23 / 57
可惜夜 Ⅰ
しおりを挟む
二階のあてがわれていた部屋へ赴こうと階段を一段、二段と足をかけていく。
そうしていながら、リュディガーに頼りきりなのは気が引ける、と背中に添えられている大きな手から離れようと重心を動かした。
ふわり、と身体が動いた直後、身体がしっかりと固定された。
「__大丈夫か?」
腰回りに太い腕が回され、リュディガーの身体に引き寄せられて、先程よりも密着していることに気づいた。
「危なかったぞ」
「……危ない……?」
「しっかり」
「い、いえ、今のは__」
弁解しようとするキルシェに、ほら、とリュディガーが促した途端、身体__足にかかっていた重さが軽減されて、軽やかに階段を上がっていく。
腰に回された腕で少しばかり抱えられているのだ、と理解したときには、部屋の前だった。
支えられたまま、リュディガーが開けた扉をくぐって踏み入った部屋。その暖炉は時間が経ちすぎていて、じんわりとくすぶる熾だけになっていた。
他に明かりはなく、熾であってもそこが目立つ光源。流石にそれだけでは、暗すぎる。
「__明かりを」
キルシェがいつものように声をかけて、二拍手を軽く打てば、呼応して魔石の温かみのある色の灯火が灯る。
「そこへ」
リュディガーの誘導に従い、座らされたのは、暖炉近くに置かれているソファー。
キルシェを座らせると、リュディガーは暖炉の火を熾しにかかった。
ソファーの肘掛けと背もたれに身体を預けながら、キルシェは大きな背中を見守る。
__本当に大きな背中だわ……。
屈んで、大きな背中を丸めて、まるで__
「__熊……」
「ん?」
「ぁ……いえ、何も……」
知らず知らず思った言葉がそのまま口から溢れたいた事を、リュディガーが振り返ることで知り、慌てて笑って誤魔化しつつ首をふる。
「リュディガー、袖が……」
正装の飾り袖が、彼が腕を動かす度に床を擦っていることに気づき、声をかける。暖炉の傍であれば、まず間違いなく他の場所よりも煤や埃が大いに違いない。
「ああ、忘れていた」
飾り袖の先を腰の帯へ挟み込み、暖炉の中へ薪をくべ始める。もう休むことを見越して、細い物を多めに、そして太いものは3本だけ。
「ごめんなさい、汚れることをさせてしまって」
暖炉の中で、燃えさしに引火し、細い枝が炎にはまれ始めたのを確認して、手を打って埃を払う仕草をするリュディガーへ、キルシェは詫た。
なんの、と笑って振り蹴ったリュディガーは、立ち上がりながら他の部分の埃を払い、皺を伸ばす。
「気分は悪くないのか?」
「えぇ……ふわふわするだけで……気持ち悪さはないの。まるで、温いお湯に包まれている感じで……」
「なら、いいところで止められたらしいな」
「いいところ?」
肩をすくめるリュディガー。
「褒められない飲み方の、手前ってことだ」
「そう……」
「介抱役というほどの役目がなくてよかった」
冗談めかしたリュディガーにキルシェは苦笑する。
「米の酒は、葡萄酒に比べて強い。ものによっては癖がないし、甘く感じるものもあるから、口当たりも良くてするする飲める」
説明をしながら、リュディガーは部屋に常備されている水差しを持ち、グラスへ水を注ぐ。
「今日のが、それ……?」
「ああ」
「そうなのね……」
ふぅ、とキルシェは息を吐く。吐き出す息が熱く感じられる。
そこへ水を注いだグラスをリュディガーが差し出してきた。
ありがとう、と受け取って、キルシェは一口水を飲んだ。体温より遥かに冷たい水が、体の中を落ちていくのがよく分かる。
「結構なはやさで飲んでいたから、冷や冷やしていた。幸い、年長者のお二人は、よく気がついてくださる方々だから」
「ええ、そうね。とても気を利かせていただいたわ……ありがたいです。とても楽しくて……」
「とても楽しそうではあったな。おかげで、独りで均衡も保てないぐらいに飲んでいた」
「違うわ。あれは、貴方に頼り切りなのは駄目だから、と__」
「それだ。その判断のしかたが、もう酒が回ってる証拠だ。あの時、君、びっくりするほど急に身体が反れたんだぞ。一番ひやり、とした」
「またそのような……」
「自覚がないなら、そういうことだ」
