職場としている電気のタンクの中。そこは家にあるような、自分という存在を溶け込ませた感じの普通の部屋のようで、一カ所だけ鋼色がくっきり出ている何かのスペースがあり、恐らくそこから電気を流し込んでタンクに溜めるのだろう。
わたしは知識として知っていた。ファーストミーザというのはミーザ革命を起こしたエンドシリーズのことを指し、その中の『平和』を強く訴えた一人のミーザを言う。全てを理解し、天才的な対処によって人造人間を認めさせた。いや、高性能だろうか。
確か、この時のわたしはママと一緒にゼウス君とお話をしにきたのだ。何も難しくない、少しのお勉強と、たくさんの会話をするだけ。遊んでいるだけだ。
正直、ゼウス君は嫌いだ。隙あらばわたしに触れてくるし、ババア呼ばわりされる。わたしのどこが老けているというのか。
『このババアが最高傑作ねぇ? オレよりは越せないくせに』
『……』
わたしは喋らない。ママにしか喋る気にならない。
ママはわたしを守ってくれると思ったけれど、ゼウス君の言葉に何も言い返さず、別のことを思考しているようだった。
『なあ母さん。アンドロイドって本当に感情はあるのかな? 人類の減少で職場の空いた部分を埋めてくれる純機械のアンドロイドさ。あいつらってオレ達にとって気持ちのいい言葉だけを吐いているんじゃない?』
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感情論の話は無駄だ。
『ババアはどうよ。って、喋る訳ないか、ババアだから歯が全部抜けちまったんだろうし』
『……』
『お、睨むか。その睨むしか出来ない威嚇した猫みたいな顔、可愛いな。首を絞めてみたい』
『……!』
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『……』
『僅か歪むだけか。嫌悪というよりは助けを乞うような、餌が欲しくてお膳の前に座りご主人様を見上げるような汚らしさに似ている。母さんに助けてもらいたいのかな? うぅん?』
『……』
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『逃げないか。が、おまえの顔は今にも泣き出しそうだな。いくら胸の中で強い意志を持っても、体は正直に苦痛を訴えるものだ。震えているな? だがオレはやめるつもりはないぞ』
『……』
『おまえがオレに勝つ方法は、喋ることから始めないとな、ババア』
布越しで確実に触れた大きな指先は的確に芯を避け、円を描くように回る。
『興奮しているな。耳元が赤いぞ。オレが人の目を気にする性格でないことと、監視カメラのないこの部屋を恨むだろう? もっと睨め。泣くなよ? すぐには終わらせたくないからさ』
『……!! ……ぅ』
全てを剥き出しにした感覚がわたしを襲う。わたしはミーザの能力的に敏感になっている。五感が特化しているにも関わらず、アソコをしつこく触れられてはたまったものではない。
駄目だ。物凄く嫌だ。やれば誰でも感じてしまう自分の体が凄く憎い。彼を殴りたくても倒せない自分の能力が憎い。
涙が止まらなかった。
『涙が流れても、泣き顔じゃあないんだなぁ。泣きながらイってみろよ、ほら、誰も助けてくれないんならいっそさらけ出しちまえよ』
『……ぅぇ、ぅっ……うぅ……はぁ…………ウンン……ッ……ぅぅぅ……』
あれは二年前の嫌な思い出だ。
わたしはそれを繰り返す気にはなれない。
回想はここまでにして、現在の状況は指一本動かせない危機的な状況である。
首元にリボンを結ぼうとしている途中のまま停止し、前方に見える拳銃を構えた男から撃たれないようにしているのだ。
背後で嗣虎が偽のジルダシリーズ、クリームヒルトに幻覚を見せられているのは目、鼻、口、舌、耳、肌の全てがそれぞれ嫌というほど把握出来ている。
最初からこうなると分かっていた。ジルダシリーズの中に一人だけ変なミーザがいるのがすぐに分かった時、何かの陰謀があるのだと。
わたしの能力は公表されているので知能のみ。世界が三つ分入っているような知識と、スーパーコンピューターをそのまま積んだような思考能力と、数万人居てもなお越える情報収集能力が政府の造ったとされる能力なのだ。
身体能力は普通の人間、ここで物理的に勝てる訳がない。
しかしわたしは持っている。政府も知らない秘密の力がある。それをゴッドシリーズが持つのは邪道となるのだが、それはゴッドシリーズとは無関係の力だからである。
「フリアエだかエリニュスだか知らないけど、君はそこを動かないで居てね」
「……」
クリームヒルトの声が耳障りだ。わたしが動けば、恐らくあの男から銃弾が発射されるのだろう。
言葉で精神を壊すか、見せてはならない能力で封じ込めるか、どちらかを選ばなくてはならない時が来た。
穏便に済ますならば能力を使うしかない。しかし……。
「おい、表情がなにやら企んでいるみたいだぜ。動くんじゃねぇぞ」
男が油断なくこちらを警戒する。
決めた。クリームヒルトの精神を壊す。
「クリームヒルトさん、あなたは様々な男との交わりがあるようですね」
「……なんで知ってるの?」
嗣虎への作業を中断させて問うてくる。
「わたし、あなたの本名も知っています。ガブリエル、エンジェルシリーズの一人ですね」
「……」
「さぞ辛かったことでしょう。創り出されてから日々能力測定の毎日で、薬に溺れて苦痛を味わっていました。それが終わり実際に使われた時にはあなたを創り出した職人の息子のパートナーとなった。まあ、最低な男だったのですが」
「君は……全く。これじゃあ生かしておけない、個人的に!」
わたしは彼女の記憶を全て覗いた。全て知っている。
この時彼女が何をするのかも知っている。
首を斜めにして振り返り、既に彼女の手から発射された銃弾を避けながら接近する。懐から取り出したナイフを阻止するために手を引き、彼女の手首目掛けて突きを放つ。
「なっ!?」
男はガブリエルへ誤射しないように撃ちそびれているので無視だ。
驚いている暇などない。わたしは隙のできたガブリエルの腹ど真ん中へ渾身の正拳突きをした。
どうせミーザだ、硬かろう。手首が折れる覚悟は出来ている。
ぐにゅりとぼぎりの二つの音を混ぜ合わせ、ガブリエルは後ろへ吹っ飛んだ。
というか折れた。
「うぐぅ……いたぃ……」
思わず声が出てしまうわたしに対し、ガブリエルは口から胃液を吐いて立ち上がれないでいる。
「こ、このどくされ人形がぁ……!」
「が、ガブリエル! てめぇよくも!」
男がわたしの足へ撃ってくる。それは少し不味いので距離を取るように避ける。
無理だよ。能力を使わないと勝てないよ。
「嗣虎さん! 起きてください! わたし、こういうの勝てないんですよ!?」
「……」
嗣虎は頭上を見つめたまま動かない。脳が一時的な麻痺状態になっている。
知っていてもやらずにはいられない。蛙の王子様を救うのはキスだと知った時はロマンチックで胸がドキドキしたものだ。その時の感覚が胸の中で同じように高まり、やけに走った。
「し、嗣虎さん。目覚めてくださいよね!」
上を向きすぎた首をぼきぼき鳴らしながらわたしの方へ向けさせ、わたしは背伸びをして唇にキスをした。
……。
「無理ですよね、分かってますよ馬鹿!」
「このとち狂い女を殺す! サファイア、銃を向けて!」
「ああ分かってる!」
こんな時、誰かが助けに来ることを願ったことは一度もない。中学生になってから、何も喋らないからと言ってあらゆる酷いいじめを受けても睨むだけしかやり返さなかったこのフリアエは、睨む為ならばどんな必殺技でも生きてみせる自信がある。
シャープペンシルの芯を手の甲の皮の中に入れられても、爪楊枝で腕を何回ぶっさされても、理不尽な暴力を受けても耐えてきた。
しかし嗣虎に銃弾を掠らせる訳にはいかないし、取られる訳にもいかない。嗣虎はわたしにとって王子様、いつまでも隣に居てくれなければ。
……転移する。
「ガブリエル! サファイア! あなた達は命拾いをしましたね!」
「なんだと!」
「嗣虎さんが目覚めない今、わたしはあなた達を殺す手段しか持ち合わせていない! ならばわたしは逃げることにしました!」
「どうやって逃げるというの!?」
「転移だってんです!」
空気中の魔素を時空系のエネルギーに変換させ、わたしと嗣虎に纏わせる。紫色の妙な光が漂えば、後は自身の魂へ直結させるのみ。
「魔法!? 君、もしかしてエルフシリーズ──」
「アリーヴェデルチ!(さよならだ)」
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「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
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