177 / 247
煌めきの都
欠ケル夜 Ⅶ
しおりを挟む
州城の下層__おそらくは、州城を戴く岩山の中へ降りていく階段なのだろう。
天然の空洞と岩肌を荒く整えたその階段は、大人が二人並んでも余裕があるぐらいの幅である。
それを降りきったら、今度は横にさらに広がりをもった空間だった。
自然のままに利用された空間は、緩やかに下る岩の空間__空洞。
等間隔で壁際に置かれた魔石の灯りとは別に、ところどころ不規則に、それこそ大きさも違う灯りは、この岩山の鉱脈から露出した光る性質がある魔石らしい。
重い耳障りな金属音が響いているばかりの空間__だが、よく聞けば、ぴたぴた、と滴る水音がする。
明らかにそれは天井から滴る水の音なのだが、それがどうにも、先程みかけたリュディガーから滴る血の音のように聞こえてしまう。
上での惨劇が嘘のように静かな空間で、脳裏にちらついて離れないリュディガーの無残な姿も、実は夢幻だったのではないのだろうか、と思えてくる。
だが、現実なのだ。
__リュディガーが、負けた……。
あのリュディガーが。
龍帝の懐刀にも太刀打ちできる実力者のはずの彼が。
__救護をすべきだった……。
わかってたのに、どうしても動けなかった。
__恐ろしかった……。
近くで確認したら、彼の死を認めなければならないから。
ひとり、ふたり、と知らぬ間に欠けていく__それが極まった。
マイャリスは、ぎゅっ、と下唇を噛み締めた。
ふと、潤む視界に浮かぶ異形の姿があって、それを目で追った。
不可知の領分の存在だろう異形たち。
黒い不気味な影は、上で見かけたそれとかわらないものの、蟲のような、獣のような、鳥のような異形は朧気ではなく、光を滲ませつつもはっきりと輪郭が見て取れる。
__増えている。
地鳴りがした。
唸りのような地鳴りだった。
唸りは、向かう先から響いてきているように思えるが、この空間__この岩山全体が揺らいでいる地震が元凶だろう。
揺れによって雫が多く降ってくるが、岩壁や天井はびくりともしない。とても強固な空洞のようだ。
__いっそ、崩落してくれればいいのに……。
生暖かい、湿り気を孕んだ緩やかな風が頬を撫でる。
少しばかり饐えた臭いがするのは気のせいだろうか__。
「__抵抗なさらないか」
すぐ近くでスコルが問う。
担がれているから、スコルの顔が否応なく至近距離だ。
「もう少し、抵抗してくださった方が面白いんですがね」
「……しないほうが、楽でしょう」
「まぁ、楽には違いないですが。面白みに欠けるので……というか、拍子抜けしている。州侯の話を聞くに、もっと気位が高いじゃじゃ馬なのだと思っていたもので」
口布の隙間から、彼の口元が歪んで笑んでいるのが見えた。
「形骸化しているとはいえ、良人の無残な姿を見せつけられて、取り乱したりもしないのは意外だった。一応、ご学友なのでしょう?」
口を引き結んで、マイャリスは顔をそらした。
「……わざわざ貴方が楽しいと思うだろうことを、私がするわけがないでしょう」
鼻でスコルが笑った。
__いっそ崩落してくれれば、この男に一矢報いれたでしょうに……。
歯がゆい思いで、進む先を睨んだ。
先に見える、口。
徐々に近づいてきて、口の向こうに広い空間があるのだとわかった。
やがてたどり着いたそこは、竪穴。
マイャリスらがいるのは、竪穴の天井に近い場所だった。
竪穴は、舐めるように均された壁を有した天然のものだと思われる。その壁から生えるようにして階段が下へと伸びていた。
底は仄暗いものの、魔石の灯りで見る事はできる。
竪穴には何があるというわけではないが、さらに口が開いているから、その先にまだなにかあるらしい。
目を細め、抱えられながらも覗き込むと、吹き上がってくる湿気を孕んだ生ぬるい風。その風にのってくるのは、饐えた臭い。風は人の悲鳴にも似た断末魔の咆哮のように、耳障りに唸っていて、驚きにマイャリスは身をすくませた。
くつり、と笑うスコルに、弾かれるように彼を見た。
「お嫌でしょうが、しっかりと自分に掴まっていてくださいよ」
マイャリスが怪訝に眉をひそめると、スコルは一瞥をくれてから地を蹴った。
「__っ」
思いも寄らない行動で、ふわり、とした浮遊感と同時に恐怖し、思わず声を失う。そんなマイャリスに向かって、向かいの壁が迫ってきた。唯一縋れるスコルの体躯にしがみつく。
直後、壁の階段へと着地した。
スコルはどうやったのか__ただ落下するだけでなく、跳躍をしたのだ。それも驚くほどの距離を。
とてもヒトの業とは思えない能力。
身体を強張らせたままのマイャリスのことなどお構いなしに、スコルは背後の竪穴へ振り返ると再び跳躍した。
それをさらに二度__いよいよ底へと着地する。
途端に濃くなる饐えた臭い。ねっとりと、まとわり付く空気の不快なこと。
「__ご無事のようですので、進みます」
担ぎ直すスコル。
負傷しているはずが淀みのない動きを見せる彼。そして今しがたのヒトとは思えない能力を披露した。
__リュディガーが負けたのは、無理もなかったのかもしれない。
見た目は、ヒトのそれだ。
能力を隠して今日まで過ごしていたのであれば、リュディガーも力量を見誤った可能性がある。