呆れたような表情をするが、どこか人の悪い笑みを浮かべているように見える。
「……本当?」
「嘘を言ってどうする」
それは確かに、とキルシェは頷いて水を今一度口へ運ぶ。
「動けるうちに、身支度をしておいた方がいい」
彼の言うことが間違いなく正しい、とキルシェは自嘲した。
ふぅ、と熱いため息を零しながら、テーブルへグラスを起き、キルシェは化粧机へと移動しようと席を立つ__が、ぐにゃり、と視界が崩れるように滑って、たたらを踏みそうになりながら、背もたれに取り付くようにすがった。
つぶさに異変を見抜いたらしいリュディガーは、背もたれにすがったときには、すでに手を背中に添えている。
「急に動かない方がいい」
「そんなつもりはないの……ただ、身体がふわふわして……」
説明しながら、自分の状態を振り返ってみれば、先程よりもふわふわとした心地が増したように思う。自分の周りに視えない水の流れがあるように、重心を保とうとするのに動いてしまうのだ。
身体の火照りも強くなったように思う。
「あぁ……あれだな」
「あれ……?」
「部屋へ下がって、緊張しなくてすんだから、一気に回ったんだろう」
「そういうもの、なの……?」
「なくはないな」
くつり、と笑うリュディガーだが、直後、真剣な顔になる。
「__吐き気はないか?」
「ええ、それはないわ。気分は、相変わらずいいの」
「ならよかった。__手伝えることは?」
ソファーへ再び座らされるキルシェは、化粧机を示した。
「箱を__」
「箱?」
「化粧机の上に、錫でできている平たい箱があるの。それを……」
わかった、とリュディガーは化粧机に向かっていき、すぐに錫の箱を見つけて手に持つと、これでいいか、とキルシェに示した。
キルシェはこくり、と頷きを返せば、彼は戻ってきて手渡してくれる。
「ありがとう」
発する言葉は、身体の火照りの熱い息を孕んでいる。
箱は平たく、手の平より一回り大きいもの。それを膝の上で広げ、中に敷かれている濃い紫の天鵝絨の布を一枚取り出して、蓋の上に置いてから、キルシェは右耳に手をかける__その耳飾りに。
大ぶりのそれを外して、箱に寝かせるように置き、蓋の上に被せていた天鵝絨の布で覆うと、もう一方も同様に外しにかかった。
「その入れ物か」
キルシェは外しながら、笑みを持って答える。
天鵝絨の布の上に外し終えた耳飾りを置き、しばし眺めて、宝石の表面を軽くなぞった。
そうしていながら、リュディガーに頼りきりなのは気が引ける、と背中に添えられている大きな手から離れようと重心を動かした。
ふわり、と身体が動いた直後、身体がしっかりと固定された。
「__大丈夫か?」
腰回りに太い腕が回され、リュディガーの身体に引き寄せられて、先程よりも密着していることに気づいた。
「危なかったぞ」
「……危ない……?」
「しっかり」
「い、いえ、今のは__」
弁解しようとするキルシェに、ほら、とリュディガーが促した途端、身体__足にかかっていた重さが軽減されて、軽やかに階段を上がっていく。
腰に回された腕で少しばかり抱えられているのだ、と理解したときには、部屋の前だった。
支えられたまま、リュディガーが開けた扉をくぐって踏み入った部屋。その暖炉は時間が経ちすぎていて、じんわりとくすぶる熾だけになっていた。
他に明かりはなく、熾であってもそこが目立つ光源。流石にそれだけでは、暗すぎる。
「__明かりを」
キルシェがいつものように声をかけて、二拍手を軽く打てば、呼応して魔石の温かみのある色の灯火が灯る。
「そこへ」
リュディガーの誘導に従い、座らされたのは、暖炉近くに置かれているソファー。
キルシェを座らせると、リュディガーは暖炉の火を熾しにかかった。
ソファーの肘掛けと背もたれに身体を預けながら、キルシェは大きな背中を見守る。
__本当に大きな背中だわ……。
屈んで、大きな背中を丸めて、まるで__
「__熊……」
「ん?」
「ぁ……いえ、何も……」
知らず知らず思った言葉がそのまま口から溢れたいた事を、リュディガーが振り返ることで知り、慌てて笑って誤魔化しつつ首をふる。
「リュディガー、袖が……」
正装の飾り袖が、彼が腕を動かす度に床を擦っていることに気づき、声をかける。暖炉の傍であれば、まず間違いなく他の場所よりも煤や埃が大いに違いない。
