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第4話 子猫のように威嚇する少年
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「おはよう。ご飯もってきたよ」
あれから三日後、少年は身体を起こすことができるようにまでになっていた。
その少年が食べるパン粥を持って私は部屋に入る。
そこにはベッドの上で枕を背もたれにして身を起こしている銀髪の少年がいた。
「食べられる? それとも食べさせてあげようか?」
私はベッドの側に椅子を持ってきて座り、パン粥をスプーンで掬って、少年に差し出す。
が、そのスプーンが飛んでいった。
少年がスプーンを弾いたのだ。
「大丈夫。今日はスプーンをいっぱい用意してきたから!」
パン粥が入った器の横にはこれてもかと言わんばかりにスプーンが並んでいる。
一昨日から意識が戻り、昨日から色々食べ物を食べてもらおうとしているのだけど、何一つ食べようとしないのだ。
まぁ、足の腱を切られて、棺に押し込められて、出られないという状況は、少年にとっては恐怖以外、何も存在しなかっただろう。人間不信に陥ってもしかたがない。
「ほら美味しいよ」
私は目の前で食べて見せて、別のスプーンで掬って少年の前に差し出す。が、スプーンが飛んでいった。
「えー、パン粥嫌いだった?」
そして、少年は何一つ話さない。だから私は少年の名前は知らない。
「じゃ、果汁水はどうかな?」
小さなコップに分けた果汁水を差し出す。それも飛んでいき、木の床に果汁水が広がっていく。
「えー。これも駄目? 何なら食べれる?」
「出ていけ!」
そして、喋ったとしてもこれだ。
「え? ここ私の部屋だから、出ていくのなら君だよ?」
「……」
無理なのを承知で言う。少年の足の傷はそのままだからだ。
治そうと思えば治せるのだけど、自由にすると尋常じゃないぐらいの被害がでそうだからそのままにしている。
「イリア……イリア」
後ろの方から私の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。視線を向けるとそこには、手だけだして私を手招きしている。
仕方がないなぁ。
私は立ち上がって、部屋の外に向かった。
「イリア。大丈夫か?」
「辛いなら兄ちゃんが代わるぞ。……たぶん」
「せめて、名前だけでも聞き出せないのか?」
私の三人の兄たちが心配そうな顔をして廊下に立っていた。三人の兄たちは母に似て、茶髪に黒目ですらっとしている。今はふくよかな母だが、昔はモテたのだと豪語していただけあって、兄たちもまぁまぁ見た目はいい。中の上ぐらいだ。
いや中の中かもしれない。
何せ、私の部屋に上の上級がいるからね。だけど目がすわっていて、表情が何も浮かんでいないから、美人というより。怖いと言う感じだ。
「この漏れ出ている魔力絶対に高位貴族の坊っちゃんだよな」
「イリアの部屋に入ろうと思っても、足が震えてくるんだよ」
「お前よくそれで、イリアと代わろうって言ったな。でも、母ちゃんでさえ近づけないって、高位貴族って恐ろしいな」
そう六歳の私が、なぜ少年の看病をしているのかという理由が、少年の発する魔力が大きすぎて、他の人達が私の部屋に入れないという状況だからだ。
私にはわからないけど、圧倒的な力に恐怖を感じるらしい。
上の兄たちは十二歳の双子だ。来年から王都に行くことになるので、高位貴族という存在に引き気味になっているのだろう。
噂では出入りする棟が違うと聞いているので、そこまで高位貴族と一緒になることはないと思う。
そして名前を聞けば、家の人に迎えに来てもらえるはずなのに、言わないということはお家騒動的なことで、あの状態になった可能性がある。
無理に家に返す必要はないのではと私は内心思っているのだけど……おそらくそうは、いかないのだろうな。
「たぶん。魔力を出しているのは威嚇だと思うから、慣れれば大丈夫だよ。猫みたいな感じだと思う」
「あれを猫と、たとえるイリアが凄いよ」
「まぁ、名前は早めに聞きだしたほうがいいと思う」
「怪我はしないようにな」
三人の兄たちは私の頭を撫でながら、去っていった。ようは、名前を聞き出して迎えを頼もうっていう流れにしたいのだろう。
そして、私は再び部屋に戻ると、少年はベッドから降りようとしていた。
だが、床に足をつけて立とうとしたところで、床に倒れ込む。
「どうしたの?」
私は慌てて、少年に近寄る。
「トイレに行きたい?」
「……」
「じゃ、行く?」
「……」
そうかぁ。トイレに行きたかったのか。
「違う。お前が出ていけというから出ていこうとしたのだ」
「歩けないのに? どこに帰るの? 君の帰る場所ってあるの?」
「うるさい!」
凄い圧が襲ってきた。これが殺気というものかな?
