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日が傾き、植木や邸の外壁は一様に橙色に染まっていた。
装飾のすべて取り去られた庭は、美しくも閑散として見えた。冬も近づいているから、今後はさらにもの寂しくなることだろう。
何事も、豪奢な飾り付けをされたものより、素朴で簡素なもののほうが落ち着くはずだった。けれど、寂しいと思うのはなぜだろう。
柵に置いていた肘を下ろす。もう庭には誰もいない。
暇を持て余したリーヌスは、自室を出て南棟の書架へと向かった。幾人かの使用人とすれ違ったが、誰にも部屋から出たことを咎められることはなかった。挨拶のたびに、彼ら彼女らはリーヌスのことを奥さまと呼んだ。
書架への入り口は、大きな両開きの扉だった。リーヌスは扉の片方の金具を引いた。しかし、開かない。鍵がかかっている。
蔵書量を思えば当然だった。式前の控室として入ったとき、部屋の棚にはぎっちりと本が並べられていた。書物というものは高級品であり、どこの家でもきっちり管理されているはずだ。公爵家には必要最低限の教養本や家系図録程度しか置かれていなかったせいで、リーヌスはそのことに思い至らなかった。
困って周囲を見回すが、誰も通る気配はない。仕方なく引き返し、最初に会った使用人に声をかける。
「書架に入りたいのだけれど、鍵をもらえるだろうか」
リーヌスが声をかけると、眉の間に皺のある長身の使用人は顔つきから想像されるよりも存外柔和な目でリーヌスを見つめた。彼はテオフィルの仕事を主に手伝っている人物らしく、使用人というよりは部下と言うべきかもしれない。
「こんにちは、奥さま。書架なら旦那さまが鍵をお持ちなので、許可をいただいてきます」
「……やっぱり、大丈夫。夕食も近いし、もうすぐ暗くなるし、またの機会にする」
「かしこまりました」
首を振ったリーヌスに、テオフィルの部下は頭を下げて立ち去った。多忙なテオフィルを煩わせることはしたくなかった。次に顔を合わせたときに頼めば良いだろう。
「__ひとつしかないから、失くすな」
晩餐の席で、テオフィルはやや大ぶりな鍵を差し出した。リーヌスは理解の及ばないまま鍵を受け取ってから、それが書架の鍵であることに思い至ってはっとした。
「ありがとう」
この機会に頼むつもりだったが、もう話が通っていたらしい。リーヌスはテオフィルの部下の仕事の早さに感心した。
「暇潰しにはなるだろう。お前が持っていろ」
「そんなに使うかわからない。使い終わったらすぐあなたに返すよ」
「恐らく俺のほうが使わん。あの部屋にあるのは娯楽本ばかりだ」
「読まないの」
「そんな暇があるように見えるか?」
リーヌスは自然と、馬車の中で首輪の鍵を渡されたことを思い出した。オメガを管理するあの首輪の鍵も、アルファであるテオフィルが持つべきものだった。
「……いらないのなら、預かっておく」
「そうしろ」
鍵は腕につけておくには少し大きかったが、馴染んだ場所に身につけていたほうがきっと失くしにくい。
首輪と首輪の鍵の代わりに、咬傷痕と大ぶりな鍵をもらって、リーヌスは不思議な気分だった。首輪とその鍵のように、噛み跡と書架の鍵には特別な相関があるわけではないから、共通点を探したって何があるわけでもない。ただテオフィルに与えられたという事実があるだけ。
「テオフィル、……」
「何か言いたいならはっきりものを言え」
「式の日、書架で読んでいた本の題名を教えて」
「……」
棘のある物言いが急に矛先を下げ、リーヌスは瞬きをした。テオフィルは無言のまま、切り分けた肉を口に含んだ。
咀嚼。
その時間だけ、返答を考えられる。
「言いたくないなら、いいけど」
ここで臆病さが顔を出して、リーヌスは咄嗟に言い重ねた。
今夜に限ってあまり柔らかくない肉をリーヌスも口に含み、しばらく無言の時間が続いた。
気まずく思う必要はない。これまでだって会話は多くなかった。
「“きえたオオカミ”。特に読んで面白い話ではない」
装飾のすべて取り去られた庭は、美しくも閑散として見えた。冬も近づいているから、今後はさらにもの寂しくなることだろう。
何事も、豪奢な飾り付けをされたものより、素朴で簡素なもののほうが落ち着くはずだった。けれど、寂しいと思うのはなぜだろう。
柵に置いていた肘を下ろす。もう庭には誰もいない。
暇を持て余したリーヌスは、自室を出て南棟の書架へと向かった。幾人かの使用人とすれ違ったが、誰にも部屋から出たことを咎められることはなかった。挨拶のたびに、彼ら彼女らはリーヌスのことを奥さまと呼んだ。
書架への入り口は、大きな両開きの扉だった。リーヌスは扉の片方の金具を引いた。しかし、開かない。鍵がかかっている。
蔵書量を思えば当然だった。式前の控室として入ったとき、部屋の棚にはぎっちりと本が並べられていた。書物というものは高級品であり、どこの家でもきっちり管理されているはずだ。公爵家には必要最低限の教養本や家系図録程度しか置かれていなかったせいで、リーヌスはそのことに思い至らなかった。
困って周囲を見回すが、誰も通る気配はない。仕方なく引き返し、最初に会った使用人に声をかける。
「書架に入りたいのだけれど、鍵をもらえるだろうか」
リーヌスが声をかけると、眉の間に皺のある長身の使用人は顔つきから想像されるよりも存外柔和な目でリーヌスを見つめた。彼はテオフィルの仕事を主に手伝っている人物らしく、使用人というよりは部下と言うべきかもしれない。
「こんにちは、奥さま。書架なら旦那さまが鍵をお持ちなので、許可をいただいてきます」
「……やっぱり、大丈夫。夕食も近いし、もうすぐ暗くなるし、またの機会にする」
「かしこまりました」
首を振ったリーヌスに、テオフィルの部下は頭を下げて立ち去った。多忙なテオフィルを煩わせることはしたくなかった。次に顔を合わせたときに頼めば良いだろう。
「__ひとつしかないから、失くすな」
晩餐の席で、テオフィルはやや大ぶりな鍵を差し出した。リーヌスは理解の及ばないまま鍵を受け取ってから、それが書架の鍵であることに思い至ってはっとした。
「ありがとう」
この機会に頼むつもりだったが、もう話が通っていたらしい。リーヌスはテオフィルの部下の仕事の早さに感心した。
「暇潰しにはなるだろう。お前が持っていろ」
「そんなに使うかわからない。使い終わったらすぐあなたに返すよ」
「恐らく俺のほうが使わん。あの部屋にあるのは娯楽本ばかりだ」
「読まないの」
「そんな暇があるように見えるか?」
リーヌスは自然と、馬車の中で首輪の鍵を渡されたことを思い出した。オメガを管理するあの首輪の鍵も、アルファであるテオフィルが持つべきものだった。
「……いらないのなら、預かっておく」
「そうしろ」
鍵は腕につけておくには少し大きかったが、馴染んだ場所に身につけていたほうがきっと失くしにくい。
首輪と首輪の鍵の代わりに、咬傷痕と大ぶりな鍵をもらって、リーヌスは不思議な気分だった。首輪とその鍵のように、噛み跡と書架の鍵には特別な相関があるわけではないから、共通点を探したって何があるわけでもない。ただテオフィルに与えられたという事実があるだけ。
「テオフィル、……」
「何か言いたいならはっきりものを言え」
「式の日、書架で読んでいた本の題名を教えて」
「……」
棘のある物言いが急に矛先を下げ、リーヌスは瞬きをした。テオフィルは無言のまま、切り分けた肉を口に含んだ。
咀嚼。
その時間だけ、返答を考えられる。
「言いたくないなら、いいけど」
ここで臆病さが顔を出して、リーヌスは咄嗟に言い重ねた。
今夜に限ってあまり柔らかくない肉をリーヌスも口に含み、しばらく無言の時間が続いた。
気まずく思う必要はない。これまでだって会話は多くなかった。
「“きえたオオカミ”。特に読んで面白い話ではない」
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