龍騎士としての得物も持ち得ない、元龍騎士。特殊な能力__クライオンもなければ、翼もない。
__なんてこと……。
龍騎士になれた能力者とは申せ、只人となった彼では太刀打ちできなかったのだ。
天然の空洞と岩肌を荒く整えたその階段は、大人が二人並んでも余裕があるぐらいの幅である。
それを降りきったら、今度は横にさらに広がりをもった空間だった。
自然のままに利用された空間は、緩やかに下る岩の空間__空洞。
等間隔で壁際に置かれた魔石の灯りとは別に、ところどころ不規則に、それこそ大きさも違う灯りは、この岩山の鉱脈から露出した光る性質がある魔石らしい。
重い耳障りな金属音が響いているばかりの空間__だが、よく聞けば、ぴたぴた、と滴る水音がする。
明らかにそれは天井から滴る水の音なのだが、それがどうにも、先程みかけたリュディガーから滴る血の音のように聞こえてしまう。
上での惨劇が嘘のように静かな空間で、脳裏にちらついて離れないリュディガーの無残な姿も、実は夢幻だったのではないのだろうか、と思えてくる。
だが、現実なのだ。
__リュディガーが、負けた……。
あのリュディガーが。
龍帝の懐刀にも太刀打ちできる実力者のはずの彼が。
__救護をすべきだった……。
わかってたのに、どうしても動けなかった。
__恐ろしかった……。
近くで確認したら、彼の死を認めなければならないから。
ひとり、ふたり、と知らぬ間に欠けていく__それが極まった。
マイャリスは、ぎゅっ、と下唇を噛み締めた。
ふと、潤む視界に浮かぶ異形の姿があって、それを目で追った。
不可知の領分の存在だろう異形たち。
黒い不気味な影は、上で見かけたそれとかわらないものの、蟲のような、獣のような、鳥のような異形は朧気ではなく、光を滲ませつつもはっきりと輪郭が見て取れる。
__増えている。
地鳴りがした。
唸りのような地鳴りだった。
唸りは、向かう先から響いてきているように思えるが、この空間__この岩山全体が揺らいでいる地震が元凶だろう。
揺れによって雫が多く降ってくるが、岩壁や天井はびくりともしない。とても強固な空洞のようだ。
__いっそ、崩落してくれればいいのに……。
生暖かい、湿り気を孕んだ緩やかな風が頬を撫でる。
少しばかり饐えた臭いがするのは気のせいだろうか__。
「__抵抗なさらないか」
すぐ近くでスコルが問う。
担がれているから、スコルの顔が否応なく至近距離だ。
「もう少し、抵抗してくださった方が面白いんですがね」
「……しないほうが、楽でしょう」
「まぁ、楽には違いないですが。面白みに欠けるので……というか、拍子抜けしている。州侯の話を聞くに、もっと気位が高いじゃじゃ馬なのだと思っていたもので」
口布の隙間から、彼の口元が歪んで笑んでいるのが見えた。
「形骸化しているとはいえ、良人の無残な姿を見せつけられて、取り乱したりもしないのは意外だった。一応、ご学友なのでしょう?」
口を引き結んで、マイャリスは顔をそらした。
「……わざわざ貴方が楽しいと思うだろうことを、私がするわけがないでしょう」
鼻でスコルが笑った。
__いっそ崩落してくれれば、この男に一矢報いれたでしょうに……。
歯がゆい思いで、進む先を睨んだ。
先に見える、口。
徐々に近づいてきて、口の向こうに広い空間があるのだとわかった。
やがてたどり着いたそこは、竪穴。
マイャリスらがいるのは、竪穴の天井に近い場所だった。
竪穴は、舐めるように均された壁を有した天然のものだと思われる。その壁から生えるようにして階段が下へと伸びていた。
底は仄暗いものの、魔石の灯りで見る事はできる。
竪穴には何があるというわけではないが、さらに口が開いているから、その先にまだなにかあるらしい。
目を細め、抱えられながらも覗き込むと、吹き上がってくる湿気を孕んだ生ぬるい風。その風にのってくるのは、饐えた臭い。風は人の悲鳴にも似た断末魔の咆哮のように、耳障りに唸っていて、驚きにマイャリスは身をすくませた。
くつり、と笑うスコルに、弾かれるように彼を見た。
「お嫌でしょうが、しっかりと自分に掴まっていてくださいよ」
マイャリスが怪訝に眉をひそめると、スコルは一瞥をくれてから地を蹴った。
「__っ」
思いも寄らない行動で、ふわり、とした浮遊感と同時に恐怖し、思わず声を失う。そんなマイャリスに向かって、向かいの壁が迫ってきた。唯一縋れるスコルの体躯にしがみつく。
直後、壁の階段へと着地した。
スコルはどうやったのか__ただ落下するだけでなく、跳躍をしたのだ。それも驚くほどの距離を。
とてもヒトの業とは思えない能力。
身体を強張らせたままのマイャリスのことなどお構いなしに、スコルは背後の竪穴へ振り返ると再び跳躍した。
それをさらに二度__いよいよ底へと着地する。
途端に濃くなる饐えた臭い。ねっとりと、まとわり付く空気の不快なこと。
「__ご無事のようですので、進みます」
担ぎ直すスコル。
負傷しているはずが淀みのない動きを見せる彼。そして今しがたのヒトとは思えない能力を披露した。
__リュディガーが負けたのは、無理もなかったのかもしれない。
見た目は、ヒトのそれだ。