「だって、名前を教えてくれないし、生きることを諦めているみたいだし」
「うるさい! お前に何がわかる!」
「え? わかんないよ? だって、君は何も話さないし……そうかわかった! 楽しいことをいっぱいしよう! いっぱい遊ぼう! その後に家に帰るかどうか君が決めればいい!」
「何もわかっていない」
だから、話をしてくれないから、何もわからないんだって。
「じゃ、歩けない君には浮いてもらおうかな?」
私は銀髪の少年を浮遊の魔術で浮かせた。そのことで少年はあわあわと慌てている。
「なんだこれは!」
「普通に浮遊の魔術だけど?」
「人が空を飛べるはずないだろう!」
あれ? おかしいなぁ。そう思って、本棚のところに行って、一冊の本を取り出す。
「この本の大魔導師の老師アルベルトは空を飛んでドラゴンを倒したってあるよ」
「それは物語だ!」
え? そうなの? 本に書かれているから普通に使われていると思っていた。
「もしかして転移も使われない?」
「そんなモノが使われたら国境の検問なんて意味がなくなるだろう!」
「はっ! 確かに、君って偉いね」
「当たり前だろう俺は……」
なんだ言ってくれないのか。この流れて家名くらい言ってくれると思っていたのだけど、駄目だったかぁ。
「それじゃ、君は私に常識を教えて欲しい。代わりに私は楽しいことを君に教えて上げる」
この三日間でわかったことは、少年は高位貴族の者。お家騒動で排除された可能性がある。
暗闇が怖い。寝ていても悲鳴を挙げて飛び起きる。
人を信じない。食べ物も飲み物もとらない。
だから、足以外はこの三日間で完治させたので、食べ物を食べてもらうために、お腹を空かそうぜ作戦に出ることにした。
私は少年を強引に振り回そうと決めた。楽しいことで埋め尽くされれば、きっと暗闇も怖くなくなるだろうし、夜中に飛び起きることもなくなるだろうと、考えたのだった。
そして数ヶ月後
「狭い」
何故か、私は少年と同じベッドで寝ていた。
「苦しい」
それも捕獲されているように抱えられて横になっている。
「イリア。まだ朝じゃない。それに動くと寒い」
季節は春めいてきたけど、朝晩はまだ冷える季節。いや、くっつきすぎて、暑いぐらいだ。
「ジェイド。今日出立するって決めたのだからもう起きるよ」
「やっぱり止めたい」
ジェイドの件は貴族社会でかなり噂になっていた。いや、サルヴァール子爵領にジェイドがいるということではなく、第一皇子行方不明事件だ。
その話を持って帰ってきたのは、新年を祝う皇帝陛下主催のパーティーから帰ってきた父と母だ。
皇妃様の第一皇子であるジェイドルークス殿下が夏ぐらいから行方がわからなくなっているという話だ。
ジェイドルークス殿下は今年で十歳の聡明な皇子殿下で皇帝陛下の幼少期を彷彿とさせる銀髪の紫の瞳の少年だと。
その話を耳にした父の挙動がおかしくなったので、母は体調不良を訴えて、退出したらしい。
母よ。それは懸命な判断だった。
皇帝陛下主催のパーティーで、実は家に同じような子供がいると言ってしまえば、サルヴァール子爵がお取り潰しになる可能性がある。
そう、誘拐犯の犯人に仕立て上げられる可能性があるからだ。
それから家族会議が行われて、ジェイドは春になったら皇都に戻ると決めてくれた。
それが今日なのだ。
この頃には、家族にも心を開いて普通に生活ができるようになっていた。勿論、足も完璧に治している。
「はぁ、皇都までは私がついていくと言っているのだから、今日がお別れじゃないよ」
「うぅぅぅぅ……戻るの嫌だ」
話に聞くところジェイドの皇子生活はスリリングな毎日だったらしい。
毒を盛られるのはほぼ毎日で、暗殺者を差し向けられたり、仕えている者も信用ならないらしい。
怖いな皇城。
「ジェイドには色々教えてあげたから大丈夫だよ」
私の前世の記憶から作った魔術もそうだけど、三人の兄からは狩猟のことを教わっていた。
弓が得意な双子の長男。解体が得意な双子の次男。私の三つ上の兄は罠が得意だ。
小さな頃からこの領地の子どもたちは自然に、釣りや狩猟を覚えていく。それが遊びだったりするからだ。
「わかった。起きる」
解放された私はほっと息を吐き出す。最初のツンツンしていたジェイドはどこに行ったのかという変わりようだ。
なんというか、威嚇していた猫が懐いたという感じだ。