「ああ、忘れていた」
飾り袖の先を腰の帯へ挟み込み、暖炉の中へ薪をくべ始める。もう休むことを見越して、細い物を多めに、そして太いものは3本だけ。
「ごめんなさい、汚れることをさせてしまって」
暖炉の中で、燃えさしに引火し、細い枝が炎にはまれ始めたのを確認して、手を打って埃を払う仕草をするリュディガーへ、キルシェは詫た。
なんの、と笑って振り蹴ったリュディガーは、立ち上がりながら他の部分の埃を払い、皺を伸ばす。
「気分は悪くないのか?」
「えぇ……ふわふわするだけで……気持ち悪さはないの。まるで、温いお湯に包まれている感じで……」
「なら、いいところで止められたらしいな」
「いいところ?」
肩をすくめるリュディガー。
「褒められない飲み方の、手前ってことだ」
「そう……」
「介抱役というほどの役目がなくてよかった」
冗談めかしたリュディガーにキルシェは苦笑する。
「米の酒は、葡萄酒に比べて強い。ものによっては癖がないし、甘く感じるものもあるから、口当たりも良くてするする飲める」
説明をしながら、リュディガーは部屋に常備されている水差しを持ち、グラスへ水を注ぐ。
「今日のが、それ……?」
「ああ」
「そうなのね……」
ふぅ、とキルシェは息を吐く。吐き出す息が熱く感じられる。
そこへ水を注いだグラスをリュディガーが差し出してきた。
ありがとう、と受け取って、キルシェは一口水を飲んだ。体温より遥かに冷たい水が、体の中を落ちていくのがよく分かる。
「結構なはやさで飲んでいたから、冷や冷やしていた。幸い、年長者のお二人は、よく気がついてくださる方々だから」
「ええ、そうね。とても気を利かせていただいたわ……ありがたいです。とても楽しくて……」
「とても楽しそうではあったな。おかげで、独りで均衡も保てないぐらいに飲んでいた」
「違うわ。あれは、貴方に頼り切りなのは駄目だから、と__」
「それだ。その判断のしかたが、もう酒が回ってる証拠だ。あの時、君、びっくりするほど急に身体が反れたんだぞ。一番ひやり、とした」
「またそのような……」
「自覚がないなら、そういうことだ」
呆れたような表情をするが、どこか人の悪い笑みを浮かべているように見える。
「……本当?」
「嘘を言ってどうする」
それは確かに、とキルシェは頷いて水を今一度口へ運ぶ。
「動けるうちに、身支度をしておいた方がいい」
彼の言うことが間違いなく正しい、とキルシェは自嘲した。
ふぅ、と熱いため息を零しながら、テーブルへグラスを起き、キルシェは化粧机へと移動しようと席を立つ__が、ぐにゃり、と視界が崩れるように滑って、たたらを踏みそうになりながら、背もたれに取り付くようにすがった。
つぶさに異変を見抜いたらしいリュディガーは、背もたれにすがったときには、すでに手を背中に添えている。
「急に動かない方がいい」
「そんなつもりはないの……ただ、身体がふわふわして……」
説明しながら、自分の状態を振り返ってみれば、先程よりもふわふわとした心地が増したように思う。自分の周りに視えない水の流れがあるように、重心を保とうとするのに動いてしまうのだ。
身体の火照りも強くなったように思う。
「あぁ……あれだな」
「あれ……?」
「部屋へ下がって、緊張しなくてすんだから、一気に回ったんだろう」
「そういうもの、なの……?」
「なくはないな」
くつり、と笑うリュディガーだが、直後、真剣な顔になる。
「__吐き気はないか?」
「ええ、それはないわ。気分は、相変わらずいいの」
「ならよかった。__手伝えることは?」
ソファーへ再び座らされるキルシェは、化粧机を示した。
「箱を__」
「箱?」
「化粧机の上に、錫でできている平たい箱があるの。それを……」
わかった、とリュディガーは化粧机に向かっていき、すぐに錫の箱を見つけて手に持つと、これでいいか、とキルシェに示した。
キルシェはこくり、と頷きを返せば、彼は戻ってきて手渡してくれる。
「ありがとう」
発する言葉は、身体の火照りの熱い息を孕んでいる。
