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煌めきの都
欠ケル夜 Ⅳ
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ごおん、ごおん、と余韻を重く引きずりながら、遠く聞こえる唸るような響きの鐘の音。
それは体はもちろん、心臓にまで直接揺さぶるように響く音。
リュディガーに手を引かれ、不気味な低いその音を聞きながら、マイャリスは走った。
だが、武官である彼と違い、自分は軟禁状態を強いられていて、速く走ることはおろか、連続して長く走れない。それを彼も重々承知で常に気遣うことを欠かさず、急げと急かしながらも、時折、息を整える為に速度を落としてくれる。
「すみません……速く、走れなくて……」
「気にするな。織り込み済みだ」
ひどく申し訳なく感じて、息も絶え絶えに言うと、背後を気にしながらリュディガーがそう返した。
__織り込み済み……。
こうした事態も想定していた、ということだ。おそらく他にも、いろいろな状況も__用意周到に準備してきたに違いない。
__邪魔にならないようにしないと。
不正を暴き、糺す。
中央が何年もかけて準備してきて、やっと手を打とうとしているのだ。次はいつになるか__ない、と思ってもいいぐらいかもしれない。
最初で最後の好機と思えた。
一身にすべてを担わされているリュディガーの邪魔になることはもちろん、足手まといになるようなことはあってはならない。
__茶番……。
父はそう言っていた。
細心の注意を払ってきて、オーガスティンの犠牲もあったにもかかわらず、リュディガーの正体は気取られていた。
無論、気取られていることも、リュディガーは想定していただろう。
__でも、どうして私を?
連れてこい、と言っていた父。
身内だから、と片付けるにはあまりにも距離がこれまであった。何も知らない娘を引き込む意味がわからない。
__目的がわからない。
そもそもの目的は勿論。あれだけ遠ざけていた養子の娘を秘蔵っ子として紹介し、新たな腹心につれてこさせようとしたことも謎だ。
__あの人のことは、昔からわからない……。
今更、という気がしなくもないが、ここにきてそれが極まった。
「あっ……」
突然、突き上げるような衝撃が二人を襲った。
つぶさに反応したのはリュディガーで、腕を引かれたと思った直後、抱え込まれるようにしてその場に蹲った。
大きな突き上げの後、しばらく続く揺れ。立っていられないほどではないが、歩くのは難しいほどの揺れである。
「__溢れたか」
「え?」
抱え込むリュディガーが、ぽろり、と零した。意味するところがわからず怪訝にすると、彼は説明しようと口を開くのだが、刹那、鋭い視線になるとマイャリスの体をそこそこの力で押しやった。
なすすべなく廊下に投げ飛ばされるようにして転がり、止まったところで顔をあげてリュディガーを見れば、マイャリスは息を呑んだ。
彼は白刃を受け止めて、それを弾き飛ばしたところだったのだ。
相手は、近衛の漆黒の甲冑に身を包んでいる男__スコルと呼ばれる男だった。
__甲冑を纏っているのに、音がしなかった……。
近衛の象徴である漆黒の甲冑。重装備のそれを纏っている彼らは、その風貌だけでなく、金属の軋む音でも相手を威圧するのだ。常にその音は、彼らにつきまとうもの。一切の音をたてないということは、不可能。
今にして思えば、押しやられたとき、甲高い音がした気がする。それはおそらく、得物同士が噛み合った音。
甲冑のそれではなかった。
今目の前の近衛スコルは音を一切たててはいない。これほど近く__それこそ白刃が届くところにまで迫っていたにも関わらず。
「さすが、龍帝の狗」
「元、狗だ」
「左様で」
何合か打ち合い、そして数歩お互い距離を取る。
「真に龍帝の狗なら、得物はこれではないだろう」
「それは確かに」
リュディガーが示すのは、正装で腰に佩いていた得物。それは、近衛としての得物で、龍帝従騎士団が装備しているものとは違う。
マイャリスが知る限り、近衛としての彼がこれ以外の得物を使っていたのを見たことがない。
「まあ、私が言いたいのは得物ではなく、勘の良さ、というか、鼻の利き方といいますか」
「狗の当時から、使える方ではあったらしいからな、私は。伊達に叙勲されてはいない」
「そのようでっ」
気合とともに飛びかかるスコル。対して迎え撃つリュディガー。
彼らの打ち合いは、息をすることさえ忘れるほど無駄がない動きだった。獰猛な獣の、柔軟な動きのそれ。それがふたつ。手を読んでいる__あるいは打ち合わせをしていたとしか思えないほどの、息の合ったなめらかな動き。
「マイャリス、ここから離れろ!」
打ち合いのなか、怒号のようなリュディガーの声で我に返った。
「行け! とにかく動け!」
どこへ、と疑問を抱くが、スコルの強い眼光が、ぎろり、とマイャリスへ向けられた。
ぞくり、とするような視線だった。殺意を孕んでいるわけではないのだが、それでも嫌悪だけでなく畏怖のようなものが、体を駆け抜けたのがわかる。
その視線が、すい、と細められた。スコルの口布の下は不敵に笑んでいるのだろうと、容易に想像できる目。
スコルは、リュディガーを追ってきたのではない__改めて自覚した。
何故、と疑問を懐きながらも、マイャリスは弾かれるようにしてその場を離れる。
背後から剣戟が聞こえ、気になるが振り返らずに突き進んだ。
調度品が転がる廊下。幸いにして窓ガラスは割れてはいない。
それでも、裸足だから、危険なものを踏み抜かないようにしながら走った。
__外へ……っ。
とりあえずは外へ。
__外へ出て……それで、どうするの。
外へ出て__そう、そして邸宅へ向かう。向かえば、リュディガーの腹心の二人がいる。
まずは彼らに合流することが優先__勝手がわらかないなりに、とにかく目指すしかない。
それは体はもちろん、心臓にまで直接揺さぶるように響く音。
リュディガーに手を引かれ、不気味な低いその音を聞きながら、マイャリスは走った。
だが、武官である彼と違い、自分は軟禁状態を強いられていて、速く走ることはおろか、連続して長く走れない。それを彼も重々承知で常に気遣うことを欠かさず、急げと急かしながらも、時折、息を整える為に速度を落としてくれる。
