上 下
67 / 69

龍帝の狗

しおりを挟む
 やがて視界が開けた。__眩しい光が、森の中の明るさに慣れていた目を襲う。

 森を出て、草原へと至ったのだ。

 爽快感と解放感に思わず深く呼吸をすると、自分の体が、草原の緑に染まるように感じた。果てまでも続く緑、帝都の山は遥か遠く。午の日差しの中、まるで幻のように揺らいで見える。

 その方角に、黒い点が2つ。点は空を滑るように移動している。やがて、黒い点に翼が生えていることを目視できた。羽ばたく度に白く輝いて見えるのは、その翼の背が漆喰の壁のように白いから。
 
 __来たか。
 
 まっすぐ向かって来ているそれは__龍。

 龍は徐々に高度を下げ、ロンフォールたちの頭上を一周した。まるで吟味するように、長い首をずっとロンフォールへ向けたまま__。

 そして、ロンフォールの正面へと回って羽ばたきながら滞空し、蹴爪がある立派な脚を垂れ、ひとつ啼いた。

 まるで、ここに降りるからどけ、と言っているようで、ロンフォールの周辺から、皆は数歩、距離を取る。

 龍は巨躯に不釣り合いな軽やかさで、ほぼ音もなく草原に降り立った。ふわり、と風を周囲に広げながら。そして、双翼を一度大きく広げて伸びをする仕草をしてから、ゆっくりとたたむ。

 蜥蜴や蛇のような冷徹な眼が、ぎろり、とロンフォールを見つめていて、まるで捕食しようと隙を伺っているようにも見えた。

 しかし構わずロンフォールが鼻先に手を伸ばすと、その掌に龍は鼻先を軽く押しつける。触れた手で硬い鱗を撫でつけると、うっとりと龍は瞼を落とし、猫のように喉の奥を鳴らした。猫と言っても、かなり大物の、獅子を思わせる低さであるが。

 その最中、追尾していたもう一頭の龍は、遅れてその背後に降り立った。

 背の鞍に跨った人物は軽やかに草原へと降り、空を見上げた。太陽は、南中を過ぎ始めたところだ。

「……少し遅くなった」

 龍帝従騎士団の制服に身を包み、肩に金色のオーリオルを乗せた白髪の男は、紅玉の双眸をロンフォールをはじめ一同へと移す。__と、耳長の元龍騎士の姿を認めると、居住まいを正して頭を下げた。

 それに対し、元龍騎士は、気にするな、と言いたげに苦笑して片手をあげるばかり。

「小官は龍帝従騎士団団長ガブリエラ・リョンロート。ロンフォール・フォン・レーヴェンベルクを捕縛せんがため、参上した。__貴殿は、導師ではないようだが……?」

 何者かを推し量るため、ガブリエラは吟味するような視線でリュングを見つめた。

 直接的な面識はないガブリエラであるが、情報として、導師の特徴は伝わっていた。__両手十指の指輪、万能の目がそれである。

「こちらは、導師の名代で__」

「リュングと申します。お目にかかれて光栄です、リョンロート卿」

 ロンフォールの言葉を途中から奪う形で、リュングは名乗る。彼は胸に手を置いてやや深めに礼を取り、控える位置に移動していた子響を示した。

「こちらは、子響。警護の長」

 子響は両手を垂らしたまま、武人らしい礼をとる。

 それに応じるように、ガブリエラもまた同様の礼をとった。

「この度は、部下が導師を__」

 リュングは手の平を前に出して、ガブリエラの言葉を制した。

「当時の事情は、名代として彼から伺っています。それから、今回の彼の役目や目的も」

「左様でしたか」

 そこまで硬い表情で言ったガブリエラは、ひとつ大きくため息を零した。そして、表情は真摯だが柔らかい印象を与えるものへと変える。

「__では、このまま彼を引き渡せてもらえるので?」

「よしなになさって下さるのであれば」

 あらためてロンフォールを見る。彼は、龍の喉のあたりを静かに撫でていて、視線が合うと肩をすくめた。

「報告次第になります。__が、私としても、穏便にできるものはそのようにしたい」

「そうなることを願うばかりです」

 ええ、と頷き、ガブリエラは次いで神子とその従者を見た。

「__神子はこちらの龍に」

 言いながら、自分が騎乗していた龍を示すように、首の根元あたりを叩いた。

「イェノンツィア殿は、手綱をお願いします。この私の龍には、私を追うように指示しますので、手綱だけ離さないでくだされば、帰還できます。空を飛ぶ特技がある馬に乗っている、と思ってください」

「承知しました」

 神子を負ぶったイェノンツィアは、ガブリエラが手綱を持つ龍へと近づく。その動きに合わせ、元龍騎士らは近づいて騎乗の補助をする。

 一番上背が高く、四肢も長い元龍騎士が、御免、と短く断りを入れて神子を抱え、鞍へと移す。そして、勝手知ったるなんたるか。慣れた動きで、鞍の留め具や鐙などを、龍の身体を一周しながら確認し、イェノンツィアに手綱を渡すガブリエラと言葉を交わした。

 聞こえる範囲だが、差し障りのない労いの言葉の掛け合いである。

「__君も大変だったな」

「いえ。ブラウシュトルツ卿は、お戻りはどのように?」

「神子とは別行動で徒歩だ。荷と馬を回収していかねばならない。昨夜馬は好きにさせるために放したが、そんなに遠くには行っていないだろう。それよりも荷が多くてな。__まあ、気にしないでくれ。くれぐれも神子とレーヴェンベルガーを頼む」

「ええ」

 その彼らを尻目に、イェノンツィアは神子の後ろに跨り、鐙に足を置いた。

 イェノンツィアとガブリエラは、お互い問題なし、と頷き合う。そして、ガブリエラはロンフォールの方へと歩み寄った。

「レーヴェンベルガーは、私と一緒だ」 

「御意。__シーザー」

 龍を指差しながら名を呼ぶと、彼は軽い足取りで龍へと駆け寄る。そして、ガブリエラが開けて待機していた、龍のわき腹に垂れるようについている鞍袋に飛びこんだ。

 袋には足場を安定させつつ、ある程度の空間を確保するために、固い板と綿でまちが底に作られている。慣れた狗尾であれば、そこで寝るようにもなる。

 遅れて龍の元へと至ったロンフォールは、鞍袋の留め金や紐の装着具合を確認してから、ガブリエラに頷く。それを受けた彼は頷き返し、龍の鞍に跨った。ロンフォールは、その彼の後ろに騎乗する。

 ガブリエラのちょうど膝裏のあたりに狗尾が頭を出たときに頭がくるので、狗尾にあたる冷たい風を、脚で切ることでいくらか軽減するようになっている。

 ロンフォールはひょこり、と頭を出すシーザーを撫でた。

 それを視野の広い龍は見逃さず、長めの首をゆるりと動かし、ロンフォールに自分にも撫でるように催促した。

 図体に似合わない甘えに笑って鱗に覆われた首を撫でると、低く猫撫で声のような唸りをあげる。喜んでいるときや、甘えているときの啼き方だ。表情があまりつくれない分、彼らは仕草や声で気持ちを表す。

「子響殿」

 見送る武人は、槍を携え静かに佇んでいた。

「もし興味があるなら、龍帝従騎士団に入らないか?」

 蓬莱人ではあるが、彼はもともと龍騎士に憧れ、なることを夢にしていた。

「私亡き後になるが」

 いずれは人員を補充しなければならない。大抵は最終試験に落ちた者や、軍から引っ張ってくるが、部外者から補充された例もある。

 ちらり、と団長へ視線を向けると、彼は静かに様子を見守る様子で、手綱を持ったまま。

「皆さんの足を引っ張るばかりですよ」

「ブラウシュトルツ卿、子響殿の腕はいかがだったのですか?」

 子響の言葉を聞きイェノンツィアが問えば、突然矛先を向けられた形のブラウシュトルツは、はっ、として組んでいた手をおろした。

「……かなりの研鑽を積んでおられるのは間違いない」

 為人は十二分に龍騎士たりえるもの。仲間に迎えて__自分の推挙で加えるのに、恥ずかしくない人物だ。

「御冗談を。買いかぶっておられる」

「謙遜を。私は、過小評価も過大評価もしない」

 元龍騎士に評価され、目をやや伏せた子響。その様子を、リュングも静かに見守る。

 初夏の風が、森に向かって優しく吹いた。

 そして、ゆっくりと彼は顔をあげる。彼は柔和に笑みつつもしっかりと、ロンフォールを見据えた。

「私は、導師とともにあります。この命は導師に」

 導師を得られたことに、彼は心の底から喜んでいた。龍騎士になれなかったことを悔やまずに済むほどに。

「……愚問だった。だが、気持ちが変わったら言ってくれ」

 会話の終わりを察し、ガブリエラは手綱を引いて、龍の首を帝都へと向ける。

「息災を祈念申し上げる。__任せてくれ」

 何を、とは言わずとも彼らは分かったらしく、深く頷くノヴァ・ケルビムら。
 
 __悪いようにはしない。
 
 軽く頭を下げるロンフォールを合図に、ガブリエラは龍を舞いあがらせた。

 離れる草原は、波打つ海原のように風にそよいでいる。離れれば離れるほど、それがまさしく海のように見えた。久しぶりに見た景色に、僅かに心が弾んだ。

 飛ぶ、空を自由に舞う、というのは、本能的に片翼族は好きなのかもしれない。

 眼下の海原に佇む青年2人__蓬莱人をちらりとみる。
 
 __惜しいのは、我々のほうだな。
 
 裏切れない、と思った。

 同じ釜の飯を食らっていたかもしれない人物だ。誠意は示さなければ。

 彼がかつて憧れていた龍騎士として、失望させないためにも。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

わたしを捨てた騎士様の末路

夜桜
恋愛
 令嬢エレナは、騎士フレンと婚約を交わしていた。  ある日、フレンはエレナに婚約破棄を言い渡す。その意外な理由にエレナは冷静に対処した。フレンの行動は全て筒抜けだったのだ。 ※連載

帰らなければ良かった

jun
恋愛
ファルコン騎士団のシシリー・フォードが帰宅すると、婚約者で同じファルコン騎士団の副隊長のブライアン・ハワードが、ベッドで寝ていた…女と裸で。 傷付いたシシリーと傷付けたブライアン… 何故ブライアンは溺愛していたシシリーを裏切ったのか。 *性被害、レイプなどの言葉が出てきます。 気になる方はお避け下さい。 ・8/1 長編に変更しました。 ・8/16 本編完結しました。

逆行令嬢は聖女を辞退します

仲室日月奈
恋愛
――ああ、神様。もしも生まれ変わるなら、人並みの幸せを。 死ぬ間際に転生後の望みを心の中でつぶやき、倒れた後。目を開けると、三年前の自室にいました。しかも、今日は神殿から一行がやってきて「聖女としてお出迎え」する日ですって? 聖女なんてお断りです!

三年目の離縁、「白い結婚」を申し立てます! 幼な妻のたった一度の反撃

紫月 由良
恋愛
【書籍化】5月30日発行されました。イラストは天城望先生です。 【本編】十三歳で政略のために婚姻を結んだエミリアは、夫に顧みられない日々を過ごす。夫の好みは肉感的で色香漂う大人の女性。子供のエミリアはお呼びではなかった。ある日、参加した夜会で、夫が愛人に対して、妻を襲わせた上でそれを浮気とし家から追い出すと、楽しそうに言ってるのを聞いてしまう。エミリアは孤児院への慰問や教会への寄付で培った人脈を味方に、婚姻無効を申し立て、夫の非を詳らかにする。従順(見かけだけ)妻の、夫への最初で最後の反撃に出る。

神のいとし子は追放された私でした〜異母妹を選んだ王太子様、今のお気持ちは如何ですか?〜

星井柚乃(旧名:星里有乃)
恋愛
「アメリアお姉様は、私達の幸せを考えて、自ら身を引いてくださいました」 「オレは……王太子としてではなく、一人の男としてアメリアの妹、聖女レティアへの真実の愛に目覚めたのだ!」 (レティアったら、何を血迷っているの……だって貴女本当は、霊感なんてこれっぽっちも無いじゃない!)  美貌の聖女レティアとは対照的に、とにかく目立たない姉のアメリア。しかし、地味に装っているアメリアこそが、この国の神のいとし子なのだが、悪魔と契約した妹レティアはついに姉を追放してしまう。  やがて、神のいとし子の祈りが届かなくなった国は災いが増え、聖女の力を隠さなくなったアメリアに救いの手を求めるが……。 * 2023年01月15日、連載完結しました。 * ヒロインアメリアの相手役が第1章は精霊ラルド、第2章からは隣国の王子アッシュに切り替わります。最終章に該当する黄昏の章で、それぞれの関係性を決着させています。お読みくださった読者様、ありがとうございました! * 初期投稿ではショートショート作品の予定で始まった本作ですが、途中から長編版に路線を変更して完結させました。 * この作品は小説家になろうさんとアルファポリスさんに投稿しております。 * ブクマ、感想、ありがとうございます。

政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~

つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。 政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。 他サイトにも公開中。

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

処理中です...