能力を隠して今日まで過ごしていたのであれば、リュディガーも力量を見誤った可能性がある。
龍騎士としての得物も持ち得ない、元龍騎士。特殊な能力__クライオンもなければ、翼もない。
__なんてこと……。
龍騎士になれた能力者とは申せ、只人となった彼では太刀打ちできなかったのだ。
0
お気に入りに追加
164
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
【コミカライズ2月28日引き下げ予定】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。
氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。
私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。
「でも、白い結婚だったのよね……」
奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。
全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。
一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。
断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。
【完結】お飾りの妻からの挑戦状
おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。
「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」
しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ……
◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています
◇全18話で完結予定
身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁
結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】
妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。
子持ちの私は、夫に駆け落ちされました
月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。
星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。
グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。
それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。
しかし。ある日。
シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。
聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。
ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。
──……私は、ただの邪魔者だったの?
衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。
傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。
石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。
そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。
新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。
初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は、別サイトにも投稿しております。
表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

領地経営で忙しい私に、第三王子が自由すぎる理由を教えてください
ねむたん
恋愛
領地経営に奔走する伯爵令嬢エリナ。毎日忙しく過ごす彼女の元に、突然ふらりと現れたのは、自由気ままな第三王子アレクシス。どうやら領地に興味を持ったらしいけれど、それを口実に毎日のように居座る彼に、エリナは振り回されっぱなし!
領地を守りたい令嬢と、なんとなく興味本位で動く王子。全く噛み合わない二人のやりとりは、笑いあり、すれ違いあり、ちょっぴりときめきも──?
くすっと気軽に読める貴族ラブコメディ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる