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はらわた

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プロローグ

プロローグ 中編

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 幸いにも鼻血以外には俺も少女も怪我は無く、俺の圧倒的回復力をもって立ち上がった。
 一体何故、少女は空から降ってきたのだろうか。いや、彼女は死ぬ直前だったのだ、どこかで休ませた方が良いのではないか。
「お前さ、」
「とととりあえず安全な場所に避難しましょう! 危ないのはあなたなんです!」
「なんで?」
 俺の声掛けをさえぎって、少女は俺の手を引いて走り出した。
 精神状態が不安定になっているのを証明するように、彼女の手は汗にまみれ、俺の手がつるりと抜けそうになるのだが、俺はあえて掴ませてやる。
 俺はトートの件をどうしようかと考えてはいた。だが他に、些細なことではあるが、重要なことでもあるものを、まるで冷凍食品だからといって冷凍庫に放置しすぎて手遅れになるのような、そんな第三記憶倉庫に押し込めてしまった事柄を取り出せずにいてしまっていた。
 どうでもいいやつか。
 駆けていくうちに住宅街に所狭しと建てられた公園が目に入り、俺は立ち止まることにより少女の動きを止めた。
 彼女が羽のように軽いのもあって、素っ頓狂に悲鳴をあげながら宙に浮くも俺の後ろに上手い具合に着地出来たようだ。
「お、お、大丈夫か?」
「捻ったですんですぅー!」
 デスンデスは自身の手首を押さえて非難をぶつけた。
 悪かったな。
 公園のベンチに指を指し、俺が向かうとデスンデスも付いてくる。
 俺は一番乗りで座って休んだ。
「なぁ、デスンデス」
「どうしました?」
「デスンデスはデスンデスなのか?」
「デスンデスは名前ではないですんです」
 ……。
 え、俺がツッコミやるの?
 えもいえぬ静寂を破ったのは、なんと俺だった。
「俺は占七。お前は?」
「ベノルリルと言います。ここなら安全そうですね」
「どこがだよ」
 ぶどう色の目がきらりと光った。
「あなたは私の命の恩人です。この際、正直に話すのが礼儀というものなのでしょう」
 真剣でありながら、怯えも混じった表情で俯く。その様子に既視感があった。
 あれは俺が小学一年生の時、別の児童保護施設の白波と一緒に義両親の口切【くちきり】家の養子となった頃のこと。
 殿墓【とのはか】白波は強力接着剤かと思うほどの甘えん坊ではあるが、極度の完璧主義でもある。学校では先生の問題に対し答えが分かっていてもどうしてそうなるのかという工程まで理解しないと「分からない」と答えるし、話しかけてくれる同級生やグラウンドで遊びに誘ってくれる子が居ても完璧な自分で最高のやり取りをしたいということで「ごめんなさい」と言って逃げる。
 家でも、常に時計と親の行動を見ながら宿題とドリルと俺との人間関係の構築の為の関わり合いを終わらせて家事を手伝ったり、包丁を握って野菜を切る手伝いをしている最中に指を切っても『指を切った自分』を隠すために黙って止血して平然と終わらせる。
 そんな生きづらさの塊のような彼女は、中身はまだまだ子供のままで、夜中に一人でトイレに行くことに恐怖を感じていた。だが、やはりそんな自分を誰にも見られるわけにはいかない、自分は完璧な人間でなければ失望されると……無理矢理克服するもんだから、俺はようやく動いたんだ。
 怖いものを怖いのかと聞き、嫌なものを嫌なのかと聞き、その度に怯えて首を振って否定する彼女に、距離を置かれても構わず関わり続けた。
 その尽力が功を成し、ようやく明かしてくれた時の白波の表情に似ていた。
「──私は宇宙飛行船『アース』の軍人、ブラックラビット隊に所属する二等兵です。私の地球は寿命を迎え、宇宙船で星々を渡り、今まで生きてきました。侵略行為はしたことはありませんが、事の次第ではやむなしとなる場合もあるかも知れません。だからこそ、争いを生まない覚悟のもと、こうして話すのです」
 それは今までの俺の人生を肥溜めに捨てるくらいの発言だ。
 空から太陽が落ちるほどの衝撃と、約三千メートルの山の頂上から落ちるほどの不安。空を飛ぶという幻想を纏えない俺には必中の口撃。
 道理を無視して考えをめぐらせる。そもそもベノルリルが空から降ってくる際に、上空のどの地点で落下し出した?