さて、私も準備するかな。魔力を身体全体にめぐらして、伸ばすイメージをする。
視界が高くなった。手を見ると、記憶にある手の形。黄色みがかった皮膚の色。視界に映る黒い髪は変わらないか。
「イリア!」
「ん? どうした?」
あ、甲高い子供の声じゃなくなっている。
「姿が……」
「説明したじゃないか。旅の冒険者が死にかけていた少年を拾って、皇都に送り届けたという流れにすると」
そう言って私は立ち上がって、文机の上にあった鎖を持ち上げる。その先には指先ほどの大きさの銀色のプレートがあった。
これは魔鳥の卵を拝借する時にひかかっていた冒険者を示す身分証だ。恐らく隣国の者のタグだから、この国には知り合いはいないだろう。
「エミリアという冒険者になると」
プレートに書かれている名前を読みながら言ってジェイドを見る。すると、ジェイドはなぜか顔を真っ赤にさせていた。
「どうした?」
「服ぐらい着ろ」
あ、六歳児の服は、はち切れて糸のようになっていた。確かにみっともない。
衣服は母に辺境領の領都まで行って、他国風な感じのものを購入してもらった。
それに袖を通す……ちょっと大きい。やっぱり異世界の人って基本的に大きくない?
姿見で確認すると、顔の凹凸が少ない異国の二十五歳ぐらいの女性冒険者が鏡の中に立っていた。黒い髪は顎元で揃えられ、黒い瞳は腫れぼったい一重のまぶたに細められている。
これだと、どこの誰かが間違われて犯人に仕立てられることもないだろう。
私はジェイドを送り届けたら、直ぐに転移で家に戻るつもりだからな。
「ジェイド。朝ご飯を食べたら出立だ」
振り返ってジェイドを見たが、返事が返って来なかった。どうした?
「その姿はイリアが大きくなったら、そうなるのか?」
「いや? どこの誰かわからないようにするためだ。だから私が大きくなっても、この姿にはならない」
「そうか。残念だな」
……え? 何故に残念なのだろう?
髪は貴族にはあるまじき短さだし、まつ毛は短いし、一重だし、普通より背が低いし、可愛くはないと思う。
あれから三日後、少年は身体を起こすことができるようにまでになっていた。
その少年が食べるパン粥を持って私は部屋に入る。
そこにはベッドの上で枕を背もたれにして身を起こしている銀髪の少年がいた。
「食べられる? それとも食べさせてあげようか?」
私はベッドの側に椅子を持ってきて座り、パン粥をスプーンで掬って、少年に差し出す。
が、そのスプーンが飛んでいった。
少年がスプーンを弾いたのだ。
「大丈夫。今日はスプーンをいっぱい用意してきたから!」
パン粥が入った器の横にはこれてもかと言わんばかりにスプーンが並んでいる。
一昨日から意識が戻り、昨日から色々食べ物を食べてもらおうとしているのだけど、何一つ食べようとしないのだ。
まぁ、足の腱を切られて、棺に押し込められて、出られないという状況は、少年にとっては恐怖以外、何も存在しなかっただろう。人間不信に陥ってもしかたがない。
「ほら美味しいよ」
私は目の前で食べて見せて、別のスプーンで掬って少年の前に差し出す。が、スプーンが飛んでいった。
「えー、パン粥嫌いだった?」
そして、少年は何一つ話さない。だから私は少年の名前は知らない。
「じゃ、果汁水はどうかな?」
小さなコップに分けた果汁水を差し出す。それも飛んでいき、木の床に果汁水が広がっていく。
「えー。これも駄目? 何なら食べれる?」
「出ていけ!」
そして、喋ったとしてもこれだ。
「え? ここ私の部屋だから、出ていくのなら君だよ?」
「……」
無理なのを承知で言う。少年の足の傷はそのままだからだ。
治そうと思えば治せるのだけど、自由にすると尋常じゃないぐらいの被害がでそうだからそのままにしている。
「イリア……イリア」
後ろの方から私の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。視線を向けるとそこには、手だけだして私を手招きしている。
仕方がないなぁ。
私は立ち上がって、部屋の外に向かった。
「イリア。大丈夫か?」
「辛いなら兄ちゃんが代わるぞ。……たぶん」
「せめて、名前だけでも聞き出せないのか?」
私の三人の兄たちが心配そうな顔をして廊下に立っていた。三人の兄たちは母に似て、茶髪に黒目ですらっとしている。今はふくよかな母だが、昔はモテたのだと豪語していただけあって、兄たちもまぁまぁ見た目はいい。中の上ぐらいだ。
いや中の中かもしれない。
何せ、私の部屋に上の上級がいるからね。だけど目がすわっていて、表情が何も浮かんでいないから、美人というより。怖いと言う感じだ。
「この漏れ出ている魔力絶対に高位貴族の坊っちゃんだよな」
「イリアの部屋に入ろうと思っても、足が震えてくるんだよ」
「お前よくそれで、イリアと代わろうって言ったな。でも、母ちゃんでさえ近づけないって、高位貴族って恐ろしいな」
そう六歳の私が、なぜ少年の看病をしているのかという理由が、少年の発する魔力が大きすぎて、他の人達が私の部屋に入れないという状況だからだ。
私にはわからないけど、圧倒的な力に恐怖を感じるらしい。
上の兄たちは十二歳の双子だ。来年から王都に行くことになるので、高位貴族という存在に引き気味になっているのだろう。
噂では出入りする棟が違うと聞いているので、そこまで高位貴族と一緒になることはないと思う。
そして名前を聞けば、家の人に迎えに来てもらえるはずなのに、言わないということはお家騒動的なことで、あの状態になった可能性がある。
無理に家に返す必要はないのではと私は内心思っているのだけど……おそらくそうは、いかないのだろうな。
「たぶん。魔力を出しているのは威嚇だと思うから、慣れれば大丈夫だよ。猫みたいな感じだと思う」
「あれを猫と、たとえるイリアが凄いよ」
「まぁ、名前は早めに聞きだしたほうがいいと思う」
「怪我はしないようにな」
三人の兄たちは私の頭を撫でながら、去っていった。ようは、名前を聞き出して迎えを頼もうっていう流れにしたいのだろう。
そして、私は再び部屋に戻ると、少年はベッドから降りようとしていた。
だが、床に足をつけて立とうとしたところで、床に倒れ込む。
「どうしたの?」
私は慌てて、少年に近寄る。
「トイレに行きたい?」
「……」
「じゃ、行く?」
「……」
そうかぁ。トイレに行きたかったのか。
「違う。お前が出ていけというから出ていこうとしたのだ」
「歩けないのに? どこに帰るの? 君の帰る場所ってあるの?」
「うるさい!」
凄い圧が襲ってきた。これが殺気というものかな?
「だって、名前を教えてくれないし、生きることを諦めているみたいだし」
「うるさい! お前に何がわかる!」
「え? わかんないよ? だって、君は何も話さないし……そうかわかった! 楽しいことをいっぱいしよう! いっぱい遊ぼう! その後に家に帰るかどうか君が決めればいい!」
「何もわかっていない」
だから、話をしてくれないから、何もわからないんだって。
「じゃ、歩けない君には浮いてもらおうかな?」
私は銀髪の少年を浮遊の魔術で浮かせた。そのことで少年はあわあわと慌てている。
「なんだこれは!」
「普通に浮遊の魔術だけど?」
「人が空を飛べるはずないだろう!」
あれ? おかしいなぁ。そう思って、本棚のところに行って、一冊の本を取り出す。
「この本の大魔導師の老師アルベルトは空を飛んでドラゴンを倒したってあるよ」
「それは物語だ!」
え? そうなの? 本に書かれているから普通に使われていると思っていた。
「もしかして転移も使われない?」
「そんなモノが使われたら国境の検問なんて意味がなくなるだろう!」
「はっ! 確かに、君って偉いね」
「当たり前だろう俺は……」
なんだ言ってくれないのか。この流れて家名くらい言ってくれると思っていたのだけど、駄目だったかぁ。
「それじゃ、君は私に常識を教えて欲しい。代わりに私は楽しいことを君に教えて上げる」
この三日間でわかったことは、少年は高位貴族の者。お家騒動で排除された可能性がある。
暗闇が怖い。寝ていても悲鳴を挙げて飛び起きる。
人を信じない。食べ物も飲み物もとらない。
だから、足以外はこの三日間で完治させたので、食べ物を食べてもらうために、お腹を空かそうぜ作戦に出ることにした。
私は少年を強引に振り回そうと決めた。楽しいことで埋め尽くされれば、きっと暗闇も怖くなくなるだろうし、夜中に飛び起きることもなくなるだろうと、考えたのだった。
そして数ヶ月後
「狭い」
何故か、私は少年と同じベッドで寝ていた。
「苦しい」
それも捕獲されているように抱えられて横になっている。
「イリア。まだ朝じゃない。それに動くと寒い」