「すみません……速く、走れなくて……」
「気にするな。織り込み済みだ」
ひどく申し訳なく感じて、息も絶え絶えに言うと、背後を気にしながらリュディガーがそう返した。
__織り込み済み……。
こうした事態も想定していた、ということだ。おそらく他にも、いろいろな状況も__用意周到に準備してきたに違いない。
__邪魔にならないようにしないと。
不正を暴き、糺す。
中央が何年もかけて準備してきて、やっと手を打とうとしているのだ。次はいつになるか__ない、と思ってもいいぐらいかもしれない。
最初で最後の好機と思えた。
一身にすべてを担わされているリュディガーの邪魔になることはもちろん、足手まといになるようなことはあってはならない。
__茶番……。
父はそう言っていた。
細心の注意を払ってきて、オーガスティンの犠牲もあったにもかかわらず、リュディガーの正体は気取られていた。
無論、気取られていることも、リュディガーは想定していただろう。
__でも、どうして私を?
連れてこい、と言っていた父。
身内だから、と片付けるにはあまりにも距離がこれまであった。何も知らない娘を引き込む意味がわからない。
__目的がわからない。
そもそもの目的は勿論。あれだけ遠ざけていた養子の娘を秘蔵っ子として紹介し、新たな腹心につれてこさせようとしたことも謎だ。
__あの人のことは、昔からわからない……。
今更、という気がしなくもないが、ここにきてそれが極まった。
「あっ……」
突然、突き上げるような衝撃が二人を襲った。
つぶさに反応したのはリュディガーで、腕を引かれたと思った直後、抱え込まれるようにしてその場に蹲った。
大きな突き上げの後、しばらく続く揺れ。立っていられないほどではないが、歩くのは難しいほどの揺れである。
「__溢れたか」
「え?」
抱え込むリュディガーが、ぽろり、と零した。意味するところがわからず怪訝にすると、彼は説明しようと口を開くのだが、刹那、鋭い視線になるとマイャリスの体をそこそこの力で押しやった。
なすすべなく廊下に投げ飛ばされるようにして転がり、止まったところで顔をあげてリュディガーを見れば、マイャリスは息を呑んだ。
彼は白刃を受け止めて、それを弾き飛ばしたところだったのだ。
相手は、近衛の漆黒の甲冑に身を包んでいる男__スコルと呼ばれる男だった。
__甲冑を纏っているのに、音がしなかった……。
近衛の象徴である漆黒の甲冑。重装備のそれを纏っている彼らは、その風貌だけでなく、金属の軋む音でも相手を威圧するのだ。常にその音は、彼らにつきまとうもの。一切の音をたてないということは、不可能。
今にして思えば、押しやられたとき、甲高い音がした気がする。それはおそらく、得物同士が噛み合った音。
甲冑のそれではなかった。
今目の前の近衛スコルは音を一切たててはいない。これほど近く__それこそ白刃が届くところにまで迫っていたにも関わらず。
「さすが、龍帝の狗」
「元、狗だ」
「左様で」
何合か打ち合い、そして数歩お互い距離を取る。
「真に龍帝の狗なら、得物はこれではないだろう」
「それは確かに」
リュディガーが示すのは、正装で腰に佩いていた得物。それは、近衛としての得物で、龍帝従騎士団が装備しているものとは違う。
マイャリスが知る限り、近衛としての彼がこれ以外の得物を使っていたのを見たことがない。
「まあ、私が言いたいのは得物ではなく、勘の良さ、というか、鼻の利き方といいますか」
「狗の当時から、使える方ではあったらしいからな、私は。伊達に叙勲されてはいない」
「そのようでっ」
気合とともに飛びかかるスコル。対して迎え撃つリュディガー。
彼らの打ち合いは、息をすることさえ忘れるほど無駄がない動きだった。獰猛な獣の、柔軟な動きのそれ。それがふたつ。手を読んでいる__あるいは打ち合わせをしていたとしか思えないほどの、息の合ったなめらかな動き。
「マイャリス、ここから離れろ!」
打ち合いのなか、怒号のようなリュディガーの声で我に返った。
「行け! とにかく動け!」
どこへ、と疑問を抱くが、スコルの強い眼光が、ぎろり、とマイャリスへ向けられた。
ぞくり、とするような視線だった。殺意を孕んでいるわけではないのだが、それでも嫌悪だけでなく畏怖のようなものが、体を駆け抜けたのがわかる。
その視線が、すい、と細められた。スコルの口布の下は不敵に笑んでいるのだろうと、容易に想像できる目。
スコルは、リュディガーを追ってきたのではない__改めて自覚した。
何故、と疑問を懐きながらも、マイャリスは弾かれるようにしてその場を離れる。
背後から剣戟が聞こえ、気になるが振り返らずに突き進んだ。
調度品が転がる廊下。幸いにして窓ガラスは割れてはいない。
それでも、裸足だから、危険なものを踏み抜かないようにしながら走った。
__外へ……っ。
とりあえずは外へ。
__外へ出て……それで、どうするの。
外へ出て__そう、そして邸宅へ向かう。向かえば、リュディガーの腹心の二人がいる。
まずは彼らに合流することが優先__勝手がわらかないなりに、とにかく目指すしかない。
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