 理解できる点が無いかと自分の中で必死に証拠を探すのだが、それはベノルリルの口からしか出なかった。
「今、この地球の宇宙には宇宙艦が巡回しているのですが、そこに配備されていた最新型の戦闘機『チェルノボーグ』が奪取され、地上に潜伏しています。私は戦闘機『フリアエ』を使って捜索をしていたのですが、何者かにハッキングされ、落とされてしまいました」
「つまり、宇宙人というわけだ」
「帰る星の無い者をそう呼ぶみたいですね」
「……」
「……」
「天然だなお前。まあいいや、そのチェルノボーグを追ってお前は来たが、しくじった。もしかして計画的犯行か?」
 彼女の額から汗が流れ、自分の思考に向き合う為に目を閉じる。
「チェルノボーグは高い戦闘技術を発揮するため、攻撃操作と基本操作を分けて二人乗りを前提とした機体です。最新型と言ったように、まだ誰もそれの操縦をすることが出来ない。わざわざチェルノボーグを持ち出すよりももっと簡単で強力な機体の方がいい。扱えれば強いけど、でなければ価値の無いものなんです。なので犯人は突発的な行動で奪ったとみています」
 ……俺も自分の記憶をまさぐった。しかし一時間前に落ちてきた未確認飛行物体の情報がそのチェルノボーグであるという結びつき以外大して見つからない。
 だが、知っているような気がした。宇宙船や戦闘機ではなく、わざわざ難しい方を選択する人間のことを。
 心巳に似ている感じで、見た目や仕草はほわほわと柔らかな印象なのに、中身が理屈で出来ている凄い奴。
 頭の中に散らばった白色の破片が復元していくように、妄想と現実が融合し、確証のない真実を声に打ち込む。
「犯人の姿は見たのか?」
「……一応」
「星色の長い髪をしていたんじゃないか?」
「……なぜ?」
 ベノルリルの指先がピクリと反応し、俺を真っ直ぐに見る。
「眠っていた時に見た夢が数年後実際に起こることってあるだろ。そんな感じで俺はその犯人とやらを見たことがある」
「ありえない……この星は外惑星からの干渉を受けたことがないんです。それはあなたが犯人を見たという他はない!」
「俺はお前も知っている気がする。なんでだろうな、お前、本当はダークエル──」

「可哀想に~!」

 俺とベノルリルの背後から間にぬるりと謎の女性が割って入った。
 大学生よりは幼く、中学生よりは成長している十七歳と思われるその人は、言葉通り白くもなく黒くもない灰色の髪でベノルリルを遮る。
 そして灰色の瞳が虚空を見つめた。
「まだ遊び盛りな歳で、生きる為働かなければならない宇宙人。片や、生きる為働かなくていい歳で、未来を見据える地球人。感動です~!」
「誰だ」
 謎の女性はベンチの背もたれに置いた手に力を入れ、自身の体を上へ押し出し、空中で前転しながら俺たちの前に立った。
「私は並行世界探究機関デッドの主任、マーチ」
「そんな機関は存在しない」
「知らないものを存在しないとは言えませんよ、坊や」
「存在しないしお前はマーチじゃない」
 自信はほとんどなく、根拠もほとんどない。ただ鍵の掛かった記憶の扉があるのか、そこから口へと直接溢れ出す。
 女性の薄ら笑いは消えた。俺にしてみれば、初対面であるのだが、不思議なことに悪い人のようには見えない。
 この口が悪いのだ。
「素敵~☆ じゃあね、特別に分かりやすい提示をしますね」
 女性は拳を前に出し、人差し指を上げていく。
「一つ、不自然な言動を自分でしないこと。二つ、魔法や科学を不自然に解明しないこと。三つ、どんな疑問も答えを見ない限り答えを口にはださないこと。そうすれば今まで通りにイージーにしてあげる♪」
「……なんだと」
 どんな網も重ねていけば穴はなくなる。攻略本を見ながら細い糸を通せば、貫くことは出来てもイレギュラーというものが色濃く現れる。
 彼女はエラーメッセージなのだ。ちゃんと脚本を書いて、ちゃんとキャラクターを揃えて、ちゃんとバグを消して、ちゃんと面白く作っているのに、邪道に攻略しようとしているから止めに来た。
 きっと、彼女は終盤に登場するキャラクターで、今の主人公達では絶対に勝てない強敵。不正防止の役割を担っている。
 お仲間は数十人と居るだろう。その大半は俺の行動を知っている。何故この場で、こんな早いタイミングで、不自然な登場を彼女はしたのだろうか?
 俺にはまるで、自分が選ばれなくてもそれがいいと思っているように見える。
「ね?」
「……」
 彼女の……マーチの笑みは俺に安心感を与えた。
 別に思うだけなら勝手なのだ。口に出すから不味いのだ。
 今までの出来事は全て繋がっていない。全く関係がない。しかし宇宙の皿の上では全て同じ料理であることにはちがいない。
 知りもしないレシピで、何となく作れそうだからと手を出せば、きっととてつもないものができてしまう。
 例えば自分のために一人を救って他を絶滅させるか、自分以外のために他を救って自分を破滅させるかの二択があるとして、主観では自分を破滅させた方がマシに見えるが客観的に見れば圧倒的に一人だけ救った方が良いという場合がある。
 恐ろしいことに、甘っちょろい奴ほど間違えて、事態を大きく悪くする。あの男のように。
 その点、心巳は賢いよな。俺と白波と心巳の三人で白波の誕生日の日にワンホールケーキを食べる時、偶然ハエがとまったケーキの部分を切って何も言わずに自分で食べてしまうんだから。
 それに気付いた俺は心巳を気の毒に思って損をした分を補填してあげたいと思ったし、それに気付かなかった白波は何も気にせずに誕生日パーティを楽しめた。今振り返ると、優しすぎる心巳には俺にある取引を持ち掛けてきていて、自分はこんなにも不幸なのだと誇示して俺に自分を幸せにしろという脅迫に似た押し付けだったのかもしれない。
 彼女の気持ちを無視できる程に半幼馴染の仲間はやっていないし、俺も出来るならすぐに応えてやりたい。
 だが俺には天秤に乗せてもまるで傾かない他に大切な事が山程残っているのだ。何故義妹ができてしまい、あの男と女の子の幼馴染になり、誰かに着けられている気配を感じ、恋心を置いてきてしまい、命を狙われ、野良猫を拾い、姫のナイトになり、奴隷を飼い、地球の化身なんかと会い、普通の恋愛をし、虐待された年下を助け、妖精と旅をし、変な女と協力し、魔王なのに聖女と付き合って、星々を巡り、機械のような人間の面倒を見て、性玩具の為に作られた少女と同居し、一人の人造人間を深く愛してしまい、心巳を求めてしまい、シパルと一緒になるのだろう?
 妄想と現実の区別が付かなくなってしまった俺は、まさか、マーチが幻覚なのではないかと疑い始めてしまう。
「並行世界なんです。それが答えで良いじゃないですか。ねー?」
 マーチはクスクスと笑った後、血飛沫を飛ばさずその場で霧散した。
 実に幻想的な退場であった。だが、心の中でこれは現実であると強く訴えてくるもう一人の俺がいる。
 ベノルリルの方へ顔を向けた。
「占七さん、私の正体を知っているんですか?」
 その真剣な顔からは、マーチの存在はどこにもない。本当に俺の幻覚にしようとしていた。
 しかし、もし言われた通りに不自然なものを不自然なまま口に出せば、今度こそ殺されてしまうような気がする。
 魔法は分からないから魔法だが、あの瞬間は永遠の魔法だ。
「いや……俺がこうだったら良いなって思っただけだ。許してくれ」
 俺が濁すと、ベノルリルが額からツツ……と汗を一滴落とす。
 そして頭の中の何かが切れたかのように、突然スカートの中のレッグホルダーから銃を取り出し、ベンチの前の虚空に銃口を向ける。
「……嘘ですよね」
「なんで?」
「私はこれでも最古の地球人として最新の科学と魔法を受け継いでいます。だから並行世界が存在せず、過去にも戻れないことを知っています。そして、我々が求めている『エターナル』が、今、確実に、ここに居たはずなんです……」
「俺はまだ死にたくねぇなぁ」
「……占七さん。よく思い出してください。私とあなたは恋人になる一歩手前で、あなたが私に待っていてくれって言ったんですよ」
「……覚えてねぇなぁ」
「世の理が意思を持つと言うのなら、今ここで姿を現しなさい! 卑怯者!」
 ベノルリルの目はまるで老人のように、乾き、覇気をなくし、怯えていた。
 それは俺も同じだったのかもしれない。俺の目が彼女を呼び覚ましたのだろう。
 訳が分からなくても仕方がない。語るには長い年月が必要だからだ。
「なあ、リル。もう分かるだろ? ここでゴールしても、借り物競走でまだ何にも借りれてないんだよ」
「……はぁ、はぁ……ッ!」
「また永遠を彷徨うのか?」
「それっでもッ!!」
「そろそろ、彼女達も庇えないんじゃないか?」
「それでもそれでもそれでも!」
「お前も、エナが優しすぎることを思い出した方がいい」
「それでもそれでもそれでもそれでもそれで───」




「──それで、チェルノボーグが盗まれる直前の様子をカメラがとらえていました。占七さんはその人が誰か知りませんか?」
「知っている気がするけど、そもそも会ったことがないような気もする」
「もー」
 スマートフォンにしては縁なしで真四角の携帯端末で動画を再生し、俺とベノルリルは肩をくっつけ合いながらそれを観た。
 お互い初対面だと言うのに、まるで熟年夫婦のように心が通じ合っているような感じだ。
 なんならベノルリルがかなりの怠け者でテレビが大好きというのも知っている気がするくらいに。
 非情になれずにみんなから好かれるお姉ちゃんなのだ。例え銃を持っていたとしても人に撃つことは絶対にしない。
 いいや、俺が彼女に惚れた理由はもっとあってだな……。
「髪が白いでしょ? 私達と同い年だと思うんですんです。特に罪を償ってもらうとかではなく、機体だけ返してもらいたいんですよね」
「そうしたらお前はこの星から居なくなるのか?」
「占七さんが私をお嫁にしない限りねー!」
「寂しくなるな……」
「もー!」
 ……妙だな。俺とベノルリルは初対面だぞ? なんで彼女と過ごした日々を懐かしんでいる……?
 ベノルリルは携帯端末を胸ポケットにしまうと、ベンチから立ち上がった。
「……なんで占七さんが危ないのか良く思い出せませんが、占七さんのことだから何があってもきっと大丈夫でしょう」
「大丈夫じゃないんだよなぁ」
「占七さんから私に連絡する手段はありませんが、私からなら公衆電話で掛けることができるでしょう。電話番号を教えてくれませんか?」
「なんたらこうたら」
「ありがとうございます! ではベノルリル、引き続き任務を継続しますですんです」
 スチャッと敬礼をした後、確か捻っていたはずの足で颯爽と走って行き、俺の前からいなくなった。
 そのタイミングで『ブーピピッブー!』とケータイが鳴ったので、俺はそれを取り出す。そのついでにシパルも表に出てくる。
 画面には全てのアイコンが『?』に変わっており、それをまるでクッションのように抱き締めているハノグリプが映っていた。
「なんだよ」
 俺はぶっきらぼうに応答する。
「……いえね、わたしぃー……あの宇宙船には大分助けられているので、そのぉ」
「ベノルリルの戦闘機を妨害したんだな?」
「意地悪よねぇ!」
 恐らく彼女ハノグリプは、自身がウイルスであり別の星から来たということで追手であるベノルリルの邪魔をしたのではないかと思っていると勘違いしたのだ。
 からかってやろうにも、聡い彼女には通用しないか。
「言っとくけれどね、私は善良なウイルスなんです。人を殺すようなことはしないんだから」
「分かってるよ。じゃあ誰がやったんだ?」
 シパルが俺の肩に座る。
「アースの住人は全員が優良遺伝子を受け継ぐように産まれたデザイナーベイビーです。争いをせず、楽しく愉快に長生きする為と人類滅亡を防ぐための措置なのでしょう。内部抗争による事件である線は外すことをおすすめします」
 ……どうして真面目かなぁ。
 自分から答えを言っていることは自覚しているのだろう。
 ブレス……とかいう魔法のようなものがあるから落ちても良いと思ったんだよな。そうやって時間を稼ぎたかったんだろ。
 チェルノボーグである必要があるんだろ?
「そうですよ。まるで天国にいるような、居心地の良いところだったの。これは絶対に外部だよ!」
 ハッキングのプロフェッショナルが的外れなことを言い出す。普通の女の顔よりもウイルスという点で分厚いのかもしれないが、シパルが犯人とは思っていないことは理解できた。
 それもそのはず。俺の大切な大切な妹であるハノグリプはシパルのことを尊敬しているのだ。
「誰が妹だよ」
「え?」
 ハノグリプが露骨に反応した。
 赤紫の瞳が俺の目を真っ直ぐに見つめている。
 その顔はみるみると青ざめていき、機械の中なのに涙も溢れ出す。
「ど、どうしたよハノ」
「ううん……なんでもない……」
 ケータイの画面は暗転し、ハノグリプは姿を隠した。
 なんでもなくはない。一体何があったというのか。
 どう考えても答えに辿り着けない俺は、重なりすぎた特殊な出来事に対しフル回転した脳を休ませるため、無心になって空を見上げる。
 シパルはそんな俺に何も言わずに、俺の首に体を預けた。
 ……まだ終わりではない気がするのは、気のせいか?
「──すみません、少しよろしいですか?」
 やけに張りのある声がした。右隣を見ると、そこには気配を消しながら近付いてきたであろうボブカットの少女がいた。
 俺の中学校の制服を着ており、姿勢は良いのにぶかぶかであるところを見るに新入生だろうか。
 何故まだ始まってもいない学校の制服を着ているのかは分からない。
「なんですか」
 俺は引き続き無心になって答えた。
 彼女は俺の肩のフィギュアのフリをしたシパルを見て、特に引きつったり変な目で見たりせずに話を続ける。
「この辺りに軍服のようなものを着た私と同い年くらいの女の子を見かけませんでしたか?」
「可哀想な奴」
 俺はため息を吐いた。
 その理由を理解できない彼女は訝しげに俺を見る。
「……どういうことですか?」
「お前エージェントだろ。お国からのな。だがお前の探している女は宇宙人で、この地球の技術ではその宇宙人どころか宇宙船すら見つけることはできない。つまり、別の宇宙人がその女を見つけ、その宇宙人の配下にある国家機関からお前に探し出してなんとかするように言いつけた。そうだろ。別に考えれば不自然でもなんでもない」
 目を丸くした。なんなんだこの男は、どうして宇宙人のことを知っている、まさか、この人も宇宙人なのか……とでも思っていそうだ。
「……どうやら、私達には切っても切れない縁が出来ているようです」
「どういう意味だ」
「これを渡します」
 彼女はブレザーのポケットからメモ帳とペンを取り出し、紙に電話番号を書いて俺に渡した。
 今日はやけにケータイの出番が多い。
「宇宙人を見かけたなら、私に連絡をしてください。あれは得体が知れないので」
 それだけを言い残し、彼女は毅然とした足取りで去ろうとする。
 はいそうですかと、あんな得体の知れないエージェントを放ったらかしに出来るか!
「俺は占七。お前は?」
「あかみ。亞神です。赤野亞神。あなたの底意地の醜さは覚えましたよ、占七さん」
「喧嘩売ってんのか!?」
「私は多分、そんなあなたに救われている」
 そして彼女の見せた微笑みは、儚さと愚かさを漂わせ、今度こそ俺の前から居なくなった。
 訳が分からない。あの目、俺を昔から知っているような目だ。
 うだうだ考えても何も解決しない。シパルと二人きりになっても何も起こらない。
「帰るかー」
 俺は立ち上がり、風を感じながらゆっくり歩く。
 今朝は散々なことが起きた。トートがゲームの世界で実験台にされ、心巳がトートのことを隠した反動でブチギレて、白波が心巳をなだめた。
 何か大事な約束を忘れている気がするし、帰るのが少し億劫だ。
 それにしても、何故心巳は怒ったのだろうか。一度や二度騙したくらいでキレる奴ではない。
 どうしても許せないことでもしてしまったのか?
 もしかして、俺が覚えていないだけで、心巳に対して何千回と同じことをしてしまったのか……? それぐらいしか心巳の機嫌を損ねる理由が無いぞ。
 困るなぁ。俺の貰い手が居なかったら心巳しか頼れる女の子は居ないんだぞ!?
 ……相変わらずシパルは黙ったままだ。俺の肩で揺れている。
 衝撃の時間は昼を迎えた。



☆───
 閉口一番、若緑のリボンを黙って見つめて俯いている心巳に謝った。
「俺が悪かった!」
 ゲーム機の前で茶道の先生でもやってんじゃないのかというくらい綺麗に正座をしており、俺のアクションに外的な反応はない。
 切実にやめてほしい。リボンをじっと見るのをやめてくれ。こう、微笑むくらいしてくれないと、俺の心が苦しい!
「お兄ちゃん……」
 白波はリビングのドアに身を隠し、片目だけ出して俺たちの様子を見ている。
 やっぱり白波は可愛いな。
「……仲のいい大親友で」
 心巳の口が開く。
「私のお願いをなんでも聞いてくれる占ちゃん。出会ったのは小学四年生ですから、幼馴染とは言い難い関係で、それでも私を一番の仲間だと思ってくれる占ちゃん」
 やつれた顔で俺をじっと見て、ほろりと涙が流れ、水晶となって落ちる。
「私、そんなに普通の人間ですか……?」
 何を思ったのか、心巳はゲーム機のコントローラーを持ち、テレビをゲーム画面に変えてヴェセル・オンラインを開いた。
「おいやめろ!」
「やめないです!」
「洒落になんねぇってマジ!」
「洒落たことないってんですよ!」
「俺達一度も喧嘩したことねぇじゃんか!」
「数すら数えられなくなるほど裏切っているくせに!」
「そ、そんな馬鹿な……! 例えそうでも、生涯で二、三回くらいしか騙さないぞ!」
「そういう表面的なものじゃないんです!」
 ……分からない。俺は心巳に恨まれるようなことをしたことがあっただろうか。
 そんな問答をしているうちに、心巳は次々とニューゲームで出て来た問いに俺と同じ答えを入力していき、トートの元へと近づいて行く。
 優しく賢く公平な彼女がトートを知れば、それが例え絵空事のように見えたとしても全力でトートを助けに行くだろう。
 それではいけないのだ。何故駄目なのか具体的には分からないが、そうしてはならないという自信がある。
 これは……『抜け道』じゃないのか? 俺が、その、なんだ。目を覚ますことが出来るように実施された目覚まし時計? とか?
 俺の意思とは関係なく、俺のこの肉体に必要なものがあるのだ。
 抜け殻のような人生から羽ばたく為の何かが……!

「もうよろしいでしょう。手詰まりでございます」

 シパルの悲痛めいた声に心巳の手は止まる。
 俺のポケットからシパルが身を出し、心巳と視線を交わす。
 俺から見えるのはシパルの頭と心巳の表情だけで、彼女は俺にも見せたことがない警戒心を剥き出しにした顔をしていた。
「占ちゃん、その『人』はなんです?」
「……こいつは──」
「──ヴェセルオンライン専用のナビゲーターを務める機械型フェアリーの……ふふ」
 シパルが口に手を当てて笑う。交差された視線にどす黒い火花が散ったような、身の毛のよだつ幻覚が見えてしまった。
「神灘皐【かんなださつき】と申します。以後、お見知りおきを……」
 言葉というには……あまりに鋭く、相手を斬り伏せんとする力が込められている。
 そんなシパル……ではなく、皐のことを無視して、心巳は俺に向いた。
「それが占ちゃんの隠したかったことですか?」
「そうだよ。だから──」
「お人形如きで、妬くような、女々しくて、努めることを、妄想に留めている、『女の子』には、嫌われるのではないかと危惧した結果、内緒にしておりました。私とのね」
 ……恐らく、心巳は生まれてから今までで一番の怒りを持っただろう。
 彼女はコントローラーを離し、静かに立ち上がり、固結びのはずの若緑のリボンを一瞬で解くと、それを左手首に巻き付けて固定し、皐に近付いた。
 そして皐を左手で手に取り、左の手の平に立たせ、目線の高さを自身と同じにする。
 その光景には、女の意地とはどういうものかを物語っている。
「自信、無いんだぁ~?」
「はい?」
 人形相手に今すぐにでもぶん殴りたくなるような顔をしながら、心巳は邪悪な笑みで皐を煽って行く。
「占ちゃんのこと、表面しか知らないからヒルのまま引っ付きに来たんですもんねぇえええええ? ええええぇええぇ? どうせ駄目だから、化粧もせずに来たんでしょぉおおおお~? あっははははははははははははははは!!」
「……す……」
「マイク小さすぎで聞こえませ~ん!」
「ろす……」
「もっと音量あげてくれませ~ん?」
 心巳は俺をちらりと見ると、体の角度を変えて、皐の顔を見えるようにした。
 その言動、行為が、全てにおいて皐の琴線を叩っ斬る。
「……殺す…………ぶっころ、ぶっ殺す………………殺す……殺して、殺し尽くしてやる…………市絆心巳…………」
 皐の右手がブルブルと震えるが、それ以上は人間に打ち勝つことが出来ないと理解しているのだろう。何も出来ずにいる。
 殺意に満ちた目が心巳には届いているはずが、それでもなお皐を格下と見ている心巳には毛ほども届いていないようだ。
「人形など恐るるに足りないわぁ? そうやって無駄なボキャブラリーで音声発生させて、無意味な情報交換をし、無価値な記録を残してごらんなさいな。あなたの幸せなんてこの世の誰よりも最低値なんだもの、誰もあなたに惚れたりしないわよねぇ」
「殺す! 殺してやるぞ市絆心巳ィッ! お前の生まれた意味もその立場もことごとく破壊しッ、その肉体を挽肉にしてぇえエエエッ! 過去も未来でもお前の存在を抹消してやるッ!!」
 感情を殺した人間と、感情を表に出した人形は、一触即発の爆弾のようでありながらも視線を逸らさず、お互いに分かりきっていることを声に出す。
 理解出来ている。それでも許せない、言葉に出さずに友になるなんて。
 自信とは、己が個人であり、対等であり、同等である為に無ければならないもの。示すことが出来ないのであれば、誰一人として結ばれることはないだろう。
 キャラじゃないのだお互いに。それでも、それでもだ。それでも……それでも。
 ライバルにリタイアは許されない。
「う、うらちゃん……」
 白波はまだ彼女らの間に入ることはできない。心巳とは数年余りの付き合いだけではあるが、俺と同じく白波も彼女がどういう人間なのかを知っているからだ。
 だから慕っている。完璧な自分でなくとも恐れずに、心巳と一緒にいられる。
 その心巳という名の優しさの化身がなぜ、シパルだか皐だかに牙を見せる? そんなもの決まっている、予想がつく。
 自分が不幸になるために愚かになるのだ。
「やりなさい? やってみなさい人形。どうせ、無理なんだから!」
「ぐぅううううう! フゥ、フゥッ、ウウウウウウウウウ!」
 ……俺には、皐が本当に言いたいことを言えないように見える。確かに、心巳は卑怯な所があり、公平な立場で言い合うことが出来ない場合がある。
 恐らく、心巳は今、皐よりも下の立場に立って話している。『俺と白波から嫌われる』というあってはならない位置だ。
 皐はそこまで降りてまで、心巳と戦う理由が無いのだ。何故なら、皐の目標は俺に好きになってもらうことであって、それを変更できない。
 心巳は嫌われてでも俺と結ばれることは出来るという自信があるからゴミクズになれる。俺が心巳の考えを読み取るという絶対の信頼があるのだ。
 出来やしない。無理だ。階段を下るたびに、上るための労力を思い出す。屋上にある宝物が紙切れで、早く行かないとそよ風に飛ばされてしまうと思っているから。
 直接話すよりも携帯電話で話し、歩いて談笑をするよりも車で旅行し、手料理よりも料理店へ行き、家よりもホテル、化粧よりも素顔、飾るより使い、予定より即日。……焦り過ぎだ。
「……」
 心巳は皐の返事を待っている。蜘蛛の糸に縋る皐の足を引っ張ることなく、地獄の底でじっと見守っている。
 それは心巳の優しさだった。しかし、優しさというのは主義によってその形を変える。
 皐もまた、心巳に負けない優しさを持っていた。
 馬鹿みたいに奥手になって、好きな人を自由にさせるという優しさだ。
 そのくらいは俺なんかでも分かる。そんじょそこらの奥手女子とは格が違うということくらいは。
「このッ……出来損ないめ……! ぐう、うううううううううう! クソ! クソ!」
 出来ないくせに、心巳の所まで下りようともがく彼女の姿は、誰が見ても、優しさ以外のなにものでも無かった。
 だから……心巳は俺を許したのだった。
「待ってる」
 心巳は左手を下げ、俺の手に皐を渡した。
 彼女を見下ろしながら一切笑わず、真剣な面持ちで向き合う。
「いえ、待っています。例え、永遠になろうとも、私は占ちゃんを引っ捕まえて一緒に待ちます。私と対等になった瞬間、初めて喧嘩をしましょう」
 その言葉は蜘蛛の糸をエスカレーターへと変えるのに十分だった。
 本来、出会うことのない二人だったのかもしれない。生まれも育ちも正反対で、見える景色すら別物だったはずだ。しかし、格上と格下は、百八十度逆の道を真っ直ぐ進み、黒と白の天を仰ぎ、苦しさと寂しさを味わい、この時にようやく衝突した。
 彼女らの地球は丸いのだと証明されたのだ。
 突っぱねていた皐と、引っ張っていた心巳が、後ろ向きでぶつかってこけたようなものだ。
 背中に貼られた本心を見て、突っぱねることも引っ張ることもやめる。だって、そんなもの見てしまったら相手のことを好きになっちゃうじゃん!
「……わかりました。……わかった」
 皐は唸ることをやめ、俺の手から無理矢理落ちた。
 俺からすればマンションの五階から落ちるようなものを、皐はやってみせ、床へ体を叩きつける。
 それは人間とは程遠く、おもちゃを落としてしまって「あ、落ちた」くらいの感覚で見てしまっていた。
 気持ち悪く笑う皐から視線を逸らさず、心巳はじっと彼女を見る。
「私はここを去ります。市絆心巳と同等の肉体を手に入れ、人間として再び戻りましょう。あなたを必ず殺すために……」
 そうやって、皐は壊れた足を引きずりながら玄関へ向かい、白波の隣を抜けていく。
 白波は何も言わずに見送ることなどしない。
「あの、皐さん……」
「私は皐ではありません。シパルです」
「その、シパルさん。どこへ行くんですか?」
「……死地へ」
 白波の真剣な目が、皐に……シパルに嘘を言わせなかった。
 彼女の返答に対し、白波は彼女を手で包み、家から出ていく。
 外からは強風と轟音が鳴り始め、窓には木の葉の舞う景色が映った。
 俺は何事か、と心配になって白波の跡を追う。
 そこには、真っ黒で傷一つ付いていない、恐らく兵器であるものが多数取り付けられた戦闘機が降りていた。
「これは……チェルノボーグか?」
 俺にはそれに心当たりがある。ベノルリルの宇宙艦から強奪された最新型の戦闘機だった。
 呆然とする白波の手からシパルは飛び降り、その宙に滞在している間に戦闘機から極細のワイヤーが伸びてシパルに巻き付くと、チェルノボーグは飛翔する。
 青い空を駆けていき、途中、白い戦闘機に纏わり付かれるが難なく振り払い、宇宙へと消えていった。
 ……ただ、シパルはトートの存在を隠すためだけにしてくれただけなのだ。何故、こうも上手くいかないのだろう。
 それとも、今までがうまく行き過ぎていただけなのだろうか。
 己の無知と無力さを恨んだ。
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