季節は春めいてきたけど、朝晩はまだ冷える季節。いや、くっつきすぎて、暑いぐらいだ。
「ジェイド。今日出立するって決めたのだからもう起きるよ」
「やっぱり止めたい」
ジェイドの件は貴族社会でかなり噂になっていた。いや、サルヴァール子爵領にジェイドがいるということではなく、第一皇子行方不明事件だ。
その話を持って帰ってきたのは、新年を祝う皇帝陛下主催のパーティーから帰ってきた父と母だ。
皇妃様の第一皇子であるジェイドルークス殿下が夏ぐらいから行方がわからなくなっているという話だ。
ジェイドルークス殿下は今年で十歳の聡明な皇子殿下で皇帝陛下の幼少期を彷彿とさせる銀髪の紫の瞳の少年だと。
その話を耳にした父の挙動がおかしくなったので、母は体調不良を訴えて、退出したらしい。
母よ。それは懸命な判断だった。
皇帝陛下主催のパーティーで、実は家に同じような子供がいると言ってしまえば、サルヴァール子爵がお取り潰しになる可能性がある。
そう、誘拐犯の犯人に仕立て上げられる可能性があるからだ。
それから家族会議が行われて、ジェイドは春になったら皇都に戻ると決めてくれた。
それが今日なのだ。
この頃には、家族にも心を開いて普通に生活ができるようになっていた。勿論、足も完璧に治している。
「はぁ、皇都までは私がついていくと言っているのだから、今日がお別れじゃないよ」
「うぅぅぅぅ……戻るの嫌だ」
話に聞くところジェイドの皇子生活はスリリングな毎日だったらしい。
毒を盛られるのはほぼ毎日で、暗殺者を差し向けられたり、仕えている者も信用ならないらしい。
怖いな皇城。
「ジェイドには色々教えてあげたから大丈夫だよ」
私の前世の記憶から作った魔術もそうだけど、三人の兄からは狩猟のことを教わっていた。
弓が得意な双子の長男。解体が得意な双子の次男。私の三つ上の兄は罠が得意だ。
小さな頃からこの領地の子どもたちは自然に、釣りや狩猟を覚えていく。それが遊びだったりするからだ。
「わかった。起きる」
解放された私はほっと息を吐き出す。最初のツンツンしていたジェイドはどこに行ったのかという変わりようだ。
なんというか、威嚇していた猫が懐いたという感じだ。
さて、私も準備するかな。魔力を身体全体にめぐらして、伸ばすイメージをする。
視界が高くなった。手を見ると、記憶にある手の形。黄色みがかった皮膚の色。視界に映る黒い髪は変わらないか。
「イリア!」
「ん? どうした?」
あ、甲高い子供の声じゃなくなっている。
「姿が……」
「説明したじゃないか。旅の冒険者が死にかけていた少年を拾って、皇都に送り届けたという流れにすると」
そう言って私は立ち上がって、文机の上にあった鎖を持ち上げる。その先には指先ほどの大きさの銀色のプレートがあった。
これは魔鳥の卵を拝借する時にひかかっていた冒険者を示す身分証だ。恐らく隣国の者のタグだから、この国には知り合いはいないだろう。
「エミリアという冒険者になると」
プレートに書かれている名前を読みながら言ってジェイドを見る。すると、ジェイドはなぜか顔を真っ赤にさせていた。
「どうした?」
「服ぐらい着ろ」
あ、六歳児の服は、はち切れて糸のようになっていた。確かにみっともない。
衣服は母に辺境領の領都まで行って、他国風な感じのものを購入してもらった。
それに袖を通す……ちょっと大きい。やっぱり異世界の人って基本的に大きくない?
姿見で確認すると、顔の凹凸が少ない異国の二十五歳ぐらいの女性冒険者が鏡の中に立っていた。黒い髪は顎元で揃えられ、黒い瞳は腫れぼったい一重のまぶたに細められている。
これだと、どこの誰かが間違われて犯人に仕立てられることもないだろう。
私はジェイドを送り届けたら、直ぐに転移で家に戻るつもりだからな。
「ジェイド。朝ご飯を食べたら出立だ」
振り返ってジェイドを見たが、返事が返って来なかった。どうした?
「その姿はイリアが大きくなったら、そうなるのか?」
「いや? どこの誰かわからないようにするためだ。だから私が大きくなっても、この姿にはならない」
「そうか。残念だな」
……え? 何故に残念なのだろう?
髪は貴族にはあるまじき短さだし、まつ毛は短いし、一重だし、普通より背が低いし、可愛くはないと思う。
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