箱は平たく、手の平より一回り大きいもの。それを膝の上で広げ、中に敷かれている濃い紫の天鵝絨の布を一枚取り出して、蓋の上に置いてから、キルシェは右耳に手をかける__その耳飾りに。
大ぶりのそれを外して、箱に寝かせるように置き、蓋の上に被せていた天鵝絨の布で覆うと、もう一方も同様に外しにかかった。
「その入れ物か」
キルシェは外しながら、笑みを持って答える。
天鵝絨の布の上に外し終えた耳飾りを置き、しばし眺めて、宝石の表面を軽くなぞった。
0
お気に入りに追加
54
あなたにおすすめの小説
側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります。
とうや
恋愛
「私はシャーロットを妻にしようと思う。君は側妃になってくれ」
成婚の儀を迎える半年前。王太子セオドアは、15年も婚約者だったエマにそう言った。微笑んだままのエマ・シーグローブ公爵令嬢と、驚きの余り硬直する近衛騎士ケイレブ・シェパード。幼馴染だった3人の関係は、シャーロットという少女によって崩れた。
「側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります」
********************************************
ATTENTION
********************************************
*世界軸は『側近候補を外されて覚醒したら〜』あたりの、なんちゃってヨーロッパ風。魔法はあるけれど魔王もいないし神様も遠い存在。そんなご都合主義で設定うすうすの世界です。
*いつものような残酷な表現はありませんが、倫理観に難ありで軽い胸糞です。タグを良くご覧ください。
*R-15は保険です。
七年間の婚約は今日で終わりを迎えます
hana
恋愛
公爵令嬢エミリアが十歳の時、第三王子であるロイとの婚約が決まった。しかし婚約者としての生活に、エミリアは不満を覚える毎日を過ごしていた。そんな折、エミリアは夜会にて王子から婚約破棄を宣言される。
結婚式の日取りに変更はありません。
ひづき
恋愛
私の婚約者、ダニエル様。
私の専属侍女、リース。
2人が深い口付けをかわす姿を目撃した。
色々思うことはあるが、結婚式の日取りに変更はない。
2023/03/13 番外編追加
初夜に前世を思い出した悪役令嬢は復讐方法を探します。
豆狸
恋愛
「すまない、間違えたんだ」
「はあ?」
初夜の床で新妻の名前を元カノ、しかも新妻の異母妹、しかも新妻と婚約破棄をする原因となった略奪者の名前と間違えた?
脳に蛆でも湧いてんじゃないですかぁ?
なろう様でも公開中です。
【完】あの、……どなたでしょうか?
桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー
爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」
見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は………
「あの、……どなたのことでしょうか?」
まさかの意味不明発言!!
今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!!
結末やいかに!!
*******************
執筆終了済みです。
【完結】辺境伯令嬢は新聞で婚約破棄を知った
五色ひわ
恋愛
辺境伯令嬢としてのんびり領地で暮らしてきたアメリアは、カフェで見せられた新聞で自身の婚約破棄を知った。真実を確かめるため、アメリアは3年ぶりに王都へと旅立った。
※本編34話、番外編『皇太子殿下の苦悩』31+1話、おまけ4話
許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました
結城芙由奈
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください>
私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる