【完結】訳あり追放令嬢と暇騎士の不本意な結婚

丸山 あい

文字の大きさ
上 下
165 / 247
煌めきの都

あらぬ嫌疑

しおりを挟む
 その日の夕方、マーガレットは戻ってきた。

 午後のお茶を終えて私室で読書をしていたマイャリスに、戻った旨を伝えに訪れる。

「__マイャリス様、ハンナの件ですが」

「会えたの? 様子はどうでしたか?」

「……それが……」

 早速、気がかりだったことを話題に出した彼女だが、背後の扉を、ちらり、と気にして言葉を濁した。

 その様子で、マイャリスは不安を覚える。

「勤め先を尋ねたのですが、彼女は今は働いていないそうで……」

「……まさかやはり、病気を?」

「病気だったら、まだよかったようなものです」

「どういうこと?」

 一度口を引き結んでから、腹の上あたりで組んだ手を握りしめるマーガレット。

「行方不明だそうで」

「何ですって」

「およそ3年ほど前に、急にいなくなった、と」

「いなく……?」

 マイャリスは心臓が鷲掴みにされたような窮屈な心地に、戸惑った。

 3年前__それは、自分が大学を止むに止まれず自主退学して戻ってきた時期に重なる。

 __貴女様は、お隠れになった、と聞きました。

 冷徹な、感情の起伏が一切ない男の視線に見つめられて告げられた言葉。

 自分が知らなかった出来事。

 知らぬうちに、死んでいたことにされていた事故。

 父が関わったそれは、抜かり無く死体も用意されていたはず。

 自分が戻ってきてハンナはすでに居なかった。故郷に戻っているか、あるいは新たな道を進んでいると思っていた__死の偽装という出来事が知らされるまでは。

「ある日から、唐突に現れなくなったそうで……」

 髪色、背格好__ハンナは似ていた。

「捜索の依頼とかはなさらなかったのですか、その雇い主は」

 マーガレットは、自嘲気味に笑う。

「所詮は替えがきく使用人ですから。州都の働き口なんて、いくらでも人が集まります」

 瘴気からの防衛策が最も講じられている州都。移り住むのは容易ではなく、住めても今度は重い税が課せられる。

 マーガレットやハンナのような使用人といった労働者としてなら、住み込みで暮らせなくもない。安全な州都のそうした働き口は、人気でそんなに空くことはないのだ。

「それに、ハンナは新しく雇われてそこまで日が経っていなかったようですし……」

「そう……」

 その彼女が唐突に、居なくなった、ということは、自分の影武者として使われたと考えるのは、考えすぎではないだろう。

 __父なら、やりかねない……いえ、やるに違いない。

 そんなことはない、と否定をし、生きている、と願っていたが、それはどうやら砕かれたらしい。

 手段はわからない。

 呼び出したのか、攫ったのか__どちらにせよ、殺したことに変わりはない。

 __寒い……。

 ぶるり、と悪寒が背筋を走った。

 父に雇われたオーガスティンは、知らなかったのだろう。

 大学に迎えに来た彼は、自分と一緒に死んだことにされていたどころか、迎えに行ったことにさえなっていなかったと言っていたのだ。それはしかも、後から調べてわかったことである。

 マイャリスから見ても、まだ当時、実力はあるようだったが、そこまで重用されていたようには思えないのだ。だから、実行班には組み込まれておらず、腕を見込まれていたことで死体のひとりに仕立てられもしなかった。

 __間諜だと、気づかれていたら別だったのでしょうけれど。

 結局、彼は粛清されてしまって、この世にはもう居ない。

「マイャリ__」

 頭を抱えていると、マーガレットが声をかけてくれるのだが、その声は途切れた。

 廊下が俄に騒がしくなったのだ。

 弾かれるように扉を見れば、同時に前触れ無く開かれる扉。

 ぞろぞろ、と人が踏み入ってくる。

 彼らは皆一様に、黒い甲冑を纏った者__近衛だった。

「無礼な! 何事ですか!」

 マイャリスは、マーガレットより前に躍り出て、黒い甲冑を纏った近衛へ強く言い放つ。

「失礼をば。__火急な要件なもので」

「火急?」

 怪訝にしていると、目の前の近衛の視線が、マーガレットへ移ったのがわかった。

「お前がマーガレットだな。__来い」

 小さく息を詰めるマーガレットを庇うよう、マイャリスは腕を伸ばした。

「彼女は私マイャリスの侍女です。貴方方は、近衛の者でしょう。であれば、私が州侯の身内だとは知っているはず。そして、貴方方の長であるリュディガーの妻__その私の侍女である彼女が何をしたというのですか」

「逆賊の嫌疑が掛けられているのです」

「逆……誰がそんな__」

「州侯です」

 食い気味な短い答えに、マイャリスは不敵に笑む父の顔が脳裏を過ぎった。

「リュディガーは__主人は何と……このことを知っているのですか」

「さぁ。私は、州侯から直々に連れてこいとご命令を受けてきただけですので。ただ、その州侯の横に控えていたのは確かです」

 __州侯の横にいたのに、リュディガーに命じなかった……?

 どうしてだろう。

 もっとも信頼されて重用されているはずの百人隊長のはず。

「雇った者の中で、不穏分子がいたのです。真贋を確かめねばならぬお立場ですので。知らぬ存ぜぬでは済まされませんでしょう」

「だから、彼女が逆賊なわけがないでしょう! それこそ濡れ衣です!」

「それについては、これから色々と確かめるだけですので。__何、違うなら違うでそれで済む話です」

 マイャリス様、と背後で震える声が上がる。

「抵抗するようであれば、認めたとみなし、容赦は致しませんが」

 腰にいた得物を示す近衛。

 口布の下でほくそ笑んでいるように、マイャリスには映った。

「お待ちを」

 よく通る女性の声__フルゴルの声が、彼らの背後からし、彼らが身を返すとその向こう側に案の定フルゴルがいた。

「私も同行させていただきます」

まじない師殿か」

「私は、州侯の腹心リュディガー様の麾下です。ここで穏やかに収めることを、リュディガー様はお望みだと存じます。変事があれば、対処せよ、と仰せつかっておりますので。__見知った者が同行したほうが、マイャリス様もマーガレットもいくらか安心でしょう」

 言って、フルゴルは部屋へと踏み入り、マイャリスのそばまで歩み寄る。

「お任せいただけますか?」

 マイャリスは、マーガレットへ振り返る。

「事実無根です。やましいことなど何も……逆賊だなんて、なんで……」

「ええ、信じているわ。もちろん」

 ひっし、とマーガレットの手を握る。かわいそうに、冷えた彼女の手は小さく震えていた。

「で、ですが、この場は、彼らに従います」

「マーガレット……」

 掛ける言葉が見当たらずに彼女の名を呼べば、彼女は笑む。それは、どこか無理をして固いものだった。

 ハンナのことを調べた直後だ。

 そして少し前には、オーガスティンの粛清。

 嫌疑をかけたのが州侯ということに、恐怖しないはずがない。

「では、私もついていきます」

「それは、ご遠慮いただく」

 近衛が無慈悲に首を振って、止める。

「マイャリス様は、連れてくるな、と。__この邸宅にとどめておくように、と仰せです。ひとり部下を残しますので、どうぞこちらでお待ち下さい」

 それは間違いなく監視だろう。

 歯がゆい思いに、マイャリスは近衛を睨めつける。

 その視界に、フルゴルが入って、無言で頷く。

 そして、フルゴルに寄り添われながら、マーガレットは近衛に囲まれる形で部屋を出ていく。

「待って。__貴方、名前は?」

 この近衛を束ねているらしい、始終マイャリスと言葉を交わしていた者に問う。

「マンフレート・ヤンセンです、マイャリス様。先日、筆頭十人隊長を仰せつかりました」

「……覚えておきます」

「それはそれは。光栄です」

 恭しく礼を取るマンフレートに、目を細める様にして睨みつけるマイャリス。

 彼らを見送ろうと、邸宅の玄関までついていくと、ひとりの近衛が扉の外へ出ぬよう留めて断りもなくそのまま扉を閉めてしまった。

 重い音を立てて閉まる扉を、呆然とみつめる。

 __何もしてあげられない……。

 ばくばく、と心臓が早く打っていることに、この時気づいた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

【コミカライズ2月28日引き下げ予定】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。

氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。 私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。 「でも、白い結婚だったのよね……」 奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。 全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。 一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。 断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。

石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。 そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。 新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。 初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、別サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。

星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。 グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。 それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。 しかし。ある日。 シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。 聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。 ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。 ──……私は、ただの邪魔者だったの? 衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

不遇な王妃は国王の愛を望まない

ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝ある時、クラウン王国の国王カルロスの元に、自ら命を絶った王妃アリーヤの訃報が届く。王妃アリーヤを冷遇しておきながら嘆く国王カルロスに皆は不思議がる。なにせ国王カルロスは幼馴染の側妃ベリンダを寵愛し、政略結婚の為に他国アメジスト王国から輿入れした不遇の王女アリーヤには見向きもしない。はたから見れば哀れな王妃アリーヤだが、実は他に愛する人がいる王妃アリーヤにもその方が都合が良いとも。彼女が真に望むのは愛する人と共に居られる些細な幸せ。ある時、自国に囚われの身である愛する人の訃報を受け取る王妃アリーヤは絶望に駆られるも……。主人公の舞台は途中から変わります。 ※設定などは独自の世界観で、あくまでもご都合主義。断罪あり。ハピエン🩷 ※稚拙ながらも投稿初日からHOTランキング(2024.11.21)に入れて頂き、ありがとうございます🙂 今回初めて最高ランキング5位(11/23)✨ まさに感無量です🥲

ごめんなさい、お姉様の旦那様と結婚します

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
しがない伯爵令嬢のエーファには、三つ歳の離れた姉がいる。姉のブリュンヒルデは、女神と比喩される程美しく完璧な女性だった。端麗な顔立ちに陶器の様に白い肌。ミルクティー色のふわふわな長い髪。立ち居振る舞い、勉学、ダンスから演奏と全てが完璧で、非の打ち所がない。正に淑女の鑑と呼ぶに相応しく誰もが憧れ一目置くそんな人だ。  一方で妹のエーファは、一言で言えば普通。容姿も頭も、芸術的センスもなく秀でたものはない。無論両親は、エーファが物心ついた時から姉を溺愛しエーファには全く関心はなかった。周囲も姉とエーファを比較しては笑いの種にしていた。  そんな姉は公爵令息であるマンフレットと結婚をした。彼もまた姉と同様眉目秀麗、文武両道と完璧な人物だった。また周囲からは冷笑の貴公子などとも呼ばれているが、令嬢等からはかなり人気がある。かく言うエーファも彼が初恋の人だった。ただ姉と婚約し結婚した事で彼への想いは断念をした。だが、姉が結婚して二年後。姉が事故に遭い急死をした。社交界ではおしどり夫婦、愛妻家として有名だった夫のマンフレットは憔悴しているらしくーーその僅か半年後、何故か妹のエーファが後妻としてマンフレットに嫁ぐ事が決まってしまう。そして迎えた初夜、彼からは「私は君を愛さない」と冷たく突き放され、彼が家督を継ぐ一年後に離縁すると告げられた。

処理中です...