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50話 アイリスの涙

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「…どうなってるの…」

 アイリスは、いち早く反対派閥の異変に気づいた公爵から、平民の男の身なりをさせられ、護衛の馬で外へ逃されていた。

 公爵はあれから寝ずにいつまでもガサゴソと準備をしていた時、外の気配のおかしさに勘付き、詳しくはわからないが念のために家内全員を叩き起こすと、地下通路を使って避難させた。

 母も家人の実家に匿わせ、雇用した戦力外の家人たち全てを家に急ぎ帰らせた。

 人質を取られたり、家人を殺されるようなことだけは避けたかった公爵は、兵士以外全て逃すと、あとは家や家の中がどうなろうと知ったことではなかった。

(そんなものはまた作り直せばいい、大事なのは命だ)

 ジルコニア公爵は人を思い、潔く立ち回れる、そういう男だった。

 敵の鎧から反対派閥の関係貴族だと気付いた公爵は、すぐに公爵家が保有する軍隊の指揮を執った。
 邸の周りを囲もうとし始める敵衆を、陣を敷く前に崩す。

「皆の者!我々のやり方を見せてやれ!」

「はっ!」

 公爵の号令を聞いた兵士たちは、梯子で次から次へと塀に登り、麻袋から何か大量の粉を撒き散らした。

「は…くしょん!はっくしょん!…はっくしょん!な、なんだこれ‼︎…はっくしょん…くしゃみと鼻水と涙が…止まらん…っくしょん!」

 胡椒攻撃!風に乗って広範囲の敵兵の戦意を奪った。
 違う派閥とはいえ、できるだけ自国民と戦闘を交えたくない公爵は、まずはできる限り戦意を喪失させる方法を取った。

 次々に撒かれて目も鼻もくしゃくしゃになり、右往左往する敵兵の中を、布で顔を覆った公爵家の軍勢はそのまま抜けて王宮へと向かった。

(我が家がやられているなら、カイル殿下も危ないはず!殿下!すぐに参りますぞ!)



——「お願い!お願いします!王宮に連れてって!」

 馬に乗せられながら、推測を交えてはいたが、ある程度の事情を聞いたアイリスは必死に叫んでいた。

「なりません!アイリスお嬢様!どうかお聞き分けください!公爵様から家人の実家へお連れするように申しつかっております!特に今の王宮は公爵家以上に狙われているはず…そんなところへお連れすることなんて絶対できません!」

「だからよ!だから行かないと行けないの!カイルが死んじゃったらどうするのよ!」

 アイリスは護衛をがくがくと揺する。

「お、おやめください!お嬢様!馬から落ちてしまいますよ⁉︎」
 
 手綱を危うく離しそうになった護衛が困ったように叫んだ。
 しかし、アイリスは止まらない。

「じゃあ連れてって!連れてってください!お願いします!連れてって!連れてけー!バカーッ!」

 前に乗せているアイリスが、ドスドスと胸を叩いてくるので護衛は困り果てたが、それでもアイリスの命を預かっているため、その頼みは聞けなかった。

(どうしてカイルの一大事かもしれない時に、大好きだとわかったのに、会えないの…なんで…なんでよ…私が逃げてた罰?

もし死んじゃったらどうするのよ…
もう会えなくなったらどうするのよ…

カイル…カイル…)

 アイリスの目から涙が溢れて、流れた涙は駆ける馬の上で風に舞った…

その時———
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